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女騎士とクロ

 ふと気が付いたときには、当たり前のように荷馬車の奥に毛玉姿を詰め込まれ、オリを生きた毛皮代わりにして座るモモエの姿もあった。


 それは、腹の子を冷やさぬよう気遣う母親の愛情を感じさせたが、エルフがそんな人並みの感情を持ち合わせているはずがない。


 もう桜も散り尽くした春の本番とはいえ、馬車の覆いを貫いて吹きつける風は冬のそれと変わらないし、おそらくは、単に自分が寒かったもんでオリのモフモフで暖を取っているのだろう。


 そして、この馬車の向かう先は西のデンバーである。


 いろいろと面倒を言いつけたら、さっさと消えてしまうのがモモエなのだが。今回は、一緒に付き添うつもりらしい。どういう風の吹き回しかは知らないけれど、決して良いこととは言えなかった。


「そのまま死んでれば楽だったのに」


「どうせ、死んでも追いかけてくるんでしょ」


 そりゃあ、オリだって言わない方が痛い目に遭わなくて済むのは承知しているけれど、これはもう条件反射といっても過言ではない。オリたちはそういう夫婦なのだ。


 オリは言ってしまった後で、はっとして自分の鼻づらを両手の肉球で守ったが、モモエはお構いなしにオリの脇腹の毛をむしり取って悲鳴を上げさせた。


「さっきも言ったけど、あんたが死んだらあたしも死ぬ。そういうものなの」


「ふうん」


 オリは毛が抜けてハゲた痛々しい脇腹を肉球でさすりながら、モモエと腹の子供の座り心地を損なわせないよう細心の注意を払って毛玉姿を丸めた。


「ま、あんな半獣の娼婦を信じる方もアレだけど、毒じゃないってのは本当でしょうね。子供が死んだら意味ないもの。エルフの子供なら、そのままでも高値がつくし、魔法石に加工すれば言い値でも引く手数多の大儲け。人間の商売人が考えそうなことよ」


「そりゃあ、オリだって知ってるけどさ。他人の子供を攫って実験台にしたり、生きたまま試験管に詰め込んで固形魔力に作り変えるなんてのは、それこそエルフの十八番でしょ。ガルーダは自分の子供たちと娼館をやってるぐらい子煩悩なんだから、あれは、お前が嫌いなだけなんだと思うけどね」


「フン。どっちみち、エルフの夫に手を出した女は生かしておけない。それはエルフの法にもちゃんとある。あんたが誰と寝ようが勝手だけど、あたしは妻として泥棒女はひとり残らず殺す義務を果たすだけよ。たとえ、それが自分の母親だろうとね」


 モモエはオリという毛深い置物にもたれて、きっぱりと言い放った。


 さすがは本物の人殺し。そこらの不良娘のそれとは言葉の重みが違うのだ。最後の含むような言い方が少し気になったけれど、オリが師匠と特訓という名目で交尾にふけ、師弟の関係を超えて愛し合っていたのは周知のことである。


 いまさら、釘を刺されても師匠はお隠れになってしまってどうしようもないし、オリは師匠が遺した不愛想な愛娘の夫という損な役を引き受けて、よしよしと銀色の頭を肉球で撫でつけて慰めてやらなければならないのだ。


「あ。そういえば、この馬車ってエルフが用意してくれたの?」


「そんなわけないでしょ。全部、あの女よ。あんたを担いで運んだのもね」


「ふうん。じゃあ、今度は馬車ごと爆発したりするんだろうね」


 そういうオリの鼻づらは笑っていたが、内心、ものすごく真剣に言っている。


 この残酷な世界で信用できる数少ないガルーダに変な薬を盛られ、さらには、薬指を交換した妻であるモモエの欲望のために丸腰で異国に連れていかれる最中なのだ。


 やはり、子宮持ちの女なんてオリを魔力の出る毛玉としか思っていない。そんな当たり前の現実に絶望して鼻づらを抱え込み、柄にもなく涙を流したって罰は当たらないだろう。


 だが、オリはとことん不幸と女の尻の下に生まれた毛玉なのだ。男として生まれたというだけで不自由を強いられることに、心の中で抗うことすら大罪と言わんばかりのダメ押しが無数の矢となってオリの鼻づらの上に降り注いだのである。


「ふぎゅう・・・」


 馬車に張られた布の覆いを突き破って飛んできたのは、紛れもない鉄の矢が三本。まるで図ったようにオリたちを避けて箱詰めの荷物に突き刺さって終わったが、どんなに手練れの名手であろうと、布一枚で遮られて見えない中の人を考慮して射るなんてことは不可能だ。


