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【猿梨と魔王殺し】

 ――トイフェルラント生活一六三一日目。




 恭一郎とリオだけの小旅行、その二日目の朝が来た。

 昨夜はリオが待ち望んでいた、恭一郎との濃密な時間を過ごすことが叶った。長らくリオからの一方通行であり、双方向となってからも一年以上を経てからの大願成就であった。

 それはリオにとって、恭一郎の愛を肌で感じる、大切な儀式であった。その儀式を終えた朝のリオは、この上なく上機嫌……とは程遠い、恨みがましい視線を恭一郎に突き刺していた。

「いい加減、機嫌を直してくれないか?」

 昨日から水に漬けていた大豆を鍋で煮込みながら、魔力で物理的に背中を小突いてくる魔王様に、恭一郎は謝罪を繰り返していた。起床直後から大層機嫌を悪くしていた魔王様は、大好きな恭一郎の朝食を平らげてもなお、こうして機嫌を損ねたままだった。




     ◇◆◇◆




 事の原因は、昨夜の一件にある。二人が初めて肌を重ねた、記念すべき夜だ。

 互いに初めて同士の契りであった恭一郎とリオは、年長者であり男としての責任感から、恭一郎がリオを安心させようと終始行動していた。

 初めての経験に不安と緊張で身体を固くしていたリオに対して、恭一郎は優しく慈しみながら、時間を掛けて身体の隅々までを丁寧に解きほぐした。

 初体験の痛みを少しでも和らげようと、己の愛を行動で伝えるように、恭一郎はリオのことを普段は赤面するような言葉と共に愛した。

 全ては恭一郎の持つ愛情を、リオへと受け渡す行為だった。リオも恭一郎の想いを感じ取り、二人は血潮を熱く滾らせた。

 しかし、あまりにも恭一郎の愛が重過ぎたようで、リオの体力と精神力が、事の始まる前に払底してしまった。つまり、恭一郎も初めてで加減が分からず、ここでもやり過ぎてしまったのだ。

 しばらく休憩してリオの回復を待ち、どうにかリオの本懐を遂げさせてあげたのだが、限界直後のリオに恭一郎の愛を感じている余裕など一切なく、目覚めるとすでに朝であった。という次第だ。

 昨夜の行為で汚れていたはずのリオの身体は、恭一郎の手によって綺麗に汚れが拭き取られていた。激しく乱れていたベッドも整えられていて、昨夜の出来事が夢であったのではないかと、一瞬錯覚するほどだったという。

 下腹部の確かな違和感で、昨夜の契りが夢ではないと確認できたリオは、すでに起床して台所で朝食の用意をしてくれている恭一郎に挨拶に行こうと、ベッドを出て着替えを始めた。そこでふと、視界の隅に明るい色の見慣れぬ物体が映った。

 服を着てからその物体の確認を行うと、屑箱の中にあったそれは、汚れを拭き取ったちり紙と一緒に、無造作に捨ててあった。それは一方にだけ口の開いたチューブ状の物体で、中身が出ないように口の部分の縛られていたチューブの中には、粘性を持った少量の液体が入っていた。

 それが避妊具のラテックス製コンドームであることに、リオはすぐに思い至り、驚愕した。そして、幸せにすら感じていた下腹部の鈍痛が、ただの痛みに置き換わってしまった。

 昨夜の行為において、双方の意思に齟齬があった。それは、避妊の有無である。

 普段から恭一郎の子供を欲しがっていたリオは、授かるかどうかは関係なく、恭一郎の愛を受け入れるつもりでいた。

 ところが恭一郎の方は、どこまでも紳士に行動していた。その根底には日本から持ち込んだ節操というモノがあり、両者の合意があって初めて、最後まで行うというマナーを徹底していたのだ。

 避妊の確認を失念していた恭一郎は、事の前に避妊具使用の有無を確認していた。しかし、前後不覚のような状態のリオに明確な回答が出せるはずもなく、恭一郎は己の持つ良心に従って、避妊具を装着して愛し合った。という経緯だ。

 しかしそれは、リオにしてみると、納得の行くことではなかった。待ち望んていた愛の触れ合いを満喫することができず、しかも肌と肌の間には、避妊具というリオにとっての無粋な異物があり、二人の愛の重なりを阻んでいた。

