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【夢はおっきく!】

 結局のその日の朝、恭一郎とリオが部屋から出てきたのは、昼近くになってからだった。二人で汗をかいてしまっているため、シャワーを浴びてからの遅い朝食(ブランチ)となった。

 二人が色々と迷惑を掛けてしまった遥歌は、ハナと一緒に国防院へと仕事に行っている。自宅に常駐していることの多いヒナも、昨日のリオのパンチで散乱したコンテナの片付けに当たっているため、その姿を見せていない。

 珍しく自宅で二人きりとなった恭一郎とリオであるが、午後にはリオがノイエ・トイフェリンに向かうことになっている。来年の春の結婚式に向け、国内の準備と調整を始めるためだ。

 ここ数日の間に体力を激しく消耗した恭一郎も、結婚式におけるオディリア関連の調整のため、シズマ大統領を始めとした関係の深い人物と連絡を取ることになる。

 ある程度のお膳立てが済めば、外務担当のミナに後は任せ、政府の外務担当者と共に詰めを行ってもらうつもりだ。そのあたりの話しは、昨日の帰宅後にミズキへ話を通してある。




 午後になり、ノイエ・トイフェリンへと向かうリオを見送った。恭一郎に愛されて絶好調のリオは、飛行速度の更新でも狙っているような速度を出して、数秒でその姿が見えなくなってしまった。

 リオを見送った恭一郎は、そのまま司令室へと向かい、駐トイフェルラント大使のミヒャエルに連絡を取った。シズマとのホットラインを使用しないのは、緊急性のある内容でもなく、コーエン内閣がシズマと直接話し合うのが筋である。と判断したからである。

「お忙しいところ、申し訳ありません。実はご連絡とご相談がありまして、ミヒャエル大使にお願いがあるのです」

 すぐ近くのマイン・トイフェル空港の脇、トイフェルラント駐在武官事務所の中にある、駐トイフェルラント大使館の大使執務室へと音声通信を繋げる。

『これは、恭一郎様。何かトラブルでございますか? 何やら昨日から、ノイエ・トイフェリンが騒がしいようですが?』

 妻のアリッサがもうすぐ臨月を迎えるミヒャエルが、早くも国内の騒動に気付いていた。シズマから信任を受けて駐在しているだけのことがある、優秀な情報収集能力を持っているようだ。

「お耳が早いですね。まあ、これから話す件とは、あまり関係はないのですが、完全に無関係ではありませんから」

『そうなのですか? それで、恭一郎様のご用件というのは?』

 ミヒャエルがあまり深くまで話題に突っ込まず、話を先に進めてくれた。

「実はこの度、そろそろ身を固めようという話になりまして。結婚式を挙げようという運びとなりました」

『これは、おめでとうございます。いよいよ恭一郎様がリオニー陛下と、正式な夫婦となられるのですね』

「ありがとうございます。両国の情勢が安定している今が最良と考えまして、来春に挙式を行なおうと考えています」

『来春ということは、およそ半年後、ということですか』

「ええ。そちらの中間選挙が一年後にあるそうですから、その前に挙式を行えば、確実にシズマ大統領を招待できますから。今回の中間選挙は、戦後初めて行われる選挙ですからね。どういう結果になるのか、私も注視しています」

『再選を望む声は大きいですが、大統領の支持母体は軍需産業が中心ですから。彼等がどう動くかで、大統領の方針も左右されますからね』

 シズマは漸進ぜんしん派に多少傾倒しているが、軍需関係に太いパイプを持つ大統領だ。彼等の後押しがあって大統領となった経緯があるため、シズマはある程度の配慮を支持層に示さなければならない。

 オディリア統合軍は、オメガと戦うために組織された、攻勢をむねとする戦闘集団だ。敵であるオメガを攻撃して滅ぼすことを前提とした体勢であるため、敵失した統合軍は大きな変革が迫られている。

 平和になったことで装備品の消耗規模が大きく低下していて、保有している戦力は相当にだぶついている。装備品の余っている統合軍の維持費は削減され、戦うべき敵がいなくなったことで、その規模も縮小されることになる。

