第46話 愛形
ミシェルは応接室に、ティムと二人で残された。
「悪いね。でもおれは、どうしてもロズの伴侶と話したかったんだ」
そう言うティムの真意が分からない。
ロズが傍にいないことが、こんなにも心細いとは思わなかった。瞬きを繰り返していると、ティムはおかしそうに微笑んだ。
「別に、取って食いやしないよ」
「……はい、ティム、様」
「ティムでいい。君とは長い付き合いになるだろうから」
ミシェルに向けられた声はどこまでも柔らかい。ロズと話す時は砕けている口調が、ミシェル相手だと少し丁寧になるのが、なんだか不思議だった。
「ミシェル、君は、神にとって人間の伴侶が必ずしも必要ではないと、知っているかい?」
「い、いえ」
初めて聞くことだった。この国では、神の伴侶は当然の存在であるから。
「大抵の神は、気に入った人間を傍に置いておくために、『伴侶』と呼ぶんだ。だから、伴侶を持たない神は大勢いる」
「そうなん、ですか」
「だから、時の流れを守るのにだって、本来は伴侶など必要ない。むしろ、ロズだけの方が間違いがなくていい」
確かに、今の事態はメリザンドという伴侶役がいなければ、起きてはいなかった。
ティムもそれを分かっている。だからか、眉をひそめて話す姿は、どこか苦しげだ。
「でもおれは、ロズに伴侶を作ってほしかった。だから、この国を作ったんだよ」
この話が、国の歴史に関わるものだと、ミシェルは遅ればせながら悟った。
「ロズが自分に貸した役目は、時の流れを守ること。その為に、エンテ国ができる前のロズは、不眠不休で力を使っていた」
ティムは首をすくめる。
「馬鹿真面目だからさ。人の形を取らず、空間の神みたいに世界と同化していれば、そんなことしないで済んだのに」
「まじめ……」
「時の流れを直接感じたいからってさ。もちろん、神は休まなくたって、何も問題ない。永遠に不眠不休のままでも、ロズは何も困らない。……でも」
おれが、休んで欲しかった。
ぽつりと零れ落ちたのは、ただただ友を想う純粋な気持ちだ。
「だから、伴侶を作って力を与え、役目を手伝わせるように勧めたんだ」
「……」
「この国は、その為の場所だ。ロズが気に入った人間を選べるように、国を栄えさせて、人をたくさん増やした」
顔を隠してまで願いを告げに来る貴族たちが聞いたら、怒り出すかもしれないなと、ミシェルは他人事のようにそう思った。
「なのに、ロズは伴侶を選ぶ気がないって言うのさ。だから仕方なく、伴侶役という制度を作った。一つの家に役割と特権を与えて、ロズを手伝わせる」
こっちはメリザンドが怒るかもしれない、とミシェルは僅かに肩を震わせた。
「もちろん、人間のやることだ。どこかで間違いも出るだろう。伴侶役がどうにかなっても、ロズが自分で補えるような手順にした」
それが、キャステンの成り立ちだった。
一年間の祈りを通じて、ロズと縁を結ぶ。その縁を通じて力を少しだけ分け与えられ、次の一年は時が守られる。
キャステンの伴侶役は、そういう装置なのだ。
もし何かの理由で祈りが途切れたとしても、次の年はロズが今まで通り、一人で時間を守ればいい。
「そのはずだったのに……。今代の伴侶役が『何かをした』」
ティムの声には、憎々しげな響きが込められている。
「ロズより格で劣るおれには、その何かが分からない。時間が戻っていることにも気づかなかった。メリザンドが封印の元凶ということだけは『分かった』から、とにかく殺せと命じたが……。それも裏目に出るとは」
その憎しみは、メリザンドだけでなく、ティム自身にも向けられているような気がした。
そう思ってしまうくらい、彼の表情は暗く落ち込んでいた。
「だからおれは、無能なんだ」
「……そんなの」
「知る力には制限があり、知ったところで何もできない。その時の最適解を選んだつもりでも、たった百年ぽっちで状況は変わる」
ティムの自嘲気味な瞳には、どこか覚えがあった。
メリザンドが何度も死に、時間を繰り返している中で、手鏡に映っていたミシェルの目だ。
大切な人のために力になりたいのに、それが叶わないもどかしさを抱えていた、あの頃の。
「……たぶん、そんなおれが、ロズのために何かをしようっていうのが間違いだったんだ」
ミシェルに、全知の力などない。けれど、何が間違いなのかは分かる。
「……ロズは」
「ん?」
「あなたのことを、親友、だと」
ロズがティムのことを語る時、なんだか楽しそうな顔をしていた。
それに、『前』のロズが、ミシェルを街に連れ出してくれた時も。
「おいしいものを、分けたくなる、……友達が、ひとりいる、って」
あれはきっと、ティムのことだったのだろう。あの頃のミシェルには、それがどんな意味を持つかなんて、想像もできなかったけれど。
