【人の夢は儚いことを人は理解していない】
リオによるマクシミリアン半殺し事件から、数時間後。国防院から、遥歌とハナが帰宅した。二人共、ガレージで何が起きていたのかを察しており、特別何かをすることはなかった。
だがその一方で、ノイエ・トイフェリンでは、少なからぬ混乱が起きていた。何しろ、トイフェルラント近衛軍特殊部隊に所属する唯一の亜人種の隊員が、厚生院に緊急搬送されてきたからだ。
しかもその原因が、魔王の不興を買ってのことである。リオやハナ達姉妹の陰に隠れて目立たない存在だが、マクシミリアンは亜人としては相当に強い。特訓させられた魔法もそうだが、武門の家柄で戦闘能力もトップクラスだ。
そんな人物が魔王の拳のたった一撃で、半死半生となっているのである。そうなった理由が、婚約者を担いで魔王に媚薬を盛ったという内容なだけに、その事実が一般に伏せられたことで、流言飛語の飛び交う事態となっていた。
善政を敷くことで国を統治していたリオが持つ、底の知れない圧倒的な力の一端を見せ付けられたことで、ノイエ・トイフェリンにいた人々は、魔王に対して畏怖の念を強めたという。
それに波及して、亜人と比べて虚弱貧弱な人間の恭一郎が、そんな魔王を骨抜きにしているのである。事情を知らない人々の間で、恭一郎の異名が魔王殺しとして広まったのは、何か因縁めいたものを感じさせられた。
もしも、恭一郎が女性を囲ってハーレムを築いていたとしたら、その異名は女殺しだったかもしれないが。
事態を重く見た内閣は、議会を緊急開催した。その内容は、魔王に対する不敬罪制定の是非である。
日本の憲法に影響を受けているトイフェルラントの現行法には、表現の自由が明確に保障されている。他者の人権や権利を毀損するような言説は違法であるが、正当な理由での批判や反論は認められている。法の下にある魔王もその対象であり、魔王を批判する言論や抗議活動は、犯罪に抵触しない限り取り、締まられることはない。
だが今回は、良かれと思ったことであったが、結果的に魔王が自ら手を下す事態となっていた。本人の同意なく一服盛られたのだから、咄嗟に手が出てしまっても仕方のない結果である。
ただ、今回の暴力は、明らかに法に触れている。本来ならば、リオは法律で裁かれねばならない。しかし情状酌量の余地は大きく、被害者を消滅させずに手加減していたことも差し引いて、今回はお咎め無しとなった。
しかし今後も、似たような事件が起きることが想定される。今回はたまたま手加減してもらえたが、今後もそうであるという保証はどこにもない。それに加え、何らかの理由で刑罰を与えられたリオに対して、刑罰自体が効果を発揮しない可能性もある。
極端な話が、リオの立場は裁く側であり、魔王に魔王の力を借りて魔王を攻撃するという、矛盾だらけの展開がデフォルトになっている。この場合、魔王を裁くのは相当に骨が折れる。
そんなジレンマを避けるため、魔王に対して不敬を働かないようにする抑止力として、不敬罪の是非が問われたのだ。
議会の出した結論は、満場一致で不敬罪の導入に決まった。
その内容は、一般的に想定される内容ではあったが、主な目的が魔王の身辺を騒がせ奉ることの阻止とはしておらず、むしろ魔王の規格外の戦闘能力から、一般の人々を護ることに重きを置いている。
下手に魔王に対して反旗を翻そうものなら、その先には確実な死と消滅が約束されているからだ。そんな馬鹿を実行しようとする阿呆は確認されていないが、今後生まれてこないという希望的観測は危険過ぎる。
そのような結論に至ったトイフェルラント政府は、法律の即時交付を決行した。その名も、『魔王及び、その親類縁者に対する、不敬罪特別措置法』である。
この法律が結果的に、魔王すら恐れる婚約者の暴走を抑える防波堤となっていることに、一般市民は誰も気付いていない。
◇◆◇◆
「――と、いうことになっているの」
遥歌が夕食後の席で、ノイエ・トイフェリンの様子を伝えてくれた。
「これはまた、明確な予防線を張ったもんだ」
