75.一難去ってまた一難
「……ノア?」
ついヒナと呼ばれて、学園内であるにも関わらず、いつものように返事をしてしまった。幸い、場所が場所なだけに周囲には人の気配はない。
まあ、だからこそ彼らはこの場を選んだのだろうけど。
ノアの普段見せない表情も気にはなったが……。
取り敢えず、この惨状を誰かに見られる前に、さっさと隠蔽しないといけない。
それを伝えるまでもなく、ノアは茂みから出て来ると、溶けて荒れてしまった場所に手を翳す。
パァァ……と、ノアの手のひらが青白く光れば、一瞬で元通りになった。枯れたはずの、草花までも。
何事も無かったかのように、風でそよそよ揺れる花に見入ってしまう。
うーん、お見事です。
「流石だわ、ノ……ァ?」
視線を戻すと、ノアの顔が目の前にあった。
――うひゃっ!? イケメンが近いっ!
ノアは徐に私の前髪をあげると、額を真剣な表情で凝視する。
ノアのダークブルーの瞳は一点を見詰めたまま動かずに、暫しの沈黙。
近過ぎて、息をするのも憚られてしまう。
「……印は有りませんね」
パサッと前髪は下ろされた。
へ?
「先程の防御魔法、魔王の力が加わっていた気がしたのですが……。魔王は今日、魔界を抜けられないはず……」
ノアは、顎に手を当てブツブツと何か言っている。
魔界でカルロスは、魔王としての仕事が大量にあるらしい。決して……暇だから、保健医をやっている訳ではないのだと、前にノアが言っていたのを思い出す。
魔界という大きな世界の王なのだから、やることが沢山あるのは当たり前よね。
それよりも、ノアの疑問は魔王の印なのだろう。
以前、『鍵』の印は額にあったから……さっきのは、それを確認したのだ。
だからって!
魔族のイケメンは、距離感ってものがおかしい。今度、強めに注意しておかないとね。
私、結構ナイーブなのよ?
まあ、それはさておき……。
「私には、カルロスの魔力が流れているのでしょう? それと何が違うの?」
「……そうですね。ヒナは、ペンダントを持っていますよね?」
「ペンダントって、蝶の?」
ノアは頷く。
ペンダントは、今も肌身離さず首からちゃんと掛けている。華美なアクセサリーは校則で禁止なので、制服の中に隠してあるのだ。
「それに触れると、ヒナには他人の魔力がハッキリ見えるはずです。例えるなら、普段は淡い色なのに、先程の魔力はとても濃い色だったのです」
つまり、印の力は魔王のダイレクトな力ってことかしら?
「ねえ。その印なら、こっちに有るわよ? 今は額じゃないの」
ノアに向かって、制服の上から自分の鎖骨下をトントンと指す。
ガバッと、ノアは私の肩を掴んだ。
「ヒナ、それを見せてはいただけませんか?」と、切羽詰まった表情のノアは言う。
「いや……それはちょっと」
ここは学園だし、ドレスでもないのに肌を露わにするのには抵抗がある。
だけど、真剣なノアに「嫁入り前ですので」……なんて冗談は通じなさそうだ。
「えっと……カルロスにね、誰にも見せては駄目だと言われているのよ」
正直に言ってみた。
ノアは眉根を寄せ、何かを考えいるのか天を仰いだ。
「……ヒナ。貴女は印の意味を知らされましたか?」
「印の意味?」
はて、カルロスから説明された記憶はない。
鍵の役目はもう終わっているし……。バスチアンの所へ人質として乗り込む前に付けられたものだから、ただの護符的な物だと思っていた。
「魔塔へ行く前、カルロスの力がもっと使えるようになるからって。こっちの方が額より隠せる……そんな風に言っていたわ」
深い溜め息を吐いたノア。
何か良くない印なのだろうか?
不安になって、ジッとノアを見た。
私の視線に気づくと、困ったようにフッと微笑む。そこには、いつもの冷たさは無かったが……それが却って心配になった。
「印が、ヒナに害を与えることはありません。心配いらないですよ。ただ……暫く、私は学園を休みます。その前に、少し確かめますね」
「確かめるって?」
意味が解らずに、ポカンと背の高いノアを見上げた。
唐突に、ノアの手が私の頬に触れる。
少し屈み込んだノアは、ぽそっと呟くと更に顔を近づける。私の顔に影がかかった。
……って!? このシチュエーションはっ??
焦ってノアを押し退けようとした、次の瞬間――ヒュンッとノアが消えた。
力が抜けて、ペタリと座り込んでしまう。
ノアが確かめたかった事って…… いったい?
『敵意は倍返し。では、好意なら?』
ノアの呟きが耳に残る。
印の部分に、またほのかな熱があった。今度は何が発動してしまったのだろうか?
……にしても、勘弁してよ。
深呼吸して、バクバクした胸をどうにか鎮める。いたいけな乙女心を弄ばないでほしいわ。
すると、ガサッとまた茂みが動いた。
――ひえっ! 今度は何よっ!?
恐る恐る振り返ると、そこにはレンの姿があった。
「……ベアトリーチェ嬢、すみません。覗くつもりはなかったのですが」
レンは伏し目がちに、気不味そうに言った。
「あ……あの、いつからそこに?」
なんで、気配が無いのよっ!?
平静さを装い、何事も無かったかのようにスッと立ち上がり、スカートをぽんぽんと払う。
別に、あの令息達のところは見られても構わなかった。けれど、問題はその後だ。今のを見られていたなら……勘違いされたに決まっている。
ちゃんと説明するしかないわよね……。
私が口を開くより先に、レンは意を決したように顔を上げると、私に向かって話し出した。
「さっき、ノアは……」
嫌な汗が、頬を伝う。
「ベアトリーチェ嬢を、ヒナと呼んでましたよね?」
ああ、名前のことね。なんだ、そっちか良か……って!!
あああ――……これは、完全に詰んだわ。