 その影響を直に受けるのが、軍需産業である。彼等の商品である兵器や武器弾薬が売れなくなるため、彼等が大統領に働き掛けて新たな敵を作り出し、再び商品が必要になる状況を作り出す可能性がある。

 その危険を恭一郎は考慮していて、軍需産業の業態を宇宙開発へと誘導するように、シズマに対して働きかけを続けている。それに加え、徹頭徹尾平和路線を貫き通した個人外交と、非常識な保有戦力の数々によって、トイフェルラントと事を構えるという空気の醸成自体を阻んでいた。

 そのため、例え政権交代を行うことになったとしても、オディリア共和国はトイフェルラントの友好国であり続けることになるだろう。しかしそれでは、個人的にも世話になっているシズマに対して、最高の形で礼を尽くすことができない。

 もしも中間選挙の後に、新たな大統領が立ったとすると、新大統領と前大統領を結婚式に招待することになり、どうしても外交儀礼で新大統領を優先しなくてはならなくなってしまう。

 この点を考慮しての、来春の挙式でもある。

「シズマ大統領を国賓として招待したいので、是非ともミヒャエル大使に、オディリア国内への働き掛けをお願いしたいのです。トイフェルラント国内の調整も始めていますので、双方の都合を擦り合わせて、結婚式を成功させたいのです」

『お話は承りました。早速本国へ持ち帰り、色好い返事を貰えるように努力いたしましょう。ここしばらく平和でしたので、このような歯応えのある仕事はむしろ、望むところでございます』

「お手間を取らせますが、よろしくお願いいたします。本来ならば奥様のお身体が大変な時期を避けたかったのですが、この機を逃すわけにはいかなかったのです」

『妻の心配までしていただきまして、誠に恐縮でございます。しかし、一公務員の家庭事情とは比較にならない、英雄の結婚でございます。どうかお気になさらず、式の準備をなさってください』

「お心遣い、感謝します」

 ミヒャエルからの協力を取り付け、音声通信は終了した。




     ◇◆◇◆




 司令室からガレージへと移動して、昨日の一件からの復旧状況を確かめる。リオの一撃によって砲弾と化したマクシミリアンが、集積していたコンテナに突っ込んで派手に吹き飛ばしていた。

 マクシミリアンを救助した後から続けられていた作業は、まだ半ばにも達していないようだ。

 ミズキが天上のガントリークレーンを使い、集積場所付近に散らばったコンテナを整理している。

 ヒナとセナが破損したコンテナを調べ、その中身を慎重に取り出して、ガレージの床に並べて見分を行っている。

「これはまた、随分と派手にやったものだ」

 いつもの通りに挨拶を行い、家族の仕事を労う。それから改めて、コンテナ置き場の惨状に驚いた。

「破損したコンテナは多いですが、幸いにも中身には目立った被害はありませんでした。ただ……」

「――伯爵の部屋、ほぼ全損……」

 狙い澄ましたように撃ち抜かれたマクシミリアンのコンテナハウスは、本当に酷い有様だった。壁にはマクシミリアンが貫通した大穴が空いており、衝撃を吸収したベッドはひしゃげたまま、『く』の字に割れている。家具類は激しい衝撃で転倒しており、こちらも生活用品諸共に酷く破損している。無事なのは破壊を免れた衣服と、猿梨の漬けられたガラス瓶を含む家財道具の一部だけのようだ。

「ゼルドナの使っていたコンテナは?」

 ゼルドナ・ゾンタークことジェラルド・ラザフォードの住んでいたコンテナハウスは、彼の存在を忘れないように、期間未定で保存されていた。単に恭一郎の未練の産物ともいえたが、遥歌がこまめに掃除に来ていることから、全くの無駄ではないようだ。

「幸い、被害はありませんでした。彼の遺品の無事は、セナが確認を終わらせています」

「――伯爵の部屋を直撃……。狙わないと、こうはならない……」

 どこまでも、チートな魔王様である。セナの見解が正しければ、リオはマクシミリアンを狙ったポイントに殴り飛ばしたことになる。チート能力は今に始まったことではないが、いつも驚かさてしまうことばかりだ。

