028 天乃さんと隠したい素
――犬は先生たちに任せなさい。本当にありがとな、気をつけて帰るんだぞ!
ひと仕事終えたような顔をして、担任はご機嫌に歩いていった。太い腕でがっしり抱かれたぞうきん犬は、あいかわらず嬉しそうな顔でわん、と吠えた。
小さく手を振り見送って、どちらからともなくふぅ、とひと息つく。
二人とも、同じ気持ちだった。すごく疲れた。
「……帰ろうか」
「……ええ」
じゃりじゃりと、音が重なる。
――ベルト締めた? ええ。
――離陸するよ。 わかったわ。
機体が地面から離れても、二人の会話はこんな様子だった。
イスカは触れてもいいのかとためらい話せず、セキレイは羞恥心とその他もろもろの心がぐるぐるで言葉が出てこず、なんとも居心地の悪い空気が流れる。
そんな雰囲気が十分くらい続いてようやく、イスカは勇気を出して口を開いた。
「……あのさ。大丈夫だよ。見なかったことにするよ」
「――ううん。いいわ、見られちゃったもの」
セキレイも時を同じくして、気持ちの整理ができたらしい。ぽつぽつと、伝声管に向かって語りだす。
「……本当の私は、あれよ。みんなが思っている、完璧で静かで落ち着いた天乃セキレイは仮の姿。……あっ、でもそこまで変わらないかも。みんなの前では、意識して落ち着いているってだけよ」
なんとなくもうボロが出てきた気もするが、イスカは黙って耳を傾ける。
「私ははしゃぐの大好き。楽しいことも好き。リアクションが大げさだって、よく言われたわ。昔の私は、そういう子だったの」
セキレイはそこで一旦黙って、外を眺めた。
夕日がもうすぐ沈む。紺色がやってくる、ほんの少し前の空。
「だけど、私はそのままじゃいけなかった。無邪気な赤ちゃんは、子どもの輪には入れなかった。だから私は私を叱って、無邪気な心を隠したの。そうすれば、みんな私を嫌いにならないでくれるから」
……なにがあったか、はさり気なく濁して。
感情をのせずに、淡々と語った。
怒りも悲しみも感じない、事実だけの言葉の連なり。
「……そういう訳で、あれが私の素の姿。いつもの私はそうね、デチューンバージョンとでも言うのかしら? まあ、もう分かったわよね」
話し終えて、はぁ、とため息をついた。
それから諦観を含んだ声で、イスカに尋ねる。
「幻滅したかしら。こんな天乃セキレイで」
バックミラー越しに、紺色の瞳が見つめた。
深くて、暗い青だった。
だけど少しだけ、ほんの小さく砂金のように、奥で何かが光っていた。セキレイ自身も気づかないほどの心の奥で、わずかに顔を覗かせた、諦めとは真逆の気持ち。
バックミラー越しでは存在すらわからなかったけれど、イスカは無意識にそれを掴んでいた。
「……まさか。幻滅も何もないよ。やっぱり、って感じだ」
「え……やっぱりってどうして」
「僕は完璧な天乃さんと友達になったつもりはないよ。飛行機が壊れて通学できなくなった、不運な天乃さんと友達になったんだから。それも割と強引にね……おおっと」
追い風に煽られて、機体が揺れた。
慌てて操縦桿を引いたりスロットルを動かすイスカ。
セキレイは反応が遅れて、がくんと首を揺らした。
はっと我に返って、忘れていた瞬きをした。
「……そうなの。ふうん……そうなんだ」
「よし直った――そうそう。だから変だとは思わないな。びっくりしたけど……あっぶな!」
今度は横風が強く吹く。イスカはペダルと操縦桿で当て舵をして、横へ滑り始めた機体を抑えた。
その隙にセキレイは、瞳の端をこっそり拭った。
「……ありがとう。見られたのが下地くんでよかった」
「そうか」
「うん。それで……ね、できたらみんなには内緒にして欲しいの。私はこれを続けるつもりだから」
……本当は違う性格なんだって、知っている下地くんには滑稽に見えると思うけど。小さくセキレイは付け足すが。
「別にいいんじゃないかな。もちろん言わないし、滑稽とも思わないけど」
「……そう?」
「それが天乃さんの処世術な訳でしょ。上手くいってるなら間違ってないんじゃない?」
一応真摯な、だけど軽いイスカの言葉。
この人は、私の性格に興味がないのだろうか。
そう思ったら、肩の力がくたりと抜けた。
……あれ、そうしたらもしかして。下地くんの前でも今までの性格を通すのは、かなり恥ずかしいのでは。
「……やっぱり私、落ち着くのやめる」
「……え? 僕の話聞いてた?」
「ここでだけよっ! ここには下地くんしかいないから!」
がたがたと機体が揺れたが、今度は風のせいではなかった。
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