オトナのクロ
いくらオリが交尾好きのだらしない毛玉とはいえ、さすがに玉袋を突き合わせて同じ男と結婚するというのは、悪い意味で悩ましい。
これがオリと同じぐらいの魔法使いであれば、弟子か荷物持ちにちょうどいいが、ただの騎士は重くて遅くて汗臭いだけの足手まとい。人を殺して喰らう魔女どもが子宮を空かせて待ち構えている大魔法時代においては、鉄の剣では身を守ることもできないのだ。
世界は、このデンバーよりもはるかに巨大で陰湿で残酷である。魔法が全てを支配する本当の大陸の姿をシャルンは知らないのだった。
「もんがもんが・・・」
ただ、あんまりにも屋台の味が美味かったもんで、オリとオリの足元から一時も離れない魔族の子供が持ち帰った魚肉ちくわ二十本の代金を立て替えてもらったわけだし、シャルンには少しばかり恩がある。
それに、このシャルンは悪名高いガルーダの実子。本人は母親と疎遠でいるつもりかもしれないが、他人のオリに毒を持っても、血の繋がった子供のことを溺愛するのがガルーダという冷徹と愛情の女であった。
はねつけて追い返すのは簡単だけれど、エルフも怖いが、ガルーダを敵に回すのも同じぐらいに厄介なのだ。
「ま、ちくわも奢ってもらったし、ここで会ったのも必然に近い偶然なんだろうね」
つい、オリは日頃の性悪女どもに対するのと同じように、皮肉たっぷりに言ってしまったのだが。シャルンにはうまく伝わっておらず、きょとんとして首を傾げていた。
おそらくは、まだ女というものを知らないのだろう。あの人の形をした子宮持ちの俗物どもに穢されたこともなければ、母性からくる生々しい悪意を向けられたこともない。
それもこれも女として生きるようしつけた母親の教育の賜物だ。魔力と肉欲と暴力だけが至上の価値観として蔓延する世の中を毛皮の芯まで思い知らされているオリとしては、全くもって甘えた存在にしか見えないが、それも紛れもない幸せの形である。
「クロ殿。先ほどの話ですが・・・」
夜道で二人きりも同然だけれど、シャルンは小声で恥ずかしそうに言った。
「魔法の中の魔法。すなわち、エルフの知識。それをエルフ以外が目の当たりにすれば、目を潰され耳をそがれ舌を抜かれ、ついには生命まで奪われるという。わたしでも知っている有名な話ですが、本当なのでしょうか」
「さあね。エルフの考えることなんて誰にも分からないし、気にしてもしょうがない。オリと結婚して身内なんかにならなくても、オリたちで勝手にやればいいんだよ」
オリはそう言ってちくわの束を一思いに鼻づらへ放り込み、むしゃむしゃと噛み砕いて飲み込んだ。大柄な毛玉姿の胃袋を満たすには足りず、足元の子供から奪おうと毛深い手を伸ばしたところ、ぺしっと小さな手でひっ叩かれて終わってしまう。
デンバーは、まともな連中には居心地の良い国なのかもしれないが、オリのような堕落した毛玉には物足りない。魔法も博打も娼館もない。百歩譲って仕事終わりの酒は許しても、禁欲的すぎるのが騎士の治世であり、かけがえのない平穏と百年遅れの意識を育む土壌となっているのであった。
喰って歩く夜更かしも済ませてしまい、あとは騎士に捕まって痛めつけられて輪姦されるぐらいしか残っていないけれど、それはそれで退屈な結末に決まっている。
そもそも、今回の出張はモモエに強制されたというのもあるが、手っ取り早く稼げる楽な仕事だったはずだ。
この国にも飽きてきたし、オリはゴールドいっぱいの宝箱を王から手渡される明日を想像しながら、シャルンを教会、もといリリスと会った下水道の入り口まで連れてきた。
「ここは、いったい」
「下水道の中。またの名を搾精教会、デンバー支部ってとこ」
ここまで漂ってくる悪臭にも関わらず、シャルンは興味深そうに入り口の外観を念入りに確かめている。騎士の国の王都に、魔族の教会が存在していること自体が問題なのだ。