 これはリオの待ち望んでいた、恭一郎との愛の営みではない。例えそれが、社会通念上は正しい行為であったとしても、リオの乙女心を憤慨させるには十分過ぎることであったのだ。

 そして、現在に至る。




     ◇◆◇◆




 茹で上がった大豆を湯切りして水気を取り、試験的稲作で手に入れた稲藁を縛って作った、藁苞わらづとの中に入れて行く。大豆を腹に抱えた複数の藁苞を、密閉できるアルミの箱の中に入れる。四〇度の温泉が出ている蛇口の下に木桶を置き、そこに満たされた温泉の中にアルミの箱を沈めた。

 そして作業を終えた恭一郎が、絶賛不機嫌中のリオの機嫌を取った。

「不満があるのなら、ちゃんと話してくれないか? 察しろとか、理解しろなんてのは、ただの甘えだからな。伝えるべきことは、ちゃんと伝えなさい」

 婚前旅行で喧嘩などまっぴら御免の恭一郎が、可愛く頬を膨らましてむくれているリオに訊ねた。

「交尾のやり直しを要求します!」

「生々しいな、おい……!」

 リオの回答は、午前中から情熱的なモノであった。女になったばかりの魔王様は、昨夜のリベンジを所望しているらしい。

「今後、一切の避妊具の使用を禁止します!」

「家族計画。って言葉、知ってるか!?」

 初体験にコンドームが使用されたことを、魔王様は大変お怒りのようだ。やはり、エロゲー世界の住人ということなのだろうか。貞操観念やフェミニズムのようなモノが、地球とはかなり違っているのかもしれない。

「だって、せっかく恭一郎さんと、私の愛する雄と一つになれたのに! 恭一郎さんがあまりにもしつこく私を責め立てるから、途中で意識が飛んじゃったんですよ!? しかも最後まで恭一郎さんを感じさせてくれなかったんですから、これは正当な要求です!」

「気持ちは分かるが、今でも痛むんだろ? 最初の時は、もっと痛かったはずなんだ。リオには、あまり痛い思いをしてほしくないんだよ」

 リオがやおら下腹部に手を当て、魔法を行使した。

「魔法で直しました! もう痛みはありません! 交尾のやり直しを要求します!」

「魔法で再生させていたら、また痛い思いをするぞ?」

「大丈夫です! 治癒ではなく治療で回復させましたから! 交尾のやり直しを要求します!」

「それは構わんが、リオは大丈夫なのか? 結婚式で、お腹が大きくなっているかもしれないんだぞ? 統治者として、体裁が悪くないか?」

 心情と立場の兼ね合いを計算して、リオが導き出した結論は――。

「今日は確率が低いので、交尾のやり直しを要求します!」

 なんとも、玉虫色の回答だった。リオは妊娠の確率が低いと結論付けているが、実は結構当てにならない場合がある。生理や排卵には周期が存在するが、それは外的要因によって左右されることがある。

 良く聞く話が、激しいスポーツをしているアスリートには、生理が止まるという現象があるという。激しい運動によって、例え妊娠しても母胎として身体が機能していないような状態であるため、生理そのものが止まってしまっているのではないかと言われている。

 その逆で、生理周期を把握していたにも係わらず、子供を授かってしまうことがある。性交によって身体が本能的に働いてしまうのではないかと言われているが、人体の不思議はまだまだ謎が多い。

 排卵を誘発する薬物やアフターピルのような緊急避妊薬などもあるため、行為がそのまま実を結ぶとは限らない。

 とはいえ、リオはトイフェルラントの魔王で、この世界で最も神に近い存在である。雄しべと雌しべをボーイ・ミーツ・ガールさせるような手段を、恭一郎に内緒で隠し持っていても不思議ではない。

 リオとの子供を拒否してはいないが、その後に控えている子育てのことも考えて、まずは計画的に行うべきだ。

「リオの要求に応じることは、やぶさかではない。だが、その結果によって生じた責任の半分は、俺のモノだ。それは、理解しているか?」

「私達の愛の結晶ですから、全身全霊で護り育てる所存です。誰にも文句は言わせません」

 リオの意志は、鋼よりも固いようだ。軽く興奮しているようで、鼻息が熱っぽい。

 恭一郎としても、雄としての本能の部分では、リオを絶えず求め続けている。それを理性で無理やり捻じ伏せているのが、平時の状態だ。もし恭一郎が理性を失った状態であれば、リオの事情など一顧だにせず、場所も時間も関係なく、気の向くままに押し倒しているほどの感情を内に秘めていたりする。

