第47話 告白
気が付けばミシェルは、一面何もない暗闇に浮かんでいた。
ティムとシモンとの謁見を終えて、時の神殿に帰ってきた頃には、既に日が暮れていた。慣れないことばかりで疲れていたのか、夕食の後すぐに眠ってしまったはずだ。
(これは、夢?)
だとすれば、ずいぶんと意識のはっきりした夢だ。
ちょんちょんと足を動かすと、何かに触れた。目には見えないが、足場があるようだ。
軽く力を入れて蹴ると、跳ねるように体が前に進んだ。
(……なんだか)
楽しい、かもしれない。
足場を伝い、雨が水たまりの表面で弾けるように、ぱたん、ぱたん、と降りていく。
そうすると、下の方で何かが輝いているのが見えてきた。
それは、ゆっくりと渦を巻く星屑の海だった。
ミシェルはもう何度も、この光景を目にしている。時間が戻る時、いつもこの星屑が揺らめいて、逆巻き始めるのだ。
一瞬だけ胸の奥がひやりとしたが、今の星屑は静謐さを保ったまま、ゆったりと揺蕩っているだけだ。
見下ろす人影が、あった。
こちらに背を向けて、ただじっと、星屑の渦を眺めている。一つにまとめた長い髪と、たっぷりとした服の裾が空中に踊るのが見えた。
ミシェルはまた足場を蹴って、人影の元までふわふわと降りていった。
「ロズ!」
呼びかけると、人影――ロズはくるりと振り向いて目を瞠った。
「ミシェル? なんでここに……」
両腕を広げてくれたから、その中に収まるように速度を落として、ぎゅっと抱きつく。すぐに抱きしめ返してくれたことに、安堵の笑みが零れた。
「……夢渡りか」
「ゆめわたり?」
「夢の神が人の夢を渡り歩く時に、繋がることがあるんだよ。眠る前にミシェルのことを考えてたから、それでかな」
「私たち、同じ夢を見てるの?」
「そういうこと」
くすくすとロズが笑って、ミシェルの顎を掬い上げた。
「夢の中だから、現実とは違うこともある。ミシェル、この姿で、よく僕だって分かったね?」
そう言われて、ようやくロズがいつもと違う姿をしていることに気付いた。
背が随分と高くて、髪も腰のあたりまで伸びている。少年というよりも、青年と呼ぶ方が相応しい年頃の見た目だ。顔立ちの美しさはそのままに、より精悍さが増している。
眠たそうな表情ですらなくて、その雰囲気は凛々しく、神々しい。
「……見た目が違っても、ロズはロズだよ」
でも、ミシェルにはそうとしか思えない。ここにいるのはロズで、それ以外の何者でもない。
「ありがとう。本当は、人型を取る時は大体これなんだけどね」
「じゃあ今の姿は?」
「あれは神官見習いをやる時の身体だよ。作り置きしてて本当に良かった」
ミシェルの腰に手を回し、もう片方の手を絡めとって、ロズは空中でくるりと回った。まるで、星空のダンスホールで踊るみたいに。
「ミシェルも、随分と話しやすそうだね。口がちゃんと動いてる」
「……本当だ」
こんな風にまともに会話をするのは、生まれて初めての経験だった。
ロズの顔を見ようとして顔を上げても、視界に入るのは胸元ばかり。さらに視線を上に向けて、ようやく楽しそうな顔が見えた。
ミシェルの神様。優しくて、少し意地悪で、とても愛情深いひと。
たくさんのものを与えてくれた。だから少しでも返したい。ロズのために、何かを差し出したい。
でも、ミシェルが最初から持っているものなんて、片手で数えるほどしかない。だったらもう、それを返すしかないのだ。
「あのね、ロズ」
「うん、なあに?」
「私、ロズのことが好き」
ロズは綺麗な顔で微笑んだ。
「知ってるよ」
「聞いて」
口が動いても、まだ言葉を選ぶのは難しいけれど。偽らざるミシェルの心を、丸ごとあげたいから。
「……分かった、ちゃんと聞くよ」
前は、お嬢様が好きだった。今は違うけど。
神官長様のことも、好き。ずっと健やかでいてほしい。
時の神殿にいる、神官様たちも好き。
情報屋さんも、シモンも、ティムも、……コラリー様も。
笑っていて欲しいと思うの。
この気持ちは、「好き」であってる。ロズが教えてくれた、「好き」っていう気持ち。
でも、ロズへの気持ちは、そうじゃない。
笑っていてほしい。……私以外の人に、笑いかけないでほしい。
元気でいてほしい。……私がいなくなったら、落ち込んでほしい。
私以外に、美味しい物を、分けないでほしい。
これは、ロズが教えてくれた「好き」とは違う。
隣にいるのが私でないのなら、ロズには幸せになってほしくない。
ティムは、好きにはいろんな形があるって言ってた。
ロズの不幸を望んでしまう、愚かな気持ちだけど。
……私は、ロズを好きでいたい。
これが、私の「好き」の形。
拙いミシェルの告白を、ロズは押し黙ったまま聞いていた。
どうしてだか、少しだけ困ったような顔をしていた。
「……神の愛と、人の愛は違うよ」
ぽつりと、そんなことを言う。
「僕は君を離さないし、そこに君の意志は関係ないんだ。だから、無理に気持ちを返そうとしなくていい。ただ、受け入れてくれたら、それで」
大きな手のひらが、そっとミシェルの頬に添えられる。
「もう決めたの」
その指先を、ぎゅっと握り締めた。
「ロズの隣にいるのは、私だって。私だけが、ロズノアテムの伴侶なの」
「……そう」
その瞬間、ロズの顔に浮かんだのは、仄暗い熱を帯びた喜悦だった。
「僕の、かわいそうな、ミシェル」
吹き込むように囁かれる言葉が、身体の奥深くに落ちて行って熱く脈を打つ。
「とうとう、こんな所まで堕ちてきちゃったんだね」
「ロズ……」
「なんて馬鹿な子。僕に選ばれるなんて、不幸になるだけなんだよ。それなのに」
腰に回っていた手にぐっと力が籠もって、引き寄せられた。
腹と腹が密着して、どうしようもないくらい力強く抱き込まれる。少し息苦しくなったけれど、それが嬉しかった。
「離してあげられないのに。僕から逃げることなんて、できないのに。僕が存在する限り、永遠に」
笑っているのか、泣いているのか。微かに震えるロズの声が、ミシェルの身体に染み込んでいくのだ。
それ以外に望むものなんて、何もない。
「離さないで」
ロズの背中に腕を回して、ミシェルもあらん限りの力を込めた。
「永遠が、ロズそのものなら。私は、ずっと幸せでいられるの」
「……ミシェル。僕のミシェル」
ことりと落ちてきたロズの顔が、ミシェルの首元で動かなくなる。温かい吐息がくすぐったくて、声を上げて笑った。
「ロズ、私の、神様」
「……かわいそうにね」
こうやって愛でてもらえる時間が、永遠に続くなんて。
なんという幸福だろうと、ミシェルは恍惚とした笑みでロズにすり寄った。




