95.覚悟は決まりました
ふわふわと体が軽く、靄が晴れるように頭がスッキリとしていく。
私はいつの間にか眠っていたのだ。起きなくちゃと意識すれば、パチッと私の目は開いた。
なぜか真上にはノアの顔がある。
どの角度から見てもノアはイケメンよね……只々そんなことを思って、身動きせずにじっと眺めてしまう。
「ヒナ、おはようございます」
ノアから当たり前のように自然な挨拶をされて、私も返事をかえそうとした。
「あ、ノア……おは」
うん?
ダークブルーの瞳に見下ろされ、ノアの顔が随分と近くにあるなと思う。
私は今どこで横になっているの?
この、温かい枕はいったい……。
――――!?
ま、まさか。
私の後頭部の下にある弾力のあるものは、ノアの太腿ではなかろうか?
ノ、ノアの、膝枕っ!!?
カルロス以外の男性との密着に、心臓が跳ね上がる。
――うひゃあっ!
と声にならない心の叫びと共に、起き上がった。
座ったままの体勢で後退ろうとすると、ハシッと手首を掴まれる。
「ヒナ、危ないですよ。そちらには、まだ破片がありますから」
冷静な口調で言われ、改めて自分の置かれた場所を見た。
私とノアの周辺だけ、円を描くように塵一つ落ちてない。だが、それ以外は割れた鏡の破片が散乱している。
あ、思い出した。
さっきまで、緑頭の天族と対峙していたのだ。それで、危ないところをノアが……。あれっと思い、頬に触るが痛みはない。
「私、頬を切った気がしたのだけど……」
「それなら、私が治しておきました。この空間は天界と繋がっているので、少しだけ以前の力が使えるようですね」
――天族が持つ、治癒の力!
「もしかして……ここは、天界なの?」
「いいえ、違います。私の……元同族の者が、天界の空間を切り取り、鏡の中に別空間を作り出したのです。この空間は天界ではありませんが、同等な力が備わっています。ですから、魔力は無効化されてしまうのです」
「じゃあ、さっき私が使った力は? それに、ノアはどうやってここに?」
寝ぼけた頭をフル回転させて考える。
「人間界からヒナの気配が消えたと、微かではありますが魔王から意識の伝達を受けたのです。幸い……私は、天界付近におりましたので、此処へ繋がる道を直ぐに見つけられました」
「……天界へ行っていたの?」
私には、天界へ行くことはないから心配いらないと言った手前、少しだけバツが悪そうにノアは「はい」と言った。
訊きたいことが沢山ありすぎる。
けれど、先ずはここを出ないといけない。
オレリアとミレーヌは、突然私が居なくなって心配しているのではないだろうか。そうノアに伝えると、問題ないと教えてくれた。
緑頭が作ったこの場は、魔王の異空間のように外の世界とは時間の流れが異なるそうだ。
原理としては全く違うらしいのだけど。ここから出れば、ほとんど時間は経っていないので心配はいらなと。
「では、戻りましょう」
ノアから手を差し出されたが、その手を取ることを躊躇した。
「ねぇ、ノアは『王妃の印』を知っていたの?」
敢えて、私に付けられていたとは言わずに尋ねた。
一瞬、ノアの表情が強張る。
「申し訳ありません」とノアは謝り目を伏せた。
ノアも……知っていたのだ。
「そう。わかったわ」
印についてそれ以上は訊かず、ノアの手を取る。
それから、心配しているであろうカルロスへの伝言を頼んだ。
アクセサリーショップに戻ると、気絶した支店長が床に倒れていた。
あの空間が壊れた時……。
入り口となった箱の鏡が割れ、その衝撃を受けたのだろう。
ノアは、支店長が怪我をしていないのを確認すると、揺すり起こして意識を操作し、緑頭とのやり取りの記憶を消した。
侯爵令息らしい服装に身を包んだノアは、私をエスコートしてオレリア達が待つ馬車へ向かう。
私が見知らぬ男性と一緒に出てきたことに、二人は驚いていたが――ノアの瞳を見た途端に、記憶は蘇ったようだ。
「まあ! ノア様もお買い物に?」とオレリア。
「偶然ですね。たまたまベアトリーチェ嬢をお見かけし、ついお声をかけてしまいました。ええ、こちらの店でお会いした事は秘密にしておきますね」
ノアは自分の口に人差し指を立てる仕草を見せ、魅力的な笑みを二人に向けてそう言う。
オレリアとミレーヌはほんのり頬を赤くすると、ノアの言葉に頷いた。
改めて、魔族の能力って凄いなと思う。
すれ違いざまにそっと耳打ちし私を馬車へ乗せると、ノアはその場を去って行った。
多分、明日からまた学園に復帰するつもりなのだろう。
そして、私達は当初の予定通りショッピングの続きと、新作ケーキのある店へと向かった。
◇◇◇◇◇
――その日の深夜。
私は寝間着ではなく、楽なワンピース姿に着替えて窓辺に立っていた。
ノアは私の傷を治すと同時に、体も癒してくれていたらしい。お陰で、眠気は全くない。
あの空間を出る前に、今夜カルロスから話があるだろうとノアは私に告げた。
だから、私は言ったのだ。
『私から魔王城に行くので、勝手に転移させ呼ばないでほしい』と。
今回ばかりは、いつもみたいに心の準備もないまま、翻弄されたくなかったのだ。
――なのにね。
窓の外。普段はケリーがやって来る場所に、大きな人影が揺れている。待ちくたびれて、様子を見に来たのだろう。
けれど、勝手に部屋に入って来る気配はなさそうだ。
仕方ないから窓を開ければ、やはりそこにはカルロスが浮かんでいた。
「ビーチェ……無事で良かった……」
「私、ノアに伝言頼みましたよね?」
「……すまない」
ぐっ。
珍しく素直で、叱られた仔犬みたいな瞳のカルロスに、文句を言う気も失せてしまう。
「もう、いいです。それよりも、ちゃんと話がしたいです」
「……私もだ。このまま、夜の散歩に付き合ってくれるか?」
カルロスは真剣な表情で言った。
「はい」と私がカルロスの手を取れば、軽く引き寄せられフワリと宙に浮く。
私は聞かなければいけない。
カルロスの正直な気持ちと、今はもう消えてしまった『王妃の印』について――。