「部屋がこうなってしまっては、もうここには住めないだろう。今後マクシミリアンは、どこに住んでもらおうか?」

 もはや再建は不可能なダメージを受けたコンテナハウスは、予備の資材として廃棄するしかないと判断されていた。そうすると、マクシミリアンは住む部屋が無くなってしまう。

 しばらくはノイエ・トイフェリンの厚生院病院での入院生活を余儀なくされるが、退院後の生活の場が無くなってしまう。かといって、自宅には年頃の女の子もいるので、同居は恭一郎的に絶対不可だ。

 となると、エアステンブルクに家を用意するのが、最も妥当かもしれない。基地までの通勤時間を必要とするようになるが、ガレージのコンテナ暮らしよりは多少は良いだろう。

 むしろ今まで、コンテナでの暮らしに文句の一つも言わなかったことの方が、恭一郎としては不自然だった。

 そのようなことを考えて頭を捻っていた恭一郎に、ミズキが進言してきた。

『前々から構想していたのですが、ノイエ・トイフェリンに近衛軍の駐屯地を設営して、そこの指揮を任せてみる。というのはどうでしょうか? 現状の人員だけでは、近衛軍としての活動にも限界があります』

「そういえば、エアステンブルクの住人の中にも、近衛軍での仕事を希望する者がいます。近衛を増員するのであれば、良い機会かもしれません」

 ミズキの進言に反応して、ヒナも近衛軍の人員拡充に賛同の意志を示している。

「確かに、護衛対象が二人に対して、護衛要員が他の仕事を兼任している七名だけだからな。マクシミリアンが抜けた分、実質的に六名だけか」

 魔王のリオを除き、恭一郎と遥歌の護衛役は、戦闘の苦手なリナを除いた、ハナ達姉妹の六名の誰かが行なっている。そんな姉妹達は各自の持ち回りの仕事があるため、忙しい時分だと恭一郎と遥歌は自宅や基地から出られないことがある。

「――部下、必要。労働環境改善の好機……!」

 セナも働き方改革を掲げている。現状の近衛軍は慢性的なマンパワー不足に陥っている。

「近衛軍の新たな駐屯地に、隊員の募集か……。駐屯地のため用地確保は、リオに相談して手を回してもらえばなんとかなる。募集の方は国防院でも、国防隊の人員を募集していたな。それと歩調を合わせれば、候補者選びは捗りそうだな」

 恭一郎としても、近衛軍の人員の拡充には賛成である。ただし、ハナ達アンドロイド姉妹を増やす案と、別系統のアンドロイド隊員で増員する案、信頼に値する亜人を採用する案で、しばらく前から悩んでいた。

 姉妹を増やす案は、最も信頼できる人員を確保できるのだが、近衛軍がシスタープ〇〇〇ス状態となってしまう。これでは本当に、恭一郎のハーレムと変わりがなくなってしまう。

 だからと言って、別系統のアンドロイドを仲間に加えるとなると、それはそれで亜人達を信用していないようで、国内の評価は相当に悪くなるだろう。

 残る亜人の採用は、要求する水準が現在のマクシミリアン級の強さであるため、隊員の育成に相当な時間と手間を要することになる。ある程度の速成教育は可能だろうが、それに耐えられる人材が確保できる目途は立っていない。

 しかし現状は、半年後に結婚式を控え、人手が全く足りない状況だ。ここは隊員に求める要求を引き下げて、人員を確保することが優先かもしれない。

 極端な話、信用に足る人物であれば、人間だろうが亜人だろうが、恭一郎としては種族が選別の基準になってはいない。恭一郎の家族を共に護ってくれる存在であれば、家禽のヒュプシェでもヤクのような家畜のクラインでも、喜んでくつわを並べて戦うつもりでいる。

