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種親クロ

 しかし、エルフだろうが人殺しだろうが、モモエはオリより一回りも年下の小娘である。小難しい話はさておき、とりあえず、オリの手の肉球を取って寝床に入って交尾をするのが女の母性であり、歳相応の若気というものだった。


 それに、この忌々しいエルフ娘とオリは法律上、夫婦ということになっている。病的な処女信仰で知られるエルフの厳格な法律によって選別され、そして認められた本物の間柄だ。


 その証拠に、オリの左の薬指は綺麗に切り取られ、代わりにモモエの指がくっついている。それが生えていたモモエの薬指のところには、逆に、オリの指がついているというわけだった。


 エルフはエルフでも、褐色の黒い肌をしたダークエルフの指である。婚姻の儀式だの何だのといえば聞こえは良いけれど、切断した指を魔法で繋いで指輪代わりにするなんて獣人のヤクザでもやらない。


 あの日、このモモエに殺された百人のうち、男はオリだけだった。それでも割と快適に過ごせていたのは、すぐにオリがモモエの相手として宛がわれ、エルフの夫となった男を誘惑なんぞしようものなら、どういうことになるか。この世に生まれた者なら、誰でも親や人伝に聞いて承知していることだろう。


 師匠も自分が腹を痛めて産んだ娘に殺されるとも知らず、可愛い子供にふさわしい伴侶を見繕って親心を満たしたかったのかもしれないが、オリには魔力も甲斐性もなければ、当のモモエも決して親思いの純情なエルフ娘などではなかった。


 全くもって師匠も幸が薄い。


 おまけに、窓際から差し込む朝日に照らされて褐色肌が色白に光るモモエの肢体は、飢饉に見舞われた村の孤児のごとく腹回りがぷっくりと肥大し、はちきれんばかりに孕み抱えている有様だ。


 肉欲に敗れ、だらしない身体を晒すそれはエルフの長い耳と銀色の髪、まるで人形染みて整いすぎた美貌でも隠しきれない。


 誰の魔力もとい子種でそうなったのかは不明だけれど、親を裏切り、肉欲にまみれて望まれない子供まで身籠ったモモエの堕落を夫として末恐ろしく感じるオリであった。


「あんたの子よ」


 あえて口には出さないでおいたのに、肉欲と同じぐらい気が強いモモエはせっかちすぎて黙っていられないようだった。


 エルフらしくもない。ダークエルフも一応はエルフなのだから、いつでも冷静に沈着に氷のような魂をした人殺しでいてほしいものだ。


 ダークエルフは、罪を犯したエルフが呪いを与えられて肌が黒くされた血筋をそう呼ぶらしいが、モモエの一族は短気で淑女らしからぬ暴力的傾向が原因であろう。


 そんな粗暴な一族にあっても、師匠は温厚で理知的であり、種族の分け隔てなく知識を共有して世界を高める理想を実現しようとした。


 師匠がお隠れになった後で改めて思い知らされているけれど、あの方は本当に優しい人だったのだ。


「それ、本当に中に入ってんの? 魔法で膨らませてたりして」


「そんな魔法があるなら、ぜひ知りたいわね」


 一応、冗談のつもりだったのだが。これだからエルフは無粋で嫌いなのだ。


 というか、そんなになるまで妊娠を隠していたモモエも悪い。男のオリから見ても、モモエの腹は順調に育ちすぎて臨月とでも言うべき状態。いつ腹を喰い破って中の生き物が飛び出してきてもおかしくないだろう。


 いつもなら、押しかけ女房よろしくオリの生命を奪うという口実で付きまとい、あれやこれやと口うるさく干渉してくるはずなのに。この半年ほど、ぱったりと姿を見せなくなって死んでくれたかと思ったら、こういうことになっていた。


 オリたちの間には、愛情などという妄想染みた感情は存在せず、夫婦として子供を望んだことは一度もない。オリ自身、子供という概念そのものを嫌っているし、もし知れれば、オリが然るべき処置を取ることをモモエも承知していたと見える。


 ここまで大きくなってしまったら、薬や魔法、子宮に手を突っ込んで引っ張り出すこともできない。強行すれば、母体に深刻な影響を及ぼす可能性がある以上、モモエも自分を守るために本気で抵抗するはずだ。


 もう産むしかない。


 そう自分に言い聞かせるのも大事なんだろうけれど、オリに諦めさせて何かしら要求に従わせるのがモモエの魂胆なのは言うまでもない。


 世俗の女にとって子供は可愛いものかもしれないが、魔法の世界では事情が異なる。子供は子宮に宿り、魔力もまた子宮に溜まるのだ。母親が苦労して搾り集めた魔力は、無慈悲にも一滴残らず子供に奪われることは魔法学的にも証明されており、すなわち、出産は完全なる魔力の喪失を意味していた。


