94.覚醒
――何よ、それ。
王妃の印? 私はそんな話……聞いていない。
『なぁに、その表情。僕が怖いの? あはっ、そうだよね! 所詮、人間の君は魔王がいなければ、此処から逃げ出すことすら出来ないんだから。その魂……回収したら、魔王はどんな顔をするのかな?』
間近で聞こえる緑頭の声。
頭に入ることなく耳をすり抜けていく。私を煽る喋り方やその表情なんて……もう、どうでもよかった。
私は、カルロスが好き。それは紛れもない事実。
けれど、この印を入れられたのは、私が自分の気持ちに気づく前だ。何の説明もなく、勝手に王妃にさせられるのは納得がいかない。
きっと、今ならカルロスに――ちゃんと面と向かって言われたら、私は断らないだろう。
でもねっ! そういう事じゃないのよ。
もしも、カルロスを好きになっていなかったら?
ビーチェではないベアトリーチェとしての、私の気持ちはどうなってしまっていたの?
今すぐ、カルロスに会って確かめたい。本当に、ここでは魔法が使えないのだろうか……。
下ろしていた手をギュッと握り、身体の中を流れる魔力に意識を集中させた。
『……無駄だよ。いくら印に魔王の力があったって、魔族が使う闇属性の力は僕はには効かないよ』
嫌らしい顔で囁くと、ニヤリと笑う。
私のこめかみがピキリと動く。
ノアにそっくりな顔だが、全然似ていない。目の前にいる緑頭の頬を、張り倒したい気分に駆られる。
――バシンッ!!
私の身体に触れていた緑頭の手を、思い切り払い除けた。
そして、瞬時に後ろへ飛び距離をとる。
『へぇ、生意気だね』
多少は痛かったのか、打たれた手を摩り蔑む視線を私に向けた。
それを跳ね返すように、私は緑頭を見据える。
「……あなた、五月蝿いわ」
ボソリと言葉が溢れ落ちた。
『な……んだと!?』
こんな所で、いつまでも頭のおかしい奴に付き合っていられない。
「私はね、彼のパートナーなの。だからこそ、魔王の口からちゃんと聞かなきゃいけないのよっ!」
妃の印がなんだと言うのだ。
カルロスの魔力が使えないのなら、私の力を使えばいい。子供の頃から魔法の適性は持っていなかった。そんなのは百も承知だ。
けどね。
カルロスに守られているだけの、お飾りの存在になんてなりたくない。私は自分を信じてみたいのよ。
――パートナーなら、私だって相手を守りたいんだから!
印に手を当て、流れる魔力を逆に抑え込むように意識を持って行く。
そして、自分自身を感じるように、心の奥底に沈む何かを解き放つ。鍵として、魔王を復活させた時に似ている感覚。
全身が燃えるように熱くなっていくと、熱風が吹き荒れ、私の髪は舞い上がる。
『お前――まさかっ!?』
緑頭の驚愕した顔は、真っ赤な光に包まれ弾け飛んだ。
見えない壁でもあったのか、激しくぶつかった緑頭は、大きな翼を広げたままズルズルと下に落ちる。
その衝撃で、白い空間に細かなヒビが入っていく。パキンッパキンッと何かが割れる音が鳴り、ガラスのような破片が降ってくる。勢いよく、床に落ちると更に細かく砕けた。
鏡の破片だ!
ピッと、破片が私の頬を掠ると痛みが走った。軽くそこに触れば、指先が血で染まる。
このまま、ここに居たら危ない――頭では解っているが、逃げ場が見つからない。結界を張ろうにも、さっきの一発で私の力は消えてしまった。
考えている間にも、剥がれ落ちる破片はどんどんと増えていく。
バキバキバキ……バキンッ――!
マズいと思った時には、鋭く尖った大きな破片は私に向かって加速した。
もう、ダメだ! 思わず目を閉じ、頭を抱えてしゃが込んだ。
パァンッ!と激しい音と同時に、グラグラと地響きが起こった――。
数秒の出来事のはずだが、とても長く感じる。
ん……あれ? 痛くない?
音が止み、眩しかった空間が薄暗くなった感じがし、ゆっくりと目を開いた。やはり、気のせいではなく暗かった。
しゃがんだまま、恐る恐る上を見上げると……。
「ヒナ、大丈夫ですか?」
え?
「……ノア、なの?」
「はい。間に合って良かったです」
ニコリと笑みを浮かべたノアの顔が、そこにあった。ノアは銀翼を大きく広げ、私を包むように破片から守っていてくれたのだ。
「ありがと………」と言いかけて気づく。
「ちょ、ちょっとノアッ! あなた背中、怪我したんじゃっ!?」
慌てて立ちあがろうとする私に、ノアはクスッと笑う。
「大丈夫ですよ。結界をちゃんと張っていますから。翼を広げたのは念のためです」
ノアの翼が閉じられると、ボロボロになった空間は光が乱反射して幻想的になっていた。
「ねえ、あの緑頭は?」
キョロキョロと見渡すが姿は見えない。
「天界へ強制的に回収されました」
「それは、ノアが?」
「いいえ。私は指示を出しただけです」
「……そう……よかっ、た……」
気が抜けてしまったのか、慣れない力を使ったせいか。体が重く、脱力感に襲われ目の前が真っ暗になった。
◇◇◇◇◇
どの位の時間が経ったのだろうか。
あれ、ここは……?
眠気でまだ、頭がボーっとしている。自分がどこで横たわっているのかも分からない。
ベッドではない。
ただ私の頭の下には、ほんのりと温かい枕。とても寝心地が良い。そして、誰かの指先が優しく髪を梳かしてくれる。
これは夢かな……気持ちいい。
微睡みながらうっすらと目を開けると、長くてキラキラの銀髪が視界に入る。
「ヒナ、まだ眠っていて構いませんよ」
穏やかな声が上から聞こえ、頭を撫でられると……私はもう一度眠りに落ちていた。




