第43話 潜入
翌朝、掃除の仕事を終えてから、モラン男爵家で変装を施してもらった。髪の艶が足りない云々と言われ、バスタブに放り込まれたのは予想外だったが。
コラリーはやはり無理をしていたようで、今日は起き上がれないと謝罪があった。
「ミシェル、なんか昨日よりツヤツヤしてるね」
王城へ向かう馬車に揺られながら、隣に座るロズが言う。
いつもの神官服ではなく、借りた従者服を身に纏っている。モラン家の紋章は外してあるが、容姿が良いこともあって見た目だけなら完璧な従者だ。
そのはずだが。
「ロズはその服が……、その、似合いませんね?」
今日も馬車を動かしてくれている若い神官が、声に苦笑を滲ませる。
「そんなに変かな?」
「変、というか……」
「違和感がありますね」
神官の言いたいことは分かる。着こなしにおかしい所がある訳ではないのに、どこかちぐはぐだ。
そもそも誰かに仕えるということが、ありえない存在だからだろうか。
「しかし、変装としては問題ないと思いますよ」
大事なのはそこだ。メリザンドの目を掻い潜って、全知の神殿に入ることができればそれでいい。
男爵家は非常に協力的だ。それはきっと、コラリーを助けたから、というだけではない。
コラリーの成りすまし作戦は、彼女ではなくモラン男爵が中心となったものだ。
これまでキャステン家と近しい関係だったモラン家が、明確にメリザンドに向けて弓を引いた。そして、少なくとも一度は成功している。時間が戻ってしまって、無かったことになったけれど。
メリザンドを処刑するための作戦の対価は、コラリーと国外の貴族との縁談だった。ミシェルが調べた限りでは。
メリザンドが頂点に立つこの国から、コラリーを逃がそうとしたのだと、今なら分かる。
ミシェルたちがメリザンドと敵対していると察して、詳細も聞かずに手助けをしてくれた。もしくは、詳しく知らなければ言い逃れできるからか。
どのような思惑であれ、こちらにとっては好都合だった。
「この馬車には貴族家の紋章が入っていませんから、城内の馬車置き場は使えません。城門前で下ろしますが、大丈夫ですか?」
昨日も来た城門の近くで、辻馬車の群れに混ざって馬車が止まる。周囲には全知の神殿に歩いて向かう人々が大勢いた。
多くが平民だが、中にはミシェルのように顔を隠した貴族もいる。全知の神殿に参拝する貴族たちの中には、人に知られたくない願い事を秘めていて、正体を隠したがる人が多いのだと聞いた。そういった者たちは顔を覆い、家の馬車も使わないのだと。
貴族の事情などはミシェルにとってどうでもよいが、お陰で目立たずに済みそうなのはありがたかった。
先にロズが馬車から降りて、ミシェルに手を貸してくれる。ドレスの上にローブを羽織り、裾を踏まないように気を付けながら、ゆっくりと外へ出た。
そっと視線を巡らせたが、ミシェルたちに注意を向ける者は誰もいない。
特に何の問題もなく城門を抜け、人の流れに沿って道を歩く。ふと見上げると、城壁の内側にもう一つ城壁があった。内側の壁の方が、どこか古びて見える。
「ロズ、壁がふたつ……」
「ん? んーと、確かね、最初は外の城壁が無かったんだよね。貴族たちから馬車を止める場所がないって文句が出て、それで増やしたんじゃなかったかな」
周囲に聞こえないように、小さな声でひそひそと言葉を交わす。
ロズがちょいちょい、と指先で示す方を見ると、複数の馬車が停まっている場所があった。
「貴族たちは、あそこで馬車を降りるんだ。うちの神殿の馬車も、あそこまで入れるよ。そこからは、身分に関係なく徒歩」
「そうなんだ」
確かに、歩いて城内へ向かう人の群れに、華やかな衣装が増えてきていた。
二つ目の城壁を抜けると、道が二手に分かれている。左手の道に進む人は少なく、その先には立派な尖塔がいくつも空に向かってそびえ立っている。奥の方に見える屋根の方が、装飾も豪華に見えた。
右手の道へ進む参拝者たちに続いて、ミシェルとロズも緩やかな坂道を登り始める。
