第26話 逆行
怪我をしたのだからしばらく仕事は休むように、と言われてしまった。ロズはもちろんのこと、神官長や他の神官たちにもだ。
ミシェルの頭には大袈裟なほどに包帯が巻かれているが、やったのはもちろんロズだ。神官長が苦笑していた。
皆に心配されていることが分かったから、休むことに異論はない。部屋で静かに過ごすつもりだったが、ロズが庭に連れ出してくれた。
「神殿に来てすぐ部屋で療養してる時は、あの女に会わせたくなくて部屋にいさせたけど、もうその必要はないからね」
「わたしが、お嬢様しか見えてなかったから?」
「うん。でも今のミシェルは、僕のものだから」
寒いからと言って外套を三枚も着せられ、更に毛布でぐるぐる巻きにされた。もこもこに着膨れたミシェルを後ろから抱きかかえて花壇に座るロズは、誰が見ても機嫌が良い。たまにふんふんと鼻歌を歌っているが、お世辞にもあまり上手とは言えない。
遠く、神殿の正面の方から参拝者たちのざわめきが聞こえる。だが、裏手の庭に人は来ない。
「ロズは、どうして庭で寝るの?」
前から気になっていたことを、肩越しに尋ねてみる。今なら答えてくれるかも、というミシェルの予想通り、「えっとね、」とロズは話し始めた。
「この庭って、神官たちが僕のために世話をしてくれてるんだよね。そういう場所って、神にとっては心地良いんだ。まあ神殿自体がそうなんだけど」
「へえ……」
「今の僕は、力を使い果たしてしまってるから。ここにいると楽なんだ。丁寧に世話してくれてる神官長たちのお陰だね」
広い庭は、ロズの言うとおり手入れが行き届いている。季節柄、花の数は少ないが、それでも整えられた植物たちは美しい。
すぐ傍に伸びる低木の葉を撫で、ミシェルは神殿の壁に目を向けた。
「じゃあ、あの黒薔薇は?」
「……ミシェル、あれが見えるの?」
振り向くと、まん丸になったロズの目が見えた。驚いた様子だった彼は、すぐににっこりと微笑んでミシェルを囲う腕に力を込めた。
「さすが僕の伴侶だね。あれは、普通の人間には見えないんだ。僕の力が結晶化したもの……、と言えば近いかな」
「ロズの力?」
「時間が歪ながらも動いてるってことは、神としての僕は死んでない。でも今の体は、ただの人間だからね。行き先をなくした力がああやって、ひとところに固まってるんだと思うよ。多分、時間が戻る度に増えるんじゃないかな」
七つ並んだ薔薇を見て、胸の前でぎゅっと指を握る。真っ黒な薔薇は、ロズノアテムの象徴だ。これはロズが力を封印されて、神としての役目をなくしてしまった証。
それが、七つも。
(……あれ?)
ふと、違和感を覚えた。
「ロズ」
「なあに、ミシェル」
ミシェルの後頭部に頬ずりをしているロズが、蜂蜜のようにとろけた声色で答える。
壁に咲く黒薔薇を指さし数えて、ミシェルは気が付いた事を口にした。
「時間がもどると花が咲くのなら、一つ多い。お嬢様は、六回しか死んでないはず」
「……」
正確には、六回目は憶測でしかない。だがメリザンドの振る舞いから見て、前回も殺されているのは確実だ。
毒殺、処刑、刺殺、処刑、絞殺。そして、ミシェルの知らない一回。これまで何度も記憶を反芻してきた。だから、間違いない。
「……誰も覚えていない、最初の一回がある」
すうっと温度をなくしたロズの声が、頭上から降ってくる。
「祈りで花を咲かせていたのはミシェルだ。メリザンドじゃ伴侶役はこなせない。やっぱり、一番最初の儀式で何かあったんだね」
頭を撫でてくれる手は優しいのに、紡がれる声は冷たくて平坦だ。それが自分に向けられている訳ではないと分かっていても、つい背中に力が入る。
そんなミシェルの体を膝の上で横抱きにして、ロズは強張った背中をポンポンと叩いてくれた。
「大丈夫。ミシェルがお祈りをしてくれたお陰で、解決策が出てきたよ」
「本当……?」
ことさらに明るい声は、ミシェルを安心させるためなのだろうか。そんなに不安そうな顔をしていただろうかと、自分の頬を指で摘まむ。
「時訪祭で、メリザンドじゃなくてミシェルが伴侶として儀式をするんだ。それで僕の封印が解けるはず」
「わ、私が?」
「儀式の手順に、ロズノアテムを呼び出すくだりがある。黒薔薇を咲かせたミシェルなら、僕を呼べるよ。僕が選んだ伴侶なんだから」
メリザンドの代わりに儀式を行う。それはミシェルにとって、恐ろしいことだった。
ちゃんとできるなんて思えない。いくら花を咲かせていても、伴侶としての自覚があるわけではない。儀式の手順も知らないし、本当に役目が務まるのかすら分からない。
何より、伴侶役になることを心待ちにしていたメリザンドからその立場を奪って、なんと思われるか。
それは裏切りだ。メリザンドがどんな反応をするか分からない。きっと、昨日程度の折檻では済まない。
(でも、それがロズのためになるなら)
顔を上げると、ロズと目が合った。注がれる眼差しはとても柔らかい。そんな風に見つめられるとそわそわしてしまうけれど、決して嫌な気分ではない。
むしろ、胸の奥がほわりと暖かくなって、たまらなくなる。生まれた家でも、メリザンドの元でも、こんな風に暖かな気持ちにはならなかった。
すぐ傍にあるロズの方に、そっと手を伸ばす。恐る恐る添えてみると、ロズは「ははっ」と小さく笑った。