自室に籠って夕食にも出てこない、自主謹慎中のリオのことを心配して、恭一郎は嘆息する。羞恥の怒りに任せて、マクシミリアンを吹っ飛ばしたリオは、自室のベッドで布団を被ったまま貝になっていた。
恭一郎の呼び掛けにも一切反応を示さず、周囲には魔力障壁を展開する徹底振りであった。終いには恭一郎が部屋を出ていた間に、扉に鍵を掛けて入室を拒む有様だ。
「それで、実際のところ、何があったの? リオ姉さんがこんなになるなんて、今まで無かったことよ?」
部下のメンタルにも目を光らせていた経験から、遥歌もリオの自室籠城を心配している。紆余曲折を経て、一つ屋根の下に暮らす家族となった今、遥歌もリオのために何かをしてあげたいらしい。
「どこまで話したら良いモノか……」
恭一郎としても、リオのことだから心配いらないと信用しているが、それでも心配する気持ちを抑えきれない。そこで可能な限り、遥歌の助言を受けることに決めた。
「簡単な話に要約すると、俺達が物理的に繋がることに関して、初めての時に色々と俺が失敗したこと。その失敗を取り戻そうとしたら、今度はマクシミリアンの仕込みで、逆にリオが失敗したと感じてしまったことだ」
「たった二泊三日の旅行で、どんだけやらかしてきたの? この際だから、洗い浚い話したら? 私も守秘義務を護るから、頼りになる妹に相談しなさい」
自らの発言の是非はともかく、遥歌は医学を目指したこともある。その判断には、一定の説得力があるだろう。
恭一郎は初夜、前戯のやり過ぎでリオの体力と精神力のゲージを吹き飛ばし、日本式のマナーで避妊具を使っての行為に、リオが不満を訴えたこと。初夜のリベンジマッチの前に、マクシミリアンから得た猿梨によって、リオが理性を失って素直な女の子になってしまったこと。帰宅した時にその事実を知って、裁きを加えたことを伝えた。
家族に対して、この手の説明は羞恥心を掻き立てる行為であったが、全ては愛するリオのためと、気恥ずかしさを堪える。
遥歌はリオよりも精神面が成熟しているため、性的な話題でも赤面するようなことはなかった。
「恭兄さんの配慮は正しい。そこは、事前の意思の疎通を怠っただけね。リオ姉さんは、体裁を気にし過ぎているわ。魔王としての立場に引き摺られて、恭兄さんに対しても素直になれないでいるだけ。公私の線引きをもっと明確にして、真面目に行動する場面、休む場面、遊ぶ場面、思い切り甘えても良い場面を、二人の共通認識にするだけで、後は何とかなるはずよ」
遥歌の出した助言は、結局のところ、もっと二人で一緒に過ごせ。ということらしい。なんとなくそうしようかと考えていた恭一郎は、その考えが正しかったという、第三者からの補強材料を得るに至った。
「まったく、恭兄さんはこんな為体で、私の交際相手を云々とか、よく言えたモノね? こんなんじゃ私のことも、恭兄さんに責任取ってもらうことになるわよ? よかったわね、両手に花よ?」
不穏当な発言に、恭一郎が声を潜める。
「止せ、遥歌……! 今の発言をリオに聞かれたら、お前も容赦なくブッ飛ばされるぞ……!?」
「大丈夫、私が保障するわ。リオ姉さんは、私のことを敵として認識しない。だって、恭兄さんと始めてを共有し合ったんだもの。これで誰も、リオ姉さんに追い付くことができなくなったわ」
「だからって、あの独占欲の強いリオが、大人しく引き下がる訳がないだろ……!?」
「そうでもないわよ? リオ姉さんも恭兄さんに負けず劣らず、とても愛情深いのよ。恭兄さんのことが大好きなハナ姉さん達が、誰も破壊されずにいるのは何故かしら?」
「それは、アンドロイドだからだろ?」
「残念、不正解。姉さん達全員が、家族という認識になっているからよ。ハナ姉さん達全員が、リオ姉さんの大好きな恭兄さんのことが大好き。恭兄さんも、ハナ姉さん達のことが大好き。そんな大好きな存在を排除したら、恭兄さんがどんな思いをするか、それが分からないリオ姉さんじゃないもの。それに、リオ姉さんもハナ姉さん達のこと大好きなのよ」
「それで、家族という認識だから、排除の対象外?」