「分かった。リオの覚悟は、よーく分かった。今夜は要望通りにすると約束するから、さっさと機嫌を直して、温泉を楽しもう。一応身体は拭いといたが、完全には綺麗になっていないからな」

「言質は、取りましたからね!? 今度は最後の最後まで、恭一郎さんの愛を私に注いでもらいますからね!?」

 先程までの不機嫌顔はどこへやら、一転して怪しげな微笑みを浮かべて、リオが恭一郎に擦り寄ってきた。リオの不機嫌は本物であったが、話が通じて問題の解決が成されることを確信していたリオは、不機嫌を大袈裟に表現する演技を行っているだけだった。

 本気で怒っているリオの迫力を知っているからこそ、恭一郎も話しの通じる理性をリオが持っていることを理解して、穏やかに対応することができた。

「心配するな。俺を信じろ」

「それでこそ、私の大好きな雄です! 恭一郎さんの愛で、私を何度も満たしてくださいね!?」

「女性のリオとは違って、こっちは弾数制限がある。数回なら何とかなるかもしれないが、それ以上はしばらく使い物にならなくなるかもしれん。必要な時に役立たずでも良いのなら、できるだけ期待に添えるよう努力をしよう」

 人間の男女は、絶頂による感情の変化に明確な違いがある。男性の場合、一気に興奮状態となることが可能で、絶頂後には急速な興奮の冷却が起こる。これがいわゆる、賢者タイムと呼ばれている不感反応だ。基本的に男性の絶頂は激しく体力を消耗するため、事の済んだ直後に寝落ちしてしまうというようなこともあるという。

 ひるがえって女性の方は、感情が男性と比較すると緩やかに上昇する。そして、一度興奮状態となった感情は、絶頂を経ても興奮状態のままでしばらく推移する。そのため、女性は一回の行為の中で、何度も絶頂を味わうことも可能なのだ。興奮冷めやらぬとは、このような状態なのかもしれない。

 昨夜の二人は、恭一郎の愛撫によってリオの興奮状態は何度も限界突破を繰り返し、一方的にリオの気力と体力を根こそぎ奪い取っていた。恭一郎の愛と慎重さが招いた、未熟さ故の失敗だった。

「それは、困りますね。……では、無理せず可能な限り、ということでお願いします」

「誠心誠意、努力することを誓おう」

 こうして二人は普段通りの関係に戻り、仲良く朝風呂に入るのだった。




     ◇◆◇◆




 食事と休憩と入浴を繰り返し、小旅行最後の夜となった。今夜に備えて夕食を堪能していたリオに、恭一郎がデザートの小皿を差し出した。

「この間、約束したデザートだ。あまり量は用意できなかったが、確保することができた」

「あの時の約束、覚えていてくれたんですね。私、期待していたんですよ。それで、これは、何という食べ物なのですか?」

猿梨さるなしという、栄養満点の果物だ」

 恭一郎が皿に盛って出したのは、一つが親指の先程しかない楕円形で、重さも一〇グラム前後という、小さな淡い緑黄色の果物だった。表皮は意外とつるりとしていて、触ると弾力を感じることができる。そしてほのかな甘い芳香が、食欲を掻き立てる。

「随分と、小さな実ですね? でも、とても素敵な香りがします」

 リオが小さな猿梨の実を一つ摘まみ、香りを直接嗅いで、その甘い芳香にうっとりとしている。

「皮ごと食べることのできる、甘酸っぱい果物だ。整腸作用に眼病予防、高血圧や抗酸化作用があって、美容にも良いらしい」

 猿梨は、キウイフルーツの原種に近い食用果実だ。野生の動物が好んで食べ、猿が好んで食べていたことから、猿梨と呼ばれるようになっている。

「へぇ、そうなんですか。それじゃあさっそく、頂きますね……。う~ん、甘酸っぱくて美味しい!」

 猿梨を口の中に放り込んだリオは、尻尾を楽しそうに振りながら喜んでいる。どうやら、お気に召す味だったようだ。

「そいつを手に入れるのに、少々苦労したんだ。何せ、二〇〇〇年前の情報を基に、マクシミリアンが苦労して見つけ出してきた分を、無理を言って融通してもらったからな。今も昔も、猿梨の収穫量は少ないらしくて、休日は魔導車を走らせて、トイフェルラント中を駆けずり回って確保したらしい」