 ただ、この馬車を用意した誰かさんが内通して中の様子を伝えたというなら、少し話は変わってくるような気もする。


 それでも、ほとんどまぐれに近い確率だし、大自然の法則すら自らの魔力によって捻じ曲げる魔法使いは偶然を嫌う。


 オリも師匠から知識を継いだ魔法使いとして同様であり、この出来事にオリの意志が関わっていない以上、これはモモエの魔法による必然の回避であった。


「人間の国は物騒そのものね。戦もあちこちで起きてるけど、ただの道でも矢が飛んでくるなんて秩序も規律もあったもんじゃない。これだから劣等種族は嫌なのよ」


 そう言ってモモエは、青白い光を放つ小振りの杖を持った手を引っ込ませ、さっと懐にしまって隠した。


 オリの思った通り、モモエが魔法で干渉したのだ。飛んでくるものを意図的に逸らす魔法それ自体は大したものではないし、いくらエルフが世界最強とはいえ、うっかりでも凶器を喰らえば、その貧弱で痩せた身体が死に至るのは他の種族と何も変わらない。


 癪に障るエルフ娘だけれど、モモエが相当に優秀な魔法の使い手なのは誰もが認めるところであり、その気になれば、自分に向かってくる矢を放った本人の顔面に目がけて送り返す上級魔法を行使することも可能であろう。


 そうしないのは、モモエが魔法を使うと魔力を共有している腹の子供に響くし、この馬車を操っている何者かが矢の数本ごときに一切動じず、二頭の馬をよく抑えて走らせ続けてくれたのが幸いした。


 こういうときは、ちゃんと一言ぐらい礼をするのが筋だけれど、エルフのモモエが異種族どころか、相手が同じエルフであっても頭を下げる未来など想像できない。


 だから、オリが代わりに鼻づらを下げることになるのだ。


「あのう・・・」


 モモエも礼儀のレの字ぐらいは理解しているのか、オリが馬車の前の方に移動して下手に挨拶することについては何も言わなかった。


 一応は、修羅場を共に潜った仲ということで菓子折りのひとつでも持って上がるべきなのだろうが、いまは持ち合わせがない。


 ついでに言うと、きのうの宿代とオレンジジュース、きょうも甘い誘惑に負けてオレンジジュースをがふがふと飲んでしまい、がまぐちなんか持っていても仕方がないぐらいにお金もないのだ。


 そういうわけで、オリにできるのは両手の肉球をすりすりとこすり合わせながら、おあいそを言ったり、獣人の種族柄の股ぐらの巨大な性剣で交尾するぐらいである。


 矢が飛んでこなくなって馬車の進みも穏やかになり、場が和みはじめたのも見計らって行ってみれば、御者台に腰を下ろしていたのは甲冑に身を包んだ騎士であった。


「あー、こりゃ通りで」


 オリが横まで行って声をかけると、馬の手綱を握る騎士はオリの鼻づらをちらっと横目で確認してから、すぐに前の方へ向き直った。


「賊はもう追ってきません。馬車も爆発しませんのでご心配なく」


「はて。爆発?」


 兜越しから聞こえる声は同年代の女だった。


 その女騎士が唐突に冗談を言い放ったようで呆気に取られたが、よく思い出してみれば、それはオリが先のモモエとの会話の中で言ったセリフである。


 彼女はそれを覚えていて皮肉交じりに返してきたのだ。


「いやはや。あれこそは言葉のあやってもんです」


 慌ててオリが言い訳をすると、女騎士は見透かしたように鼻で笑っていたが、どこかのエルフ娘みたいに拳で突き上げてくるようなことはない。


 むしろ、ばつの悪そうな感じで深く息をしてから、女騎士の方が謝ってきた。


「ま、あなた方の言うことにも一理あります。お恥ずかしいかぎりですが、あなた方、魔法使いのような派手なことはしませんけど、あの人はたくさん人を殺してきたんです。もし、魔法の心得があったら、爆発ぐらいやりかねないでしょう」


「へえ。ガルーダの知り合いとか?」


 オリがそう聞くと、しばらく嫌な沈黙が続いて毛皮の下に汗をかきそうになったが、なんとか言葉をひねり出した女騎士の答えを聞いたら、それも納得であった。


「あれは、わたしの母親です。あなた方がデンバーへ行くにあたって案内するよう言われています。申し遅れましたが、わたしはデンバー騎士のひとり、シャルンです」


 つまり、そういうことだった。

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