「正解。これは以前、私が同居を始めた頃に、リオ姉さんに直接聞いた話だから、間違いないの。だから私も、リオ姉さんが結婚した後か、二人の間に子を儲けた後なら、私も側室扱いで受け入れてもらえるように、昔の私が言質を取ってあるのよ。当然、その密約は、現在も有効なんだから」
そういえば、以前に二人の会話の中で、恭一郎と結婚云々という話題が出た記憶がある。その時はリオに直接聞くように、遥歌をあしらったような気がする。
まさか、本当にそれを実行していたとは、完全に想定外である。
「なんということだ!? 遥歌!? 謀ったな、遥歌!?」
ハーレム指向を持たない恭一郎にとって、遥歌の暴露は青天の霹靂だった。恭一郎にとって遥歌という存在は、溺愛すべき義妹である。その対象からは、家族の義兄妹愛が向けられるべきだ。しかし遥歌という義妹は、よりにもよって義兄を恋愛の対象だと宣言したのだ。これは死んだ遥歌の実兄に対して、申し訳の立たない非常事態だ。
珍しく取り乱している恭一郎に向かって、遥歌が平然と言葉の追撃を仕掛ける。
「恭兄さんがそれを望んでいないのなら、もっとシャキッとしなさい。そして、リオ姉さんをもっと大事にすること。それができないようなら、私が恭兄さんのことを尻に敷くことになるから」
「粉骨砕身、努力します! だからどうか、血迷わないでくださいお願いします!」
恭一郎は直ちに食堂を飛び出して、リオの下へと走った。
◇◆◇◆
自室の隣にあるリオの部屋へとやってきた恭一郎は、ドアをノックして反応を待った。
「リオ。夕食は食べないのか? もし体調が悪いなら、部屋で食べられるようにするぞ?」
恭一路のことが大好きなリオは、恭一郎の料理も大好きだった。そんな胃袋を掴まれているリオが、夕食を食べに来なかった。名前を呼んで夕食の時間を知らせてもいたが、反応が無かったので遥歌と先に済ませていた。そしてもう一度、食後にこうして様子を見に来たのだ。
しかし、今度もリオからの返事が返ってこない。最初は短気を起こしてマクシミリアンを負傷させたことから、自主的に自室で謹慎しいているモノと考えられていた。
だが、旅行中の行為に原因があって、リオが体調を崩している可能性に思い至り、恭一郎は酷く不安となっていた。
健康優良なリオには縁遠いことだと考えられるが、急性のアレルギー反応で意識を失っている状態の可能性もある。それは、このような実例があるからだ。
とある夫婦が、愛の営みを行った。それは今までも二人が行なってきた、何かが特別なことではなかった。しかし、妻が謎のアレルギー反応に苦しめられることになったのだ。検査の結果は、たんぱく質に対するアレルギー反応。その原因は、夫由来のたんぱく質。つまり精液だったのだ。
なにしよう昨夜の恭一郎は、リオを全力で何度も愛していた。それが原因である可能性を排除していない以上、リオの身に何かが起こっているのではないかと、悪い方向へ思考が飛んでしまうのは、この際は仕方のないことではないだろうか。
不気味なまでの無反応で不安に駆られた恭一郎は、リオの許可も得ずに扉に手を掛けた。そのドアノブは施錠されておらず、呆気なく扉が開く。
そして、室内の光景に、恭一郎は唖然とした。
「何が、どうなっている……!?」
リオの部屋は、綺麗に片付けられていた。しかも部屋の中からは、一切のリオの痕跡が消え去っていたのである。元からあった昔の恭一郎のベッドや、勉強机と椅子、収納などは残っているが、本来あるべきリオの私物が、どこにも見当たらない。
そして、ベッドで布団を被っていたリオの姿も一緒に、影も形も無くなっていた。これではまるで、家出の後の光景だ。
不意に恭一郎の身体が、湧き上がる恐怖に震え始める。ようやく二人は結ばれて、これから結婚式の準備を始めようという時期に、リオはその痕跡と共に部屋から消えてしまった。
そして、古傷が深く抉られるような衝撃を受ける。愛する存在を理不尽に奪われた、ウルカとの決戦の記憶だ。それと匹敵する絶望感が、恭一郎の血の気を奪い去る。
「どこかに隠れているのか、リオ? マクシミリアンの件は、お咎め無しに決まった。だから、安心して出てきていいぞ?」
