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生贄侍女ミシェルと9の黒薔薇 ~死に戻り令嬢に虐げられる侍女が、洗脳から抜け出して時の神(曇らせ好き)に愛されるまで~  作者: 神野咲音


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第58話 再び

 世界は平和だ。おかしなことは全部消したから。


 ロズは神殿の裏庭で、せっせと手のひらからつるを生やしていた。もうすぐ始まる時訪祭のための準備だった。


 無心でつるを編み込んでいくロズの隣には、ティムが花壇に腰かけて頬杖をついている。



「早くしないと儀式の時間になるぞ」


「分かってるってば」



 封印されていた時の神ロズノアテムが、伴侶の尽力によって解放され、世界をあるべき姿に戻した。


 その記憶を、正しく引き継いでいるのはロズだけだ。


 記憶とは、過去だ。


 なかったことにした時間を覚えていられるのは、ロズ自身が時間そのものであるから。忘れてしまうのが当然なのだ。全知の神サクスピエンティムですら、その理から逃れることはできない。


 親友であるティムには、ちゃんと事情を説明して、そのための記憶も差し出した。だから、ロズの意向は理解してくれている。


 それはそれとして、一人で暴走したことについてはかなり怒られたが。


 怒られたと言えば、兄である空間の神からも説教された。ロズがあちこち時間を弄ったせいで、繋がりのある空間まで消し飛びかけたと。お陰で訳も分からぬまま修復作業に追われたらしい。


 普段は人の形を取らない兄が、わざわざ慣れない顔を作ってまでロズのもとに来たのだ。正直かなり怖かった。部屋の天井を埋め尽くす巨顔にどやされるのは。時々輪郭が崩れたり、目が増えたりしたから尚更だった。居合わせたティムには申し訳ないことをした。


 それでもロズは、自分が間違っているとは思わない。


 薔薇のつるを編みながら、ロズはぽつりと呟いた。



「ティムには感謝してるんだよ、本当に」


「なんだ、いきなり」


「この身で時間の流れを感じたいからって、人の姿を取ってるのに、前の僕はそんな暇もなかった。ティムがちゃんと休めって言って、この国を作ってくれたから」



 移ろう季節を、花の香りを、月の満ち欠けを、星の巡りを、目いっぱいに楽しむことができた。



「……でも、そのせいで時間が壊れたんだろ」


「そんなの直せばいいんだよ。……こうなることくらい、分かってた。それでも、ティムの気持ちが嬉しくて、僕はこの国にいることを選んだ」



 それにさ、と、ロズは編んでいる途中の黒薔薇を掲げてみせた。



「ミシェルにも会えたから。これが一番大きい」


「……ずっと、伴侶なんて作らないって言ってたくせに」



 露骨に目を逸らして話題を変えるティム。照れているのが丸わかりだった。


 ぽんぽんとその肩を叩いて嫌がられてから、ロズはその疑問に答えることにする。



「だって、かわいそうでしょ」


「何が?」


「僕と一緒に永遠の時を過ごすことになるんだよ。普通の人間に、耐えられるものじゃない。有限を当たり前として生まれてきたのに」


「お前、それは……」



 こちらに向き直ったティムは、呆れたような顔をした。



「絶対にそうしなきゃいけないって決まりはないだろ」


「なんで? そのつもりじゃなきゃ、伴侶にしたいなんて思わないよ」


「いや、重いわ」



 ティムに言われたくはないなあ、と思いながら、ロズは薔薇のつるを最後まで編み上げた。


 棘はちゃんと無くしているし、出来栄えも良い。工芸の神に教えてもらった甲斐があった。これにレースとリボンを縫い付ければ完成だが、さすがにそれは難しいので神官長に頼むことにする。


