アイデンティティ交換の儀式 僕が社会的に女性になる日
「なんだか変な気分なんだよな。お前が正式に女になるなんてさ。あれから、1年経とうとしているのに、俺、未だに現実を受け入れられなくてさ」
アイデンティティ交換式の朝、式典会場で親友の勇樹は、つぶやく。式典会場の空は雲一つなく晴れ渡っていた。
「うん。僕もこんなことになるなんて思わなかったよ。でも、これからも、ずっと友達だよ。勇樹」
「でも、これからは、正式に女として女社会の中で生きることになるわけだろ? これまでのように気軽に、飲みに誘うってわけにはいかないよ。彼氏もいるみたいだしさ。大斗」
「大斗か」
勇樹に呼ばれた自分の名前を反芻する。
「その呼び名も、今日で最後なんだよね」
「明日からは、美奈子って呼ばなきゃいけないんだな」
「うん。それが社会のしきたりだから」
50万人に1組、人間同士の人格が入れ替わる奇病が流行りはじめたのは今から10年前だ。20歳になった世界中の人たちに発症することで世の中を騒がせた。
だが、8年前に新薬が発明され、元の体に戻る手段ができた。国会は、法案を提出し、入れ替わった者同士が元に戻ることを義務化したのが、7年前のこと。
ただし、新薬は、心身への負荷が大きかった。患者は奇病を発症してから、1年間は入れ替わったままの体で生活を送り、安定してから戻すという運用がなされることとなった。
かくして、20歳から21歳まで別人として過ごす、いわゆる体難民と呼ばれる人々が世の中に大量に生まれた。中には男と女が入れ替わるものもいた。かくいう僕もその一人だ。
『元に戻りたくない。新しい体で人生を歩みたい』
患者の中にはそんな訴えを行政に寄せる者もいた。
国会やメディアなどで特集が組まれ、議論を重ねた結果、1年間別人の体で過ごした後、本人たちやその親族の合意が取れた場合、元の体に戻らず、正式に別人として続きを生きることもできる。そんな人生を選んでも良いことになった。
そのためには、もちろん、行政の審査と煩雑な手続きを踏み、家庭裁判所の厳正な審査を受け、認められなければならない。そして、そのハードルは果てしなく高い。僕と美奈子さんも弁護士と何度も相談し、ようやく権利を獲得することができた。
『アイデンティティ交換式』は、そんな権利を獲得した人たちに与えられた宗教的儀式だ。とある、世界に影響力のある宗教的リーダーが提案し、世に知られることになった。
といっても、ファンタジーのように儀式には呪いとか魔力のような不思議な力が宿っているわけではない。単に、神前と衆目の前で新しい自分を受け入れる宣言を言葉でするだけだ。結婚式において、誓いの言葉やキスを通して、夫婦になることを宣言するのと似たようなものだ。
僕は式会場の控室に入り、着せ替え担当の女性が、礼をする。
「本当にドレスなんて着るんですか」
「お客様は女性として生きたかったとうかがっていますが?」
ううう。はっきり言われてしまうと恥ずかしい。僕は、美奈子さんという女性の体になってから、パンツルックばかりで過ごしてきた。ドレスどころかスカートすら遠慮していた。それが、晴れの日にこうして、着用するというのは、正式に女として生きるステップそのものに違いなかった。
僕は、心の中では、まだ大斗のつもりでいたが、今日から正式に美奈子になる。その実感がまだわいてこなかった。
おめかしを済ませた僕は、元の自分である大斗の体をした美奈子さんにご挨拶をすることにした。
「あら。似合ってるじゃない。大斗くん。さすが、私の体ね」
「あまりからかわないでくださいよ。美奈子さん」
「ふふっ。あたしも女言葉で軽口叩くのもこれが最後かな。頑張って私の変わりに大人の女性として生きてね。美奈子として幸せになってね」
「美奈子さんこそ」
なんて会話をしていたら、担当者が呼びに来て、会場に入ることになった。
結婚式会場を改造したその場所には、親族や友人一同が集まっており、僕たちの登場に拍手喝采となった。
儀式は進み、神前で誓いの言葉を言うことになった。
「汝は、松本大斗として、これから新しい人生を歩むことを誓いますか?」
「誓います!」