扉の前で立ち尽くし、恭一郎は無人の室内に語り掛ける。
「悪い冗談は、よしてくれ。さすがにこんな形の別れは、俺の許容量を超えているぞ」
リオの残り香すら感じられない室内をもう一度見まわして、恭一郎は何も考えられなくなった。
「これは、悪い夢だ。寝れば覚める……」
そして、現実から逃避した。恭一郎の足は自室へと向かい、リオの部屋から背を向けた。
「終わった終わった! そろそろご飯の時間かしら……って、顔が真っ青ですよ、恭一郎さん!?」
なぜか自室の中から、リオが一仕事終えたようなすっきりした表情で廊下に出てきた。そして近くにいた恭一郎の異様な状態に驚いている。
「……リオ?」
目の前に現れたリオに手を伸ばし、その頬に触れる。確かな感触が脳まで伝わり、恭一郎の思考が再起動する。
「何があったんですか、恭一郎さん!? 何か言ってください!?」
徐々に表情の崩れて行く恭一郎の身を案じて、リオが慌てはじめる。その機先を制するように、恭一郎はリオを普段以上の力で抱き締めた。
「もう、黙って俺の前から、いなくならないでくれ。どこにも行かないでくれ、リオ」
リオを喪う恐怖に囚われた恭一郎は、ただひたすらにリオの温もりを求めた。そして、リオの存在を確かめるように、自ら激しくリオの存在を求めた。
――トイフェルラント生活一六三三日目。
恭一郎が目を覚ますと、目の前には優しく微笑むリオの顔があった。
「おはよう、アナタ。もう、大丈夫よ」
その言葉によって、恭一郎は昨夜のことを思い出した。リオが自室から私物と共に忽然と姿を消したことで、恭一郎はいとも簡単に絶望した。しかし、恭一郎の自室から出てきたリオと出くわし、絶望は恐怖に代わった。
そして、夜の暗闇を恐れる幼子のようにリオを求め、恐怖を上回る安心が得られるまで、何度もリオの存在を確かめた。心が求めるままに繰り返しリオを抱き、ようやく得られた安らぎと疲労から、昨夜の記憶は途切れていた。
「これで、おあいこ。そうでしょ?」
相手を安心させるリオの微笑みが、朝日に映えて輝いていた。
「ありがとう。もう、大丈夫だ。リオが傍にいてくれるなら、俺は大丈夫だ」
リオの胸元に顔を埋め、その愛に身を委ねる。昨夜は恭一郎が一方的にリオを求めたため、布団の中の二人は何も身に着けていなかった。恭一郎はリオの肌の温もりを感じ、翼で包まれ、尻尾で抱き寄せられていた。
「気が済むまで、こうしていて良いんですよ。今朝は皆に、遅く起きると伝えてありますから」
その言葉に甘え、恭一郎は目を閉じた。視界が暗闇に覆われ、その他の感覚が鋭敏になる。リオの息遣いが聞こえ、心臓の鼓動が伝わってくる。昨夜の残り香と共に、心休まるリオの温かい香りが鼻腔を満たした。
しばらくリオの存在に包まれていた恭一郎に対して、リオが語り掛ける。
「昨夜は怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい。アナタと結ばれたから、もう誰にも遠慮することなく一緒にいられるように、私の荷物をこの部屋に引越しさせていたの。驚かせようと防音用に魔力障壁を張っていたので、アナタに誤解させてしまったのね」
それは、小さなボタンの掛け違いだった。
昨日のリオは、マクシミリアンを半殺しにした後、自室に引き籠った。それは反省の意味ではなく、一時的に恭一郎を遠ざけ、リオが恭一郎の部屋へと引越しをするサプライズの準備だった。
音を出して気付かれないように引っ越し作業を行い、誰にも見られずに私物を隣の恭一郎の部屋まで移動させた。そして夜まで時間を掛けて、恭一郎の部屋の中を模様替えしていたのだ。
そしてその作業が終わった直後、平静を失っていた恭一郎と出くわした。という次第だ。
「アナタが疲れて寝てしまった後、食べ物を求めて下に降りたら、食堂で遥歌さんが心配して待っていてくれたの。そして叱られたわ。アナタを心配させるな。もっと大切にしろ。さもないと、私が奪うぞ。って、それはもうこっ酷く」
