第51話 発端
よく知った星屑の渦が、ミシェルの足元でゆったりと流れていた。
世界は崩壊して消え去り、また時間が巻き戻ってしまった。
どうしてこうなったのだろう。ミシェルがロズノアテムを呼び出す儀式を行えば、封印が解けて時間を修復できるはずだった。
それなのに、儀式は失敗した。そのせいで、メリザンドの自害を許してしまった。
(どうしたら……)
ロズは「足りない」と言っていた。儀式に必要なものが、何か欠けていたのだ。
それがなんなのか、知りたい。知らなければならない。
そう思った瞬間、星屑のきらめきからひとつの星が浮かび上がってきた。これまでと同じように、過去の断片が映し出される。
ミシェルの目から見た光景だった。けれど記憶にはない。
つまり。
(これは一番最初の、時訪祭だ……!)
メリザンドが装束であるローブを揺らし、堂々と歩く様を、ミシェルはうっとりと見つめていた。
今年は初めて、時報祭に参加することを許された。待ち侘びた、メリザンドの晴れの日だ。
ミシェルの参加を公爵は「見苦しい」と渋っていたが、神官長が近くで見ることを許してくれた。
だからミシェルは神官たちの少し後方で、儀式を見守っていた。
神殿の中から、一番年若い少年神官が出てくる。手には祈りの間で毎日見る石の蕾が握られていた。黒い髪の少年神官は、壇上でそれをメリザンドに差し出す。
反射的に、ミシェルは指を絡めてきつく両手を握りしめる。
メリザンドはあんなにも平然としているのに、ミシェルがこんなにも緊張してどうするのか。それでも、願わずにはいられない。
(どうか、儀式が成功しますように。ロズノアテム様、お嬢様の前に現れてください)
強くそう思った瞬間、メリザンドが掲げた蕾が真っ黒に花開いた。
花が咲けば、伴侶の証。ミシェルはほぅと安堵の息を吐いた。
儀式は粛々と進む。胸を張ったメリザンドが呼びかけると、先程まで少年神官がいた場所に、黒い長髪の青年が現れた。
あれが、時の神ロズノアテム。
ロズノアテムはメリザンドを見て少しだけ首を傾げたが、すぐに右手をかざした。
「花を、こちらへ」
意気揚々と進み出たメリザンドが持つ石の黒薔薇に、ロズノアテムはそっと触れる。
その瞬間、薔薇の花が光り輝いて――。
勢いよく、棘の付いた枝を伸ばし始めた。
「なっ、何っ!?」
枝はメリザンドの手を這い、絡みつき、棘でその薄皮を突き破って傷をつけていく。
「いやあっ! 痛い痛い痛い!!」
「これは……!」
ロズノアテムはすぐにメリザンドから離れたが、枝が伸びる勢いは増していくばかり。
(お嬢様……!)
メリザンドの手のひらを貫き、腕を引き裂きながら肩まで伸びていく薔薇の枝。メリザンドが泣き喚いている。
「痛い! 痛い、ミシェルなんとかしてっ!」
名前を呼ばれた。そう、いつもメリザンドが真っ先に頼るのは、このミシェルなのだ。
居ても立ってもいられず、ミシェルは飛び出して壇上に駆け上がった。
ミシェルが薔薇の枝に手をかけると、不思議なことに伸びる勢いが弱まっていく。
これならメリザンドを助けられる。暴走する枝の中心で咲いている黒薔薇を握って、メリザンドから奪おうとした。
それを見たロズノアテムが、愕然とした声で呟いた。
「伴侶はメリザンドじゃなくて、君か!」
「え……?」
何を言われたのか分からず、ミシェルは困惑する。伴侶のことなど、もうどうでもいい。とにかく今は、痛がっているメリザンドを助けなければいけない。
そう思って薔薇を握る手に力を込めたのに、何故かメリザンド自身がミシェルを振り払った。
血を大量に流し、痛みでどうしようもないはずなのに、メリザンドは汗と涙で濡れた顔で、ミシェルをきつく睨みつける。
「あたしから伴侶の座を奪う気!?」
「ち、ちが……」
「許可なく喋らないで!!」
絶叫しながら、メリザンドは後ずさる。
「これはあたしのもの! あたしのものなの!」
お嬢様。
呼びかけたいのに、ミシェルの口は封じられている。
ロズノアテムが忌々しげな口調で言う。
「メリザンド・キャステン、祈りを怠ったな……!」
「あたしが! 神の伴侶なの! 絶対にそう、そうに決まってるんだから……!」
もはや彼女が何を言っているのか、何がしたいのか分からない。枝に体を貫かれながら、メリザンドは薔薇の花を抱きしめる。
「全部、あたしのもの!」
「まずい……」
ロズノアテムはゆっくりと膝をついた。よく見れば顔が青白い。
吸い取られていく、と呟く声には焦燥が満ちている。
目を凝らせば、見えない風の流れのようなものが、ロズノアテムの身体から黒薔薇に向かっているのが分かる。
直感した。メリザンドから黒薔薇を引き離さなければいけない。
そうすればメリザンドは助かるし、ロズノアテムの異常も収まる。
けれどミシェルにできることなど、必死に枝を払い除けて進むことだけ。
不思議なことに、枝の棘はミシェルの肌を傷つけない。触れれば動きを止め、萎れていく。
延々と伸び続ける枝に持ち上げられて、メリザンドはどんどん高くへ運ばれていく。どうにかしてあそこまで行かなければ。
「来ないでミシェル! 来るな!」
それなのに、助けたいと願う人はミシェルを拒絶するのだ。
「誰にも渡さないんだから!!」
メリザンドは抱え込んだ黒薔薇を、ガリゴリと齧り始めた。
あまりに異質な光景に、ミシェルは凍りつく。
石でできた花を、メリザンドは口から血を滴らせながら、齧り取り、咀嚼し、無理やり飲み込んでいく。
「ちょっと嘘だろ……!?」
背後でロズノアテムの裏返った声がした。
伴侶の証である黒薔薇に食らいついて、メリザンドは動きを止める。それをミシェルは、無力感と絶望を噛み締めながら見上げるしかなかった。
どうしてこんな事になったのだろう。ミシェルは、どうすればよかったのだろう。
「ああ、やり直さないと……」
振り返ると、表情の抜け落ちた時の神が、そう呟きながら崩れていくところだった。黒い欠片となって消えた神と同じように、世界も崩壊していく。
「やりなおし……」
今あったすべてを、なかったことにできるのなら。全部忘れて、この儀式をやり直せるなら。
叶うなら、もう一度と。
闇の中に放り出されたミシェルの目から、涙がひとつぶ零れ落ちた。
「そうだ……」
思い出した。
時間が壊れる前にも、メリザンドが伴侶役として時訪祭で儀式を行い、失敗していたのだ。それがきっかけでロズは封印された。
やり直したいと願ったのは、ミシェルだ。もしかしたら、ロズ自身の思いも籠もっていたのかもしれない。
そして、メリザンドに拒絶されたことや、死の瞬間を目にしたことがショックで、忘れてしまいたいと願った。
これが始まりだ。
神像が握っている花は、ロズノアテムと伴侶役の縁がちゃんと結ばれたか、確認するためのもの。そして儀式においては、神から伴侶役に力を授ける際に、仲介をするための道具でもある。
ミシェルが無意識に咲かせた花を、メリザンドが使おうとした。だから暴走した。
「……正すためには、どうすればいいの?」
ミシェルが儀式をするだけでは足りなかった。
星屑の渦が逆巻くのを眺めながら、ミシェルはじっと、じっと考え込んでいた。