「……がんば、る」
「いい子だね」
しかし、時訪祭で儀式を行うには、一つ問題がある。
「ロズ、あの、でも……。いままで、お祭りの日までお嬢様が生きてたこと、ない……」
「……、そうか。まずあいつが殺されるのを止めないと、時間が戻っちゃうのか……」
メリザンドが死ぬと、時訪祭の約ひと月前まで戻る。そして毎回、祭りの日を迎えることなく殺されている。
彼女を助けなければ、儀式を行うことすらできない。ミシェルが頑張る以前の問題だ。ロズはとても嫌そうな顔をしたが、こればかりは仕方ない。
結局、考えるべきことは同じだ。どうすれば、メリザンドが殺されないか。
「あの女を助けるってのは癪に障るけど、ま、当てはあるよ」
「そうなの?」
「聞いてみないと分かんないけど。貴族の大半がメリザンド殺害を企てていて、関与してない方がおかしいってやつが、ひとりいる」
会うのがめんどくさそうなんだけどなあ、とロズがため息をついた時。
視界の端に黒い何かがちらついて、ミシェルは瞬きをした。惹かれるように視線を巡らせると、神殿の外壁に咲く黒薔薇が見えた。
新しい花が、今まさに開くところだった。
息を呑む音。ロズが目を見開いている。ミシェルを抱く手に力がこもった。
知覚する世界の端が、崩れている。黒い小さな欠片となって、はらはらと舞い散っていく。消えていく。
ミシェルはこれを知っている。何度も見た、世界の終わり。
「お嬢様が死んだ」
これまで築いてきたものをすべて無かったことにして、時間が巻き戻る。
「ミシェル!」
ロズが強くミシェルの手を掴んだ。
「次も僕の所に来て。何も覚えてないけど、ミシェルの言うことなら絶対に信じる。だから、」
その手を握り返して、ミシェルは頷く。
もう選んだのだ。メリザンドではなくロズの隣にいることを。
「分かった。私も、ロズを信じる」
ロズが目尻を染めるようにして微笑んだ。
もう世界の半分が黒い欠片になって崩れてしまっている。彼にだってそれは見えているだろうに、崩壊など一切気にも留めずにミシェルを抱きしめる。
力強く、頭まで抱え込むような抱擁に、どきりと心臓が跳ねる。
「大丈夫だよ、かわいそうなミシェル。僕の選んだ伴侶。……愛してる」
耳元で囁かれた言葉までもが、崩れて行った。
「ロズ……!」
体を包み込んでいた温もりが離れていき、気づいた時にはミシェルは一人ぼっちで、星屑の渦巻く闇の中へと放り出されていた。
ゆっくりと渦を巻くこの光は、ロズノアテムが守って来た時の流れそのものだ。そこから生まれ出る幻は、繰り返しては消えて行った時間の欠片。
ミシェルは宙を漂いながら、もう何度目かの光景を、今までとは全く違う気持ちで見下ろした。
ただ、メリザンドを助けたいと思っていた。それだけでしかなかった。大切な人だったから、力になりたかった。
目の前に並べられる幻影は、メリザンドが迎えたいくつもの最期。小さく胸が痛むけれど、それだけだ。
これまでのような激しい感情は、もうどこにもない。
死んだメリザンドの姿が掻き消えて、また別の幻が現れた。
幻影の中のメリザンドが、よろめきながら斧を振り上げる。刃の先にいるのは、縛られて倒れたミシェルだ。斬り落とされた首がごろりと転がる。
それを見て、大好きだったはずの元主人は、華やかに笑っていた。
「……」
震える手を押さえつけて、下を向く。この場所では、上も下もないけれど。
知りたいのは、知らなければいけないのは、その先にあった出来事だ。ミシェルが見ていない、メリザンドの最期。
顔を上げると、導かれるように場面が切り替わった。キャステンの屋敷から、ロズノアテムの神殿に向かう道だ。
キャステン家の紋章が入った馬車が、塗装された道をゆっくりと進んでいる。そこへ突然、口から泡を吹いた暴れ馬たちが突進してきた。追突された馬車が、ゆっくりと傾き、横転する。
頭から血を流したメリザンドが、馬車の中からよろよろと這い出てくる。そこへ別の暴れ馬が来て、頭を踏み潰していった。
「……っ」
凄惨な事故現場に、思わず目を背ける。
これは、ミシェルが殺された後のメリザンドだ。
崩れて消えたはずの記憶が見えるのは、きっとミシェルがロズノアテムの伴侶だからだ。花を咲かせて、ロズと縁を繋いだ伴侶。
(……だったら何故、お嬢様の死が巻き戻りのきっかけになるんだろう)
消えていく幻影を見つめる。
その謎を解かなければ、壊れてしまった時間は直らないような気がした。
次の幻影が現れる。
メリザンドが部屋でくつろいでいる。誰かが扉をノックする音。入って来たのは、キャステン家の使用人ではない。頭から爪先まで真っ黒な衣をまとった人影が、悲鳴を上げかけたメリザンドの口を一瞬で塞いだ。そのまま、首の後ろから細い刃を突き刺す。
あまりにも堂々とした暗殺に、ミシェルは目を瞠った。
床に崩れ落ちたメリザンドの幻影が、星のきらめきとなって霧散する。
逆巻き始めた渦の中に落ちながら、ミシェルは両手をきつく握り合わせた。
どうしてこんなことになっているのか、ミシェルには想像もつかないけれど。それでも、やるべきことは分かっている。
(お嬢様を助ける。今度は、ロズのために。この時間が、正しく流れるように)
そうすれば、ロズは。
また、あの言葉を言ってくれるだろうか。