「猿梨って、トイフェルラントでは、そんなに貴重な食材だったんですね?」

「そのようだな。でも地球では、キウイフルーツという猿梨の親戚にあたる果物が広く流通していて、もう少し大きくて食べ応えのある果物だった」

「それ、じゃあ、猿梨を品種改良したら、そのキウイとかいうフルーツみたいに、なるんですかぁ?」

「理論上はそうだろうが、実際に品種改良をするとなると、俺達の知識と技術で成功するかは、判断ができないな。それに、キウイの原種は猿梨の親戚で、オニマタタビという、マタタビ科の蔓性落葉低木で……あっ!?」

 恭一郎は、大変な事実を失念していた。マタタビは滋養によい食べ物とされ、これを食べればまた旅に出られるということから、マタタビと名付けられたとも言われている。

 そしてマタタビには、ネコ科の動物に対して、非常に効果的な魅惑能力を持っている。その効果は人間の飲酒によるリラックスに近く、場合によっては盛りの付いたような状態となる。身近な家猫は言うに及ばず、あのライオンでさえ、マタタビに魅了されてしまうのだ。

 マクシミリアンが貴重な休日を消費してまで収集し、なかなか恭一郎に譲ってくれなかった理由は、この魅惑の効果を知っていたからだろう。ネコ科の亜人にとってマタタビ科の猿梨は、ただの果物のカテゴリーに収まらない、特別な食材であったからだ。

 そのマクシミリアンの血も色濃く受け継いでいるリオもまた、チート級な龍の血なども混ざってはいるが、基本はネコ科の獅子族だ。当然、マタタビに魅了される可能性がある。果たしてリオは、皿にあったマタタビを完食し終えていた。

「うふぅ。おいしきゃったぁ~。こんなにおいしいきゅだもの、はじめ〇〇ぎゃーと〇ずぅ~!」

 すでに手遅れとなっていた。リオの呂律は明らかに酔人すいじんのそれであり、ギリギリ来てるぜハイテンション状態だ。しかも目が完全に据わっていて、恭一郎をロックオンして全くぶれていない。さらに、小さな牙の輝く口を半月型にだらしなく開いていて、流れ出た涎を手の甲で拭き取っている有様だ。

 恭一郎が初めて目の当たりにする、リオの酩酊・発情形態である。猿梨の効果は絶大だった。

「おい、リオ。大丈夫かなの?」

 命の危機とまではいかないが、盛大に流れ始めた冷や汗に、恭一郎は恐怖した。理性のたがの外れたリオは、恭一郎でも手に負えない存在だ。少しでも手元が狂えば、生身の恭一郎など、温泉ロッジごと消し飛んでしまう。

「らいじょうぶれすよぉ? いつれもわらひのなかにぃ、きょういひろうさんのまろうほうをうちこんれくらはいぃ~!?」

 リオの発言を翻訳すると、全く大丈夫じゃない。早く交尾しましょう。と言ったところだろう。そもそも、恭一郎が生身で魔導砲など、撃てるわけがない。などと突っ込むのは、野暮というモノだ。

「こんやのきょういひろうさんは、いつにもまひてせくひーれすね?」

 マタタビの影響が、視覚にまで作用しているようだ。今のリオには恭一郎が、セックスシンボルにでも見えているのかもしれない。

「んん……。さるなひのかほりもよかっらけど、きょういひろうひゃんのかほりはもっろすき~!」

 リオが恭一郎を捕獲して、身体の匂いを無造作に嗅いでいる。もうこうなってしまっては、恭一郎には打つ手がない。夕食の後片付けを行っている余裕は、とても与えられはしない状況だ。

「辛抱できないとは、まったく仕方ない奴だ。そんな悪い子には、お仕置きをしてあげよう。さあ、ベッドまで移動するんだ」

 リオを受け入れるように抱き締め、恭一郎は発した言葉と正反対の優しい笑顔を浮かべる。

「んふふ、きょういひろうひゃんに、おひおきはれひゃう~!?」

 存外素直に恭一郎の言葉に従って、リオが恭一郎の身体にもたれ掛かりながら、嬉しそうにベッドへと移動した。その途中で器用に服を脱いで行き、自ら先にベッドへと飛び込んで、恭一郎を誘う。

