第39話 好意
ロズの背中に軟膏を塗り、布を当てる。そこまでやってようやく一息ついたミシェルに、彼の方から「そういえばさ」と話しかけてきた。
「メリザンドって、どうしてあんなにミシェルにこだわるの? あいつの性格なら、もうミシェルのことを捨ててもよさそうなもんだけど」
それはそうだ。思い返してみれば、メリザンドに仕える使用人はよく入れ替わっていた。あれはきっと、メリザンドが気に入らない人間を追い出していたのだろう。
ここまで手元に置きたがるのは、ミシェルだけ。
しかし、それはなんとなく理由が分かってしまう。
「命令に……、無理って、言わないからだとおもう……」
あの頃のミシェルは、メリザンドの言葉を絶対として生きていた。だから、どんな理不尽な要求にも喜んで従っていた。
他の使用人がメリザンドの命令をこなせなかったり、無理だと嘆く様子を見た時には、「ありえない」とまで思っていた。
それは手放しがたくもなるだろう。メリザンドは、ミシェルのことを使いやすい道具だと言っていた。多少使い勝手が悪くなったところで、そう簡単に捨てたりはしない。代替品などないのだから。
「ふぅん。どんな命令だったの?」
当てた布の上から神官服を着込み、ロズはぐるぐると腕を回す。動きには支障ないようだった。
「えっと……。屋敷に、忍び込んで……、計画をしらべたり。ほかの家の、使用人にまぎれて……、動きをさぐったり?」
以前はメリザンドの我が儘を叶えることが多かったが、死に戻りが始まってからは、そちらの調べ物が増えた。
前の時間で、メリザンドを殺した家を、情報屋に突き止めてもらう。そこからさらに詳しく調査して、暗殺計画の裏取りを行い、メリザンドに報告する。
そういうことを、繰り返していた。
このモラン家の屋敷にも、夜間に忍び込んだことがある。
振り向いたロズが目を丸くして、ミシェルをまじまじと見た。
「だから、あの娘が殺されかけた時、自分のせいだと思ったの?」
「……うん」
「はは、馬鹿だね」
ソファーに座り直して、ロズはミシェルの手を引いた。抱き寄せようとする腕に逆らわず、ロズの膝の上で縮こまる。
前に置かれたローテーブルには、この屋敷のメイドが用意したお茶と菓子が置いてある。ロズはスタンドからメレンゲを一つ摘まみ上げて、ミシェルの唇に押し付けた。
口を開くと、メレンゲが転がり込んでくる。
「別に仲が良いわけでもない相手に、そんな風に思うなんて」
「だって……」
「普通はもっと、自分のことしか考えないもんだよ」
最近のロズは、ミシェルの頭を撫でるのがお気に入りらしい。身動きができないくらいにしっかりと抱え込まれて、両手で撫でられている。
「……ロズは」
「なぁに?」
「ロズは、わたしが馬鹿だと、いや?」
「そんなわけないじゃん。馬鹿なくらいに優しいミシェルが、僕は好きだよ」
ミシェルはほっと息を吐いて、少しだけ肩の力を抜いた。
ロズが嫌でないなら、それでいい。
それから、言われたことを考える。
ロズはミシェルを好きだと言ってくれる。優しくしてくれる。
「……あのね」
「うん?」
相槌を打ってくれるロズの声は柔らかい。
「好き、って、どんなきもち?」
ミシェルは、メリザンドのことが好きだった。そのはずだ。
でも、あの頃抱いていた感情は、本当に好意だったのだろうか。何も分からなくなってしまった。
今、ミシェルがロズに向ける感情と、違っていることだけは分かるのに。
メリザンドのことを、どう思っていたのだろう。
今、ロズのことを、どう思っているのだろう。
「好き、かあ……」
ふむ、とロズが考え込む素振りで、目を伏せた。
膝に乗せられて、少し高い位置からその顔を見下ろす。綺麗な形をした目がぱちりと瞬いて、ミシェルの方を見上げて緩やかに笑んだ。
「そうだな」
ロズはまた、スタンドに手を伸ばして、今度は小さなクッキーを摘まんだ。それを、ミシェルの口元に添える。
「美味しいものを、分けてあげたい、って思うこと?」
差し出されたクッキーを食べる。噛み締めると蜂蜜の味がした。思わず顔を綻ばせると、それを見たロズも嬉しそうにする。
「あとは……、この人には幸せになって欲しい、とか。元気に過ごしていて欲しい、とか、そういう気持ちのことかな」
「……ふふ」
「どうしたの?」
「『前』のロズも、ね、にたようなこと、言ってた」
あれはミシェルが、美味しいとは何か聞いた時だった。
そうか、と思う。
確かに、あの頃のミシェルはメリザンドのことが好きだった。今は違うけれど、その気持ちは嘘じゃなかった。
ロズには、ただ安らかにいて欲しい。なにものにも悩まされることなく、穏やかにあって欲しい。
これが「好き」という気持ちであるなら、ミシェルはロズのことが好きだ。そのはずだ。
「……『前』の僕?」
ロズはお菓子を運ぶ手を止めて、首を傾げた。
「うん。……果物とか、よく、分けてくれた」
「……そう」
「ロズ?」
腹に回されたロズの腕に、ぎゅっと力がこもった。
「ちょっと、苦しい……」
そう言ったのに、ロズはちっとも離してくれなかった。
コラリーが目覚めたと、メイドが知らせに来た。
礼がしたいとのことで、ミシェルとロズは彼女の部屋に案内されることになった。