 皮肉だけれど、女が男の玉袋から魔力を搾り上げる最も効率の良い手段は交尾であり、それは子供を作るための生殖行動に他ならない。


 魔力を得るために、懐妊して魔力を失う危険を冒して交尾をする。古来より、魔女たちは矛盾した理に悩み、挑み、その神秘なる悪戯を乗り越えて歴史に悪名を残してきたのだ。


 そういうわけで、本来、魔法使いの女が死より嫌うのが懐妊出産なのだが。それを心のどこかで喜んでいるモモエがオリには分からないのである。


 そんなモモエの柄にもない母性と朝の日差しを暑苦しく感じ、オリはベッドから離れ、毛玉姿をぶるぶるっとして新鮮な空気を挟み込んでから、ビン詰めのオレンジジュースを鼻づらの先から一口飲んで落ち着いた。


「分かったよ。いくら欲しいの?」


 てっきり、種親に代わって養育費を払えと言いにきたのかと思ったけれど、オリが床に脱ぎっぱなしの上着からがまぐちを出してみせると、モモエは知らない言葉でも聞かされたような顔をして細い首を傾げていた。


「なにしてんの?」


「いや、なにって言われても。要するに、金よこせってことでしょ」


「は。それじゃあ、まるであたしが毛玉のあんたに無心してるみたいじゃない」


 事実、それ以外には考えられないことだった。


 予期せぬ妊娠という得物を手にした女がわざとらしくボテ腹を見せつけながら、種親あるいは種親に仕立て上げられた男に対して要求するものがあるとすれば、お金か魔力か生命そのものである。


 傲慢なエルフ娘なら、考えられる全てを奪い尽くしても何か突きつけてくるだろうが、モモエはそれ以上に貪欲だから分かりやすい。死ぬはずの運命を生き延びてから、すでに生命は奪われることになっているし、何かにつけて会うたびに交尾をして子種と一緒に魔力も献上している。


 後に残るのは、単純にお金というわけだった。


「あたしは、この大陸で最も聡明で美しい支配種族にして統治者たるエルフ族。その夫であるあんたが妻のあたしに全てを捧げるのは当然でしょ」


「エルフじゃなくてダークエルフだろ」


 オリがそう訂正すると、モモエはベッドの上に座ったまま、か細い脚でオリの膝を思いきり蹴飛ばした。


 エルフと獣人では、目に見える体格差が縦にも横にもあるけれど、足の裏の骨が当たる部分で膝を突かれたらオリだって痛い。


 いまは、お互いに裸んぼの素足だから笑って済ませることもできるが、モモエのお気に入りのロングブーツはかかとが厚いヒールになっているから、加減を知らないエルフ娘がやれば獣人の半月板だって簡単に砕きかねないのだ。


 しかし、だからといって、モモエの言うことを何でも認めていたらきりがない。師匠は百人の弟子たちを自分の子供のように可愛がり、とりわけ、オリを一匹のオスとして惜しみない寵愛を寝床でも注いでくれたが、このモモエは正真正銘の実娘。その愛情は親子故の絶対的なものであり、オリという伴侶をリボンで包んで用意したほどである。


 そうして尋常ではない甘やかされ方をして育ったのがモモエなのだ。そこらの見知らぬ他人はもちろん、夫のオリが何を言っても聞くとは思えないし、結局はモモエ以外の誰かが妥協させられることになるのだった。


「とにかく、あんたを生かすも殺すも、毛皮を剥いで丸焼きにすんのも、あたしの指ひとつで決まるってわけ。里の連中からは、さっさと殺せってうるさく言われてるけど、夫のあんたを殺したらあたしも死ななくちゃいけないし。そういうもんなのよ」


「ふうん。自分の母親を殺したのもそういう理由?」


「さあ、どうかしら」


 そう言ってモモエは華奢な身体の大きな腹を両手で抱え、心底、重そうに立ち上がって何かを探しはじめた。


「ん。よいしょ」


 床に散乱する自分たちの服や下着をかぶって埋もれていたのは、モモエが母親である師匠から贈られた職人仕立ての小振りな革のバッグ。それを引っ張り上げて中から折り畳まれた紙きれを取り出し、オリの鼻づらに向かって乱暴に投げつけた。


 オリは故郷の雑多な同胞と違い、野性的な本能はかぎりなく薄い方だけれど、目の前に飛んできたものを思わず鼻づらでくわえて受け止める。


 自分のヨダレでべとついた紙きれを手のツメで広げて見てみれば、それは、なんと近所の王国の印が押された御触れであった。

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