 ロズは立ち上がって、神官服の土埃をパンパンと払う。



「これでよし」


「ところで、さっきから何作ってたんだ? 不器用なくせに」



 ティムが不思議そうに、ロズが作った薔薇を指差した。



「ミシェルと約束した物だよ」



 待ち遠しい。早くミシェルに会いたい。


 ロズは裏庭にティムを置き去りにして、神官長の元へ駆け出した。儀式が始まる前に、仕上げをしてもらわなければ。


 神官長には、「この時間が無い時に!」と怒られた。






 祭りが始まる。ロズの記憶どおりに。


 もう何度も繰り返された、けれどまだ何も起きていない、最初の時訪祭。


 ロズは祈りの間の神像から石の蕾を取り外し、金色のゴブレットを持って、神殿の外へ出た。


 到着したばかりのメリザンド・キャステンが、輝かんばかりの笑顔を浮かべている。何度も死を繰り返した記憶を持たない、人生の栄光を信じて疑わない姿だ。


 ロズは視線を巡らせた。


 並ぶ神官たちのすぐ後ろ。うっとりとした表情でメリザンドを見つめるミシェルが、いた。


 ロズのことなど綺麗さっぱり忘れて、ありもしない主人の晴れ舞台を、今か今かと待ち侘びている。


 その青い瞳に宿る盲信の炎は、ロズに向けられるべきものだ。


 用意された壇上には向かわず、ロズはミシェルの方へ足を向けた。



「どうしたのです?」



 段取りと違う動きをしたから、神官長が不審そうな声で呼び止めてくる。メリザンドの笑顔が歪むのも視界の端に見えたけれど、ロズはそのどちらもを無視した。



「ミシェル」



 少女の名前を呼べば、非常に驚いた顔でこちらを見る。巣穴から引きずり出されたリスみたいに、警戒心剥き出しだった。


 返事がないのは分かっているから、ミシェルの反応を気にせずにゴブレットを突き出した。



「これ、飲んで」



 ミシェルは受け取ろうとしない。ちらちらとメリザンドの方を見ているのは、どうすべきか指示が欲しいからだろう。


 そのメリザンドはといえば、眦を吊り上げて今にも喚き出しそうな顔をしている。



「儀式に必要なんだ。飲んで」



 無理やりミシェルの手にゴブレットを持たせる。彼女は初めて、ロズの顔をまっすぐに見た。



「飲め」



 深く目を覗き込んで告げれば、ミシェルは微かに息を呑んだ。操られているみたいにぎこちなく手が持ち上がって、中を見もせずにゴブレットを一気に傾ける。


 量はそこまで多くなかったはずだが、中身を飲み干したミシェルは激しく咳き込んだ。その場にしゃがみこんでしまった彼女の背を、そっとさする。


 駆け寄って来た神官長が、地面に落ちた赤黒いゴブレットを見て声を張り上げる。



「ロズ! 何を飲ませたのですか!?」


「何って。……僕の血」



 意図せず、鼓動がそのまま飛び出してきたかのような弾む声が出た。



「は!?」


「あ、喉に良いから、蜂蜜も入れておいたよ」


「何を言ってるんです!? ミシェル様、吐き出してください……!」



 ミシェルは、口を両手で抑えて激しく首を振った。


 まだ咳は収まらないが、必死に顔を上げた彼女の碧眼に、ちらちらと星明かりが煌く。そこから、大粒の涙がぽろぽろと落ちた。


 時間は、ロズノアテムそのもの。あの時に選り分けた星を、ゴブレットに注ぎ込んだ。壊れてしまった時間から丁寧に拾い集めた、ミシェルの記憶を。


 血で赤く染まった口を、ぐい、と手の甲で拭い、ミシェルは泣きながらぐしゃぐしゃの顔で笑った。



「ロズ!」



 がらがらに掠れた酷い声だったけれど、確かにそう言って。



「ミシェル」


「ロズ、ああ、ロズ……!」



 遮二無二抱き着いてきたミシェルを、しっかりと受け止める。



「ひどい、ひどいわ。ほんとうに、あなたを、わすれさせるなんて」


「仕返しだって言ったでしょ?」



 先に酷いことをしたのはミシェルの方だ。記憶を取り戻した時の衝撃は、絶対にロズの方が上だった。きっとこの先、永遠に忘れられない。


 息が止まってしまうんじゃないかと思うくらい、ミシェルは泣きじゃくった。たまに呼吸がうまくできなくて、喉を引きつらせている。そんな姿が愛しくて、愛しくて。


 ぎゅうっと彼女の頭を抱え込んで、子供をあやすように体を揺らした。



「かわいい、かわいそうな、僕のミシェル。おかえり、最愛の伴侶。絶対に手放さないからね」


「うん、うん!」


「ずうっと一緒だよ。未来永劫、僕が在り続ける限り」



 そのために、血を飲ませたのだ。ロズとミシェルは一つになって、もう二度と、離れられない。


 そんな運命を幸せそうな顔で受け入れるミシェルのことを、やっぱりロズは、かわいそうだなと思うのだ。

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