『国防院で仕事をしている遥歌さんやハナ、他の姉妹達で候補者を選別して、それぞれの特性に合った面接で最終選考をすれば、半年後の結婚式までには、ある程度の規模に増員が可能でしょう。制服と装備の一式を揃えるだけで、統合軍の一般兵よりは強いはずですから』

「なんとも微妙な比較対象だな。そこはせめて、生身のメサイア操者にしておかないか?」

『腕力だけならともかく、戦闘経験の豊富な彼等に、にわか仕込みの亜人が勝てるとお思いですか?』

「無理だと思いますよ?」

「――やるだけ無駄……」

「だよな。言った自分でも、そう思った」

 何とも頼りない新入隊員の前評価に、その場にいた全員が溜息を吐いた。しかし、背に腹は代えられないのもまた事実だ。いずれ恭一郎のように強力なCAに搭乗することで、戦力強化を図ればいいだけのことだ。差し当たり、頭数を揃えることを優先する。

「新入隊員を募集するのは分かった。それで、彼等に必要な予算はどうする? 議会に出して審議していたら、いつどのくらいの規模が交付されることになるのか、全く読めないぞ?」

『そこはほら、司令のポケットマネーでチョチョイと』

「一家の大黒柱ですからね」

「――お兄ちゃん、ガンバ……!」

「お前等!? 俺はひっくり返すとお金の出て来る財布ではないんだぞ!?」

 肝心な部分を丸投げされて、恭一郎は彼女達に突っ込まざるを得なかった。ともあれ、近衛軍は事実上の恭一郎の私設武装組織である。現在の構成員は全員が完全に私兵であり、近衛軍ではなく親衛隊に近い。

