第19話 落眠
現在書けているところまで連載を再開します。
どうぞよろしくお願いします!
数日前に注文していた服ができていると、神殿に知らせが届いた。ミシェルは来なくていいと言われていたから、取りに行くのはロズだけだ。
「ロズが街に行っている間に、昼食を作ってしまいましょう」と、調理場で神官長に言われた。今日は、ロズが初めて料理に挑戦する日だったはずだが。
「ロズの練習は、いいんですか?」
「今日はね。街へお遣いに行ってくれていますから」
神官長がそうやって許すから、彼が仕事をしないままなのでは。
ミシェルの考えは、声に出さずとも透けていたらしい。神官長は鍋を火にかけながら、何とも言えない顔をした。
「……私はそんなに、ロズに甘いでしょうか」
甘いか甘くないかで言えば、確実に甘い。だがそれは神官長だけでなく、この神殿にいる神官全員に当てはまる気がする。
結局ミシェルは、こう答えるしかない。
「みなさん、お優しいと、おもいます」
「つまり、全員がロズを甘やかしていると。……否定はできませんね」
唸ってしまった神官長の隣で、小さなナイフを動かし、芋の皮を剥く。綺麗に洗ったはずなのだが、少し泥が残っていた。少し分厚く切り落とす。
ロズは、不思議な人だ。それは、ミシェルにとって理解が難しい、ということ以外に、この神殿での扱いも含まれている。
神官見習いを名乗る割には、仕事をしない。神官長を敬うこともない。挙句、神の伴侶役であるメリザンドを呼び捨てにして、嫌いだと口に出しさえする。
神に仕える神官としては、褒められた態度ではない。けれど、誰もそれを咎めることなく、むしろ当然のように受け止めている。
これまでは気にも留めていなかったが、今になって、いろいろなことが気になり始めた。
「あの子は、特別ですから」
「とくべつ?」
「ええ、きっと。この神殿にとっては、誰よりも」
そう言って神官長がおかしそうに笑うものだから、ミシェルは少々ムッとしてしまった。
だって、この神殿で特別扱いされるべきは、神の伴侶たるメリザンドであるはずなのに。
「お嬢様では、なく?」
「ははは。メリザンドお嬢様も、大切なお役目であることは間違いありませんが。でも所詮、あの方は伴侶役です。本物の伴侶ではありませんから」
伴侶と伴侶役は、何か違うものなのだろうか。メリザンドはそんなことを、一度も言っていなかったのに。
当惑するミシェルには気づかず、神官長は鍋に水を注いでいく。
「ロズノアテム様は、決まった伴侶を持ちません。毎年、その役目を果たすだけの伴侶『役』が、慣習によってキャステン家より選ばれます。ですが本来の伴侶とは、神が自ら選び、迎え入れるものなのです」
「じゃあ、お嬢様は……?」
「今現在、唯一キャステンの血を引くお方です。自動的に伴侶役となりますが、ロズノアテム様が選んだ伴侶ではありません」
現在のキャステン家は、当主と娘の二人だけ。そのうち現公爵は入り婿で、伴侶役になる資格を持たない。
メリザンドの母は伴侶役だったが、ずいぶん昔に亡くなっている。ミシェルも少しだけ会ったことがあるが、とても優しそうな女性だった記憶がある。
だから、キャステン家の直系はもう、メリザンドしかいない。
「誰でも良いのですよ、伴侶役は。真摯に祈りを捧げることができるなら。メリザンドお嬢様にご兄弟があれば、伴侶役はそちらだったかもしれません」
神に選ばれてはいない、誰でもいい、『役』を果たすだけの立場。それがメリザンド。
彼女は知っているのだろうか。それとも。
神官長はミシェルが切った野菜を、ぽいぽいと鍋に放り込んでいく。ミシェルはその波紋を、ぼんやりと見つめた。
そこへ、思いもよらない言葉がかけられる。
「私としては、メリザンドお嬢様よりもミシェルの方が、よほど尊い存在だと思いますよ」
「そんなわけがありません!」
大きな否定の声が出た。初めてのことで、自分でびっくりしてしまった。
こんなに大きな声が、出るようになっていたのか。
鍋を混ぜる手を止めて、神官長はミシェルを見下ろす。
「覚えておられませんか? あなたは七つの時、この神殿で、ロズノアテム様が見つけてこられたのですよ」
「……え」
ミシェルは小さい頃、この神殿で拾われた。その時の記憶は曖昧だ。
ただ確かに、途方に暮れてうずくまっていた所を、誰かに抱き上げられて、運ばれたような気がする。
