【初志貫徹して世は事も無し】
――トイフェルラント生活一五九〇日目。
紅星軍との戦闘で負った傷を癒し、この日から恭一郎は通常通りの生活へと戻った。とはいえ、長らく仕事を周囲の人物に肩代わりさせておいた影響は非常に大きく、すでに恭一郎不要の体制が整ってしまっていたりする。
そんなこんなで仕事にお呼びの掛からない恭一郎は、久し振りに個人プレーを楽しむことに決めた。その準備のため、昨年の大聖堂の建設で余っていた木材の加工を行うことにした。
しばらく振りに訪れた地下のガレージには、殺人的な性能でほぼノーダメージだったペルフェクトバイン、マクシミリアンのゲシュペンスト、ヒナ、ミナ、リナのパラーデクライト、愛称ハチさんことエアストEXが駐機されていた。
ナディア降下戦において大破してしまったハナ、マナ、ラナ、セナのパラーデクライトは、地下ドックの設備を使い、コア・シップのケーニギンと共に完全修理を行っている。
ペルフェクトバインの建造とケーニギンの応急修理、そして別の宇宙からの訪問者であったツバサ=ハートランド艦長代理率いる学生達の演習艦カガリビの船体修理に持てる能力を全て傾けていたため、大破した機体の完全修理が後回しにされていた。
今回は戦闘が目的ではないため、パイロットスーツを身に着けずにエアストEXに乗り込む。ペルフェクトバインは異常なまでに戦闘に特化させた機体であるため、木材の加工のような生産目的の使用は想定されていない。
手慣れた手順で機体を起動させると、ミズキの誘導でゲートを潜る。平時での発進であり、ウルカバレーの畑で仕事をする人物も増えていたため、周囲の安全確保など必要な手順を多く踏まなければならないからだ。
そうして地上へと出たエアストEXは、広めに造られた街道を抜けて大樹の森へと安全運転で移動した。
◇◆◇◆
今回製作するのは、シュムッツ高原に設置した露天風呂に併設する、簡易の休憩用宿泊施設だ。標高四〇〇〇メートル付近の岩棚に造られたアルトアイヒェ製の露天風呂は、湯殿を除くと脱衣所のコンテナしか備えていない。オールド・レギオンタイプのCAを駐機できるスペースを除くと、岩棚には利用可能な場所があまりない。
そこで脱衣所のコンテナを廃止して、新たに脱衣所を併設した小屋を建てることにしたのだ。小屋には暖房を備えた休憩室、給湯室、手洗いを完備して、真水や食料、ゴミや排泄物を簡単に交換処理できるアタッチメント・モジュール構造を採用する予定だ。
こうすることで、僻地故に気軽に出掛けられなかった露天風呂に、ゆっくりと浸かりに行くことができるようになるはずだ。この際だから、スチームサウナも新たに設置するのも好いかもしれない。
恭一郎達しか利用しない専用施設も同然なのだから、世俗から離れた秘湯で、家族だけでゆっくりと羽を伸ばせるようにするのも悪くはない。働き詰めのリオを誘って、二人で一緒にプチ温泉旅行のようなことができたら素敵ではないだろうか。
小屋は休憩室を密閉型にして加圧可能な換気構造にしておけば、高山病の処置や予防にコクピットの中まで戻らずに済み、わざわざ寒い思いをして移動しなくてよくなる。
ベッドやソファーのような調度品を用意して密閉対応の窓を備えれば、見晴らしの良い山小屋風ロッジの一丁上がりである。
四年近くも前に作った温泉を最新の施設に改装すべく、恭一郎の作業はとても捗った。完成した建材は運搬用のコンテナの中に収納され、現地での作業に移る準備は早々に整った。
――トイフェルラント生活一五九五日目。
国内の統治がリオから組閣された内閣へ移行したことで、これまでのように建物を勝手に建てることができない立場になった。そのため恭一郎は、ワンボックス型の専用魔導車を運転して、ノイエ・トイフェリンの建設院を訪れた。事前に訪問とその目的の通達を出し、担当部署から正式な許可を取ってからの訪問である。
オメガの脅威の去ったトイフェルラントではあるが、恭一郎は今も国の重要人物であるため、護衛役として今回は、初めてセナが隣に控えている。セナは度重なるバージョンアップによって、ある程度の戦闘能力を持つに至った。そこで国防院へ遥歌と共に指導教官として出向しているハナの代わりを務めているのだ。