リオを呼びに行って戻らなかったことを心配して、遥歌は恭一郎と別れてからずっと、食堂に詰めていてくれたようだ。夕食後の恭一郎の色々な満タンゲージが飛んだほどであるから、結構な時間が経過していたはずだ。間違いなく、日付の替わる深夜であったのは確実だろう。
リオの夕食を温め直す手伝いをした遥歌は、リオから事情を聴き出し、恭一郎の代わりに注意をしてくれたようだ。恭一郎の義妹にしておくのが勿体無いほどの、心優しいデキる女の子である。
「だからね、こう言って返したの。『したくなったら、いつでも混ざりに来てよろしくてよ!』って。そうしたら、更に怒られました。アナタの気持ちを、もっと考えてから発言しろ。って、正座させられました」
その時の光景が容易に想像できてしまい、恭一郎は可笑しくて噴いてしまった。不甲斐ない恭一郎ばかりか、悪ノリのし過ぎるリオまでも、遥歌は尻に敷いている。これでは公私で立場が、完全に逆転しているではないか。
「それでも最後は、応援してくれたんです。私達は、互いに対となる片翼を持つ、比翼の鳥。二人が揃って初めて、二人は天高く飛ぶことができる。だから私に、もっと素直になって、アナタの隣に寄り添え。って」
永遠に続いてほしい温もりに抱かれ、恭一郎は完全に回復した。それだけではなく、恭一郎が渇望する母性の飢えまで満たされたことで、未だかつてないほどの気力体力の充実を体感した。
「リオ……」
やおらリオの身体を抱き締めた恭一郎が、リオからの抱擁を巧みに解除して、その耳元で囁いた。
「過剰回復してしまった……! 責任は取ってもらうぞ!」
昨夜の続きを行うように、恭一郎はリオに優しく覆い被さった。リオもそれを受け入れ、恭一郎に身も心も委ねた。
◇◆◇◆
日も高くなった頃、昂りに落ち着きを取り戻した恭一郎は、リオの解説と共に模様替えした部屋の中の様子を確認した。
基本的に地球の書物を中心とした恭一郎の部屋は、着替えの衣服を除くと、あまり私物を置いていなかった。元々恭一郎の部屋にあったゲーム機などは、皆で遊べるように居間に移動させてある。日本での趣味のモノは一人暮らしの部屋に放置してきているので、回収不能な時点で諦めている。
そんな生活感の乏しかった部屋には、リオの私物が邪魔にならないように持ち込まれていた。父の使っていた仕事用の机の横に、リオの化粧台が置かれ、化粧品が収納された化粧箱が安置されている。
フローリングだった床にはリオの部屋に敷いてあった小さな絨毯が置かれ、電気コタツが鎮座している。その上には飲み物とお菓子が常備されていて、座布団が二つだけ対面に配置されていた。
扉の脇にはツリー型の洋服掛けが置いてあり、使用頻度の高い二人の衣装が、仲良く一緒に吊るされている。魔力で衣服を自由に取り替えられるリオの数の少ない衣服は、クローゼットの中の恭一郎の衣服の入っている箪笥の横に、専用の箪笥を追加して収納してあった。
部屋の主であった本棚には、リオの用意した新たな木製の本棚が加えられ、リオの蔵書も違和感なく整理されている。その多くが行商の折にトイフェルラント各地で蒐集した、こちらの世界のハードカバーの本だ。
魔法関連の書物が中心となっており、当時の生活に必要だった、植物や畜産関連の本も数冊ある。それに加え、最近では国内だけではなく、オディリアの書籍も手に入るようになっている。こちらは専ら、遥歌の推薦図書だ。指揮官の心得のような専門書籍から、戦場での儚い恋を描いた小説まで、そのバリエーションは豊かである。
その他の小物や調度品も、室内にさり気なく配されているため、無味乾燥に傾いていた寝るためだけだった室内の雰囲気が、一気に新婚夫婦の部屋へと作り変えられていた。
リオの目論見通り、部屋の模様替えは恭一郎に対して、この上ないサプライズであった。四年以上も二人は、一つ屋根の下で暮らしてきた。しかし、部屋は完全に別々である。それが昨夜から、一緒の部屋で生活するようになったのだ。これは結婚前のカップルが、同棲を始めたのにも等しい生活環境の変化である。
「これからは、おはようからおやすみまで、一緒ですね」
嬉しそうに笑顔を湛えるリオに、恭一郎は優しくその頭を撫でて、これからの同棲生活を受け入れた。




