054 電話の主はブラックボックス
まさか、天乃さんか――?
手のひらがじわりと汗ばむ。急かすように、ベルが再び震える。
短パンの裾で手を拭い、イスカは意を決して受話器を取った。
「……もしもし、天乃さん?」
「――! そうよ天乃さんよー!」
「――母さんか……」
ほっとしたやら、ほんの少し残念だったやら。
イスカは小さくため息をついた。受話器の向こうから、少し興奮気味な声が届く。
「もしかしてガールフレンド? イスカも隅に置けないわね、さすがパパの子ね! 知ってた、パパってすごいモテ男だったのよー」
「違うから! 友達だし、もう忘れて」
「友達? ふーん? それってだいたい気がある子のことなのよねー」
「――母さん、この話は終わり。久しぶり」
イスカは無理やりぶった切った。
小さく笑い声がして、ようやく落ち着いた声がした。
「ええ、久しぶりイスカ。元気だった? まあ聞くまでもないみたいで安心したわー」
「ああ、元気だよ。母さんは?」
「もちろん元気よー、ばりばりやってるわ! そうそうこの間ね、お給料少し上がったのよ!」
イスカの母親は、ここから相当離れた場所に住んでいる。父親が戦死し、女手ひとつでイスカを育ててきた母親は、息子の進学に伴う引っ越しを機に、勤めていた工場に住み込みで働き始めた。
ちなみに高等教育を担っている統合学校は国内で十校しかないため、進学に伴う学生の一人暮らしはよくあることである。
「――ありがとう母さん。おかげで学校も不自由なく通えているよ」
「なにいってんの、当たり前のことでしょ! 若い頃は若い頃にしかできないことがいっぱいあるんだから、そういうことはママに任せて、そうねえ……さっきの天乃さんって子と青春するとか、ねえ?」
「……とりあえず、ありがとう。何か話があったんじゃないの」
「ああ、そうそう。イスカの顔を見に行こうと思ってたけど、ごめんねぇ行けなくなっちゃったわ。さっきお給料上がったって言ったけれど、それで研修に行かなきゃいけなくなったのよ。もし、イスカがこっちに来てくれても会えないわねー」
「なるほど。重ね重ねありがとう。僕のことは気にしないで」
「……まあそっちのほうが羽を伸ばせるかもね?」
「それは……」
そうではあるけど。
答えに詰まるイスカに、母親は笑った。
「イスカ。勉強も大事だし、青春も大事。節度を守って、たくさん楽しみなさいね」
「――わかったよ」
「天乃さんとのこと、応援してるわよー! 今度詳しく聞かせてね!」
「それはもう忘れてよ……」
あっはっは、と豪快な笑い声を残して電話は切れた。
ぷー、と寂しく音を鳴らす受話器を下ろして、イスカは天を仰いだ。
時計を見れば、十分も経っていない。
――それなのになんでこんなに疲れる……。
はぁと息を吐いて、水でも飲もうとキッチンへ向かったイスカの背に、再びベルの響きが襲う。
「なんなんだ……まさかまた母さんか?」
Uターンして受話器を掴んだ。
もしもし、と少し投げやりにイスカは話しかけ――。
「……あら、タイミング悪かったかしら」
――そして聞こえてきた鈴のような声に、受話器を落としそうになった。
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