85.繋がり
「あれは、ビーチェではない」
目を逸らすことも許されない程の、真っ直ぐな眼差しを向けられ、喉の奥が熱くなる。
彼女が本物でないのなら何なのよ……。
どうしてこんな表情で私を見るのか、理解できない。
「……彼女は……カルロスの大切なビーチェと、瓜二つではないですか?」
こみ上げる感情を抑え、やっとの思いでもう一度問いかけた。
カルロスは小さく首を横に振る。
「あれは、ビーチェの姿をしたバスチアンだ」
「――!!?」
とんでもない事が、サラッと聞こえた。
「そんな事はどうでも良い……」
「どうでも良くないですがっ!?」
速攻で聞き返す。
「ビーチェは、其方だけだ」
カルロスの手が、そっと私の頬に触れた。
「……また、私を置いて行くつもりか?」
紫と赤の魔眼は深い悲しみを宿し、カルロスは自嘲ともとれる薄笑いを浮かべた。
「……え? それは、どういう」
言い終わる前に、強く抱きしめられ言葉が遮られた。
ぐるぐると……頭が混乱してくる。
「……さない」
「はい?」
「もう二度と、私の元から離れることは許さない。……どんなに嫌がろうとも、逃しはしない」
私の肩に顔を埋めた、カルロスの表情は見えなかった。
けれど――横暴とも思えるその命令は、言葉とは裏腹にとても弱々しく、まるで縋っているかのように聞こえた。
「カル……ロス?」
カルロスの肩がビクリと震えた。
「私は……何処へも行きません」
無意識に口を衝く。
誰よりも強い魔王なのに、壊れてしまいそうで――怖かった。カルロスの背に手を回し、そう応えることしか出来ない。
「……さっき、ビーチェは私から離れて行こうとしたではないか」
身動きしないまま、拗ねたようにカルロスはボソボソと呟く。
――さっき?
もしかして……私が本物のビーチェでないのなら、去るべきだと言ったことかしら?
「カルロスが、私を必要としてくれるのなら……ずっと一緒にいます」
更に強く抱きしめられ、肩に感じるカルロスの息遣い。
離れたくない……。
私自身もまた、カルロスと一緒に居たいのだと思い知らされた。
「――ゴホンッ!」と大きな咳払いが聞こえた。
「お二人共、時間がないので話を続けたいのですが」
痺れを切らしたノアから声がかかる。
「邪魔をするな、ノア」
いつもの雰囲気に戻ったカルロスは顔を上げた。
今の状況を思い出し、顔がどんどん熱くなる。
視界の端から見えた、ロランとキーラン、ジゼルにいたっては、何とも温かい笑みを浮かべているではないか。
――は……恥ずかしいっ!
「そういう事は、お二人だけの時にどうぞ。それよりも、家庭教師の姿について……何故ヒナは『ビーチェ』だと思ったのでしょう? 我々ですら、本物の姿は見たことがないのですがね」
あ。
カルロスもそれに気がついたのか、バッと私の両肩を掴み顔を覗き込んだ。
「ビーチェ、何があった?」
どうにも、誤魔化せる状況ではなかった。
正直、どう説明すれば良いか分からなくて、あの日にカルロスと宮殿へ行ったこと、その晩の出来事をそのまま伝えた。
話を聞き終わると、ノアは冷ややかな視線をカルロスに向けた。
「なるほど。そんな事が」
「覚えていない……」
「そもそも、原因は印ですよね」
「………」
よく分からない会話が、ノアとカルロスの間で交わされていた。
「もしかして、この印は誤作動を起こすのですか?」
「ええ、ヒナ。その印には、色々と問題があるようですね。この件が済んだら、魔王様がきっちりどうにかするそうです。それまでは、そのままで我慢してください」と笑顔のノア。
だがカルロスに向けられた、ノアの目は笑っていなかった。
触らぬ神に祟り無し……そんな言葉が脳裏をよぎり、これ以上は聞かないことにした。
「では、話を戻しましょう。あの家庭教師は、核を離したバスチアンが変身していたのです。ヒナが見た通り『ビーチェ』の姿になって」
ノアが視線を送ればカルロスは頷く。
「バスチアンは、ビーチェを知っていたからな。外見だけでなく、魔力まで再現するとは……思い出すだけで、はらわたが煮えくり返る」
当時、ビーチェのそばにはカルロスがずっと居たそうだ。だから、バスチアンは近づく事さえ叶わなかったらしい。
なのに、そこまでビーチェ似せられるということは――バスチアンは、カルロスがビーチェと離れた後に。
「バスチアンは、ビーチェの墓を掘り返したのだろう」
カルロスはギュッと目を閉じ言った。
宮殿の庭で――家庭教師の姿を見たカルロスは、それに気がついたのだ。
多分、バスチアンはカルロスを動揺させる為にしたこと。
魔王城で、自分の分身とも呼べる魔術師バスチアンが消され、焦ったのだろうが……それが藪蛇だった。
『姫』と『私』が同一だとはバラしたが、まさか全てが『ビーチェ』の魂だとは、気づいていなかったのだろう。
魔王カルロスの逆鱗に触れたバスチアンは、即座に処分されたらしい。核が無くとも、存在を気づかれた時点で、バスチアンに逃げ道は無かった。どうやったのかは想像もつかないが。
だから、あの時……キーランは、私を宮殿内に入れないように足止めしたのね。
――それにしたって!
「バスチアンは家庭教師になって、何をするつもりだったのかしら?」
「その件も含め、魔王にバスチアンの核から全ての記憶を取り出してもらいました。バスチアンは、アリスをもう一度聖女として覚醒させ……道具として使うつもりだったのです」
またもアリスを利用しようとは……なんて酷いことを。
「その為に、これを使おうとしていました」
ノアが取り出したのは、私のモヤモヤの原因となった物だった。ベアトリーチェではなく、日向の記憶の中にあった物。だから、違和感があったのだ。
「やっぱり。その本だったのね」
「ヒナの言っていた小説ですね?」
「ええ、そうよ」
家庭教師が手に抱えていた、教材の中にあった本。
日向だった私が大切にしていた、古本屋で買ったあの小説だ。
以前、ノアは言っていた。あちらサイドが書いた物だと。
内容云々ではなく、加護があるアリスを洗脳するための……魔道具だったのだ。




