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生贄クロ

 この数年、オリは全く畑違いの身の上から魔法使いとなり、いろいろと魔法だけでなく世の中の隅々まで見てきたが、斬られた腕を治すというのは物理的に不可能である。


 どんな薬師や医者、エルフの中では天才に属する熟練の魔法使いであっても、そんなことを成し遂げた前例もなければ、そのための魔法も存在しない。


 戦乱は常に続いている。戦で腕や足を失くした者が義手を着けて復帰するのも珍しいことではないが、シャルンはもちろん、こうやって運命を捻じ曲げてまで巡り合わせた母親の誰かさんが求めているのは、そういう程度のことではないだろう。


 まあ、オリには関係ない。さっきも言ったように、オリにとっては死んだ人間を叩き起こすのだって大した手間ではないのだ。


 その証拠に、人体に影響を及ぼす魔法を使うにあたって眠らせたシャルンは、すうすうと気持ちの良い寝込み姿で台の上に横たわっている。


 その右腕は、かつて存在していたのと同じように生えているし、作り物でも別人のものでもない生身の腕が再生されたもの。師匠に教わった弟子の数少ない生き残り以外には、決してマネできない魔法であった。


 これを無知な人々はエルフの知識と思い込んでいるが、世間一般的に奇跡と呼ばれかねないオリの魔法は、それらを土台として師匠が編み出した完全な別の魔法である。


 これほどの結果をもたらす知識はエルフにもない。


 オリとしては、シャルンの腕を元に戻すより、普通の魔法でいったん眠らせることの方がはるかに手間で繊細なのだった。


「ご無沙汰でしょ。よく出来ましたねえ」


「腕を元に戻すくらい、お前にもできるだろ。睡眠魔法の方がずっと難しいよ。ちょっとでも間違えたら、そのまま帰ってこなくなるんだから」


 オリは真面目に言ったつもりだけれど、何がそんなに面白いのか、リリスはくすくすと色白い手を口に当てて笑っている。


 しかし、このリリスはリリスでどうして裸のままなのだろう。


 変態が解けて間もないのも事実としてあるが、あばらの浮き出たエルフの身体が保護欲を駆り立てるとすれば、まんまんとして肉を肥やした魔族の豊満な身体は、単純にオスの肉欲を剥き出しにさせるのだ。


 特に、修道服を着ていても目立つ胸からぶら下げた巨大な乳は、ただ大きいだけの獣人娘のそれよりも鋭利で殺人的。正確に言えば、腰回りは華奢な人間と変わらず、上半身に栄養が偏ったような露骨な比をしているのであった。


 そこらの雑多な男なら一目見ただけで正気を失い、散々に玉袋を搾り尽くされた挙句に淫紋を刻まれて肉奴隷と化し、このオリでさえも直視すれば平気では済まない。


 そういうわけで、目の前にはシャルンが眠りこけているわけだし、オリはリリスの肉々しい裸体を視界に捕らえないように目を肉球で覆って話を続けた。


「なるほどね。それでお前なりに邪魔してるってわけ」


「よいではないですか。わたくしたちは夫婦なんですから。あなた様の股ぐらに刻まれた淫紋がエルフの指、人間の指輪代わりですよ」


「そうそう。あの王様につけたやつより何百倍も強力な淫紋だよ。まともなオスなら、一瞬でたがが外れて肉欲に脳ミソを乗っ取られちゃうぐらいに」


 そう言ってオリは、産毛に隠れた下腹部にある淫紋の重みを感じていた。


 魔族に結婚という概念があるのかは不明だけれど、リリスはオリと夫婦になるにあたって最大級の淫紋を贈りつけて契りとした。


 それを受け入れてしまったオリも悪いが、こればっかりはオリの力をもってしても解呪することはできない。


 そもそも、こんな究極魔法と同義の呪いを扱えるのは、リリスが何代目かの魔王となるほどの比例なき魔族であり、オリと同じ師匠の弟子としてエルフの知識を受け継いだうちのひとりだからだ。


