なりきれないクロ
リリスがくれた紙は、ここデンバーの王都で催されている祭りに関するものだった。あの玉袋付きの女王が呪いを患ってから、日頃の好調な景気と併せて、その回復を願って市民たちが自主的に飲めや歌えやの大盤振る舞いでいるらしい。
騎士は偏屈な連中だから、てっきり喪に服せとでも圧力をかけていると思ったが、逆に酒を飲んで騒ぐのが最高の礼儀というのがデンバー流なのだろう。
あくまで自主的な催しであって良い子は家に帰っている時間だが。市場の中央にある広場へ近付くにつれて喧騒は激しさを増し、月が真上にのぼっても、局所的には昼より騒がしいぐらいに大勢のダメなオトナが集まって酔いつぶれていた。
なんだか、獣人に近い文化圏のようだ。オリの故郷では、オスが酒を注いでまわって巨大な戦士のメスどもが大声で暴れまわった挙句に、ただひとりの成人していた男のオリを輪姦して獣同然に振る舞っていたのが当たり前だったのだが。
ここも人間の女ばかりだけれど、獣人のそれと比べれば控えめな宴である。
人間というのは元来的に物好きで欲深い種族だから、よそ者のオリたちでも金さえあれば歓迎してくれる。この紙も入場券というより、この空騒ぎへの参加を促すために、あらかじめ酒場の常連に向けて配られたらしい一度きりの引換券であった。
「ふうむ。デート、ってのも悪くないわね」
モモエはそう言って例のマズい果汁水と紙を交換し、もちろん、オリの引換券も奪って果汁水を二本とも自分のものにしていた。
まあ、それでもいい。オレンジジュースとは名ばかりの着色した小便を飲むより、飢えて乾いて干からびていた方が毛玉としての尊厳も保たれる。かといってオリは酒も飲まないし、十五歳で成人して数年足らずの毛深い肉体が耐えられるかも分からないのだ。
これがリリスの言った夫婦に愛情を宿らせる儀式のデートだというのなら、オリは全くもって不満だし、そこのエルフ娘の硬い尻や肉球のない足の裏で踏みつけられている毎日と何も変わらなかった。
ただ、阿呆のひとつ覚えのように、誇り高い云々であるはずのモモエが酔っぱらいの人間の群れに紛れて果汁水をすすっているのは興味深い。実際、軒先のテーブル席に腰かけて機嫌良くしているモモエは、たとえ孕んだ妊婦姿でもエルフの貫禄がある。
世俗のデートとやらが具体的に何なのかは不明だけれど、とりあえず、モモエが世の中への怒りを忘れて果汁水を楽しんでいるうちは、オリも世界も破滅を免れられる。それだけでもリリスを信じてよかったと思えた。
「あの女と何してたの?」
「何も。少なくとも、きょうはね」
「ふうん。通りで臭くないと思った」
そう言って果汁水の入ったジョッキを飲み干してから、モモエはまた神経質な母親の顔に戻って腹をさすってみせる。それから、飲んだり踊ったり道の上で眠りこけたりしている人混みに目を向けた。
「で、人間どもの方はどう? あたしの言うことに従うって公文書のひとつやふたつ、玉璽も押させて届く手はずになってるんでしょうね」
オリは向かいの席で毛玉姿をちぢこまらせて何も言わなかった。
というより、そんなことは到底に無理だということはモモエも分かっている。その上でオリの責任に仕立て上げるつもりなのだ。
ほんの半日前に、ほとんど国としてエルフに従属することを要求したのも同然である。あの王冠をかぶった子供がよくできた人格だったからよかったものの、あれが歳相応のガキであったなら、あの場で首を斬られているか、いまごろデンバー中の騎士に追われて死の淵を彷徨っていたに違いない。
戦う気のないオリと、ボテ腹のせいで本来の百分の一の性能も発揮できないモモエでは、時代遅れの騎士が相手でも厳しいものがある。いくら魔法が使えないといっても、騎士はよく訓練された練度の高い戦士であり、魔族と戦って腕一本を犠牲に退けたのが事実ならば、あのシャルンも含めてデンバーの騎士は手練れ揃いだ。
しかし、それでも彼らはモモエの要求に応じるかもしれない。それは、魔族によって淫紋を刻まれ、激しい性的衝動に苦しむ自分たちの王という何物にも代え難い人質がいる。魔族の呪いは魔族か、それに匹敵するエルフ以上の魔法の使い手でなければ、解呪することが困難なのは言うまでもないだろう。
