第45話 全知
「……え? ロズ?」
シモンに手を引かれてきた茶髪の青年が、なんとも間抜けな顔を晒した。ロズの顔を見つめたまま、立ち尽くして動かない。
ミシェルとロズが立ち上がって出迎えてもそのままだったから、シモンが繋いだ手を何度か引っ張った。
「やあ、ティム」
ロズが軽く片手を上げる。
「え、うん。……え? いや、ちょっと待ってくれ……?」
青年は額を押さえて天を仰いだ。
「ロズ、お前って今、封印状態のはずじゃ……?」
「そうだよ。こっちの体にね」
「……ん? んぇ?」
混乱している。初対面のミシェルにも分かるくらいには。
「封印されてるのに、なんで動き回って……?」
「体があるからかな」
青年の顔だけでなく、頭の上にも疑問符が浮かんでいる。
そんな彼の様子を、ロズが若干楽しんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「……神の庭で会話できなかったから、完全に意識がないものだと」
「あっちに帰れないからね」
すっかり力の抜けた様子で、青年はソファーに座り込み、両手で顔を擦った。
「お前ね……。おれがどれだけ心配したと……」
「それはごめんね。でも、僕の居場所くらい分からなかった?」
茶化すようなロズの言葉に、青年は勢いよく吠える。
「分かる訳ないだろ! お前、創世神! おれ、格下!」
「んー、まあ、そうかもね」
「知ってるはずだろ、ロズ。おれの全知は万能じゃないんだよ」
「……うん、知ってるよ」
大きなため息をついた青年は、そこでようやくミシェルを見た。ずっと、ロズしか目に入っていなかったのだろう。不思議そうな顔をする。
しかしそれも一瞬で、彼は目を見開き、立ち上がった。
ミシェルの前まで来ると、背の高さがよく分かる。
そんな青年は、片膝をついてミシェルよりも目線を下げ、静謐な仕草で胸に手を当てた。
「初めまして、ロズノアテムの伴侶、ミシェル。君に、ずっと会いたかった」
まるでミシェルのことを知っているかのような、不思議な言い回し。
「は……、はじめまして」
つかえながら挨拶を返すと、全知の神はぱちりとウィンクした。
「おれはサクスピエンティム。全知無能の神さ。ティムと呼んでくれ」
「全知、む……?」
思いもよらない自己紹介に、ミシェルはおうむ返しする。
「そう、全知無能」
ティムも繰り返し言って、頷く。
隣のロズが、呆れを含んだ声で言った。
「その名乗り、いい加減やめたら?」
「えぇ? 分かりやすくていいだろ」
「神託の時もそれやってんの?」
「はは、まさか!」
ティムは愉快そうに笑う。
「おれはこの国を発展させないといけないんだから。不審に思われるようなことはやらないさ。……あぁでも、彼女がいるなら、その必要もなくなったか」
彼女、と視線がこちらを向く。
ミシェルに挨拶した時とはまるで違って、その黒い瞳からは、冷徹な無感情が覗いていた。
「まあ、その話はいいさ」
大人しく待っていたシモンを抱え上げたティムは、ミシェルたちに座るよう勧めた。
四人で腰を落ち着けると、侍女が新しい果実茶とお菓子を用意し、すぐに部屋を退出した。護衛の騎士も、部屋には入らずに警護するようだ。
シモンは早速、お菓子に手を伸ばしている。ティムにふくふくとした頬をつつかれているのに、完全にされるがままだ。
利発な王子は自分から会話に参加する気はないようで、ミシェルもそれに倣って聞く姿勢を取った。
「ロズ、おれに会いに来た理由を教えてくれ」
「そうだね。ティム、メリザンド・キャステンを殺させてるでしょ」
「あぁ。ロズの封印の元凶だから」
メリザンドの殺害を、ティムはあっさりと首肯する。特になんでもない、朝食の内容を聞かれた時のような口調だった。
そして、マフィンを頬張っているシモンに話を振る。
「シモン、あれどうなってる?」
「王家から各家に、暗殺命令を出してるよ。つい昨日、モラン男爵家が失敗した」
聞かれたことにだけ、端的に答えるシモン。やはりコラリーたちの作戦を知っていたようだ。
コラリーがメリザンドのふりをして第三王子を襲い、罪を被せて処刑させる。
