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生贄侍女ミシェルと9の黒薔薇 ~死に戻り令嬢に虐げられる侍女が、洗脳から抜け出して時の神(曇らせ好き)に愛されるまで~  作者: 神野咲音


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第52話 逆転

 戻ったのはメリザンドの寝室だった。ミシェルは洗顔用のぬるま湯が入った湯桶を運んでいる。


 ハッと顔を上げれば、メリザンドはベッドの縁に座ってぼんやりしていた。目は虚ろで、何も見えていないようだった。


 今なら逃げられる。


 ミシェルは湯桶を置いてすぐさま身を翻した。


 とにかく逃げろと、そう言ったロズの必死な声が耳にこびりついている。


 メリザンドの部屋を出て階段を駆け下りたところで、壁を突き抜ける甲高い絶叫が聞こえた。



「ミシェルを捕まえなさいッ!」



 周囲で仕事をしていたメイドたちが、びっくりした顔でこちらを見る。その目にあからさまな憐憫が満ちていて、ミシェルは今更ながらに自分がどう思われていたのかをはっきりと目の当たりにした。


 けれど、どれだけ哀れまれた所で、彼女たちはミシェルを逃がしてなどくれない。だってそんなことをすれば、メリザンドの怒りを買うことになるのだから。


 メイドたちに囲まれる前に、ミシェルは廊下を走り抜ける。


 体が思うように動かないと感じるのは、もっと健康的な生活を知ってしまったからだ。満ち足りた食事、十分な睡眠、過労とは無縁の労働。


 時間が戻った今のミシェルは、痩せこけて疲れ切った非力な少女だ。屋敷中の人間から追われて、逃げられるはずもなかった。


 正面玄関に至るよりも遥か手前で、ミシェルは男の使用人たちに取り囲まれる。


 誰もが同情的な目をしながら、優しい手つきでミシェルを拘束する。そんな優しさなど、今は無意味でしかなかった。


 部屋から出てきたメリザンドが、後ろ手に縛られたミシェルを見て満足げに鼻を鳴らす。



「牢にぶち込んで! ミシェル、あんたには色々と聞かなきゃいけないんだから!」



 躊躇しながらもミシェルを引っ張るのは、いつだったかにもミシェルを牢に連行した使用人だった。



「ミシェルさん……。ごめんなさい」



 囁くように落とされた謝罪の意味が、ようやくミシェルにも理解できた。







 この地下牢に入るのは何度目か。


 死に戻りとは関係なく、公爵の機嫌を損ねて入れられたこともある。この屋敷に務める使用人で、ここに来たことがない人間はいない。


 ミシェルは鉄格子を見つめながら、ここから出る方法について考えていた。


 まずはロズに、メリザンドの暗殺計画を知らせなければならない。まずは彼女が生き延びなければ、時訪祭で儀式を行うこともできない。それを伝えて、ティムの指示を止めてもらわなくてはいけない。


 そうしなければ、この繰り返しは永遠に続くことになる。


 ミシェルが儀式を行うのは間違っていない。それはティムが断言している。


 儀式の場に足りないものがあるのだ。



「ミシェル」



 ひやりとした声が、鉄格子の向こうから聞こえた。


 ドレス姿のメリザンドが、石の床に座り込んだミシェルを見下ろしている。



「まさか、あたしのことを裏切るなんて」



 苛立ちを隠そうともしない顔で、メリザンドはきつく鉄格子を握りしめる。



「もしかして、あんたにも記憶があるの?」



 ミシェルは黙りこくったまま、返事をしなかった。


 何も情報を与えるべきじゃない。今はまだ。



「いい、ロズノアテム様の伴侶はあたし。絶対に許さないんだから!」


「……」


「……っ! 分かってんの!?」



 ガシャガシャと揺らされる鉄格子の音が、まるで悲鳴みたいだった。


 静かに見上げたメリザンドの顔は、今までにないくらいに歪んでいる。


 彼女は、別に頭が悪いわけではない。ただ、教育を受けてこなかった。まだ幼い頃、勉強をするよりも遊びたいとぐずったメリザンドを、公爵が甘やかした。家庭教師を追い出し、それ以来何もしてこなかった。


 自分で考えるということを放棄しているだけで、メリザンドは馬鹿ではない。


 だから、ちゃんと分かっているはずなのだ。


 時訪祭で花を咲かせる事が出来なければ、伴侶役として認められないことを。



(それはお嬢様の、自業自得。……でも)



 メリザンドはそう思わない。ミシェルが奪い取ったのだと考えている。


 勝機があるとすれば、そこだった。



「……っもういい! ミシェルは牢から出さない! どうすれば伴侶になれるのか、絶対に聞き出すからね!」



 高くヒールの音を鳴らしながら、メリザンドは地下牢を去っていった。


 ふっと力を抜いて、ミシェルは笑う。


 こんなことになってもまだ、メリザンドが頼るのはミシェルなのだ。それがどうしょうもなく、おかしかった。

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