81.不可抗力ですから
モヤモヤが晴れないまま、もうすぐ夜が明ける時間になってしまう。
――ダメだ……眠れなかった。
上半身をゆっくり起こし、目頭をぎゅっと押さえる。答えが喉まで来てるのに出てこない。そんな感じが続いていた。
寝不足のせいか、少しだけ頭が重いわ。
もう、起きちゃってもいいのだけど……ジゼルまで起こしちゃうわよね。
勘の良いジゼルは、私が動き出すと気配を感じ取って、直ぐにやって来るだろう。仕方ないので、もう一度そのままベッドに倒れ込む。
すると―― 唐突に、鎖骨の下がカッと熱くなる。
えっ? な……なんでっ!
敵なんて何処にもいないのに!?
そう思った時には、転移していた――今回は私自身が。
暗闇で、どうして転移したと気づいたか。
そりゃ、ベッドに寝ていた筈なのに、ここは明らかに床だから。ふかふかの布団と枕は消え、背中はヒヤリとしている。
しかも、横を向けば、テーブルの脚があるもの。
反対には長椅子の脚がある。テーブルと椅子の間の空間に、私は仰向けで横になっている状態だった。
……どういうこと?
目を凝らすと、天井には見覚えのあるシャンデリア。明かりは消えているけど。壁に設置されている、小さなランプだけが点灯している。
ここは、魔王城だった。
それも、サロンではなく『姫様』の部屋だ。
理解できない。私はどうしてこの場に転移したのだろうか?
……うっ、寒っ!
布団も無く、薄い寝間着姿で床に寝ていたら寒いに決まっている。魔王城なら安心なので、取り敢えず起き上がることにする。
さすがにこのままでは、風邪をひきそうだものね――って!?
ムクッと体を起こし、隣を見ると……驚きで一瞬息が止まる。
な、何故、この部屋の長椅子に……カルロスは横たわって眠っているのだろうか?
長い足は椅子から飛び出し、布団も何も掛けていない。しかも、いつものガウン姿のまま。
いくらクッション素材の良い椅子でも、ベッドの方がよほど寝心地は良いだろう。
胸元のガウンは少し開けてしまっている。
くっ。目のやり場に困るわ……。
「う……ううっ……」
突然の唸り声。カルロスは魘されているみたいだ。
夢見が悪いのか、それとも寒いからなのか。迷った末……カルロスの色気に当てられないように、顔を逸らしつつ、そ〜っとガウンを直そうと手を伸ばした。
「ビーチェ……!」
いきなり名前を呼ばれ――ビクッと手を止めた。
けれど、カルロスの顔を見れば、まだ眠ったままだ。なんだ、寝言か……と思った矢先、急に手首掴まれ抱き寄せられた。
――なっ、何っ!?
カルロスの胸に顔を埋める状態で、体ごと乗っかってしまった。ジタバタと必死で起きあがろうとするが、背中に回された腕が邪魔で起き上がれない。
カルロスは、まだ魘され続けているようだった。
恥ずかしさと息苦しさで、どうにかなってしまうかと思った刹那……カルロスの魔力が一気に流れ込んできた。
――あっ! 密着しているからだ。
以前、肌の触れ合う面が多ければ、魔力を流し易いと言っていた。
ただ、流れ込んで来たのは魔力だけでない。
カルロスがみていた夢……それも過去の記憶のようなものまでも、鮮明に見えてしまった。
どのくらい、時間が経ったのだろうか――。
だいぶ落ち着いたカルロスが、腕の力を弱めた隙に、私は腕の中から逃げるように離れた。
そのまましゃがみ込むと、ギュッと自分の寝間着を掴む。もう、鎖骨の下は熱くない。
ここへの転移は、印の誤作動だったのか?
だとしても、見たくはなかったわ――。
不可抗力とはいえ、カルロスの記憶を勝手に覗いてしまった罪悪感。初めて見た本物の『ビーチェ』の姿。
カルロスがどれ程までに彼女を愛し、欲していたのかが解った。
私は、本当に……彼女の魂の生まれ変わりなのだろうか?
日向であった記憶はあるが、それ以前の記憶は全く残っていない。確かに、額に『鍵』の印はあったのだから『姫様』であったのも本当だろう。
では、『ビーチェ』は?
――よく分からない。
なぜ今、カルロスはこの部屋に居たのだろうか?
『姫様』恋しさか、それとも……。
ぐるりと、部屋の中を見渡した。
過去に私の部屋だったとしても、覚えているのは転生の時と、先日レンと話し合いに使ったくらいだ。
カルロスは、穏やかに眠っている。
思わずその寝顔に手を伸ばそうとして、引っ込めた。
カルロスを見ているのが辛かった。
気が付いた時にはもう――私は、寮の自分の部屋へと転移して戻っていた。
脳裏に焼きついた、カルロスとビーチェの姿。
鏡の前に立てば、今の自分が映る。映し出されたベアトリーチェの姿に触れれば、鏡の冷たさがいっそう不安を煽る。
「ビーチェは……私じゃなくて、あの家庭教師の方かもしれない」
魔王のパートナー。
その言葉は、いつの間にか私の中でとても大きな物になっていたのだ。そう、カルロスの存在そのものが。
温かい何かが頬を伝った。
――ああ、私はカルロスが好きなんだ。
けれど、その気持ちに気づいても……少し遅かったのかもしれない。
カルロスの夢の中の『ビーチェ』は、アリスの家庭教師にそっくりだった。
胸が、苦しいな。
だけど、彼女が本物の『ビーチェ』なら、カルロスと幸せになってほしい。
パンパン――ッ!
と思いっきり、自分の頬を叩いた。
しっかりしろベアトリーチェ!
見た目に惑わされたら駄目だ。
あの家庭教師が、本当にビーチェの生まれ変わりだったのなら、潔く身を引こう。先ずは、それをハッキリさせなくては。
目に見えている事が全てではないと、義兄から教えられたのだから。
明日……いや、もう今日ね。放課後、今度は私一人で宮廷に潜り込んでみよう。
そう決意して、ジゼルが起こしに来るまで、もう一度ベッドに潜り込んだ。
◇◇◇◇◇
毎日の日課に戻った、朝の健康観察。
保健室の近くまでやってくると、私の意志とは裏腹に歩くスピードが落ちてしまう。
割り切っているつもりだったのに、ね。
ようやく扉の前に立つと、後ろからキーランの気配がした。
「おっはようございます! ベアトリーチェ嬢」
ニコニコと、眩しいほど爽やかスマイルのキーランは、今日も通常運転だ。
「今日、カルロス先生はお休みだそうです!」
「……え。そうなのですか?」
「はい。だから、ベアトリーチェ嬢にそれを伝えておくようにと」
「わかりました。では……このまま教室に向かいましょうか」
カルロスに会わずに済むとわかって、ほんの少しだけホッとしてしまった。




