第44話 謁見
案内されたのは、こじんまりとした応接室のようだった。向かい合ったソファーが二脚と、艶のある赤褐色のローテーブルが置かれている。
神殿全体はあんなにも派手に飾られているのに、この部屋は落ち着いた温かみのある内装で統一されている。しかし決して格が落ちるわけではなく、テーブルなど大きな一枚板でできていた。
ロズはさっそく、ふかふかのソファーを満喫している。もう全然まったく従者には見えない。
だが、変装はメリザンドを欺くためだけのものだ。もうこれ以上は、取り繕う必要はない。顔を隠していた黒いヴェールを上げる。
すうすうと寝息を立て始めたロズの隣で、ミシェルは出されたお茶を一口飲んだ。
(蜂蜜、入れたいな)
これから会う第三王子は、どのような人物なのだろうか。
齢八歳にして、全知の伴侶を務める少年。メリザンドとは違い、神に選ばれた本物の伴侶だ。
そわそわと落ち着かない気持ちで待っていると、軽いノックの音が聞こえた。眠っていたはずのロズが体を起こす。
一瞬だけロズと見つめ合ってから、ミシェルは立ち上がって「はい」と返事をした。
扉を開けたのは、鎧を着た騎士だった。
その隣に、少年が立っている。
くるくるとした赤毛に、深みのある灰色の瞳。あどけない顔立ちに凛とした表情を浮かべて、第三王子はじっとこちらを見上げていた。
ミシェルはスカートの裾を軽く摘まんで、ゆっくりと膝を折った。ロズはソファーに座ったまま動かない。
「君たちが、時の神殿から来た二人だね」
「はい」
「はじめまして。ぼくはエンテ神聖国第三王子、全知の神サクスピエンティムの伴侶である、シモンだ」
「ミシェルです。……第三王子殿下、に、ごあいさつ、もうしあげます」
この口は相変わらず、上手くは動いてくれない。ロズが相手でなければ尚更だった。
だが、拙い言葉にもシモンは嫌な顔をしなかった。
部屋の奥、対面に置かれた二人掛けのソファーに、シモンは腰を下ろす。彼付きであろう侍女が、新しいティーセットを用意した。
「ミシェルも、どうぞ掛けて」
シモンはちらっとロズを見て、小さく笑ったようだった。
「手の者から、話は聞いている。……ぼくと話したいと。でもその前に」
姿勢を正したシモンの後ろで、護衛騎士と侍女も踵を揃えた。
「お姉さまの手鏡を返してくれたことに、まず、感謝したい」
三者から丁寧に頭を下げられ、ミシェルは慌てた。
「いえ、あの……」
「あれは、お姉さまが本当に、大切になさっていたものだから」
おばあさまの形見なんだ、と続けられ、返す言葉が無かった。
あれは、メリザンドが盗んできたものだ。相手が王族であることは察していたけれど、まさかそこまでの物だとは思わなかった。
「メリザンドに見せるつもりは無かったのに、お茶会に乱入してきた時に、見られてしまったのだと」
「……」
屋敷の外でさえ、メリザンドの傍若無人な態度は変わらない。そのことに、ミシェルはどうして今まで気が付かなかったのだろう。
小さく唇を噛む。
「さて、それでは聞かせてもらおう」
そんなミシェルの後悔をよそに、シモンの声色ががらりと変わった。
「ぼくに会いたいと望む者は、すなわち全知の力を求める者だ」
そこにいるのは、姉を気遣う幼い王子ではない。
神に選ばれた、この世でたった一人の、全知の伴侶だった。
「お姉さまの恩があるから、ぼくとの謁見は許可した。だが、サクスピエンティムに合わせるかどうかは、今ここでぼくが決める」
まるでインクを落としたかのように、シモンの灰色の瞳は、深い叡智の色を滲ませていた。
「ミシェルは、全知の力で何をしたい?」
シモンは伴侶としての役割を、よく分かっている。その在り方を。
メリザンドとはあまりに違いすぎる。そして、ミシェルとも。
「……わたし、は、」
ちらりと横を見ると、ロズは微かに笑ったまま、黙っていた。
何かを期待するような、そんな目をしている。
それを見ていると、するりと言葉が出てきた。
「ロズを助けたいんです」
彼の顔を見つめたまま答えると、笑みが深くなった。
「誰かを助けたいと願う人は大勢いる。ロズとは、そちらの従者殿かな」
「ロズは、従者では、ありません」
「では、令嬢と従者を装って、ここまで入り込んだと?」
「これは、メリザンドお嬢様から、かくれるため」
これでは埒が明かない。
シモンはミシェルを見透かそうとしている。返答次第では、サクスピエンティムには会わせてもらえないだろう。
そしてミシェルは、この八歳の王子ほど口が上手くない。
このままでは追い返されてしまう。それだけは駄目だ。
だって、ロズを親友に合わせることが、彼を助けるための方法なのだから。
「私は……、ロズノアテムの、伴侶です」
