王の葬儀
気温30℃、湿度79%、とある夏の日、王の葬儀は行われた。多くの民衆が王の死を悼み、集まった。民衆は物々しい警備の向こうで、棺桶が運ばれていくのを見た。
決して、分かりやすく華々しい功績を残した王ではなかった。成熟しきったこの国で、誰の目にも分かりやすく結果を示すことなど出来はしないだろう。しかし、この国に長らく続く安寧を次の世代へと引き継いだという意味で、偉大な王であった。
そして、王は人間であった。王はプディングを好んでよく食べた。王が幼い頃、王の母君が手ずから、作ってくれたのがプディングであった。
また、王は政治家であった。国を愛する一人であった。果たして、国の名を背負う重責は如何程であっただろうか。王は、国を背負って、働き続けた。
何故、王は死んでしまったのだろうか。『凶弾に死す』、そんな一報が国中に伝えられたのが、二、三日前のことである。偉大なる王は何故、死なねばならなかったのか。
無論、王も完璧な存在ではなかった。一人の人間であり、野心ある政治家でもあった。不敬を恐れずにいうのならば、後ろ暗いことも一つ、二つ、あるいはそれ以上抱えていただろう。
けれども、死なねばならぬ謂れなどなかった。何人たりとも、殺されていい理由などないのだ。
棺桶は、墓穴まで運ばれると静かに土が被せられた。
「彼は、私の友人であった」
一人の男が呟いた。
「私が、彼を王に選ばなければ、彼は死ななかったのであろうか」
男は選帝侯の一人であった。この国では、大昔の政治基盤がそのまま踏襲され、選帝侯と呼ばれる者によって王が選出される。
「政治的な盟友であるとともに、彼は私の最も親しい私的な友でもあった。彼はよく、母親仕込みのプディングを振る舞ってくれた」
男の呟きは、蝉の鳴き声によって掻き消された。男はハンカチーフで額の汗を拭った。
女は埋められたばかりの地面をじっと見ていた。棺桶が埋められた場所は人一人分の領域を示すように周囲の土とは微妙に違う色合いになっている。
女は、王の妻であった。女にとって王は良き夫ではなかった。何しろ、国と家庭、両方をとれるほど王は器用ではなかった。
しかし、王の任期が終わり、次の王が選出されたならば、夫婦水入らずの幸せな老後もあり得たかもしれない。
女は、王と初めて出会った日のことを思い出した。かつての王は憂国の青年であった。女は王が国のために働いたのか、金のために働いたのか知らない。
女は金のために王と結婚したと考えていた。商家の娘であった女は人一倍、金への執着が強かった。
「……そういえば、遺産存続手続きってどうなるんだろう」
女は言葉を口に出してみたが、それ以上、思考は回らなかった。それが暑さのせいなのか、または別の要因があるのか女には判別がつかなかった。
葬儀に参加した者は警備の者に見守られて帰っていく。王を撃った者は既に逮捕されていたが、その動機はまだ、はっきりとしていなかった。
そのため、果たして、単なる殺人なのか、それとも内乱の予兆なのか、未だ予断を許さない状態にあった。
葬儀の参加者も帰り、集まっていた民衆も疎になって来た頃、一人の男が王の墓を訪れた。
男は、王を長年、支えてきた宰相であり、王の座を狙っていると噂される一人であった。事実、宰相は選帝侯らに積極的に働きかけを行っていた。
男は、非常に強い政治的野心を持っていた。王となり、この国の支配者となるのが男の夢であった。
男は、墓の前で片膝をつくと首を垂れる。男にとって、王は忌々しい存在であったが、それと同時に尊敬もしていた。
男は、自身が王殺害の首謀者として噂されていることを知っていた。そして、男はそれでも構わないと思う。今回の事件のおかげで、予定よりも早く機会が巡ってきたのだ。民衆の噂があろうと、順当に行けば、次の王は彼になるだろう。
しかし、夢の実現を目前としても、男の気分は晴れなかった。
「……私はあなたに勝ちたかった」
男は、王に勝つ機会を永遠に失ったのだった。男は首を垂れたまま黙祷を捧げるとその場を後にした。王が死んでもこの国が立ち止まることはない。男は、もう政務に向かわねばならなかった。
その後のことについて記しておく。襲撃犯は最後まで動機を語らなかった。様々な憶測を呼んだが、結局、犯人には無期懲役の刑が下されて、次第に人々の記憶からは忘れられていくことになった。
宰相は選帝侯らによって、次期、国王に選出された。宰相は平凡な王となった。
王の妻は実家の家業を継いだ。女の才覚によって、家はますます栄えた。王の遺産は相続が放棄されたので国庫に帰属することになった。
そして王は、地面の下で眠り続けた。けれども王は、王の魂はどこへ向かったのだろう。墓穴の埋めた跡は周囲と少しずつ同化していき、周囲の地面と見分けがつかなくなっていった。大地に魂が溶け込んでいったようだ。
偉大な王の記憶も少しずつ風化していく。しかし、大地は魂を記録し続けるのだろう。