やれやれ。簡単に稼げる仕事だったはずなのだが。エルフ娘の誰かさんのおかげで、とんだ政治に巻き込まれてしまったのだった。
「なあ、いったい何が気に入らないんだよ。魔族の呪いなんて、その気になれば五分で跡形もなく消せるだろうに。さっさと女王、もとい王様に恩を売って褒美をもらって帰ろうよ。魔力の源泉よこせなんてのは、とっさに思いついた嫌がらせだろ」
「む・・・」
モモエはきっとして睨みつけてきたが、この人だかりの中で目立ってエルフだと露呈するのが嫌なのか、癇癪持ちのエルフ娘にしてはよく自制したと褒めたいところ。
慣れているとはいえ、オリだって足で足を蹴られるのは痛い。それ以上は何も言わずに、そのうち、モモエの方が口を開くまで待つことにした。
「あんたがバカで甲斐性なしのろくでなしの毛玉だから、あたしが代わりにやってやってるんじゃない」
はて。話が見えないのだが。いまにも泣き出しそうな顔でうつむくモモエがウソを言っているとも思えないし、オリは鼻づらをツメで掻きながら思い出そうとしてみたけれど、心当たりというのは特になかった。
強いて言えば、たしかにオリは貧乏だし、メスを見かけるとすぐに交尾してしまうダメな毛玉である。
それもこれも元はといえば、モモエがオリの稼ぎを一ゴールドも残さず奪い去ってしまうから貧乏なわけで、モモエがもっと優しくて肉付きの良い魅力的な妻だったら、オリも悲しくなって他の女に乗り換えることもないのだ。
要するに、モモエのせいだと声を大にして言いたいところであったが、そのモモエが褐色肌の頬に涙を伝わせて静かに泣きはじめてしまったからには、何も言えないのだった。
「お、オリは悪くないから。オリは悪くないのに」
オリは慌てて立ち上がってモモエを泣き止ませようと試みた。この小生意気なエルフ娘を泣かせたところで師匠はもういないけれど、こんなところを見られたら、天国の師匠も悲しみそうでいたたまれないのである。
こんなに若いエルフの妊婦を泣き止ませる方法なんて魔法学では教わらないし、どうすればいいのか分からず、オリがあわあわとして自分の鼻づらを掻きむしっていると、モモエはオリの尻から出ていたシッポを引っ掴んで顔を埋める。
一日も手入れを欠かさない自慢のシッポをハンカチ代わりにされるのは癪だけれど、モモエがそれで泣かないのなら、それはそれで割り切れるかもしれなかった。
「金が要るのよ。あんたたちが生きるためには」
モモエはオリのシッポで鼻をかんで、いろんな体液をこびりつかせながら、どこまでも恨めしそうにしてそう言った。
「喰うためとか、そんなちゃちなこと言ってるんじゃない。あんたは、あたしの母親からエルフの知識を受け継いだ。そんなこと、里の連中は絶対に許さない。だから、とにかく金が要るの。何百、何千、何億ゴールドって金がね。そういうものなの」
「それって、つまり里のエルフに払うお金ってこと?」
「それ以外に何があるのよ。あたしみたいなダークエルフは、罪人の血筋として子供も年寄りも北のエルフに税を納めなくちゃならない。本当なら、あんたもあたしの母親たちととっくに死んでるはずだったのに、あんたがエルフ族のために働いて何百倍も高い税を納めるって約束して取引したの。さもなきゃ、いまごろ他のエルフに殺されて玉袋だけにされてるわよ」
「取引ねえ。お前、そんなに偉かったんだ」
「母親が死んだから、あたしがその地位を引き継いだのよ。北の白いエルフには、少しばかりコネもあるし、あんたの分の税の半分ぐらいは、その女の懐に入ってるわ」
なんだそんなことか、とオリは心の中でがっかりしてため息をつつきそうになったが、モモエが真剣だったのもあってぐっとこらえておいた。
モモエは若い、若すぎるのだ。なんでも直情的に判断するのがエルフの種族柄、はっきり言って欠点としか言いようがないけれど、そんなものオリが死んだと誤魔化してしまえば済むだけのこと。
エルフの厳重な監視や疑い深い性分を満たしてやれば、それで済む。魔法使いであれば、同じ魔法使いを騙すことだって腕と魔力次第である。
いくら実娘とはいえ、師匠もオリを後継にしてくれればよかったのだが。やはり、どんなに実力と実績を積み重ねたとしても、本物の子供には敵わない。
オリもそうだけれど、師匠も他人より自分の子供が可愛いと思う人の子なのだった。