控えていた護衛騎士が、かたりと音を立てた。
恐らくは反射で、剣の柄に手をかけている。当然の反応だ。この国で神の伴侶を騙るのは死罪にあたる。この場で切り捨てられても文句は言えない。
だがシモンは、騎士を片手で制した。
「ロズノアテム様の伴侶役は、メリザンド・キャステンだ」
「わたしが、えらばれました」
「おかしいな。君はメリザンドの侍女だろう?」
「いいえ。もう、違います」
背筋を伸ばす。胸の奥まで息を吸い込む。
ミシェルには、誇れるものなど何もない。この手には何も持っていない。
ただ、ロズが。
ミシェルを「僕の伴侶」だと言ってくれた。時間が戻ってしまい、その記憶が失われても、傍に置いてくれた。
だから、今のミシェルが握り締めていたいと思うのは、これだけなのだ。
「わたしは、伴侶として、ロズノアテムを助けたい」
丸くて愛らしい瞳を、シモンはすうっと細める。
「そのために、全知の神に、会わせてください」
「その言葉に、嘘はないと誓える?」
「はい」
しっかりと頷く。するとシモンは、突然にっこりと微笑んだ。
「ごめん、君のことを試したんだ」
美しい姿勢で座っていた幼い王子は、背中を丸めてソファーに体を預ける。そうすると、それまでの厳格な雰囲気が霧散して、どこにでもいる普通の男の子になった。
「ミシェルが悪い人でないのは、分かってたけど。これがぼくの役目なんだ」
侍女が進み出てきて、テーブルの上の飲み物をさっと差し替えた。品のあるティーセットではなく、水差しとグラスだ。中身は紅茶のように見えるが、一緒に氷と果実が入っている。
「あらためて、ロズノアテム様の伴侶、ミシェル。どうぞよろしく。シモンって、呼び捨てにしてもいいよ」
シモンは侍女にグラスを渡して、水差しから飲み物を注いでもらっている。そして、ミシェルにそれを差し出した。
「いつもは、この果実茶を飲むんだ。ぼく、熱いのも甘くないのも苦手で」
「え……、え?」
あまりの変わりように、まったくついていけない。目を白黒させていると、ロズが小さく噴き出した。
「ミシェル、全知の伴侶はね、こういう時のために、全知の力を少しだけ与えられてるんだよ」
「そう、なの?」
「だから、僕たちがティムの敵じゃないってことを、この王子は最初から知ってた」
でしょ、とロズが顔を向けると、自分の果実茶を飲んでいたシモンは、自慢げに胸を逸らした。
「ぼくには、目の前にいる人のことが分かるんだ。ティムに会いたくて来た人を見極める、最後の砦だから」
それから、少しだけ不思議そうに首を傾げて、ロズをまっすぐに見る。
「でも、あなたのことが分からない。分からないってことは、あなたはロズノアテム様?」
微笑ましげに主人を見守っていた騎士と侍女が、ぎょっとして飛び上がった。そんな彼らを気にすることなく、シモンは語る。
「ロズノアテム様は、人に合わせた仮の体でいるとき、『名乗った身分で相手が認識する』細工をしている、って前に仰ってた」
「そうだね」
「神官見習いとして名乗れば、普通の人間にはそうとしか思えない。神として名乗った時に、初めて目の前にいるのが、時の神だと気づく」
そう言われれば、ミシェルもそうだった。ロズが自らの正体を明かした時、初めて『そう』だと認識できたのだ。
「でも、ぼくの持つ力じゃ、神のことは分からない。なら、あなたは神だ。そうでしょう?」
まるで言葉遊びのようにそう結論付けて、シモンはまた果実茶を飲んだ。
「……すごいね。全知の今代は随分と頭がいい」
「えへへ」
「推察の通りだよ。僕がロズノアテムだ。ティムのことを守ってくれてありがとう」
シモンはソファーから飛び降り、深く頭を下げた。
「ロズノアテム様。ご無礼をお許しください」
「あー、そういう畏まったのはいらないから、普通にしてて、普通に」
「分かった!」
「変わり身早いね」
「すぐにティムを呼んでくるよ。少し待ってて!」
仰天した顔で固まっている騎士と侍女の手をぐいぐいと引っ張り、シモンは弾む足取りで応接室を出ていく。
それを見送って、ミシェルは何となく、冷えた果実茶に手を伸ばした。一口飲むと、果実の香りの奥に、少しだけ蜂蜜の甘みが感じられた。
「……ね、ロズ」
「どうしたの?」
「ロズが、さいしょから、名乗ればよかったんじゃ……?」
そうしたら、さっきの問答は必要なかったのでは。
なんとなくロズの答えは分かっていたが、ミシェルは尋ねずにはいられなかった。
ロズはきょとんとして、それから満面の笑みを浮かべる。
「だって、ミシェルがなんて答えるか、聞きたかったから」
そんなことだろうと思った。
でもロズが嬉しそうだから、良いかと、ミシェルはまた果実茶のグラスを傾けた。




