最終的にこうなる
「………」
私は今とてつもなく困った状態に陥っていた。
それは眼の前にある黄色の着色が施されているダンボールのせいだった。いや、断じてダンボールに困らされているわけではない。ダンボールに困らされるとかどんな人間だよ。
原因はダンボールの中に入っているモノ、だ。モノっていうか生物で世に言うそれは猫。そう、そこらへんを歩いている普通の猫と比べて一サイズ小柄な子猫。その子猫がなんとも言えないようなつぶらな瞳で私を見上げてくるものだから私はその場から足を動かせないでいた。
こんな漫画みたいな展開あろうか、否、現実に起こっている。ここで雨でも降っていて濡れる猫を持ち上げ『お前、捨てられたの?』などと言いながら猫を持ち上げてれば最高。それが男なら尚最高。そんなことを考えて私はハッと乾いた笑いを起こした。普通ないでしょそんな展開。
一体ドコのダレが考えだしたんだか知らないけれど笑っちゃうね、ハハハ。可愛がるだけで結局は家に持って帰らないんでしょ?持って帰ったとしても世話はどうせ親にまかせるんでしょ?自分が見つけて自分の意思で持ってきたんなら食事もトイレも散歩も責任もって全部やればいいのに結局は親任せなんて我儘すぎるんじゃないの。
私はダンボールの中から見つめてくる猫からその入れ物に視線を変更した。『貰ってください』とか『拾ってください』などとは一切書かれていない。
黄色いダンボールに赤い文字で『みかん』とプリントされているだけだった。あれそういえばこのダンボール最近近所のスーパーで売ってたみかんSサイズ5kg二千円だったやつだ。どうりで見覚えがあると…。てことはこの猫を置いてったのは案外近くの人だったりして…?
子猫の入ったダンボールの前でしゃがんで顎に手を当て考えている私は他人からみたらそれはさぞかし変な人だっただろう。私がそんな人見たら絶対変な人だと思うし。
「何やってんだお前は……」
「わ、陽太」
急に後ろからよく聞き覚えのある声が聞こえて私は即座に後ろを振り返った。スクール鞄と部活用のエナメルバッグを肩に担いだ我が弟が真後ろに立っていた。そして私は唐突な弟の登場に眼をぱちくりさせた。
「えーっと…おかえり」
「いやまだ家じゃないし」
「あ、そうか。私もいま帰宅途中だった」
前に向きなおった私に、そこに何かあるのだろうと元から予想していたらしい陽太は何見てるの、と気になったのか私の隣りに立った。ダンボールの中を覗き込む。
「あ、猫」
私に言ったわけではなく単に口からこぼれただけの単語に同意を込めて頷いた。再確認。猫である。
陽太はすっと手を伸ばして猫の頭に触れた。猫の頭がちょっと後ろに引く。いきなり伸びてきた腕に驚いたんだろう、動物ならばあっておかしくない反応だ。陽太はそれを特に気にするわけでもなく手のひらでその小さな頭を包んで撫でる。
私はそんな弟の姿を視界に留めてこいつ馬鹿だと思った。触ったら愛着心が湧く。離れがたくなる。私は特に捨てられた動物に対して人一倍同情してしまうタイプだから触ったらそれで終わりな気がした。
過去にもそんなことがあって猫を拾ってきたけれど結局は親に怒られて、泣く泣く元の場所に戻しにいったのを鮮明に覚えている。『自分のこともまともに出来ない奴が動物なんて飼えるか』と父親に言われたことがとくに衝撃的だった。結局その後泣きっぱなしだった自分に父が強く言いすぎたと謝りにきたのも覚えている。
それでも今考えると身勝手だったのは自分の方だと反省していた。年齢が年齢だったから捨てられた猫を連れてきても世話をするのは最終的に親になってしまい、家事や仕事で大変なものを余計に忙しくさせてしまうだけだとその時の私は思いもしなかった。迷惑をかけたのは明らかに私だ。
私は最初は頭を触っていただけなのにいつのまにか猫を持ち上げて抱き寄せている陽太にため息をついて「帰ろう」と促した。
「もうちょっと」
「日が暮れるよ」
「大丈夫だってー」
「駄目」
どうせ家に持って帰れないんだから無駄なだけなのに何でそこまで構うかな、私はいつまでたっても子猫とじゃれて動く気配のない弟の頭をべしりと叩く。
「いたっ」
「帰ろうって言ってるでしょ?!」
「叩くことねーだろ、先帰ってれば?」
「いやだ」
「何で?!」
「何となく」
何それ理不尽!横で抗議する弟にどこ吹く風で私は空を見上げた。もともと辺りはうす暗かったけれどさらに暗くなってちょっと不気味だ。本当に早く帰りたくなってきたぞ。
「ねぇ、結局は此処に置いていくんでしょ?家じゃ飼えないよ。わかってるよね」
「姉ちゃん、母さんみたいなこと言うなー…わかってるけどさ」
「わかってるんだったら早く置いて帰ろう」
「駄目かなーやっぱ駄目かなー」
「あのねぇ……」
いい加減諦めればいいのにしつこくその場に残ろうとする陽太に呆れた。私の弟も私と同じぐらい同情してしまうタイプらしい。まぁそりゃ姉弟だから性格も似たりよったりなのかもしれないけれど、昔の自分を見ているようで何だか無償に嫌気がさす。
「家、今ペット飼ってないじゃん。何で飼わないのかなぁ。別に飼ったっていいじゃんか」
「私に言わないでよ」
「姉ちゃん、一応頼むだけ頼んでみようよ。俺この猫飼いたい」
「えー……」
「頼むよー一緒に母さんと父さん説得してよ」
「えー……」
ちらと視線を弟の手の中にある子猫に向けるとちょうど目があって今の弟の瞳と同じぐらい期待と切望が籠もっているように見えた。まるで『お願いだから飼って!』とでも訴えるかのように。私は思わずうっと言葉を詰まらせてしまった。こら馬鹿!そんな目で私を見るんじゃない!!そんな目したって飼えないものは飼えないんだから!!そんな目したって…!!
「姉ちゃんお願い!」
「……………あーもう!わかったってば!」
私には忍耐力がないんだろうか。ひどく自己嫌悪したくなるほどのこの精神のもろさ!ああもう!こうなったら死に物狂いで親を説得してやろうじゃないの。猫一匹増えたぐらいで家計が苦しくなるわけでもあるまいし!
やった!と喜ぶ陽太に、たまには姉らしいこともしてやらないと。あ、でも後で何か奢らせよう、そんなことを考えた。そして私は後々起こるであろう親との激しい喧嘩を想像して思わず目を細めるのだった。
まぁ結局は、私も馬鹿なのだ。