その国防院であるが、正式に活動を開始したことに合わせ、治安維持の警備隊に加え、正規の軍隊として国防隊を新設して、戦力の拡充も行なわれた。
組織の再編に当たっては、オディリア統合軍で一軍を率いていた指揮官経験を有する遥歌がアドバイザーとなり、トイフェルラントの実情に合わせた組織作りのサポートを行っている。
ハナの方は教練指導の鬼教官となり、兵士達を恭一郎への指導とは比べ物にならない過酷な訓練を課して、国防隊員となった全隊員が、遍く平等に一定以上の水準まで育つように、あの手この手で心身共に苛め抜いている。
二人共とても楽しそうに仕事をしているため、ここ最近は二人で国防談義に花が咲いていたりしている。
そういう裏事情は脇に置いておき、記念すべきセナの初護衛である。一年前は誰かの後ろに付いて回っていたアンドロイドの末妹が、とうとう単独で護衛の任務をこなせるまでに成長したのである。恭一郎は行動にこそ移さないが、セナの大きな成長を我がことのように喜んでいた。
ほぼ予定通りの時間に建設院に到着した恭一郎達は、出迎えの職員に案内され、通常の窓口ではなく別室へと通された。国の重要人物が一般人に混じって窓口に並んでしまっては、警備の関係で非常によろしくないからだ。
その別室では、魔導鉄道の建設で共に働いているバーニーの従弟で建設大臣のバーレットが、筋肉質の大きな体で二の腕の筋肉に負荷を掛けていた。そしてバーレットの隣にもむさ苦しい逆三角形の筋肉達磨が存在しており、こちらは産業大臣を務める牛人族長角種のスタンリーが、自慢の背筋を唸らせてバーレットに筋肉で張り合っていた。
「ナイス筋肉! 二人共、筋肉が喜んでいるぞ! というわけで、俺はこれから内閣府に今見た光景を報告しに行ってくる!」
トレーニングジムかと勘違いしそうになる光景に突っ込みを入れ、恭一郎は踵を返して部屋を出ようと歩き出す。
「こ、これは、違うんです!」
「建設談義が白熱してしまって、どの筋肉が最も建設作業に貢献しているかを話し合っていただけなんです!」
そう言いながら、それぞれが推しの筋肉をバッキバキに硬くしている。
「そんなの、どっちもに決まっているだろ! 危うく仕事中に筋肉自慢をして遊んでいると勘違いして、罷免してもらいに行こうとしてしまったではないか!」
冗談半分で場の空気を流した恭一郎が、どうにも暑苦しい筋肉系二人組の前まで移動する。さすがにセナが引き気味になっており、さり気無く恭一郎の陰の近くに移動していた。気持ちは理解できるが、護衛の仕事だからもう少し頑張ってほしい。
「事前に連絡していた通り、俺達所有の温泉施設を改修することを許可してもらう手続きに来た。必要書類は受領しているな?」
三人が机を挟んで椅子に座る。恭一郎の確認に応じるように、大臣付きの補佐官が判を押された書類を机の上に並べた。
「はい。全ての手続きが、この通り終了しております。こちらが建設を許可する書類となります」
バーレットが彼の背後に控えていた補佐官から受け取った書類の最終確認をしてから、恭一郎に建設許可証を差し出した。受け取った書類にはトイフェルラント語で、堅苦しい文体の建設許可の文章が書かれており、建設大臣の印鑑とバーレットのサインが記されている。
恭一郎の目的は、この建設許可証の受領だけだ。しかし、産業大臣のスタンリーがわざわざ同席しているため、トイフェルラント政府としての用は済んでいないようだ。恭一郎から水を向け、スタンリーの要件を聞く。
「実はですね。ノイエ・トイフェリンには現在、市外からの来訪者向けの宿泊施設が不足しております。そこで、手頃な値段の宿を建設してもらおうとバーレットさんに相談に来たところ、恭一郎様の温泉施設の話を伺いまして、ご相談に乗って貰おうかとバーレットさんと筋肉で語り合っておりました」
どうにもどえらい人物が、産業大臣になってしまったようだ。事前に受け取った閣僚のプロフィールでは、かなりパワフルな人物という印象を受けていたが、こういう筋肉の方面の話しだったようだ。