美奈子さん、ううん、大斗くんは大きな声で宣言した。背筋もびしっとして素敵だな。
そして、僕の順番がやってきた。
「汝は、南野美奈子として、これから新しい人生を歩むことを誓いますか」
「誓います!」
新しい社会的役割、名前を正式に与えられたことで心臓がバクバクする。
そして、神父さんは、大斗くんの方にさらに問いかける。
「汝は誰ですか?」
黒子が大斗くんにA4ほどの紙を渡すと、彼は読み上げる。
「僕の名前は、松本大斗です。年齢は21歳。性別は男です。愛知県岡崎市生まれ。父、啓二、母、久美子の間に長男として生まれました。中高はサッカー部。多くの仲間に囲まれ育ってきました。これが、新しい僕の過去です。これからは、大斗として、男として、責任をもって社会に責任をもって生きていきます」
彼が言葉を口にするたび、僕の過去のアイデンティティーが奪われていくかのような錯覚を覚えた。もちろん、事前の打ち合わせ通りの文言を言葉にしているだけで、何か体に変化が起きたわけではない。でも、これは社会的に僕はこれから大斗でなくなることを意味していた。
そして、神父さんは次に僕に問いかけた。
「汝は誰ですか?」
震えそうになるが、落ち着いて、打ち合わせ通りに原稿を大声で読み上げる。
「私の名前は南野美奈子です。年齢は20歳。性別は女です。三重県四日市市生まれ。父、豊彦、母、香苗の間に次女として生まれました。中高は吹奏楽部。女子高で女友達に囲まれ青春を過ごしました。これが、新しい私の過去です。これからは、美奈子として、女として、責任をもって社会に責任をもって生きていきます」
意外と落ち着いて言えた。言葉を一つ吐き出すたび、自分の過去が塗り替えられ、新しいアイデンティティーを獲得していくことを実感する。そして、その事実と背徳感で、背筋にゾクゾクとした何かが走った。
神父さんは続いて呼びかける。
「では、お互いの名前を呼び合ってください」
打ち合わせ通りに彼が私に呼びかける。
「美奈子さん。幸せになってくださいね。僕は、大斗として生きていきます」
「大斗くん。あなたこそ、お幸せに。私は美奈子として生きていきます」
演技がかった女言葉で返す。
昨日まで、親戚も友人も、みんな女の体であっても、僕のことを大斗と呼ぶのが当たり前だった。それが社会のしきたりだった。だが、これからの先の人生、周囲の人間は、みんな、僕、じゃなかった私のことを正式に美奈子と呼ぶようになる。それが、この儀式の意味するところだ。
「サプライズゲストがいます。どうぞこちらへ」
神父さんが打ち合わせにないことを言い始める。
入ってきたのは見覚えのある男だった。
「健人!」
美奈子さんの恋人だった人だ。奇病が発症してからは、僕たち私たちから遠慮して距離を置いていた。
「俺、ずっと迷っていたんだけど、やっと、心の整理がついた。やっぱり、俺、美奈子のことが好きだ。愛している。魂が別人になっていてもいい。もう一度、恋人になってください!」
あまりの突然のことに、動揺する。きっと目が泳いでいることだろう。大斗くんの方に、おうかがいの視線を投げかけると、生暖かい視線を投げ返す。新しいカップルの誕生を祝福している目だった。
周囲も冷やかしの指笛を吹く。僕は……私は……彼の愛を受け入れることが、まるで自分が、女に染まる通過儀礼のように思えた。
「いいよ」
会場は拍手で包まれる。
「では、新しいカップルはキスを」
神父さんがそそのかすものだから、目をつむると、唇に温かい感触が。
私は、みんなにどう思われているだろう。そういえば、勇樹はどうしているだろう。
キスを終え、遠くを見やると、勇樹の悲しそうな顔が見えた。やがて、彼は後ろを向くと会場を後にしていった。
彼、私のこと好きだったんだ。女の体になったとしても、男の友情は続いていたと思っていた。でも、とっくの昔にそんな関係、破綻していたんだ。上っ面は、これまで通りのように接しながら、内心は私のことを女として見ていたんだ。
どす黒い感情が芽生えた。間違いなく自分は女としての人生を歩みはじめている実感が全身に染み渡った。
「ねえ、健人さん」
「なんだい。美奈子」
「もう一度、キスしてほしい」
完