第31話 神庭
「ティムは昔からの親友でね。この国を作ろうって言いだしたのもあいつ」
豆のさやを剥くのに苦戦しながら、サクスピエンティムについてそう話すロズ。
ミシェルは新しく用意した桶を、そっと彼の足元に押しやった。飛び出した豆が、ポロポロと桶に落ちる。
何かしたいと言うから包丁を使わないものを任せてみたが、この調子で日が暮れるまでに終わるだろうか。
「僕はティムと合わせて建国の神って言われてるけど、実際は何もやってないんだ」
「そう、なんだ……」
全知の神サクスピエンティムについて、この国で知らない人間はいないだろう。その力で王家を導き、エンテ神聖国を繁栄させる存在。
象徴となる花は、ユキノシタだ。白く小さな、可憐な花を咲かせる。国のどこにでも咲いている。キャステンの屋敷には、一輪もなかったけれど。
そしてそれは、メリザンドから貰った手鏡に彫られている意匠でもあった。すぐに気が付かなかったのは、ミシェルがユキノシタの花を見慣れていなかったからだ。
「あいつは基本的に、神の庭に籠ってる。ここは人の国だからね。全知の力ですべて回すのも良くないってさ」
神の庭。初めて聞く言葉に、ミシェルは首を傾げた。
その疑問を口に出さずとも、ロズはすぐに察して教えてくれる。
「神の庭、っていうのは、兄さん……、空間の神が創った場所だよ。神だけが入れて、好きに過ごすことができる。ずっと庭にいる奴もいるし、僕みたいに別の体を作って意識を飛ばす奴も、全然庭に来ない奴もいる」
「かみさま、だけの、せかい?」
「そんな感じかな。ティムはほとんど神の庭にいて、自分の伴侶に呼ばれたら降りる。あと、どうしても全知の力が必要な時とかね」
一口に神と言っても、その性質は様々であるらしい。とはいえ、ミシェルはロズしか知らない訳だが。
「じゃあ……、お嬢様を、ころさないで、って……、おねがいするには……」
神の庭で、サクスピエンティムに会えばいいのだろうか。
しかしロズは、分かりやすくぶすくれた顔をした。それと同時に高く舞い上がった豆が、じゃが芋の桶に入る。ミシェルはそっと豆を摘まみ上げ、仲間の元に返した。
「今の僕は、神の庭に入れない」
「……あ」
「本体、っていうか、僕そのものは庭にいるんだけど。意識というか魂というか、それが人間の体に封じられちゃってるからさ。戻れないんだよね」
言われてようやく、ミシェルは気が付いた。
「……ごめんなさい」
しおしおと項垂れると、その下がった頭をよしよしと撫でられた。少し青臭い。
「気にしてないよ。大丈夫」
本当だろうか。
思えば、ロズは自分のことをあまり語らない。力を封じられ、守るべき時間が壊れてしまって、一番大変なのは彼のはずなのに。
今さらながらに思い至って、ミシェルはそっと視線だけをロズの顔に向けた。もういつも通りの眠たげな表情に戻っていて、そこには怒りや焦燥の色は見当たらない。
きっと彼は、隠すのが上手いから。
ロズにお返しをしたい。ミシェルに温かい生活をくれた彼が、もう何にも悩まされることのないように。
「……どうすれば?」
「ティムに会うためには、人間と同じ方法を使うしかないね。……かなり難しいけど」
神に会おうというのだから、難しくて当然なのだろう。ミシェルには、あまりピンとこないけれど。
全知の神サクスピエンティムが神の庭から出てくるのは、その必要がある時だけ。あるいは、伴侶に呼ばれた時。
そして、サクスピエンティムの伴侶は、王家の人間だ。
「ティムの伴侶って、今は誰だったかな……。確か、二番目だか三番目の王子だったかな。一番下の子だよ」
ロズは足元に豆を零しながら、小さくため息をついた。
「ティムに会うより先に、王子に会う方法を考えなくちゃ」
「……それは」
確かに、難しい。ミシェルには思いつかない。
神も、王族も、普通ならおいそれと会うことなどできない存在だ。本物の時の神は、今こうしてミシェルの隣で豆を剥いているが。
「とりあえず、神官長に一度聞いてみようか」
ロズはのんびりした口調でそう言うが。
ミシェルは心のどこかに燻るものを感じながら、小さく頷いた。
「うーん……。私の権限では無理ですね」
神官長は申し訳なさそうに言った。
野菜の下拵えがどこまで進んだか、確認に来た神官長を捕まえて尋ねた、その結果だった。
ミシェルは野菜を入れた桶を数えつつ、神官長とロズの会話を見守る。
「えー。だって神官長でしょ」
ロズが片頬を膨らませた。
「まず、平民が王族と謁見するには、面倒な手続きと審査が必要です。今すぐに会えるという訳にはいきません。貴族ならばある程度省略できますが」
そしてそれには、最低でも三ヶ月はかかるという。