 基地の運営費から隊員の給与、果ては筆記用具からトイレットペーパーに至るまで、そこに必要となるお金は、すべからく恭一郎から出ている。

 結局のところ、恭一郎がどうにかするという覚悟で決断しなければ、何も進展しないことに変わりはない。

「これも大切な家族のため……! 愛するリオとの生活のため……!」

 しぶしぶであったが、恭一郎は近衛軍の増員に許可を与えた。彼女達の働きならば、最低限の要求に応えられる人材を、近衛軍に採用してきてくれるだろう。

 恭一郎は今後の財政状況をかんがみて、新たな金策に思考の多くを割り振ったのだった。




     ◇◆◇◆




 その日の夕方、恭一郎は台所で夕食の支度をしていた。そこへ、国防院で仕事をしていた遥歌が帰宅する。

「ただいま、恭兄さん」

「お帰り、遥歌。昨日はありがとうな。お蔭で、今朝から絶好調だ」

「よかったね。リオ姉さんの方も、あっちで絶好調だったわよ」

「そうだろうな。色々あったから――」

 丁度そこへ、噂をしていた人物が帰宅した。

「ただいま~、アナタ! 遥歌さんにも、ただいま~!」

「いきなり空間跳躍して、帰ってくるな。ちゃんと玄関からやり直してこい」

「は~い!」

 妙にご機嫌のリオは、恭一郎に怒られることすら楽しんでいる様子だ。

「玄関に行く序でに、ハナを連れて来てくれ」

「サー、イエッサー!」

 上機嫌の理由は後々追求することにして、リオにハナの呼び出しを頼んだ。それから恭一郎は、昨日の帰宅時に冷蔵庫の中に保管しておいた、アルミの箱を取り出した。

「恭兄さん、その箱は何?」

「試作の豆料理……になるのかな? 可愛い遥歌の健康のために、旅行先で仕込んできた」

 遥歌が冷蔵庫の中に入っていた見慣れない箱の中身が気になって、恭一郎の作業を横から観察している。

 そんな遥歌の視線を気にすることなく、恭一郎はアルミの箱の蓋を開けた。その瞬間、稲藁と大豆の発酵した、濃密な臭気が台所に解き放たれた。

「なにこのにおい!? 藁の匂いに混じって、アンモニアみたいな刺激臭を僅かに感じるわよ!?」

「発酵食品の一種だよ。発酵すると臭気を発生させるけど、冷蔵庫で保管することで熟成して、臭いも抑えられるんだ」

 それは、藁苞に包んで発酵させた大豆。藁に付着している菌によって生み出される、癖のある後味と栄養価の高い糸を引いて病み付きになる一品。そう、納豆だ。

「お呼びですか、恭一郎さん?」

 計ったかのようなタイミングで、台所にハナが姿を現した。

「ちょっとこれを食べて、可食判定を頼む」

 恭一郎は初めて作った納豆が食べられるかどうか、体内に検査装置を持つハナに鑑定を依頼した。明らかに白っぽい菌に覆われている大豆を見て、ハナだけでなく、リオと遥歌までが渋面となる。

「この腐った豆を、食べようというのですか?」

「失礼な! これはれっきとした、日本の発酵食品、納豆だ!」

 恭一郎が藁苞の中の納豆に箸を入れ、細く糸を引く大豆を取り出した。それをハナに食べさせようと迫る。

「いくらなんでも、この見た目の食品の毒見をさせるのは……」

「粘々(ねばねば)してる……!? 臭いも変……!?」

 リオと遥歌まで一緒になって、ハナと共に後ずさる。見た目に抵抗感があるため、その味の素晴らしさをなかなか理解してもらえない。それが納豆だ。だが、そんな納豆にも、必殺の殺し文句が存在する。

「言っておくが、発酵食品である納豆は、栄養価に優れている。しかも大豆を使用しているから、大豆イソフラボンも同時に摂取できるんだ。知っているか? 納豆は美容と健康に効果があるだけではなく、大豆イソフラボンがエストロゲンと呼ばれる女性ホルモンと似た作用を持っているんだぞ」

 それは正に、殺し文句であった。リオは美容と健康という部分に反応を示し、ハナの小脇を抱えて動きを封じた。遥歌はエストロゲンという単語でその性質を理解して、ハナの背中に回って後退を阻んだ。

 そして、同時にこう言い放った。

「「判定、お願い」」

 こうなった女性の欲望は、情理を越えて暴走する。

「お二人共!?」

「さあ、ハナ。二人もお願いしているんだ。納豆が食べられるかどうか、判別を頼む。なに、怖いのは最初だけさ」

 妙に嗜虐心をくすぐられた恭一郎が、腹に一物持っていそうな笑顔で、ハナに納豆の鑑定を迫った。

 リオによって動きを封じられ、遥歌によって退路を断たれたハナは、抵抗もむなしく納豆を食べさせられた。ハナが未知の恐怖に泣きながら解析した結果、納豆は無事に完成して食べられることが判明した。




 なお、ハナはしばらくの間、納豆を連想する豆類や粘々するモノなどを目にすると、一目散に逃げ出すという反応を示すことになった。ハナにトラウマを植え付けてしまった恭一郎達は、数日間に渡る謝罪によって許しを得ることができたのだが、それはまた別の話しである。




     ◇◆◇◆




 日本で食べていたモノよりも、野性味溢れるコクと粘りが強かったが、臭いはそれほどきつくなかった納豆を乗せた、試験栽培した新米と一緒に食べた夕食の後。機嫌を損ねたハナの相手をリオに任せた恭一郎は、夕食の後片付けをしていた。

 今回作成した納豆は、その一部が納豆菌の種として凍結保存され、今後の量産体制を確立した後に、いつでも食べられるように生産する予定を立てている。

 それと同時に、芥子からしの捜索を計画した。芥子とは、からしなというアブラナ科の草で、その種子を磨り潰したモノが芥子だ。春に小さな十字の花を咲かせ、葉にも辛味がある。

 セイヨウカラシナという近縁種からマスタードが手に入るので、どちらか一方でも見付けることができたなら、今後の食生活に彩が増えること間違いなしだ。

 食器を洗いながら食材探しに想いを馳せている恭一郎の隣には、洗い終わった食器のすすぎを手伝っている遥歌の姿があった。そんな遥歌が、自宅のどこかでハナに詫びを入れているリオの耳に聞こえないように、小声で話しかけてきた。

