第5話 バイト初日
「えっ……! う、美味すぎる……!」
あまりの美味さにのけぞる僕。
ソフィーが楽しそうに笑う。
「ふふふ、だから言ったでしょ~う? うちのコーヒーは本格派だって~」
働くからには、まず売り物を知る必要がある。
ということで、僕らは『喫茶アンタルテ』の一番人気のブレンドコーヒーをごちそうになっていた。
「にゃ! 成分分析の結果──酸性、苦み、甘み、キレ、そしてコクのバランスが絶妙であると判断いたしますですにゃ~!」
ニャモの配膳エリアに置かれたコーヒーが、誰も触れてないのに徐々に減っていく。
どうやら飲んでる(?)らしい。
というか成分分析とか出来るんだ……。
「あら~、ニャモちゃんも褒めてくれてありがとうね~」
「ソフィーさん、これ本当に美味しいです! こんな美味しいコーヒーがあるのにお客さんが誰も来ないなんて……」
「うふふ~、そうね~、不思議よね~」
◇猫◆猫◇猫◆猫◇猫◆猫◇猫◆
お店に誰も来ないのは不思議じゃなかった。
お店を開店してみてすぐにわかった。
まず、この日最初のお客さんがお店のドアに手をかけた、その瞬間──。
「あぃぃらっさいまっせぇぇぇぇぇぃ! お一人様でぇぇぇぇい!?」
「す、すみません間違えました~!」
ソフィーのラーメン屋のような声に逃げ出すお客さん。
「あの、ソフィーさん? もうちょっと静かにいったほうが……」
「そうかしら~? じゃあ、やってみるわね~」
カランコロンカラ~ン
「………………」
「あの~、ここって喫茶店……」
「………………」
「す、すみません間違えました~~~!」
無言のソフィーにビビりちらして帰っていくお客さん。
「ソフィーさん? 静かにって言ったけど黙ってちゃ怖がらせちゃいますよ?」
「え~! さじ加減が難しいわ~!」
こ、この人……壊滅的に接客が出来ないんだ……。
思い返せば。
僕たちがここに入ってきた時も異常な立ち振舞いだったもんな……。
「え~っと、じゃあソフィーさんは掃除でもしといてください。お客さんには僕が対応しますので」
「はぁ~い……」
からの~。
がしゃ~ん!
ぱりーん!
ばり~ん!
どんがらがっしゃ~ん!
「ソフィー……さん?」
「ごめんね~~~! 私、掃除苦手なの~~~!」
「いやこれはもう苦手っていうレベルでは……」
破片と残骸に覆い尽くされた店内。
唖然。
なんなんだ、この人……。
「じゃあ洗い物でも……うっ!」
「うるうる……」
ソフィーのすがるような顔で察する。
(この人、洗い物もダメだ……!)
ほんとに、コーヒーだけ。
コーヒーを淹れることだけめっちゃ上手い。
その他、ぜんぜんダメ。
ステータスポイントをコーヒーに全振りしたかのような人。
それが……ソフィー……!
「はぁぁぁぁ……」
海よりも深い溜息を吐いた後、僕はすささっと頭を切り替える。
「わかりました! 接客、配膳、掃除、洗い物、全部僕らがやりますから、ソフィーさんはコーヒーだけに集中しててください」
「でもぉ……それじゃツカサくんたちに悪い……」
「もっと悪いことが起こるんです、ソフィーさんが色々やると」
「はぁ~い……」
ソフィーは叱られた子どものような顔を浮かべ、しょんぼりとキッチンに下がっていった。
(逆に、よくこれで今までお店続けてこれたな……)
さてと。
まずは、割れたグラスやらの掃除だ。
「じゃあ、ニャモ。出来る範囲で掃除やってみて。出来なかった分は僕が片付けるから」
この世界に来たニャモは謎すぎる。
掃除と言ってもどこまで出来るのか。
まずは見てから判断だ。
そもそも配膳ロボットに掃除が出来るのか? という疑問があるが、この世界にもニャモにも疑問しかないから、そんな疑問は抱いていても仕方がない。
「はいにゃ! 御主人様のために命を賭して取り組みますにゃ!」
「うん、もっと気楽にね……」
意気揚々とニャモが「ブィィィィィン」と音を立て、床に散乱したグラスの破片の上を通り過ぎていく。
すると、割れた破片たちが綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。
「ニャモ? 破片ってどこに?」
「たぶん、どこかの異次元? ですにゃ……」
「異次元……」
そうか、異次元……。
「ソフィーさん、掃除おわりました!」
異次元!
「え~、もう!? やだ~、ニャモちゃん、ツカサくんすご~い!」
キッチンから顔を出したソフィーが目を丸くして驚く。
うん、僕も驚いてる。
異次元!
よくわかんないから「すごいルンバ」程度に考えておこう! うん!
◇猫◆猫◇猫◆猫◇猫◆猫◇猫◆
三時間後。
「しかし誰も来ませんね」
「うん、今朝二人連続でお客さん来たのって奇跡だったのよね~」
「そんな貴重なお客さんを……」
「あはは~」
「笑い事じゃありませんよ、まったく……」
「あっ! ツカサくん、お客さんよ! 奇跡継続中だわ~!」
カランコロンカラ~ン!
「あぃぃらっさいま……むぐぅ!」
ソフィーがラーメン屋式出迎えをしようとしたので、口を塞いで黙らせる。
「僕が行きます」
短く息を吐き、入口へと向かう。
ドアを開けて立っていたのは、暑いのにコートと帽子を被った老紳士。
なんか独特の雰囲気がある。
冷たい……感じ。
足元を見ると、老紳士の影が微妙に揺れていた。
まぁ、そう言う人もいるだろう。
なんてったってここは異世界だ。
「いらっしゃいませ、お一人様ですね」
「ああ」
「では、どうぞこちらへ」
紳士を席へと案内しようと歩いてると──。
(あれ……なんか足が重い感じが……ううっ……)
ずぶ……ずぶ……。
一歩、一歩、足を踏み出すたびに底なし沼に踏み込んでいってるような。
そんな感覚。
(え、これって……)
ふと、こちらを見つめるニャモと目が合った。
ニャモの顔にはこう書かれている。
『WARNING! WARNING! 危険度SSS! 外見は70%人間! なれど、牙と目が人外であると検知しましたにゃ! 即時対応を検討しておりますにゃ!』
……ん?
…………んんん?
席に座った紳士と目が合う。
血溜まりのような真紅の瞳。
Oh……人外……。
「あ、あの……ご、ご注文は……?」
声が震える。
「ブレンドで」
紳士の口の中に、禍々しい牙がきら~んと光る。
あっ、察し……。
(──ヴァンパイア)
マジかいな……。
僕の心臓が、
きゅっ
っと掴まれた気がした。