それはともかく、スタンリーの相談というモノは、国中からたくさんの人、物、金が集まるようになったノイエ・トイフェリンで、宿泊施設が不足しているらしい。
その要因の一部に、ナディアのヴェルヌ峡谷で保護した亜人達の存在があった。彼等はしばらくの間ツァオベリンの艦内で生活してもらい、ノイエ・トイフェリンで都合を付けた建物に移り住んでもらっている。そのため、寝泊まりできる場所が確保できなかった一部の行商人や旅人が、郊外の大樹の森の中で無許可の野営をしているのだという。
市街の外は未だに体制の整いきれていない警備隊の目が届かない場所であるため、直近でも何件か強盗や傷害事件の被害届が出ているそうだ。
そこで、危険な野営をせずに済むように、素泊まりできる簡易宿泊施設を用意して、そこから収益を上げたいらしい。
治安対策は国防院の管轄であるが、スタンリーは彼等の穴を埋めて自らの利益としようという腹積もりのようだ。なかなか抜け目の無い人物である。これで筋肉語りをしなければ、暑苦しくなくて非常に良いのだが。
スタンリーのことはさておき、都市の治安の悪化は、巡り巡ってリオの治世に水を差す要因となる。とはいえ、箱モノは気軽にポンポンと建てられるものではない。恭一郎も温泉施設の更新のために、こうして法的な手続きを行っているのだ。
「簡単な小屋程度なら、二日に一棟程度の制作が可能だが……。量産するとなると、費用対効果が不経済だな。大型の建物はそこそこの日数が必要になる。かといって、建築モジュールを輸入するのも別途予算が必要か」
「なので、数日で効果の得られる妙案がないモノかと、お知恵を拝借したいのです」
スタンリーが同行させていた補佐官から、ノイエ・トイフェリン周辺の地図を受け取った。机の上で広げられた地図には、数日前の時点の比較的新しい情報までが反映されていて、碁盤の目のように整えられた行政区と居住区、中央市場のある商業区、魔導車工場や食料工場の建つ工業区、そして魔導鉄道の線路などが記されている。
その地図の端に数カ所ほど、大樹の森の際に赤くバツ印が書かれていた。どうやらここが、野営中に事件の起こった場所であるようだ。どの場所も市街から一定以上の距離が離れていて、かなり分散して野営地が点在していることが窺える。
「市外で野営している連中は、水や食料を自前で用意しているのか?」
「恐らくは、その通りかと。不足分は市場でいくらでも手に入りますから、持ち帰って野営している可能性もあります」
スタンリーの言う通り、市場には野営に必要な物資がすべて揃っている。それだけではなく、飲料水も市内の至る所で手に入れられるようになっている。だが日本のように公園で蛇口を捻れば水が出るという訳ではなく、安価な値段で水を購入する方式の国営の給水施設があるのだ。
「では、スタンリーの考えている、宿泊施設の予定地は?」
「魔導鉄道本線の予定地を挟んだ北側、ノイエ・トイフェリンの拡張予定区画の一部となります」
スタンリーが地図の北側一帯を指差し、魔導鉄道完成後の新市街予定地に、仮設の町を作る構想を立てているようだ。現在のノイエ・トイフェリンは、リオがアルトアイヒェを伐採した空間に、ほぼ収まる規模となっている。空地は線路が通される建設予定地となっており、都市を拡張する必要に迫られていた。
とはいえ、完全に土地が無いということではない。線路の建設予定地周辺には、まだ多少の空間があった。スタンリーは、この空間を活用しようとしているらしい。
「少し離れているが、十分な場所が確保できているのか。では、こういうのはどうだろうか?」
白紙を一枚融通してもらい、そこに北側の空き空間の区画割の案を書き込む。日本ではありふれた設計だが、トイフェルラントには存在していなかった土地の利用法である。
「暫定的に、線路建設予定地を含めた一帯を、格安の野営所とする。こちらの割り振った区画ごとに利用許可を与え、利用料金は上下水道及びゴミ処理などの施設維持費に充てる。管理事務所に人員を配置して、施設の利用者を管理しつつ、部外者の立ち入りを規制する。有事の際には警備隊に通報できる体制も整えておく」
「しかしそれでは、線路を敷く場所まで野営所となってしまっています」