 これもオリが魔法使いだから制御できているものの、こんなものは死の宣告と同義の危険極まりない呪いである。


 オリを好きなときに好きなように殺せる権利を持つのは、いま、ここにいないモモエだけではないということだった。


「悪いけど、いまは夫婦の営みをする気分じゃないんだ。貧相なエルフと違って、お前みたいな立派な魔族に搾られたら、丸一日は魂が抜けちゃうからね」


「まあまあ。よっぽど、あのエルフが下手でお困りなのでしょうねえ」


「いやはや」


 オリは鼻づらを掻いてとぼけたが、そういう問題ではない。夫婦としての愛情の表し方に関してエルフほど不器用な種族は滅多にいないけれど、魅力的で寛容ながら、不老不死を種族柄とする魔族は生命の重みというものをまるで理解していないのだ。


 つまりは、リリスがオリにとんでもない呪いをかけて悪びれることがないように、なんだかんだと痛めつけても生命までは取らないエルフのどちらがマシなのか。


 尊厳も生命も弄ばれる男にとっては、優しく殺されるのか、厳しく生かされるのか、どうやっても地獄でしかない二択を迫られるのであった。


「それより王様を襲ってシャルンの腕を斬ったのって、お前?」


「いえいえ」


 この世に恐れるものがない魔族でありながら、リリスは少し真剣な顔で悩み、しばらく間を置いてからそう答えた。


「言いましたでしょ。オトナの事情です」


「オリだって一応はオトナだよ」


 なんだか興味が出てきたのもあるし、過去には魔王も名乗ったリリスが言いたがらないものとは、そう多くはない。それが魔法学に関係している以上、オリも純粋な知的好奇心から黙っていられなかった。


「魔王軍か」


 さすがのリリスもはっとして目を見開いたが、すぐにいつものニヤニヤとしてつかみどころのない口裂け顔に戻り、相手が他でもないオリであることを確認して安心していた。


「魔族は常に玉袋を探し求めていますから、生まれたての雑多な魔族が何か企んでいるのでしょう。ちなみに、わたくしは何もしていませんよ。ご参考までに」


「信じるよ。魔族は死なないから、ウソもつかないしね」


「ええ」


 リリスはオリには笑顔で返したが、そこで眠るシャルンのことは、その他大勢のひとつとして冷たく見下している。それから、また満面の笑みを取り戻してオリに聞いてきた。


「まさか、きのうまで知らなかった相手のために、魔族と戦おうなんて青臭いことを考えていなければいいのですが」


「そういうのは勇者の仕事だよ。もし、勇者がいなくてもエルフが勝手にやるでしょ。これでガルーダに義理は果たしたし、あとは王様の呪いを解いて褒美をもらって、騎士に捕まらないうちに帰るだけさ」


「そうですね。褒美さえもらってしまえば、あとでまた魔族が王を襲ったとしても、それはわたくしたちのせいではありませんから」


 そういうことだ。魔王の復活を企む魔王軍、強いては魔族の搾精教会がどんな大層な計画を練り上げているのかは知らないけれど、オリは勇者じゃないし、たとえ新しい魔王が生まれるのだとしても定命のオリが死んだ後の話になるだろう。


 オリはただ自分にできる楽な仕事を探して大金をもらい、気が済むまで休んでから、また仕事をするという人生を送っている。魔法使いは、道を逸れた魔女のように軽々しく力を使わない。そうしていれば、エルフもオリのことは放っておいてくれるのだ。


 たったそれだけのこと。ようやく軌道に乗った生活を崩す気は毛頭なかった。


「そういえば、お前も一応は性女でしょ。教会は何か言ってきてるの?」


「さあ、どうでしょう。ご存知の通り、わたくしたちは死にませんから、誰に従う意味もないのでものすごく自我が強いんです。それに、教会と魔王軍は性質が異なりますし、わたくしたちはあくまでゆるくやっていく感じなんですよ。人間や獣人と仲良くした方が玉袋を探すのも簡単ですからねえ」


「ふうん」


 全くもって世の中は上手く出来ているとオリは感心した。


 だが、こんなにも魔王軍を近くで感じるのは、やはり不吉な感じだ。リリスも言っていた通り、魔王軍はエルフに似た急進的な魔族による思想集団である。


 過激派というのは、いつ何をしでかすか分からないから過激派という。


 わざわざ、王族を襲ってまで魔王復活のための生贄を探しているくらいだ。今回は、あまりに幼すぎて股ぐらの玉袋や性剣が未熟だったから、置き土産の淫紋だけつけられて誘拐されなかったのかもしれないが、不死身の敵ほど恐ろしいものはない。


 せいぜい、自分が生贄とならないよう気を付けるぐらいしかなかった。

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