「確かに私は、神官長という立場上、必要であれば国王に謁見を申し込むことは可能です。ただ……」
「ただ?」
「全知の伴侶である第三王子は、特別です。時々行われる『神託の儀』以外では、決して姿を見せません。その儀式の時も、殿下には誰も近づけないよう周囲が固められます。とても話などできないでしょうね」
あの儀式か、とロズが呟く。
そのままため息をついて頭を掻いたところを見るに、第三王子と話すのは予想以上に困難なようだ。
神官長はすみません、と呟いた。
「第三王子殿下は、高位の貴族でも謁見が難しいのです。それだけ、国にとって大切なお役目を背負っていらっしゃいますから」
全知の伴侶は、ミシェルの知識が正しければ、全知の神と国とを結ぶ架け橋だ。サクスピエンティムは伴侶を通して、必要な知識を降ろす。そうやって国を導いている。
でも、とミシェルは首を傾げた。
メリザンドはそこまで堅牢に守られていない。彼女はパーティーやお茶会によく顔を出していたし、護衛も公爵家の令嬢としては一般的な数だけだ。
キャステンの先代などは、むしろ積極的に民と交流を持っていたと聞く。
「……おじょうさま、ごえい……、すくない?」
「ああ、それは」
神官長が困ったように微笑んだ。
「時の伴侶役は、代わりが利くのですよ。去年まで、先々代が伴侶役を務めておられたように。それに引き換え全知の伴侶は、サクスピエンティム様が直接お選びになった、本物です。代わりとなる者はおりません」
キャステン家から出るロズノアテムの伴侶は、その役目をこなすだけの「伴侶役」だ。
一年間の祈りを続けられるなら、本来は誰だって構わない。
それをミシェルに教えてくれたのは、『前』の神官長だった。
「加えて、全知の伴侶は悪意ある者に狙われる危険性が、うんと高いのです。うまく操ることができれば、全知の力を手に入れたも同然ですから」
そんなにうまくことが運ぶだろうか。
たとえ悪党に第三王子がかどわかされたとして、全知の神が悪党の有利になるような神託を降ろすとも思えない。
「そこまで考えられる奴は、まず神の伴侶をどうこうしようとはしないよ」
やるのは愚か者だけ、とロズが肩を竦める。
ということは、今までに全知の伴侶をどうこうしようとした者がいたのだ。
「じゃあ、会えない……?」
第三王子に会えなければ、サクスピエンティムと話すこともできない。
(……神官長に、できないのなら)
神官長はこの神殿を取りまとめる人物で、ロズノアテムに仕える神官たちの長だ。しかし、時の神殿の責任者ではない。神殿そのものは、キャステン家の管轄下にある。
ミシェルには分かっている。なんの手続きも必要とせず、第三王子に取り次げる人物が、誰なのか。
「……ロズ」
そっと声を上げると、ロズが勢いよくミシェルを見た。
名前を呼んだだけなのに、ミシェルの言いたいことを察したようだった。
「駄目」
低く固い声は、いつものように優しくない。
それでも、ミシェルはロズのために、何かしたかった。その為なら、自分の恐怖など些細なことだ。
「お嬢様に……」
「駄目だったら!」
ロズの眉が吊り上がっている。彼から怒りの表情を向けられるのは初めてで、ミシェルは思わず視線を落とした。
どれだけ悪評が溢れていようと、メリザンドは公爵家の令嬢だ。王家に嫌われているようではあるが、彼女が正式に手続きを踏めば、謁見自体は叶うのではないか。
第三王子に会いさえすれば、あとはどうにかなるはず。
そう考えたのだが、ロズは頑なに首を縦に振らない。ミシェルはますます体を縮こまらせた。
二人を見比べた神官長が、顎に手を添えて小さく唸る。
「メリザンドお嬢様に頼るのは、私もあまりお勧めいたしません」
ミシェルが辛い思いをする必要はないでしょう、と。神官長はそんな風に気遣ってくれる。多分、ロズも同じように考えてくれているのだろう。
「……でも」
どうしたらいいのか分からなくなって、ミシェルはそれ以上言葉を続けられなかった。
ロズの役に立ちたい。何かできることがあるなら、させてほしい。
そこに、ミシェルの心情は関係ないのだ。だって、どうでもいいことなのだから。
ロズが大きくため息をついた。まだ眉間に皺が寄っていて不機嫌そうだ。
「……ミシェルがあいつと直接会わないなら、いいよ」
「ほんとう?」
「手紙を出すだけだよ。あいつがミシェルに会いに来ても、いないことにする。神官長、いいよね」
渋い顔のまま、念を押すように強く言うロズ。ミシェルはほうっと体の力を抜いた。
はいはい、と訳知り顔で頷いた神官長が、ミシェルとメリザンドの手紙を受け渡ししてくれることで決まった。