「そこは抜かりない。俺の元いた世界では、線路によって町が分断されていた事例がたくさんあった。そこで、線路と道路のどちらかを、地上から移動してもらうことにした。真上と真下、つまり高架化と地下化だ」
日本は少し前まで、開かずの踏切が全国各地に存在していた。通勤時間帯は電車が引っ切り無しに通過するため、踏切が一時間当たり数分しか開かないという事例もあった。そこで道路を跨線橋に改修したり、アンダーパス化して踏切自体を失くして行った。その逆もまた然りで、区間の高架化や地下化によって、道路渋滞が大きく緩和された。
「今回は、線路を高架化する。線路予定地には陸橋を建設して、新市街への移動ルートを確保。陸橋の下には道路以外にも商業施設を建設して、駅周辺の土地に施設を有効に配置できるようにする」
恭一郎の提案は、高架下の利用を前提とした街造りだ。最初から街の南北を跨ぐように高架線路を建設すれば、重大事故の危険のある踏切を設置しなくてよい区間が確保される。跨線橋の建設を提案しなかったのは、高架上にある鉄道の駅から、ノイエ・トイフェリン全体が一望できるようにしたかったという個人的な願望が含まれていたりする。
「線路の下の空間を有効利用することで、限られた土地で少しでも利益を上げられるようになるということですか。確かに、この提案は素晴らしいですが、鉄道の建設費用に追加の予算が必要になるのでは?」
スタンリーがバーレットの顔色を窺う。建設大臣として、魔導鉄道の予算を握っているのは彼だからだ。そのバーレットは、街の分断とその解消に関する予算を脳内で計算し、どうにか首を縦に振った。
「追加予算を申請する必要がありますが、私達二名と国防大臣の連名に、総理から国務院と財務院に根回しをしてもらえれば、新たな税収案で折り合いが付くかもしれないですね」
かなり面倒臭そうな顔をしているが、バーレットは恭一郎の提案に賛成してくれたようだ。国と国民のために仕事をしているのだから当然といえるのだが、組織を動かすには想像以上に手間と時間が掛かるので、こういう顔になるのは理解できる。
「取り敢えず、高架線は将来の複線化を見越して、余裕を持った大きさのモノが必要となる。ウルカバレー方面からの線路と接続を考えているのなら、高架の合流線か、上下で交差する立体駅を作ることになるだろう」
日本の鉄道をイメージして簡単なスケッチを描き、それをバーレットとスタンリーに渡す。そして自宅から参考資料があれば提供する旨を伝える。恭一郎の拙い描写より、写真や映像をコピーして詳細を伝えておくべきと考えたからだ。
ともあれ、現在の恭一郎に出来るのは、この程度だ。選挙を終えたトイフェルラントは、国民主権の議会制民主国家へと移行中である。君主の婚約者である恭一郎がいつまでも出しゃばっていては、国民の自立の妨げになってしまうからだ。
恭一郎は求められた知恵のみを伝え、ある程度の選択肢を示してから、決定権を譲渡した。これからはトイフェルラント政府の仕事であり、最終的に議会や内閣での決議によって決定される事柄だ。
野営所に必要なインフラの敷設などを話し合い、恭一郎は求められた役割を完遂した。自宅周辺や近衛軍基地での役割とは違い、この場での恭一郎は政府の後見人に近い。魔王であるリオが正面から国を支え、恭一郎は影から国の手助けをする。全ては、家族で静かにゆっくりと過ごすための布石なのだ。
◇◆◇◆
産業院での所用を終えて外へ出た恭一郎は、予想外の人物の出迎えを受けた。産業院の玄関先に、赤い鱗を持つ赤蜴族の女性が供を連れて待ち構えていたのだ。
セナが素早く恭一郎の盾となるべく前へと出たが、赤い鱗の女性は優雅に右腕を自身の胸に当て、その場に跪いた。お供も同じくそれに倣い、産業院の玄関先という公衆の面前で大胆な行動に出る。
「お初にお目に掛かります、烏丸恭一郎閣下。この度、国防大臣の大任を預かることになりました元オルカーン六番隊隊長、マチルダ・ガーラントにございます」
恭一郎に対して跪いているマチルダの雰囲気は、歴戦のオディリア兵士よりも濃厚な圧を放っていた。殺意こそ向けてきてはいないが、恭一郎の実力を値踏みしているかのような空気を感じる。