メリザンドは、毎日大人しくこの道を歩いているのだろうか。舗装されて歩きやすい道ではあるが、神殿までそれなりに距離がある。
「ミシェル、見てごらん。あれが全知の神殿」
緩やかな角を曲がった辺りで、ロズに遠くを見るように促された。そこでようやくミシェルは、奥まった尖塔が王城ではなく、神殿のものであったことを知った。
全知の神殿は、質素でこじんまりとした時の神殿とは、まったく違っていた。ともすれば、隣に並ぶ王城よりも派手派手しい。金と人の手がかけられているのがよく分かった。
風雨に晒されるはずの外壁が、どこもかしこも鮮やかな色彩の塗料で彩られている。石工による装飾も、まるで彫ったばかりのように美しい。大扉の上のステンドグラスなど、それ一枚で地方の城くらいなら賄えそうな代物だ。
「すごいよね。ほらミシェル、立ち止まらないで」
足を止めそうになったミシェルを、ロズが急かした。
参拝者たちは、開け放たれた正面の大扉に吸い込まれていく。ミシェルたちも後に続いた。
中は広々としたホールになっていた。遥か奥の壁際に、巨大な石像が座している。あれがサクスピエンティムの神像だろう。参拝者たちはそれぞれ好きな姿勢で、静かに祈りを捧げていた。
その中を、神官たちがゆったりと歩いている。彼らの纏う神官服は、ミシェルがよく知るものとは違い、やはり装飾が多い。上下に分かれた作りで、動きやすそうだった。
一番近くにいる女性神官に、ミシェルは歩み寄る。穏やかな表情は、どこか神官長を思い起こさせた。
「どうかされましたか?」
ミシェルは短く息を吸い込む。
「黒薔薇から、ユキノシタへ」
第三王子に会うための、合言葉。
「……こちらへ」
はっと目を開いた女性神官は、ひとつ頷いて身を翻した。人々の間を縫って奥へ進み、神像の傍にある通用口へ向かう。
促されて奥へ進んだ瞬間、よく聞きなれた声が響いてきた。
「こんなに待ったのに、誰も会いに来ないってどういうことよ!!」
キンキンと甲高い、感情の昂った怒鳴り声。
「王族の方々は、非常にご多忙でいらっしゃるので……」
「このあたしが優先なのに!? このところ毎日なんだけど!」
「もうすぐ時訪祭がありますので、その準備のためです」
「だったらなおさら、あたしのご機嫌伺いをしないと駄目じゃない!」
広い通路の向こうから、メリザンドがずんずんと歩いてくる。年嵩の神官が丁寧に宥めようとしていたが、その表情はうんざりしているように見えた。
ミシェルは思わず、身を固くする。
まさかとは思っていたけれど、懸念通り鉢合わせてしまった。
変装は通じるだろうか。顔は隠しているが、髪は下ろしただけで色も変えていない。
もしメリザンドが、コラリーのドレスを覚えていたら。不審に思われて、勘付かれてしまうかもしれない。
今になって不安が押し寄せてくる。ぎゅっと両手を握り合わせると、背中をトントンと叩かれた。
「……ロズ」
微かに笑ったロズが、ミシェルをエスコートして壁際に体を寄せる。慎ましく下を向き、上位の者に道を譲る様は、本物の従者にしか見えない。
ミシェルも習って、壁に背を向け、静かに視線を下げた。
メリザンドは不満を喚き立てながら、足音荒く目の前を通り過ぎて行く。
ミシェルたちには、見向きもしなかった。
胸の内側で心臓がバクバクと走り回っている音が、耳に届いた。無意識に詰めていた息を細く吐き出す。
「ミシェル、大丈夫?」
メリザンドが完全に見えなくなると、ロズが優しく背中をさすってくれた。
「……うん。だいじょうぶ」
終わってみれば一瞬だった。
メリザンドの目は、何も見ていなかった。ミシェルのことなど、何も。
きっと、彼女に尽くしてきたこれまでの時間すべてで、そうだった。
(あの人は、自分のことしか興味がないんだ)
ミシェルの心は、驚くほどに凪いでいた。
「それじゃあ、行こうか」
「いこう、ロズ」
どう考えても令嬢と従者のものではない会話を、全知の神官は表情ひとつ変えずに聞いていた。




