61.バスチアンとの対面
「それで……令嬢には、お前の姿は見られなかったのだな?」
高慢そうな男の声には、聞き覚えがなかった。
「はい。背後から気絶させる予定でしたが、勝手に気を失ってくれましたから。余程、弟の姿がショックだったのでしょうね」
――ゴトゴトと揺れが頭に響く。
馬車の中に入れられ、私は縛られた状態のままで横に寝かされている。向かい合わせの椅子には高慢男と偽ヒナタが座っている――目を閉じているから見えないけど。
目立たないように、ありきたりの質素な馬車を使っているようだ。公爵家の馬車とは違い、何ともクッションが悪い。
これ、頭にコブでも出来そうだわ……。
作戦の準備が完了した直後に、この男はやって来た。
事情を説明した偽ヒナタに、途中で私が意識を戻さないよう、念のため睡眠薬を嗅がせておけと指示を出したのだ。
偽ヒナタは躊躇なく、薬を布に含ませると私の鼻と口に押し当てた。
はい、想定内です。
レイモンに与えられていた薬品は、2本だけではなかった。オリヴィエに使用した物の他に、私を捕らえる為の分まであったのだ。
当然、中身はただの水に変えてある。
「こんな弱々しい人が、本当に魔王を復活させたのですか?」
「あのお方がそう仰ったのだ」
「もし違ったら……この人、公爵令嬢ですよ?」
偽ヒナタの質問に、少しの沈黙が流れた。
「そうだな、もしも間違いであったなら……私の妻にするのも悪くない」
「……えっ!?」と、偽ヒナタの唖然とする声。
はぁっ!? 私もちょっと意味が解らない。
「どの道、暫く失踪するのだ。無事に帰ったとして、よからぬ噂は立ってしまうだろうからな。傷物の令嬢として、もう良い相手など見つかるまい。何せ既に一度、婚約破棄されているしな」
むっ……! 破棄ではなく、白紙に戻っただけよ。
目を閉じていても感じる、ねっとりとした視線。全身が粟立つ。
馬車の中で高慢男が動き、気配が近づいて来る。ここまで来て、目を開ける訳にもいかず体が強張った。
「手籠めにしてしまえば、逆らえま……」と、男が言いかけた時だった。
――ガタンッ!!
大きく馬車が左右に揺れ、ガン、ゴンッと鈍い音の後「痛っ!!」と言う声が聞こえた。
腰を上げていた男はバランスを崩し、馬車の壁に打ち付けられたようだ。あの音からして、かなりの衝撃を受けた筈。
「……っく、何事だっ!」っと、窓から御者役の手下を怒鳴りつける。
「もっ、申し訳ありませんっ! 急に馬が暴れだして」
高慢男は出血でもしたのだろう。鉄の臭いをさせながら、ぎゃあぎゃあ騒いでる。隣の偽ヒナタが応急処置をしているみたいだ。お陰で、私に向けられた気持ちの悪い視線は感じなくなった。
ん? ……おかしいわ。
私自身、予期せぬ出来事で魔法は何一つ使っていない。
なのに、衝撃を全く受けなかった。いや、衝撃というよりも、揺れさえ感じなかったのだ。まるで、ほんの数センチだけ空中に浮いていたみたいに。
そして、馬車はまた動き出した。
◇◇◇◇◇
暫くすると――。
目的地に到着したのか、馬車はゆっくりと止まる。
高慢男は自分の事でいっぱいいっぱいなのか、出迎えた者に私を担がせると、バスチアンの居る最上階へ連れて行くように言った。
「おいっ、私が行くまでバスチアン様に余計なことは言うなよ」
偽ヒナタに釘を刺し、高慢男は自分の怪我の手当てに向かった。
さっきの馬車での話は、あの男の勝手な言い分で、バスチアンには聞かせたくないのかもしれない。
魔術師団の本部でもある塔は、縦に長い構造で、とにかく高く、遠くからでもよく見える。
ただ、外から見たことはあっても入ったことはない。
聞いた話では、塔の上に行けばいくほど地位の高い魔術師の仕事場があるそうだ。
そして、最上階には宮廷魔術師バスチアンの部屋があるのだと。どうやら、バスチアンはあまり正門を使わず、転移魔法で宮廷と魔塔を行き来しているらしい。
確か小説では、勇者召喚の儀はこの塔で行われたのよね。
私は見知らぬ男に担がれた状態のまま、最上階まで転移陣で移動するようだ。体格の良い男はボソボソと詠唱し其れを起動する。
すると、急にぐゎんっと浮遊感にみまわれた。しかも、それは数秒間続く。
……うっぷ。酔うわ、これ。
いつもの転移が、どれほど素晴らしく秀逸なものなのか良く分かった。
バスチアンに入室を許可されると、男は私を中まで運び込み、椅子らしき場所に寝かせる。
そのまま、挨拶をすると男は部屋から出て行った。
「其方も、外で待て」
一緒にやって来た偽ヒナタにも、バスチアンは退室をするよう促した。
「かしこまりました」と不自然に思われないように、レイモンらしく返事をし踵を返した。
さて、私はこれから何をされるのか……。そう思った瞬間。
バシャ――ンッ!! と大量の水が降ってきた。
――ぐはぁっ!!?
鼻と口に一気に水が押し寄せて、息が出来ずゴホゴホとむせ返る。鼻もツーンッとして痛い。
苦しさで思わず目を開けると、剣術大会で見た白髪混じりのバスチアンが、こちらを見下ろしていた。
「目が覚めましたか? ドルレアン公爵令嬢、手荒なことをして申し訳ありません」
全く悪いと思ってなさそうなバスチアンは、そう言った。
「……こんな起こされ方、初めてですわ」
ポタポタと雫を垂らしながらキッと睨んだ。
「これでは風邪を引いてしまいますから、さっさと乾かしてくださいませ。それと、この縄も解いてください。私は、逃げも隠れもいたしません!」
「承知しました。確かにその状態では……話し合いには、向いていませんね」
とバスチアンは無詠唱で縄を切り、一瞬で服を乾かして見せた。
……これは、一体どういうこと?
握りしめている手に力が入る。手の中に隠し持っていた蝶のペンダント。
バスチアンの纏う魔力の色は、今まで見たことがない、深い紫に闇のような黒い靄がかかった異様なものだった。
「私と手を組みませんか? 貴女は聖女アリスが憎いでしょう?」
自分の力を見せつけ、不敵な笑みを浮かべたバスチアンに悪寒がした。