だが、これはリリスが住処として使っているというだけで、本物の教会はもっと綺麗な一等地や居住区に紛れているのだろう。
リリスという性職者が居座っているのだから、これも立派な教会には違いないが、エルフや他の間者の目を逃れてオリが魔法を使うための場所としては完璧だった。
「クロ殿。いくらなんでも、こんなところに陛下の玉体をお運びするわけにはいきません。王城の中なら治療の設備も情報統制も整っておりますし、陛下の負担も最小限で・・・」
「それは知ってる。ここまで連れてきたのは、あんたの腕のためだよ」
オリがそう言うと、シャルンはまた気持ち良いぐらいに素直な驚き方をしたが、オリだってこんなときに冗談は言わない。
というのも、甲冑を身に着けていても右側だけだらーんとしている通り、シャルンは右腕を魔族に切り落とされて不具となっている。それを治すためだ。
そりゃあ、王城の中は各国の要人や使節も利用する場所だから、秘密のやり取りをするにはうってつけの聖域だろう。それでも家臣とはいえ、シャルンは王の信任厚い一騎士に過ぎないわけで、そのために城を私物のごとく扱えるわけではない。
だいいち、いまのオリは騎士に追われる身となってしまった。はっきり言って王の淫紋なんかはすぐに解決できるが、失われた腕を取り戻すのはオリの上級魔法をもってしても、それなりに時間が掛かる。そういうことだった。
「本当に、わたしはまた剣を振れるようになるのでしょうか。いえ、それより、一刻も早く陛下にかけられた呪いの方を」
「それも分かってるよ。でも、どうせ、王様を助ける前に自分で試させるんでしょ。オリが本当に本物の魔法使いなのか。それを見極めるために、王様の前で自分の腕が魔法で何とかなるのか、証明して毒味する手間が掛かるだろ」
王のために死ぬ覚悟があると言うぐらいなのだから、自分の負傷さえも忠誠に換金しかねないのがシャルンという騎士なのだ。モモエの気まぐれに付き合わされて面倒なことになってしまったが、いまから王城に行くとしても、そんなヒマはないのである。
やはり図星だったのか、シャルンはぐうの音も出せずに考え込んでしまった。
「分かりました。こう言ってはアレですが、あなたは母の紹介ですから。わたしはどのような形であれ母に頼りたくありませんが、陛下を助けるには、エルフの知識を持つあなたの助けが必要です。お願いします」
「腕一本といわず、もし、あんたが死んでたとしてもオリなら元通りにできるし、そんな大掛かりなものでもないよ。先に行って気楽にしてておくれ」
まあ、オリの手にかかれば、腕だろうが死体だろうが関係ない。それは、ウソでまかせの類でもなく全て本当のこと。また別の魔法を使ってぐっすりと眠らせた後、オリがちょちょいのちょいとすれば、シャルンが次に目覚めたときには右腕も戻っているだろう。
その自信と経験に裏付けられたオリの一言に納得したシャルンは、入り口から進み、不慣れな下水を通って奥へと入っていった。中の通路は細かく区切られていて実質的に一本道となっているから、初めてでも迷うことはない。
そして、オリはシャルンの甲冑姿を見送ってから、もうひとりの方に目を向けた。
「やっぱり、お前だったんだね」
「ええ。あれもこれもそれも全部、わたくしですよ」
足元にいた魔族の子供はもういない。いや、そのような個別の存在は最初から存在していなかったのだ。さすがに修道服と声は魔族の変態能力でも変えられないらしく、ずうっと黙りこくっていたのは不自然だし、真っ裸で大振りの乳も股ぐらもさらけ出すリリスが子供用の修道服を持って背後に立っているのも当然の展開であった。
「淫紋なんて小細工、お前らしくもないよ。あんなちっこい王様を生殺しにして何がしたかったのか、オリには分からないけども」
「いろいろあるんですよ、オトナの事情というのが」
「あっそう。もしかして邪魔する気?」
「さあ。どうでしょうか」
要するに、そういうことだろうと思われた。




