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生贄侍女ミシェルと9の黒薔薇 ~死に戻り令嬢に虐げられる侍女が、洗脳から抜け出して時の神に愛されるまで~  作者: 神野咲音


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第20話 恍惚

 ロズが目を覚ましたのは、昼食の時間を少し過ぎ、太陽が頂点から少し傾いた頃だった。


 ベッド脇に椅子を寄せて座り、手慰みに縫物をしていたミシェルは、針を置いて身を乗り出した。



「ロズ」


「ん、あれ……。ミシェル?」


「のど、かわいてませんか。蜂蜜いりのお白湯は、つくってます」



 ロズは何度か瞬きをして、片手で顔を擦った。それでもまだ眠気が強く残っているのか、目の焦点が合わない。


 ぼんやりとしたまま、ロズは体を起こした。ミシェルはそれを押し留める。



「ねむいなら、まだ寝てて……」


「庭で……、寝る」



 夢現の口ぶりだ。どうやらミシェルの制止は意識に入っていないようだ。



「ちょ、ちょっと待って」



 よろよろとベッドを降りるロズの様子を見ながら、ミシェルは慌てて部屋のクローゼットを開いた。神官服だけでは寒いはずだ。コートか何かを用意しようと思ったのだが、中には洗い替えの神官服しかなかった。


 仕方なく、毛布と枕を脇に抱えて、壁伝いに歩くロズに肩を貸す。


 部屋を出ても、誰とも会わなかった。午後のこの時間は、参拝に来る人が増える。神官たちは、祭壇の間で参拝者を迎えているはずだった。


 静かな居住区を抜けて、裏口から庭に出る。


 色の少ない、冬の庭。ロズは迷わず花壇の方へ向かって、いつも寝ている辺りにゴロリと転がった。


 近くの壁には、変わらずに黒薔薇が七つ咲いている。萎れる様子もなく、眠るロズを見守るように、風に揺れていた。



「ロズ、さむいから毛布を……」



 汚れてしまうけれど、洗えばいいだろう。そう思って持って来た毛布を広げたが、ロズは枕だけを抱えて体を丸めた。



「ロズ……」


「いいよ……。僕は寒いの、平気だから……」



 動いたからだろうか、部屋にいた時よりは、周囲が認識できているようだ。むずかるように眉根を寄せて、ロズは毛布を押し返す。


 ミシェルは困り果てて、毛布を持ったまま立ち尽くした。


 ロズは花壇から動きそうにないし、寒がってもいない。毛布もミシェルも、ここには必要ない。


 何か命じてくれればいいのに。戻るにせよ、ここに控えるにせよ、そう言ってくれたら従うのに。


 そんな風に思っていると、ロズが薄目を開けてこちらを見上げた。



「その毛布、ミシェルが使いなよ……」


「え……」


「寒さ、感じるようになったんでしょ……。震えてるよ」



 ミシェルは驚いて、毛布を持つ自分の手を見た。確かに震えている。



「ずっと、そういう感覚、麻痺してたみたいだから……。心配してたんだよね……」



 うつらうつらと眠りの狭間を漂いながら、ロズは舌足らずな口調で言う。


 心配、なんて。ロズの口から聞いたのは、これで二回目だ。


 いつも自分勝手で、意地悪なことばかり言う。ミシェルのことを考えてくれているのだろうと察することはあっても、彼が本当は何を考えているのかなんて分からない。


 優しい人だ。でも、不思議な人だ。


 ミシェルには理解できない。


 彼の行動の理由が、理解できない。


 もし尋ねたら、答えてくれるだろうか。それとも、不要な質問だと怒られるだろうか。


 今のロズなら、あまり意地悪をせずに答えてくれるだろうか。


 ミシェルは唾を飲み込んで、そっと毛布を肩に巻き付けた。ロズの隣に、恐る恐る腰を下ろす。


 いらないと言われたけれど、毛布の余った半分を、ロズの上にかけた。



「どうして、ロズは、私にやさしくするの?」



 殴ることも、閉じ込めることも、殺そうとすることも。ロズはどれ一つとしてやらない。それどころか、食事をくれて、服をくれて、居場所をくれる。


 メリザンドもそうだった。でも、それはミシェルが、彼女のお付きになったからだ。


 ならばロズも、何か理由があるはずだ。



「んー……」



 寝返りを打ったロズは、毛布を引っ張るようにして、ミシェルに体を寄せた。



「前も言ったけど……。君をキャステン家にやったのは、僕だから」


「それ……」



 神官長が、言っていた話だ。だが、ミシェルを拾ったのはロズではなく、時の神ロズノアテムだったと。


 ミシェルが困惑する間にも、ロズは話を続ける。



「かわいそうだなあ、って、思ったんだよ。僕のせいで、かわいそうな目に遭ってるなあ、って」


「そんなこと、」


「それがね……。そっかあ、僕のせいかあ、って。すごく、ドキドキしたんだ……」



 声の内に、恍惚とした響きがある。


 ミシェルは少しだけ身を屈めて、枕を抱えて横たわるロズの顔を見下ろした。


 花が綻ぶような笑みだった。薄く閉じた目尻がほんのりと朱に染まり、頬がふうわりと膨らんでいる。持ち上がった唇が深く弧を描いて、満ち溢れた吐息が転がり落ちた。


 美しい。


 縫い止められたように、視線が動かせなくなる。ミシェルは自分の口が開いていることにも気づかず、愉悦に満ちたロズの笑みを見つめた。


 この世で最も美しいものがあるというなら、それはこの少年ではないだろうか。そんな馬鹿げた思考が頭を過る。



「それなら……、ちゃんと、面倒見て……、あげなきゃって……」



 そこが限界だったのだろう。うとうとと微笑みながら華麗な笑みを咲かせたロズは、本格的に眠りに落ちるようだった。話し声が、徐々に小さくなっていく。


 ミシェルは早鐘を打つ胸を押さえて、そろりと体を起こした。頬に朱の余韻が残るロズの顔を見ないように、少しだけ視線を逸らす。


 体が熱くて、もう毛布など無くても平気だった。



(……結局)



 ロズのことは、ほとんど何も分からないままだ。



「……ロズ」



 満足そうに寝息を立てる彼の隣で、膝を抱えて座り直す。



「あなたって、何者なの……?」



 答えを期待していたわけじゃない、ただの独り言だった。ロズのことを知りたいけれど、もう一度あの顔を見る気には到底なれない。


 ロズは眠っているから聞こえないだろう。その眠りを妨げないように、疑問を小さな囁き声に乗せてみた。



「もう知っているよ」



 そのはずだったのに。



「君たちが認識できないだけ」



 やけにはっきりとした声色で、ロズはそう答えた。


 ミシェルは弾かれたように腰を浮かせかけたが、彼は先ほどと同じ様子で眠っている。軽く肩を揺すってみても、目を覚ますそぶりはない。


 ロズが寝たふりをしているのか、あるいはミシェルの聞き間違いか。


 吹き抜ける風に小さく肩を震わせ、ミシェルは毛布をロズにかけ直す。そして、神殿の壁に咲く黒薔薇を眺めながら、余った毛布の端を強く体に巻き付けた。


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