「ねえ、恭兄さん。ここ最近、妙に大豆料理が多いと感じていたのだけど、まさか、私の胸のこと気付いたの?」

「何のことだ? 俺はただ、成長期の女の子の美容と健康のことを考えて、身体に良さそうな食事を出しているだけだぞ?」

 遥歌のコンプレックスである薄い胸の話題を避け、恭一郎はとぼけてシラを切る。無防備な包容で感付かれたなどと、野暮なことは言わないに限る。

「確かにそうだろうけど、納豆の説明の時、なぜわざわざエストロゲンの名前を出したの? リオ姉さんは知らないようだから反応しなかったけど、医学知識のある私が反応する単語を入れた理由にはならないはずよ?」

「日本では結構広まっている話だから、別におかしなことはないと思うんだが……?」

 テレビの情報番組では、特定の食材の特集を組むことがある。その番組が放送されると、特集された食材が売り場から消える。なんてこともたまにある、よくある情報源からの受け売りだったりする。

「卵胞ホルモンとも呼ばれるエストロゲンは、エストラジオール・エストロン・エストリオールなどの種類がある、ステロイド系の女性ホルモンよ。その効果は子宮や乳腺に作用して、第二次性徴を促す効果があるわ」

「説明調の台詞、ありがとう」

「茶化さないで……! すでに十分育っているリオ姉さんの胸を、今後さらに大きくすることが目的ではないのでしょ? だったら、私の胸を大きくしようと考えているとしか、思えないもの」

 別段恭一郎は、遥歌の胸を大きくしてから、自ら収穫するような酔狂な変態紳士ではない。義妹を溺愛しているだけの、少々お節介な変態紳士なのだ。どちらにしろ変態紳士に変わりないが、その立ち位置には光年単位の開きがある。

「改めて言っておくが、俺は家族の美容と健康のために、毎日料理を作っている。リオは今でこそメリハリのある身体をしているが、保護した頃は栄養失調のチビ助だったんだ。今更特定の誰かを狙い撃つような料理は出さない。と思う。たぶん?」

「なんで尻すぼみになって、疑問形で終わったの……!? それに、リオ姉さんがたったの数年で、あんなに女性的な身体になる訳がないじゃない。若い頃に受ける栄養失調の影響は、酷い時には一生付き纏うほどに深刻なのよ」

 言われてみれば、確かにそうだ。リオを二〇前後と認識している遥歌から見ると、リオは身長と体重が急激に増える成長期を過ぎ、第二次性徴の始まる思春期の半ばまで、栄養失調の状態だったことになる。

 その見立てで言えば、リオは低身長低体重の状態からそれほど成長しておらず、女性らしさも控えめな身体であるはずだった。そんなリオが身長こそ恭一郎よりも低いが、とても魅力的な身体をしている。これでは、計算が合わないという見解だ。

 まあ、遥歌が知らないだけで、成長期からずっと栄養価の高い食事を摂取しているリオは、身体は大人でも実年齢は思春期真っ只中だったりしている。

 だが、その矛盾点に反論するのは、実はとても簡単なのだ。

「魔法でドラゴンにも変身できるんだぞ。多少盛っていたとしても、俺は気が付かなかった。それに、先代魔王の因子と融合しているから、大人の身体を手に入れていても、何も不思議ではない」

 トイフェルラント生活での常套句、魔法だから何でもアリ。を使用する。魔法は別の異世界の超科学の産物なのだが、恭一郎達にとっては魔法でしかない。なんでもかんでも神の御業で押し通すような思考停止ではなく、説明が面倒だからという理由で多用されている文言だ。

「……そうね。そういうことにしておいてあげる。どうせ私のささやかな膨らみに同情して、余計な気を回しているだけでしょ?」

 さり気なく遥歌からずねを連続して蹴られ、恭一郎は地味にダメージを受け続けた。絶妙な痛みと衝撃の連続に、これが折檻の極みかと、理不尽な打撃を甘んじて受ける恭一郎だった。

 まったく、義兄は大変である。

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