「来て、恭一郎……」

 酩酊を越えた先のリオの素の部分が、呂律を一瞬だけ通常に戻した。

 恭一郎は無言で頷くと、手早く服を脱いでベッドへと上がった。そして、昨夜のように全身全霊を持って、愛する存在を慈しんだ。




 ――トイフェルラント生活一六三二日目。




 小旅行最終日の朝である。

 二夜連続で愛し合った二人は、一段と絆を深めることに成功していた。比喩ではなく、心身共に深く繋がったのだから、互いの愛をより深く感じることができたためだ。

 さすがに恭一郎は消耗を感じていたが、これは幸せの結果に生じた疲労であるため、気怠さはむしろご褒美だった。猿梨によって酩酊し、発情を抑えられなかったリオが、存外素直に恭一郎の言うことを聞き入れてくれたこともあり、恭一郎は無理せず何度もリオを抱くことができた。

 初夜とは違い、最後まで恭一郎と共に愛し合えたリオは、恭一郎の優しさを何度も感じることができた。しかも猿梨の効果で、普段以上に恭一郎に甘えることができた。発情して生じた身体の熱とうずきも、恭一郎が責任を持って沈めてくれたので、正に理想的な一夜であった。

 しかし、今度はリオが、やり過ぎていたようだ。猿梨によって高揚した感情から、リオは恭一郎に対して過剰な欲求をぶつけていた。恭一郎もそれに応えて最善を尽くしてくれていたため、疲労していた恭一郎をピロートークで長時間の拘束までしてしまっていた。

 朝を迎えて素面しらふに戻り、さすがに甘え過ぎたと、リオは激しい羞恥に身悶えしている。その姿まで許容する恭一郎の包容力に、リオは居ても立っても居られないほど、人生経験の差を感じさせられていた。




 今朝もリオより早く目を覚ました恭一郎は、寝不足を認識していても台所に立っていた。これも全て、三食昼寝付きを約束した、リオへの愛情のなせる業だ。

 やがてリオが目を覚まし、台所にいた恭一郎の下へやってきた。

「おはよう、ございます、恭一郎さん」

 不自然に視線を外しながら、それでも恭一郎の様子をうかがうようにして、恥ずかしそうにしているリオがいた。心なしか、初心なネンネのような振る舞いである。

「おはよう、リオ。もうすぐ朝食になるから、待っていてくれ」

 二人が始めて共にした朝食と同じ、思い出深いフレンチトーストを焼いている。ただし、その量は以前の比ではない。そのことが、時の流れを雄弁に物語っている。

「あの、昨日は、その、私がご迷惑を、お掛けしませんでしたか?」

「何のことだ? 昨日何か、あったのか?」

 まったく心当たりのない恭一郎が、フレンチトーストの焼き加減を見ながら答える。恭一郎の主観では、昨夜のリオは実年齢相応の、とても可愛い女の子だった。精神的に背伸びをしないで甘えてくるリオのことを、全力で甘やかして満足させるように心掛けた。

「猿梨を食べた後、気分が高揚して、体の芯が疼いちゃって……。私、普段なら恥ずかしくて口に出せないようなことを、恭一郎さんに……」

「リオが気にする事じゃない。猿梨を出したのは、俺の判断ミスだ。マタタビ科の成分には、ネコ科に作用する効果があることを失念していた。そのせいで、リオが一時的に酔ってしまっただけだ。俺が泥酔して前後不覚になった時、世話をしてくれたリオは迷惑だったか?」

 恭一郎は昨年、鬼人族で酒豪だったカールと祝杯を挙げ、酒量を間違えて醜態をさらしたことがあった。その時はリオの世話になって、自宅へ帰っている。その時リオはどんな気持ちだったのか、恭一郎は逆に問うたのだ。

「それは……、ちょっと意外な気がして、少し可愛いなあ。なんて思ってました」

「俺も昨日は、同じようなことを思っていた。迷惑だなんて、微塵も感じてはいなかったよ。俺としては、リオの本音をたくさん聞けて、色んな意味で奮い立ってしまった」

「爽やかな顔で言っても、セクハラですよ……!?」

 焼き上がったフレンチトーストを皿に盛り付けながら、恭一郎が自らを変態紳士にジョブチェンジさせ、リオに対しておどけてみせた。そうすることで、リオの表情に笑顔が戻る。

