91.嫌な奴
――今の声は、天族?
鳥にしては大き過ぎるあの音に覚えがあった。ノアが空を飛ぶ時にさせるものと同じだ。
確認しようにも、ガッチリと背中に回されたカルロスの腕で、身動きがとれない。仕方ないので、身体を捩るようにして声の主を見ようと試みる。
「ビーチェ、動くな」
ピシャリと言われ、更にホールド力がアップする。
……ぅぐ、見えない。
でも。
空から響いてきた言葉。明らかに、魔族と人間を馬鹿にしている……いや、馬鹿にしているというより、存在そのものを嫌悪しているみたいだ。
カルロスの魔力がピリついている。
そして、不躾に背後から刺すような視線を感じ、私も不快でしかない。
以前、ミュレー男爵領には天族が来ている可能性があると、ノアはカルロスに注意を促していた。
だとしたら、相手は天族に間違いないだろう。
『ねえねえ。魔族が人間界に来ちゃっていいのかなぁ? ルールって大事だよねぇ』
「それを言うなら、お前も人間界に下りている」
『あっ! そう言うのは、屁理屈ってやつだよ。僕は仕事さ。罪ある魂が消滅前に面白いこと言ったんだよ。それの、か、く、に、ん』
――罪ある魂?
『私は魔族に利用されただけだ……ってね。それで、この地に居れば、魔王が自分を迎えに来るだって! ね、面白いでしょう?』
「……戯れ言をっ」
『でしょう? 魔王は臆病だから、魔界から出ないのにねぇ』
はい?
ちょっと意味が分からない。声の主は何を言っているのだろうか。もしかして、目の前にいるのが魔王だと気づいていないとか?
それにしても!
ペラペラとよく喋るこの天族に、カルロスはなぜ反論しないのか。
私の方が腹が立ち、イライラが膨れ上がってくる。
けれど、私が声を上げないようにする為か、カルロスの胸に顔が押し付けられて、息をするのがやっとだ。
『ああ、そうだ! 今回は見逃してあげる。魔界に、元天族のノアってのがいるでしょ? 今度、会おうよって言っといて』
「会ってどうする?」
『えー、そんなの翼を捥ぐに決まってるじゃない。魔族が、僕らと同じ翼を持つなんて、気分悪いからね』
可愛らしく言った言葉に、ゾッとさせられる。
「伝えておこう」
――嘘でしょっ!?
文句を言いたいのに、ムグムグとしか声を出せない。
『じゃあ、よろしく。あ、その人間もちゃんと面白く処分してよね。僕、つまらない仕事は好きじゃないから』
自分の言いたいことだけ言うと、また大きな音を立て飛び立って行った。見えないけど。
「ビーチェ、戻るぞ」
カルロスはそう言うと、腕の力を緩めた。
ぷはぁっ!!
息苦しさから解放され、顔を上げる。
すると、真上には心配そうなカルロスの顔があった。喋ろうとすると、人差し指で唇を押さえられる。
まだ、あの天族が居るかもしれないって事だ。ゴクリと唾を呑んだ。
カルロスが小さく指を二回鳴らすと、美しかった景色は一変し、見慣れた魔王城の一室だった。
「随分と……お早いお帰りですね?」
正面には書類の山を抱えたノアが居て、怪訝そうにこちらを見た。
「面倒な奴が居たのだ……」
カルロスは、不機嫌極まりない表情で話す。
「さっきのは、いったい何なのですかっ!?」
やっと話せる状況になり、つい声を荒げてしまった。
訊きたいことが沢山ある。人間である私を蔑むのは構わない。でも……あんな奴に、カルロスやノアを馬鹿にされたのが許せなかった。反論さえしないなんて、どう考えてもおかしい。魔王なのに。
「まさか……天界の者が?」
察しのよいノアは、カルロスに尋ねる。
「ああ、緑髪の頭のいかれた奴だった」
カルロスの言葉に、ノアはピタッと動きを止めた。
「なるほど。我が王とヒナの存在については?」
「気づいていない。ただの魔族が、人間を弄んでいると思ったようだ。そのまま、否定もしなかった」
「賢明なご判断ですね。あれは、かなり厄介な者です。罪ある魂の処分を楽しんでやる……何なら罪を犯すまで待ちますからね」
顔を顰めたノアは、心底嫌そうだった。
まるで、天使の皮を被った悪魔みたいだわ。
「ヒナ。天族が皆、ああではありませんから」
私が考えていることが分かったのか、ノアはそう言った。
「大丈夫よ。ノアを見ていたら分かるもの」
ノアは、眉目秀麗で冷静沈着なせいか、冷たく見える。けれど……見せない内面はとても温かく、人間味があるのだ。
そして、今まで私の会ってきた魔族にしても様々だ。信頼できる者もいれば、バスチアンみたいな者もいる。人間だって、それぞれ考えは違うし、価値観だって皆同じではない。
「でも、あんな風に……カルロスやノアのことを言われるのは、悔しいわ」
「……奴は、何と?」
口に出すのも腹立たしいが、あの天族が言っていたことをそのままノアへ伝える。
「そうですか」と、ノアは氷のように冷ややかな笑顔を浮かべた。
「ビーチェ、悔しがる必要はない。私にとっては好都合だからな。魔界から出ないと思われていた方が、動きやすいのだ」
カルロスの言いたいことは理解できる。
カッとなり後先考えず動けば、取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。争いを好む輩は、些細なきっかけを逃しはしないだろう。
それに……魔族と天族で戦いなどが始まれば、人間界も確実に巻き込まれる。
「私も天界に行くことは、もう無いでしょうから。奴に会うこともありません」
なぜか、いつもより格段に穏やかなカルロスとノアに、すっかり言いくるめられてしまった。
◇◇◇◇◇
――その夜。
「ヒナに印の件は伝えられましたか?」
「………奴のせいで、言いそびれた」
せっかくのデートを台無しにされ、魔王の機嫌はとてつもなく悪かった。
「では、天界の者はいかがなさいますか?」
「まだ、いい。奴は私の視界に入ったのだ、我が眼からは逃げることはできまい。もし、また下りてくるなら……その時は」
ズンッ――と、重い魔力が魔界を全体を覆う。
「かしこまりました。その様に伝えておきます」
ノアは窓から飛び立つと、魔王城を上から見下ろした。
あの場にヒナがいたお陰で、緑髪の元同族は命を失わずに済んだのだ。
魔王にとって何よりも大切な『ビーチェ』。
それはこの世界を保つのに、なくてはならない存在。
「だからこそ、他世界に転生させてまで神の加護を外したのだからな」
ノアの小さな独り言は、羽音と共に闇夜に消えた。