「ロズは……、えっと、ティム、のことを、大切におもっています」
ティムはびっくりしたように目を丸くして、それから恥ずかしそうに笑い、頭の後ろを掻いた。
「……ずっと、ロズの伴侶に会いたかった。あいつが誰かを選ぶ日を、心待ちにしてた」
でも、とティムは続ける。
「それはおれの我が儘でしかないから、諦めてもいた」
何でも知っている優しい神は、ミシェルに向かって深く頭を下げた。
「ミシェル、ロズと出会ってくれて、ありがとう」
「わ、わたし」
ミシェルは何もしていない。ロズに一方的に助けてもらってばかりなのだ。
だから、そんな風に正面から感謝されると、どう答えていいか分からない。
行き先不明な感情を持て余し、つい両手を上下させていると、ティムは小さく吹き出した。
「大丈夫さ。君はロズの傍にいるだけでいい」
「……はい」
「おれからのお礼に、一つ、君の悩みを解決する手助けをしよう」
ティムからの突然の申し出に、ミシェルは呆気に取られて手を止めた。
「悩み……?」
そんなもの、あっただろうか。
目下のところ解決しなければいけないのは、時間の修復だ。しかしそれもティムと話せたことで目途が立った。他にミシェルがやるべきことなど、何も思いつかない。
「うーん。多分ロズが色々教えてる最中なんだろうけど、ここまで自分のことが疎かなのは困りものだな」
「ロズが、なにか、こまりますか」
「いや? あいつは楽しんでると思うよ」
ロズが楽しいのなら、それでいいのでは。
「困るのはロズじゃなくて、君だ。ロズのことをどう思っているか、分からないんじゃないのかい?」
「……あ」
ティムが言葉にして初めて、ミシェルは気づいた。
ずっと胸の内に引っかかったまま、ぶら下がっている重りがある。何をしていても気になって、どこにも消えてくれないもの。これが、悩みというものであるのだと。
「……そ、その」
「幸せになって欲しいと願う」のが、「好き」という気持ちだと、ロズは教えてくれた。
なのに、嫌だと思ったのだ。
ロズがミシェル以外に、笑いかけること。「かわいそうだね」と、あの熱の籠った視線で愛でられるのが、ミシェル以外の誰かになること。
それが例えば、コラリーだったとしたら。
メリザンドに近しい生まれだったために、日陰の身として生きてきたあの令嬢が、我が物顔でロズの隣に立っていたとしたら。
ロズとコラリーが笑い合うような、そんな「もしも」を想像しただけで。
「ゆるせない」
体がぶるりと震えた。
「こんなの、ちがう」
これは、ロズが教えてくれた「好き」じゃない。
「ちがうなら……、この気持ちは、なに?」
ふむ、と腕を組んだティムは、じっくりとミシェルを眺めるように、上から下へと視線を動かした。
「おれがするのは、手助けだ。答えをそのまま教えるのは簡単だが、それじゃあ意味がない。それに、ロズに怒られる。だから、ヒントをあげよう」
「ヒント……?」
「好きにも色々あるってことさ。花の色がそれぞれ違うようにね」
「……」
「ミシェルの色を見つけるんだ。正解が一つだけとは限らない。心ってものは、特にね」
だから、と笑うティムは、これまでで一番透き通った、神様らしい顔をしていた。
「自分の気持ちを、否定してはいけないよ。それが、一番大事だ」
「ティム、ただいま。お父さまに報告してきたよ」
沈黙が満ちた応接室に、ひょっこりと顔を見せたのはシモンだった。
ロズはまだ廊下で待っているようだったが、シモンは一切構わず部屋に入って来る。そして、俯いていたミシェルの顔を、下から覗き込んだ。
「ミシェル、お悩み相談?」
「あ……、はい」
「ふーん。……もっと単純でいいと思う」
そうだった。彼も、全知の力を持っているのだった。
こらシモン、と声を上げるティムを無視して、幼い王子は得意げににっこりとした。
「無理に名前を付けなくたって、好きだと思えば好きなんだ。ミシェルはどうして、その感情の名前を探してるの?」
「え、っと、」
それは、ロズに伝えたいからだ。
いつもちゃんと言葉にして、ミシェルに道を示してくれるロズに、返したい。
その時伝える言葉が、「好き」じゃないのは、嫌だった。
「だったらもう、答えは出てると思うぞ!」
胸を張るシモンの後頭部を、ティムが指で弾いた。
「いたい! ひどいよティム!」
「好き勝手に全知の力を使ったら駄目だろ!」
「ティムは自由に使うじゃんか!」
「おれは神様だからいいの!」
騒がしく言い合うティムとシモンの姿は、ミシェルたちとはまるで違っている。
(……好きには、いろんな色がある)
確かにそうかもしれないと、ミシェルはそっと胸を両手で抑えた。