「さあ、朝食を食べてから帰り支度をして、最後にもう一度温泉に入ろう。そうして片付けが終わったら、皆の待つ家に帰ろう。連休明けから、忙しくなるぞ」

「結婚式の準備ですからね。また、忙しくなりますね」

 はにかみながらリオが顔を近付けてきたので、恭一郎も受けて立つように距離を詰めた。




 食事を終え、帰り支度を整えてから、二人で温泉に入り、恭一郎は大豆の入っている藁苞の治められたアルミの箱を回収した。それから風呂場の片づけをして、温泉ロッジに施錠した。

 最後にエアストEXでアタッチメント・モジュールをロッジの壁から回収して、家族の待つウルカバレーの自宅への帰途に就いた。




     ◇◆◇◆




 昼過ぎに地下のガレージへと帰ってきた恭一郎とリオは、入れ替わりで休暇を取ることになっていたマクシミリアンの出迎えを受けた。マクシミリアンはエアステンブルク発の乗合魔導車に乗って、ノイエ・トイフェリンで改造した個人所有の魔導車を引き取り、そこから気ままな一人旅に行く予定となっている。そのため、野営道具などをまとめた大きな荷物を用意していた。

「お帰りなさいませ、陛下。恭一郎殿。温泉旅行は、いかがでしたかな?」

 エアストEXに昇降用のタラップを掛けてくれたマクシミリアンが、コクピットから出てきたカップルに挨拶した。

「出迎えご苦労、伯爵」

「ただいま帰りました、マクシミリアン卿」

 リオとマクシミリアンの関係は、子孫と先祖でありながら、魔王と近衛軍特殊部隊隊員という、時代を超越した複雑な上下関係となっている。そこで二人は、余人を交えない場合は生まれ順、身内でも誰かと一緒であれば身分差で話し合うようにしていた。

 その点恭一郎は、そのような身分の上下に頓着していない。仕事の場合を除いて、基本的に家族や親戚としての節度を守っていれば良いというスタンスだ。

 その結果として、マクシミリアンが話しやすい相手は、必然的に恭一郎ということになる。

「その様子はお二方とも、とても楽しんでいらっしゃったようですな? 恭一郎殿は陛下のことを、しっかりエスコートできたようですな?」

「あまりからかわないでください、マクシミリアン卿。異世界出身の私は、貴方のように経験豊富ではないのですから」

 妻帯者だったマクシミリアンとは違い、恭一郎は女性の扱いに明るくない。元の性格が不器用なこともあって、リオやミズキ達の寛容さに大いに助けられている。

 そんな若者達の初々しい反応を愉しんでいるのが、リオの修行によってレベルアップを遂げ、以前にも増して若々しくなったマクシミリアンだ。彼も年齢強化の魔法が使えたため、三〇代前半程度に若返ることができるようになった。どうやら年齢のプラス方向の強化よりもマイナス方向の強化には、高い技量が必要らしい。

「いやいや、私など、ハーレムを持っていた父には遠く及びません。それより……」

 やおらにマクシミリアンが、恭一郎に耳打ちをしてきた。

「私のお分けした猿梨は、いかがでしたかな? 貴重品ですが、効果の程は素晴らしかったでしょう?」

「まさか、ああなる事が解っていて、猿梨の情報をリークしたのか!?」

「それは勿論。我々ネコ科亜人種にとってマタタビは、いわば神の果実(ソーマ)。その実を一口食べれば、誰もが天上の楽園(ユートピア)へと至れる奇跡の食べ物ですぞ。陛下が未経験で難儀しないよう、断腸の思いでお分けしたのです」

 どうやらこちらの世界の裏事情に詳しくなかった恭一郎は、マクシミリアンに担がれていたようだ。食べ物に拘りを持つ恭一郎に猿梨の情報を与えたのは、抒情戦役直前のマクシミリアンだ。

 恐らく戦後に行われる二人の結婚式を見据えて、媚薬のような効果も発揮する猿梨を、マクシミリアンが親切心から用意していたようだ。事の顛末だけを見ると、確かに効果は抜群だった。何しろ、リオの理性が本性まで丸裸になっていたのだから。

「しかも、あの猿梨を酒に漬けることで、至高の神々の霊酒(ネクタル)となるのです。その効能たるや、まさに絶倫。熟成を始めたモノを秘蔵しておりますので、陛下に一服盛りたい時は、遠慮せずに申し付け下さい。必ずや、どんなにヘソを曲げている陛下も、たちどころに盛りの付いた猫にしてご覧に入れますぞ!」

