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深く眠るクロ

 モモエが手渡した御触書の中身を要約すると、ここから西の国境を越えた先にあるデンバー王国の王女が大病を患い、その治療を成し遂げられる者を国や種族を問わず、薬師だろうが魔法使いだろうが誰彼構わず集めているという。


 もし、王女を完治させられれば、恩賞は思いのまま。なんとも気前の良いことだけれど、こういう美味い話には必ず裏があるものだ。


 デンバーといえば、オリでも知っている西の大国。古代エルフ帝国の崩壊後、最も肥沃な土地を手に入れた人間たちが建設した五十ある国のうち、広大な領土に眠る金銀の採掘と、東と西を結ぶ交通路に恵まれて発展を遂げた。


 さらには領土内で天然魔力の源泉も見つかり、ここ最近の魔法学の確実な進歩、戦争による特需も相まって魔力の価格が天井知らずに高騰している。


 デンバーのような魔力を産出する国の景気は、狂気ともいえる勢いで盛り上がっているわけだが。それだけ潤っている大きな国が王女の鼻風邪ひとつ治せないというのは、どうも怪しい。


 まあ、それもこれも全てはオリと師匠のおかげだということを知るのは、それこそ大陸の裏表を知り尽くしているエルフ族だけだ。


 ほんの少し前まで魔力といえば、男の玉袋から得られるコップ一杯にも満たない量を女たちが死に物狂いで奪い合っていたわけだけれど、師匠がオリを筆頭とする弟子たちと天然魔力の精製法を発明し、女が男を縛りつけて凌辱して搾っていた時代とは、比べ物にならない莫大な魔力を得ることができるようになった。


 地の底から湧き上がる青い液状の天然魔力は猛毒であり、触れるだけで男の玉袋が耐え切れずに破裂し、女は子宮が侵されて異形の魔物となって踊り狂う。


 それは、勇者に倒された魔王の怨念とも悪魔の水とも昔から呼ばれていたが、魔力は魔力である。わずか一滴で致死量の何億万倍もある天然魔力を最新の魔法学によって手懐け、お金や力として変態させ得たのは、他でもない師匠の功績なのだ。


 そういうわけで、王女の生命に値するゴールドがデンバー王城の地下金庫で山積みになっているのは間違いないだろうが、それを気前良く払ってくれる保証はない。オリの全身に生える漆黒の毛の一本一本が逆立って危険を知らせ、どう考えても、まともな話じゃないというのは魔法使いを数年やってきた直感からも理解できていた。


 だいいち、これを持ってきたのがモモエ、オリの妻にして殺し屋のエルフ娘だということを忘れてはならない。


 原則としてエルフ族は異種族には排他的に振る舞う。そこらの鼻たらしの子供みたいに、お姫様がかわいそうだから助けるなどと青臭いことは言わない。むしろ、異種族を陥れるために全力で取り組み、その死と破滅を待ち望んでいる。


 エルフ族全体としても、異種族の人間を支援することは紛れもない大罪だ。百人を殺しても平然と自分を正当化してみせるモモエ自身、王女の生命など眼中にないだろうし、その狙いは報酬の部分にあるのだろう。


 エルフの夫といえば、絶世の美女と夫婦になれて羨ましい無知な人々からもてはやされることもあるが、実態としては奴隷のようなものだ。魔王が本能に従って世界秩序と大陸の男女比を破壊するよりも前、まだ魔法がエルフ族だけのものであった数千年前には、そういう夢のような時代もあったのかもしれない。


 だが、いまを生きるオリは見えない首輪に繋がれ、エルフ族の手先となって雑用をこなす末端の末端の異種族の毛玉に過ぎないのだ。モモエは身重だし、その玉体を運ぶことは物理的にも難しいところ。


 しかし、お金は欲しいというのは全種族の共通であり、それはモモエも例外ではない。エルフが人間を助けるのはご法度だけれど、獣人のオリが人間を助けるのは、この乱世において政治的なゴタゴタはともかく許されないことではない、と考えるのがエルフ族である。


 そうして面倒なことは、オリに何もかも押しつけてモモエが美味しいところだけを持ち去るという形であれば、エルフとしての矜持も保たれるというわけだった。


「結局、お金の話だったんだ」


 オリはそう言ってから本能的に身構えてしまったけれど、モモエは顔と同じぐらい美人のそれな切れ長の目でじろっと睨みつけてきたが、それだけで済んだ。


 というのも、ここは魔族の尻に鼻づらを突っ込んだような酒池肉林の世界。つまりは、薄汚い歓楽街の奥底にある娼館の中にある酒場であり、媚薬漬けの香水と魔力の甘いニオイが混在するオトナの社交場である。