「キャステン家で育てるようにおっしゃったのも、ロズノアテム様でした。先代の伴侶役も感激されて、是非にと。……その直後に、亡くなられてしまいましたが」
「……おぼえていません」
「傷だらけのボロボロで、お腹も空かせていたようでした。ずっとぼんやりしていて、皆で心配したものです。記憶が曖昧なのも、きっとそのせいでしょう」
そう話す神官長は、沈んだ面持ちをしていた。
「神官長さま……?」
「……いえ、私は本当に不甲斐ないと思いまして」
軽く首を振った神官長は、にこりと微笑んで鍋に蓋をした。
「とにかく、我々神官にとってあなたは、尊び、重んじるべき方なのです。なにせ、神に拾われた子ですから」
そんなことを言われたって、ミシェルには実感がない。だって、本当に覚えていないのだ。
居心地の悪さを感じて、鍋底を舐める火を見ながら、指先をこすり合わせた。
(じゃあ、ロズはどうなんだろう)
ロズも特別なのだとしたら、ミシェルと同じような理由があるのだろうか。
そこでふと、以前ロズに言われたことを思い出す。
(……私を見つけたのは、確か、ロズだって……)
神官長の話と食い違っている。気になったが、それを確認する前に食堂の方から声がした。
「ただいまー」
街からロズが帰ってきたようだ。神官長が頷いたので、ミシェルは彼を出迎えるために調理場を出た。
「おかえりなさい」
「ミシェル。あ、そういえば料理の練習をする日だったっけ……」
ちょっと嫌そうな顔をしたロズは、片手に包みを抱えている。注文していた服だろう。
今着ている仕事着だけで十分なのだが、それを言うとロズが怒るということを、ミシェルは既に学習していた。
「おひるは、もう神官長様が、つくっています」
「あ、ほんと? 良かったあ」
包みをテーブルに置いたロズは、長椅子の端に腰かける。相変わらず眠たげで、目が半分閉じかかっている。
「お茶、いれてきます」
「んー……」
街への移動は馬車だが、それでも外は寒かっただろう。ミシェルは出てきたばかりの調理場に戻るため、踵を返した。
背後でガタンと、重い音がする。
「……?」
振り向く。椅子が揺れている。ロズが、床に突っ伏している。
「……っ! ……ろず、」
咄嗟に声が出ない。飲み込んだ息が、喉に引っかかった。
「ロズ、ロズ!」
膝をつき、ロズの肩を揺さぶる。されるがままにゆさゆさと動く体は、精巧に作られた人形のよう。
どうしよう、どうしたのだろう。体調が悪そうには見えなかった。怪我をしている様子もなかった。いつも通りだったのに。
指先が冷えていくのが分かる。鼓動の音が嫌に耳の奥で響いた。
「ロズ……! おきて、」
ぴくりとも動かない。呻き声の一つもない。
「ミシェル! 何かありましたか!?」
調理場から、神官長が飛び出してくる。彼は倒れているロズを見て目を見開き、すぐに駆け寄って来た。
「神官長様! ロズが、どうして、ロズが」
「ミシェル、落ち着いて。大丈夫ですから」
神官長は倒れたロズの頭を触り、その顔を覗き込んで小さく息をついた。
「寝ているだけです。頭を打っていなければ、問題ありませんよ」
「ねて、いる……?」
ミシェルはぽかんと口を開けた。ゆるゆると、視線を落とす。
ロズは穏やかに、気持ちよさそうに、寝息を立てていた。
「時々あるのです。どうやらこの子は、人よりも睡眠が必要なようで。限界が来ると、所構わず寝てしまうんですよ」
よっ、という掛け声と共に、神官長はロズの体を抱え起こした。目覚める気配はまったくない。
「……ほんとうに、なんともない?」
「ええ。突然倒れたから、驚きましたね」
宥めるような神官長の声が、徐々に染み込んでくる。ミシェルはぺたりと、その場に座り込んだ。
ほっとした。何もなくて良かった。
落ち着いて見てみると、すこぶる安らかな寝顔だ。ともすれば、呑気に眠りこけているようにも思える。
ロズの目元にかかる髪を丁寧に払って、血色が悪くないことをもう一度確認していると。
「……ふふふ」
こらえきれない、という風に神官長が笑い声を上げた。
「神官長様……?」
「ミシェル、あなたにとっても、ロズが特別な存在になったんですね」
かけられた言葉は、上手く飲み込めないまま。二人がかりでロズを部屋まで運んだ後も、ずっとミシェルの胸にしがみついていた。