「ふぅん。これまでにも失敗してる?」
「うん。不思議なんだ。メリザンドの頭で生き延びるのは無理なはずなのに、何度も切り抜けてて。……その代わりに、別の人間が何人か死んでるけど」
ミシェルは息を呑んだ。
正確には、暗殺が失敗しているのではない。無かったことになっている。
そして時間が戻るたびに、ミシェルは暗殺計画を暴いてきた。その情報を元に、メリザンドは死を回避していた。
屋敷からほとんど出ないミシェルは、メリザンドがどのように立ち回っていたのかを知らない。
もしかして、ミシェルにしたように、コラリーにもそうしたように、他の誰かに死を押し付けてきたのだろうか。
「ミシェル、何か悪いこと考えてないよね?」
その原因は、と思う間もなく、ロズがミシェルの背を叩いた。
赤い瞳が貫くような強さでこちらを見ている。
「わたしの、せいじゃない」
分かっている。だって、ロズにそう言ってもらったから。
「そうだよミシェル。良い子」
頭を撫でられ、その心地よさに目を細めた。
「……メリザンドの暗殺で、何かあった?」
ティムが気遣わしげに尋ねてくる。
「それを説明しないとね」
ロズは従者服のポケットから、ミシェルが書いた紙束を引っ張り出した。それを見ながら話を聞くうちに、ティムの顔が徐々に強張っていく。
「……そうか。ロズが封印されただけじゃなく、既に時間も壊れてしまっている、と」
「うん。でも、ちゃんと解決策はある。時訪祭でミシェルが僕を呼び出せばいい」
「確かにそうだな。祭りの日が一番いい」
時訪祭は、時の神が春を呼ぶ祭りだ。同時に、ロズノアテムがこの世に誕生したことを祝うものでもある。
ロズの封印を解くのには最も適した日だ。
「そのために、メリザンドを生かしておいてくれる? あいつが死んだら時間が戻るんだ」
「分かった。シモン、頼める?」
「うん!」
シモンはティムの膝からぴょんと飛び降りた。
「お父さまに伝えてくるね!」
両手を大きく振って応接室を出るシモンは、ティムの役に立てるのが嬉しくてたまらないといった様子だった。
これで、王家から出された暗殺命令は撤回されるだろう。時間が戻ることもない。
「しかし、妙なことになったな。時間が戻ってるなら、おれの全知はますます役に立たない」
「気合でどうにかならない?」
「なるわけないだろ!」
ミシェルは少しだけ首を傾げた。
何も言葉にはしなかったが、ティムには淡い疑問が伝わったらしい。
「おれはロズと比べて、神として新参なんだ。格もそこそこ。だから、ロズの力が及ぶ時間の影響を受けてしまう」
「ティムより下の神だって大勢いる……、っていうか、そっちの方が圧倒的に多いけど」
軽快なやりとりだが、つまり神々は、お互いの格によって力に制約を受けるということらしい。
さっきシモンが、ロズのことを「分からない」と言ったのと同じように。ティムにもロズについては、分からないことがある。
「ロズは世界を創った神であり、世界そのものだからさ」
「それ言い出したら、兄さん以外は全員、僕に勝てないよ」
「その通りだよ」
からりと言い切ったティムは、ミシェルに微笑みかけた。
「だから、君がいてくれて本当に良かった。ミシェルがロズの封印を解けば、時間の修復が叶う」
「は、はい……」
なんだか想像以上の期待を背負わされている気がする。
もちろん、ロズのためにできることなら、なんでもやるけれど。
ティムがミシェルに会いたかったと言ったのは、もしかしてこのことを分かっていたからなのだろうか。
全知の力で、ロズのことは分からなくとも、ミシェルのことなら分かるはず。
ロズの封印を解くための要因として、求めていたのなら。
ミシェルのそんな心の動きを、やはりティムはすぐに読み取った。
「ロズ、お前の伴侶と、二人で話をしても?」
突然そんなことを言い出したものだから、ロズは渋面を作った。
しばらく黙り込んだのち、小さなため息を吐き出す。
「……まあ、伴侶の件じゃ、ティムには世話になってるからね。でも、今回だけだよ」
そういう訳で、ロズは「廊下で待ってるよ」と部屋を出て行き、ミシェルはティムと二人きりで残されたのだった。




