42.解せません
「ビーチェ……私を褒めて癒せ」
白衣姿で目の前に座るカルロスは、不機嫌そうに言った。
――はい? 今なんて?
昼休みになり、私は一人で保健室へ来ていた。
キーランは用事が出来たらしく、ノアに呼ばれて行ってしまった。
いつもは、ジゼルか魔族の誰かしらが一緒なので、こうして二人きりになるのは、剣術大会の準備日以来だ。
「あの……ちょっと理解に苦しむのですが」
「……あの女を消滅させなかった私を褒めろ」
「消滅?」
あの女とは、アリスを指しているのだろうか?
「……そうだ。少々確認したい事があったから、ノアに言われた通りに声をかけた。すると、どうだ。私に触れようと執拗に近付くではないか」
表情の抜け落ちた魔王は、心底アリスを嫌悪しているみたいだ。
窓から見たあれは、離れようとしたカルロスに、アリスが付きまとっていただけだったのか。だからって、消滅とは……やはりカルロスは魔王なのだ。
が!
それで、私に癒せとは解せない。完全なるとばっちり、勘弁願いたい。
何故だか知らないが、私に魔力を流すと魔王が癒されると言うのだ。だから治療が終わった後も、時々それに付き合っている。
まあ、私の中には魔王の魔力が流れているから、魔王自身の魔力の循環を促す――的なものなのかもしれない。
きっと、長く眠っていた魔王には必要なことなのだと、無理矢理自分を納得させているけど。
「……来い」と、魔王は私に向かって腕を広げた。
いや、ここ保健室ですからね。
そうでなくても、さすがにそれは無理。
だいたい……いつもは手を繋ぐだけでしょうが!
ハプニングで抱きしめられた事はあっても、自分からは絶対に行けない。心臓持たないし。
とはいえ、無下に断ってまた異空間を用意されたり、魔法で足を掬われても困る……精神的に。
「カルロス先生、ここは学園なので」と、広げた片手を取り、そっと握りしめてにっこり笑いかける。
そう。これだって、私には精一杯なんですよ。
遮音結界で会話は漏れなくとも、誰かに見られでもしたら大変だ。
カルロスは小さく溜息を吐くと、握った私の手をジッと眺めた。
「仕方ない、我慢をしよう」
と色っぽい笑顔を見せ、そのまま私の手を引き唇を落とした。
――なっ!!?
突然の柔らかい感触に息ができない。
一瞬で自分がカッと熱くなるのが分かった。たぶん、顔も耳も真っ赤になっているだろう。
私から少しだけ離れたカルロスは、クッと楽しそうに目を細めた。
「ビーチェ、首まで赤いぞ」
握っていない反対の手で、肩に掛かっている私の髪をサラリと払い、そのまま首に触れたかと思うと親指が耳の裏を撫でる。
ひ、ひゃあぁぁぁぁ……!?
ひんやり冷たい手で触れられたのに、却って熱を帯びている気がする。
「……ビーチェ」
時が止まったように、私を見つめる魔王の瞳から目が逸らせない。
「お待たせしましたぁー!!」と、勢いよく保健室の扉が開いた。
――ハッとして、慌ててカルロスから離れる。
よ、……良かった。
ナイスなタイミングでキーランが来てくれた事に、胸を撫で下ろす。
「あっれぇ〜? またイチャイチャしてた?」
悪戯っ子みたいに言ったキーラン。
返答に困っていると、キーランは何かを感じたのかチラッと窓に目をやった。
もしかして……窓の外には誰かがいたのかもしれない。
さっきの……見られてないよね?
一抹の不安とともに、唇の感触を思い出すとまた胸がドキドキしてくる。
――そして、肝心なことを訊けないまま、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。
◇◇◇◇◇
授業が終わり、今日はこのまま寮に戻るつもりだった。なのに――。
うーん。どうしたものか。
教室を出て暫く行くと、誰かに跡をつけられている事に気がついた。
しかも、相手は気配を消している。只者ではなさそうだ。学園内なら物騒なことは起こさないだろうが、それでも気分は良くない。
歩きながら考える。
ミレーヌの可能性は無い。
確か今日は、オレリアとミレーヌで一緒にお茶をする約束していた。さっきも、二人で帰り支度をしていたので間違いない。
でも、まぁ折角だ。
このまま、人気のない場所まで誘導してみて、顔を拝んでおこう。最悪……気絶させて、キーランに頼んでその記憶を消してもらえば問題ない。
いつもの園庭を抜け、更に奥まで行ってみる。この辺りは、背の高い植木が多く隠れやすいだろう。
油断していると思わせるように、足を止めて咲いている可愛い花を愛でてみる。
さて、どう出て来るかしら?
カサッ――と、背後で音がした。
次の瞬間、私の肩にむけて手が伸ばされる。
少しだけ膝を落とし相手の腕を捻り上げ、懐に入るとそのまま投げ飛ばした。
「……ベ」と聞こえた気がするが、身体はもう動いてしまっていたのだ。
――ドスンッ!
「え?」
投げ飛ばした相手を見て、思いきり後悔した。
「……っ。あ、痛たたた……」
しこたま背中を地面に打ちつけ、痛そうに顔を顰めているのは、見覚えあるプリン頭の義兄だった。
「ま、まあ! レン様、大丈夫ですかっ!?」
慌ててしゃがむと、レンに手を貸し起こす。
勇者を投げ飛ばすなんて、普通の公爵令嬢のする事ではない。
どう誤魔化すか、頭はフル回転中だ。取り敢えず、謝りつつ護身術を習っていたと説明しなくては。尾行した理由を聞くのはそれからだ。
「申し訳ございません……私、護」と、言いかけるとレンに手で口を塞がれた。
レンは、もう一方の手で自分の口に人差し指を立てると、シーッとジェスチャーする。
えっ?
「ベアトリーチェ嬢、すみません! 前をよく見ていなかったもので。お怪我はありませんでしたか?」
唐突に、レンは謝りだした。
なぜ謝罪されているのか、ちんぷんかんぷんで首を傾げる。
するとレンは、自分の持ち物からノートとペンを取り出して筆談を始めた。