 この悪意ある空気を吸っているだけで息もできないし、きょうも店の許容量を超えて繁盛しているから、鼻づらのすぐ横に誰かの尻胸が置いてあってモモエが小さな拳を振り上げる隙間もない。


 こういう場所だから、部屋の中だろうが外だろうが関係ない。いま、ここでオリとモモエが夫婦の営みをおっぱじめようと、普段の不仲を爆発させて殺し合ったところで誰が気にするというのだ。


 もうひとつ言うと、これだけ大きな娼館を一族で切り盛りしている支配人の人間娘ガルーダとは、いろいろと縁がある。


 オリもこの店が好きだし、ここらへんに来たときはポールダンスが一望できる酒場でオレンジジュースを飲んだり、部屋を宿代わりにしたり、あるいは単純にガルーダと交尾をしたりしていた。


 きのうの晩もガルーダのおかげで部屋を借りれたわけだし、さもなければ、気まぐれなモモエに付き合って路地裏のゴミ捨て場とか、下水道の入り口で残飯や死体を漁るネズミ面のゴブリンを野次馬にして交尾するしかなかったのだ。


 エルフも人間も同じぐらい肉欲には熱心でいるけれど、いつも気が利いて素直に優しく声をかけてくれるのは、この娼館の支配人であるガルーダが断然であった。


「デンバーに行くのかい。なら、ちょうどウチの娘がデンバーで仕官して騎士になったらしいから、いろいろ頼むといいさ。俺からも言っておくよ」


「全くありがたい」


 オリはきちんと礼をしてから空のグラスを渡し、オレンジジュースのお代わりを頼む。


 そのときに、ちらっと見えた横のモモエがものすごく不機嫌な顔をしていたから、不本意ながらも二人分と修正して注文しておいた。


 それを見たガルーダはカウンターの向こう側で笑っていたが、正直、笑い事ではない。モモエは甘やかされた自分本位の生き物だから、オトナの女であるガルーダに対する嫉妬を隠そうともしないし、オリが彼女と肉体関係を持っていることを不満に感じている。


 とはいえ、オリのような綺麗な毛並みのオスを巡って争うのが女というもの。いまに始まったことじゃない。それが女の摂理なわけで放っておけばいいのだ。


「はいよ」


 そうして新しいオレンジジュースが届けられたのは、すぐのことだった。


 さすがのガルーダもエルフを相手に油断できないのだろう。すでに、カウンターには娘か親戚か正装をした人間娘が何人かいるし、ガルーダが経営の合間を縫って客に酒を注ぐのも現役時代のクセだろうけれど、明らかにモモエのことが気になっているらしい。


 エルフは尊大で我慢ができないタチの悪い客そのもの。他の客を飛ばしてオリたちの注文を優先させたのは、些細なことでモモエに怒れる理由を与えないようにしているのだ。


 由緒ある伝統的な娼婦の血筋であるガルーダは、彼女の母親やそのまた母親がそうしてきたように、他の女と髪の引っ張り合いならぬ、王宮も顔負けの血で血を洗う凄惨な女の世界の中で育ったと聞いている。


 ガルーダはイヌの血が入っていて身体もオリと同じぐらい大きいが、母親から離れ、自分ひとりで立派な娼館を作り上げた才覚もまた本物である。


 そのガルーダに武者震いをさせるモモエとは、実はすごいのだろうか。


 どうでもいい。いまのオリはオレンジジュースが飲みたいだけだった。


「むう・・・」


 そうしてグラスを持つオリの毛深い手をモモエが掴み、何も言わずに、すーっと動かして自分のグラスと交換させる。それがどういうことかは、ガルーダが説明してくれた。


「安心しなよ。毒なんか入っちゃいないさ」


「そうそう。ここのオレンジジュースは本物。混ぜてないんだよ」


 そう言ってオリは、本来、モモエが飲むはずだった分を景気良く飲み干した。なんてことはない。魔力たっぷり果汁も百パーセント、いつもの甘酸っぱい味、滑らかな舌触りのジュースが鼻づらの中いっぱいに広がっていくはずだったのだが。


 まるで背骨をひょいと抜き取られたように鼻づらがガクンとなって、急に眠くなってしまったのだから驚きだった。


「ああ・・・たしかに毒は入ってないけど、ちっと薬は入れちまったよ。悪いねえ」


「フン。半獣の考えることなんて考えなくても分かるわ。この男が悪いのよ」


「そうかい。あんたとは気が合いそうだ」


 よく分からないけれど、死なないのならそれでいい。きのうはモモエのせいで全く眠れなかったし、たまには、みんなが起きるときに寝るというのも悪くなさそうだった。

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