大方、身体能力が亜人よりも明らかに劣る人間の男が、出鱈目な強さを誇る魔王を虜にしている理由を探っているのだろう。切った張ったで上下の力関係がはっきりしていた世界で生きてきたマチルダの、これは長年身体に染み着いた癖なのかもしれない。
だが、そんな相手の流儀に付き合う必然性を感じなかった恭一郎は、セナの盾から無造作に抜け出して、跪くマチルダに手を差し伸べた。
「初めまして、マチルダ国防大臣。私が烏丸恭一郎です。このような往来でお会いできるとは思っておらず、大変驚いております」
平身低頭モードでも高圧的な相手の眼前に、敢えて無防備な身体を曝す。無警戒に差しのべた手で、マチルダに対等の握手を求める。
それに対してマチルダから、一瞬だけ強烈な圧を感じたが、悠然と恭一郎の手を取って立ち上がった。恭一郎は優しくマチルダの少し冷たい手を握り、リオの龍人化した時に近い手触りを思い出した。
「恐れ入ります、閣下。内閣総理大臣コーエン・フォン・ヒューレントより、急ぎ閣下を総理官邸へお連れするように仰せ付かっております。私共とご同行願えますか?」
マチルダの言葉は恭一郎にお願いするモノであったが、その雰囲気は命令のそれと同じだった。マチルダは最初から、恭一郎を総理官邸まで連れて行く前提で動いているようだ。
マチルダの言葉を拒否して、実力をもってマチルダ達を排除することも可能な恭一郎だが、ここまで強引なお誘いを受けなければならない理由が逆に気になった。
「総理が私に、どのような用なのでしょうか?」
「私の口からは申せませんが、この国の真の支配者である閣下の判断が必要な事態である、とだけお伝え致します」
衆人環視の状況では口外できないような、機密の案件で出迎えに来ているようだ。さり気無く視界の端で、マチルダの供を観察する。警備隊の生成りの黄色みがかった白色の制服とは違う、闇夜のような漆黒の揃いの服装を着ている。確か、信用ギルドの実働部隊の制服が、何者にも染まらない黒であると小耳に挟んだ記憶がある。裁判官のような理由で黒が選ばれたのかと、そのように感じた記憶があったからだ。
つまりマチルダは、最も信頼できる元オルカーンの部下を引き連れてきているようだ。もしも彼等の実力が噂通りのモノであれば、マチルダは用意できる最高戦力を伴って、この場に臨んでいるということになる。
そこまでして恭一郎の同行が必要な案件に、俄然興味が湧いてきた。
「分かりました。総理官邸へ向かいましょう」
「では、迎えの車を用意いたしましたので、こちらにお乗りください」
マチルダがフリーだった左手を上げて合図をすると、少し離れた位置に駐車していた魔導車が、素早く目の前に横付けされた。黒く塗られた車体をした魔導車は、現在工場で生産している魔導車ではなかった。無骨なデザインは以前からトイフェルラントで製造されていたモノであり、追加装甲が車体の側面を中心に取り付けられている。魔導エンジンも恭一郎とは違う方法で強化されているようだ。
なかなか高性能な改造魔導車である。差し詰め、オルカーン仕様の特殊装甲車両といったところだろうか。銃座でも備えれば、地球の装甲戦闘車両のような雰囲気に近くなる。
性能的にはあらゆる面で、恭一郎のワンボックスタイプの魔導車に軍配が上がるだろう。しかし、出迎えに来てくれた相手の好意を無下にするのは、些か非礼というモノだ。
「では、お世話になりましょう」
マチルダに促され、恭一郎はセナと共に黒の魔導車に乗り込んだ。マチルダは恭一郎と同じ車両に乗り込み、お供のメンバーは同じ黒の魔導車二台に分乗し、恭一郎の乗る車両の前後を護るように挟み込む。そして安全かつ最高速度で、総理官邸へと走り出した。
恭一郎は少し硬い座席に座りながら、たまには他人の運転する車に乗るのも悪くはない。そんなことを思いながら、後方へと流れて行く車窓を薄ら笑みを浮かべながら眺めた。
そんな余裕の溢れる恭一郎に対して、同乗するマチルダからは一定の圧が放たれ続けている。あまり気分の良いモノではないが、オメガのような邪神クラスの凶悪さが微塵も無いため、特別気にする必要も感じない些細なそよ風程度のことであった。




