3,入学式前日②
王室、皇室、貴族の通う学校だからなのか。
入学式とは言っているが、実際は顔見知りの友人や年上でしばらく会えていなかった上級生の婚約者と会う場と化している。
また、婚約者のいない令嬢達にとって、将来有望で婚約者のいない方とお近づきになることができる場でもあったりする。
まあ、私には関係のない事。
好き好んで私と婚約したいなんて物好きはいないだろうし、私には王都を守る騎士になるという夢もあるのだから。
いつもなら警戒心を持って行動しているはずなのに、校内に漂う入学式前日特有ののほほんとした空気に流されていた。
自然なまま(伊達眼鏡とカツラを付けていない、人に見せてはいけない状態)である事を忘れて、魔法学校の校内をキャッキャと一人見回っていた時。
「こんにちは、月下に咲く可憐な一輪の花以上に綺麗なお方」
低く、しかし耳に心地良い男子の声が響く。
いやあ、誰か呼ばれているよ、凄いベタ惚れじゃないか、なんて思いつつ、地面を歩く蟻さんと戯れていた。指先でツンツン、とつつくと蟻さんは触覚で私の指をペシ、と叩く。可愛い。
「無視されるのはなかなかきついですよ?」
そうして、私は腕を軽く突かれた。
「うえっ、私ですか⁉︎ いや、私は……」
その瞬間、気付く。
あ、これ社交辞令だ。
なんで私に声をかけたのかは分からないけれども、社交辞令以外あり得ない。
そうして相手をちゃんとみて、一瞬わななく。
いや、皇太子じゃん。無礼な態度取れないじゃん。
「ザーク殿下。大変失礼な態度、申し訳ございませんでした。何せ、わたくしめのようなものに声をかけて頂けるなど考えてもおりませんでしたので」
うわ、美形。
表面上、そう言いながら心の中ではそう思っていた。
留学に来ておられる、隣国レイナハルン皇国の皇太子、ザーク・レイナハルン殿下。
非の無い完璧な人物である。性格にやや難あり。
一言で言えば、インテリイケメン。
黒縁眼鏡に、黒髪。涼しげな目元には小さなホクロがひとつ。でも、肌は白い。
それに美声とか、無敵。
「明日の舞踏会でパートナーをして頂きたいくらいに、惚れております」
「お戯れを」
「でも、貴女の様な方には生涯添い続けると決めたお方がいるのでしょうね」
「ええ」
私は、ドレスに仕込んだ短剣と生涯を共にすると誓っている。
短剣に気付くなんて、なんて皇太子だ。
「殿下、つかぬ事をお伺いしますが、剣術に長けているのでは?」
「え?」
ザークは固まった。
「ん?」
なんとも言えない空気が流れる。
「え、殿下はこちらに気付いた……っと」
ドレスの裾から短剣を出そうとした瞬間、ザークの首を狙って飛んでくる物を見た。
私はザークを引き寄せ、そのものを掴む。
「ちっ。兄上め。また余計な事を」
兄の短剣だ。
勝手にウロウロするな。
そう、短剣のフラーに書いてあった。そして、瞬時に文字は消えた。
私は短剣をドレスのポケットに無造作に突っ込み、ザークを解放する。
「大変申し訳ございません。緊急性が高かったとは言え、皇族の方に触れてしまうなど……」
そう言ってザークを見ると、黒曜石の様な瞳がポー、と宙を向いていた。
「殿下……?」
おーい、と目の前で手を振ってみても反応なし。
これ、まずいんじゃ……短剣に毒か何か塗っていたのか、あの兄上は。
「ザーク殿下! どちらにいらっしゃいますか⁉︎」
その時、ザークの護衛のものと思われる声が近くから聞こえた。
「こちらです!」
上空に火花を飛ばす。
近くにあった木の頂上に登り、ザークが回収されたのを確認。
そして、自室に戻ろうと木から降りようとして、身体が動かないことに気付く。
「フューネ? なーに、勝手に、外を、彷徨いているのかなあ?」
背後から、怒気を感じる。
「えーと、リュート兄上……その……」
そして、私はこう言った。
「蟻さんと友達に……」
そういう私を無言で抱え、良い感じの笑顔で言うリュート。
「明日の服装を確認しないと、ねえ?」
リュートが投げた短剣を掴み、木を必死に登ったお陰でターコイズブルーのドレスは薄汚れ、伝線している。
「ごめんなさい……」
その日は自室から出してもらえず、リュートの膝の上でこってりと絞られたのだった。
そして、ザークの護衛騎士は「天使を見た、欲しい」とガラでもないことをいう主人を心配し、カウンセリングの先生を呼んだのだとか。
死にかけたのかな?