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生贄侍女ミシェルと9の黒薔薇 ~死に戻り令嬢に虐げられる侍女が、洗脳から抜け出して時の神に愛されるまで~  作者: 神野咲音


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第33話 過去

 祈りの間にそびえる神像は、蝋燭の仄かな明かりに照らされて揺れていた。


 夜の闇を、恐れたことはない。けれど、明かりの届ききらない神像の顔は、表情が読み取れなくてなんだか不安になった。



「ミシェルって、貴族だったの?」



 祈りを捧げ終えて、ミシェルは立ち上がった。そこへ、後ろからかけられるロズの声。


 振り向くと、ロズがじっとミシェルのことを見ていた。いつもメリザンドが使っていた椅子の上で、行儀悪く片胡座をかき、頬杖をついている。


 ミシェルが歩き回れるようになってから、二人は毎夜、祈りの間を訪れていた。


 はじめは、ミシェルの祈りで本当に花が咲くのかどうか、確認するためだった。『今』のロズが、花を見たいと言ったから。


 すると、ロズはミシェルの祈りを気に入ったらしく、「毎日やってほしい」と言い出した。もちろん、ミシェルに否やはない。


 それから、神官たちの目を盗んで祈りに来るのが、二人の日課となった。


 いつもなら、祈りが終われば、見つからないようにこっそり部屋に戻る。祈りの間は、本来伴侶役しか入れない場所だ。


 だから、こんな風に話をしている場合ではないのだけど。



「……その、話。だいじな、こと?」



 首を傾げると、ロズは少し悩んでから、頷いた。


 そうか。それなら、仕方ない。


 ミシェルは椅子の前まで歩いて、ぺたんと座り込んだ。ロズの正面だ。


 彼の手が伸びてきて、かき混ぜるように頭を撫でられる。髪が乱れるが、嫌いではなかった。



「……むかし、ね」







 厩舎に積まれた藁の中で目を覚まし、夜の間に洗って干しておいた唯一の服を着て、厨房にゴミを漁りに行く。


 そして日が高くなった頃、本邸の勉強部屋へ連れて行かれて、あらゆる知識、教養、作法を叩き込まれる。文字通り、鞭を使って。


 それが、ベイロン子爵家の一人娘として生まれたミシェルの、七歳までの日常だった。


 当たり前だと思っていた。皆こうやって、大人になってきたのだと。


 だって、それを止めてくれる人は、誰一人としていなかったから。


 早く価値のある娘になれ、と言われた。


 より良い嫁ぎ先を見つけて、金を出してもらうのだと。


 そのためにミシェルは、とにかく様々な方法で教育を受けた。


 毎日鞭で叩かれ、拳で殴られ、金にならないなら死ねと罵られる。


 勉強でなにか一つ間違えれば、その日の夜には折檻が待っている。作法を一つ覚えられなければ、冷たい井戸の中に降ろされて出してもらえない。


 ミシェルには、教育と暴力以外は何も与えられなかった。部屋がないから、馬に混じって厩舎で寝起きした。服が一着しかないから、毎日それを着るしかなかった。食事がないから、厨房に忍び込んで食べられるものを探すしかなかった。


 雨風を凌げる場所を探して、両親に見つからないよう、夜な夜な屋敷の中を隠れ歩いた。見つかれば、きっと殴られるだけではすまないだろう。


 そんな生活が終わったのは、満面の笑みを浮かべた母が、真新しいドレスをミシェルに見せてくれた日のことだった。



「お前を買いたいって人がいるのよ。そうすれば、今後も資金援助をしてくれるのですって。やっと役に立つ日が来たわね。でもこれで、ベイロン家は安泰よ」



 ミシェルはドレスを持たされ、着の身着のまま馬車に乗せられた。到着には三日かかると言われていたが、その日の夜、馬車は鎧を着た集団に襲撃された。


 一緒に乗っていた男たちの一人が、ミシェルを抱えたまま逃げたが、途中で置いていかれた。


 道などない林の中。どうすればいいのかなんて、分からなかった。だって、両親に与えられた知識の中に、こんな状況の対処法などなかったから。


 とにかく闇雲に歩いて、歩いて、歩いて。


 動けなくなって、意識を失った。







「たぶん、そのあと……、ロズが見つけてくれた」



 床から見上げるロズは、神像と同じでまったく読めない顔をしていた。でも何故だか、それを怖いとは思わなかった。



「ミシェルは、」


「なあに?」



 ロズは何度か口を開いて、迷うように閉じた。


 何を聞きたいのだろう。彼になら、なんだって答えるのに。 


 少しの沈黙の後、ロズは小さな声でこっそりと言った。



「痛くなかった?」



 思わず頬が緩んだのは、ロズの優しさが嬉しかったからだ。彼は時々意地悪なことを言ってミシェルを困らせるのに、怪我をした時はとても心配そうな顔をする。 


 ロズの手はまだミシェルの頭を撫でている。先程よりも穏やかな手つきだ。


 その指先はメリザンドに蹴られた時の傷をなぞっている。彼は覚えていないし、そこには『まだ』傷はないのに。


 大きな手にすり寄ると、ロズも小さく笑った。



「もう、あんまり、おぼえてないの」



 ぽつりぽつりと、拙い言葉を零していく。そうすると、ロズが喜ぶから。



「いたいのは……、いつもの、ことだった」


「……そう」



 傷の痛みに耐えるのも、冬の寒さに晒されるのも、空腹を抱えて眠るのも。ミシェルにとっては当たり前のことだった。


 殴られるのも、閉じ込められるのも、ごく普通のことだった。


 だからこそ、それを和らげてくれたメリザンドを、優しい人だと思ったのだ。


 でも結局、メリザンドも両親と同じだった。



「……それは、失望?」



 ロズの問いかけに、小さく首を振る。失望とは、なんだか違う気がした。



「じゃあ、怒り?」



 それも違う。怒っている訳じゃない。



「なら、メリザンドのことをどう思ってる?」



 ミシェルは俯いて考えた。改めて言葉にするのは、どうにも難しかった。



「……こわくて」



 あんなに大好きだったはずなのに。


 今となってはもう、あれが本当に好意だったのか、それすら曖昧になってしまった。



「あとは……、分からない」



 これがどんな気持ちなのか、分からない。



「このきもちを……、なんて、よぶのか……」


「じゃあ、それを見つけないとね」


「どうして?」



 尋ねても、ロズは微笑んでいるだけで答えてくれなかった。


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