 マクシミリアンの話を聞く限り、密かに熟成中の猿梨酒は、相当強力な媚薬効果を持つらしい。人間の恭一郎には果実酒の一つに過ぎないだろうが、リオにとってはある意味、非常に危険な薬物となる。

 ふと、恭一郎が気が付くと、細かく震えながら赤面している魔王様が隣に立っていた。

「その話、詳しく聞こう」

 底冷えする声音と収束する魔力が、周囲の動きを凍て付かせた。

「これはこれは陛下。一体何のことでございましょうか? この老体めには、このような詰問をされる心当たりがございませんが?」

 恭一郎を担いで猿梨をリオに食べさせるよう仕向けたマクシミリアンは、シラを切り通す腹積もりのようだ。しかし残念ながら、リオの耳は一般的な獅子族のそれとは比較にならない地獄耳だ。例え双方がガレージの両端にいたとしても、リオが意識して聴覚を使えば、耳打ち程度は完全に筒抜けである。

「猿梨を私に盛ったそうね? そのせいで、私がどんなに恥ずかしい思いをすることになったのか、卿にも身を持って教えてあげましょう……!」

 昨夜の醜態をやはり根に持っていたようで、リオが割と本気の魔力を拳に集めている。すでにマクシミリアンはリオの間合いから逃れる術はなく、今回は恭一郎も助け舟を出すような気分ではない。

「陛下、ご乱心召されるな! 猿梨には毒性がないので、一服盛るとは言葉のあやでございます!」

「問答無用! 乙女の審判(ジャッジメント)!」

 ドムッッ!

 生々しい打撃音と共に、魔力を帯びたリオの拳が、マクシミリアンを軽々と吹き飛ばした。そのまま放物線すら描かずに、マクシミリアンがコンテナ置き場に突っ込んで行く。そして――。

 ドンガラガッシャン!

 複数のコンテナが、ボウリングのピンのように弾け飛んだ。

「マクシミリアン!?」

 あまりにも容赦のないリオの打撃に反応の遅れた恭一郎が、弾丸のように飛んで行ったマクシミリアンの後を追う。不意に起こった惨劇に、自宅に残っていたリナが、押っ取り刀でガレージに姿を現した。

 リオによって生身の砲弾と化していたマクシミリアンは、自室として使っていたコンテナの中で、全身骨折で動けなくなっていた。頑丈なコンテナの壁を貫通して、即死でなかったことにも驚きである。

「しっかりしろ、傷は……結構深いぞ!?」

「じっとしていてください! 骨折箇所を固定します!」

 手足が有り得ない方向に折れ曲がっていたマクシミリアンを見付け、恭一郎とリナが救命処置を行う。

「さすがは……、我が子孫。正に魔王の一撃……!」

「馬鹿! 喋るな! 治癒魔法だ、リオ! ……って、もういないだと!?」

 ウルカバレー周辺で唯一の治癒魔法の使い手は、すでにガレージから姿を消していた。まだ近くにはいるだろうが、怒っているリオを探し出して治癒魔法を使わせるのは、諦めるしかない。

「リナ。バイサー先生に連絡して、指示を仰げ。場合によっては、CAで緊急搬送する」

「解りました」

 リナが無線でミズキを呼び出し、ノイエ・トイフェリンのアイリスに通話を中継してもらう。

 その間、恭一郎はマクシミリアンの手を握り、力強く勇気付ける。複数個所の骨が折れているマクシミリアンが、全身の痛みに耐えながら、恭一郎に話し掛けてきた。

「どうやら陛下は、恭一郎殿に甘えることができたようですな……。これで名実共に、魔王殺しとなられましたな……!」

「くだらないこと言ってないで、体力を温存していろ!」

「秘蔵の酒は……、どうやら無事のようです。ご進呈しますので、どうか私の可愛い魔王陛下のために……がくっ!?」

 非常事態にも慌てず、行動がぶれなかったマクシミリアンは、自ら擬音を口にして気絶した。その顔を向けていた先には、破壊されたマクシミリアンの家財道具の破片に埋もれるように、猿梨がアルコールに漬けられているガラス瓶が転がっていた。




 その後、リナによって応急処置を施されたマクシミリアンは、身体を固定された状態でノイエ・トイフェリンへ、リナのパラーデクライトで緊急搬送された。

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