男々のクロ
前にも言ったけれど、いまのデンバーは王の具合が悪いのをいいことに、朝から晩まで飲んで騒ぐのが市民たちの間で流行っているらしい。しょせん、他人の不幸を嘆いてやっているわけだから、本気でどうこうと考えている人間なんていないのだ。
よそ者のオリにもどうでもいい話だけれど、そういう時世の機敏を読み取るのが商人というものであり、町の広場だけでなく何の変哲のない街の通りにも出店がある。こっちは人混みから離れて常連客が出入りしたり、酒を片手に物思いにふけりたい疲れたオトナがひっそりとやっている小さな屋台が中心の渋い構成であった。
その中のひとつに三人で腰を下ろし、日が変わっても勤務中の騎士や魔族の子供も楽しめる果汁水、ついでによく煮えている大根、こんにゃく、タマゴと定番どころを注文していき、そしてメインのちくわも忘れずに頼んでおく。
師匠が死に、大陸を渡り歩くようになってから見つけた楽しみだけれど、この落ち着いた居心地の良さが屋台なのである。
「クロ殿、この国を出ていかれるのですか」
「まー、本意じゃないけど。こうなっちまっちゃあ、そうするしかないよ」
さっきから、あんまりにもシャルンが何か言いたそうな顔をしていたのもあり、オリは果汁水を飲みながら、そんな風に言われるのを待っていた。
その間、出汁がしみ込んで柔らかくなった大根を箸で割り、オリの嫌いな野菜にしては美味そうなかぎりの獲物を目の当たりにしつつも、まだ鼻づらには持っていかない。これは、そういうものではないのだ。歯ごたえから汁の一滴に至るまで、ゆっくりと鼻づらの内側で味わうためにも長話は先に済ませておくのが安心である。
しかし、毛深い身の上というのは全くもって不便なもので、特に食欲と肉欲を抑えられるようには出来ていない。これから込み入った話があるのは分かっているが、オリは堪らず大根を鼻づらの先でしゃぶってしまい、猫舌が幸いして正気に戻った。
「デンバーが産出する天然魔力の独占権をエルフ族に与えるというのは、わたしを含めて家臣の全員が反対です。そんなことは到底に受け入られません。たとえ、陛下の生命と引き換えになるとしても、あり得ないことです」
「そうでしょうね。ふう、ふう」
オリは同じように大根をすする魔族見習いを挟んだ先、シャルンの言うことに頭の上の獣耳だけ向けて必死に大根を冷ましていた。
「ですが、わたしのような魔法の使えない男の身を取り立ててくださった陛下に、なんとか報いたいというのも家臣一同の総意なのです。クロ殿とお連れのエルフ、お二人の魔法しか陛下を救えません。先刻の騎士たちは、他の家臣の命により先走った者どもであり、目的はクロ殿に陛下の治療を強制させるためでしょう」
「オリはただの助手だよ。そういうのはエルフに言ってよね」
そう言ってオリは、消えたモモエに何もかもなすりつけておいた。
「というか、この子供が全部悪いんだよ。こいつは誰がどう見ても魔族でしょ。そっちの王様を襲って淫紋までつけたのも、こいつだと思うんだけど」
「ふうむ」
シャルンは籠手をはめた手を顎にやりながら、隣で大根の次はちくわを喰っている修道服の子供の顔をまじまじと観察していたが、思い当たる節はないようだった。
「わたしが戦った相手は、はじめから人の形をしていませんでした。その姿さえ闇夜に紛れて正確には捉えきれなかったのです。こちらの修道服を着たお嬢さんは、てっきり、クロ殿のお子様だと思っていましたが」
「むぐう・・・」
今度はオリがちくわを咥えながら考える番だった。王城に易々と入り込んで淫紋なんかを使うからには、犯人は間違いなく魔族である。オリぐらいの魔法使いともなれば、大して珍しくもない相手だけれど、世間一般には馴染みの薄い存在らしい。
あのとき、騎士から逃れた直後に見せた魔族の翼も、いまは大人しく修道服の中に引っ込んでしまっているし、この子供が魔族だと知り得ているのはオリだけなのだ。
まあ、シャルンの言うことも筋は通っている。魔族は魔王とつるんで暴れていたときのような異形の悪魔に変態することができ、そうなった際の戦闘力は計り知れない。十分に成熟した魔族はそうだろうが、オリの隣でのんきに煮物を喰う見習い魔族にかぎっては、戦うために姿を変える能力を使いこなせるかも怪しいところ。
ますます、この子供に罪をなすりつけるのが難しい。現実的に考えれば、これとは別にオトナの魔族がいると考えるべきだろう。
騎士に追われるという不利な状況のまま、すべては振り出しに戻ってしまった。
「クロ殿、改めてお願いします。陛下にかけられた呪いを解いていただきたい」
「えー・・・」
ここまで巻き込まれておいて手ぶらで帰るというのも何だけれど、面倒臭いというオリ個人の感情だけでなく辺りは騎士で溢れているし、こういう魔法絡みの事柄を抜きにしても、すべてはモモエという飼い主の許可が必要なのである。
エルフの社会は、上から下まで一方通行の役人体質なのだ。その底辺であるダークエルフのさらに下で奴隷となっているオリが魔法を使うには、いわゆる手続きが必要になる。
さっきのような緊急時にかぎっては情状酌量もあり得るかもしれないが、それも含めてエルフの知識から生み出された高度な魔法が世俗で目撃されることは、大陸の魔法学の歴史を直接に左右する大事件になってしまう。
今回は、この魔族の子供に濡れ衣を着せて事無きを得たが、次も同じように上手くやれるとはかぎらない。このシャルンのように、オリのことを知っている相手に頼まれてやるなんて場合は、どうやっても隠しようがないのだった。
ただ、シャルンが自分を産んだ親をどう思っているかはさておき、そのガルーダという母親がエルフ以上に喰えないというのは、オリだって知っている。
なんだか、さっきから甲冑姿でもじもじと鉄の擦れ合う音を響かせながら、シャルンがまだ何か言おうとしているのを見たオリは、とっさに彼の母親の介入を疑わざるを得なかった。
「クロ殿。これは、やはり母から伝えられたことなのですが、れっきとした魔法使いのあなたが魔法を使いたがらないのは、エルフ族のしきたりが関係しているのでしょう。わたしのような異種族にエルフの知識を知られないように」
「まあね。でも、それは関係ない人を守るためでもあるんだよ。あんたもオリみたいに、死ぬまでエルフに狙われのは嫌でしょ」
「構いません。それで陛下が無限の苦しみから解き放たれるのであれば、わたしは喜んでエルフに、あなたに殺されましょう」
なんとも見上げた忠臣の鏡である。オリたちの業界にはない種類の思想を小さいころから憧れて身に宿してきたのだろう。あの幼い玉袋付きの王に言われれば、喜んでオリのことも殺すだろうし、自分で自分の腹を斬るのだっていとわない。そういう覚悟のことだ。
はっきり言って不十分。それだけでエルフの輪の中に入れるほど甘くはないが、幸運にもシャルンは若くて健康な玉袋を持つ男であり、魔力は薄いが顔はものすごく良い。オリがモモエの肉欲のはけ口とされたように、シャルンもそうなればいいのだった。
「クロ殿。わたしをクロ殿の伴侶にしていただければ、それでもう部外者ではありません。ふつつか者ですが、何卒、わたしをクロ殿のお好きなように」
「あれ」
ちょっと何か違うような気がするけれど、モモエとかいう薄情な妻も消えたままだし、ひとりぐらい愛人が増えたところで何も変わらないのだ。




