【用法用量は正しく守るべき】
――トイフェルラント生活一二七〇日目。
魔神とは、トイフェルラントを建国した亜人の救世主たるマイン・トイフェルを、この惑星オディリアに送り込んだ存在である。ウルカの証言から、その実在が証明された異世界の人物であるようだ。
魔神やマインのいた世界は、非常に高度な技術力を持つ超文明の世界だったと思われる。その技術の一端であるのが、魔法を生み出す魔力機関の存在だ。この異文明の超技術がなければ、亜人達は魔法を使うことができない。
トイフェルラントで広く信仰されている魔神教は、マインを亜人達に遣わした救いの神としての魔神を、昔から崇め奉ってきた宗教だ。エアステンブルクの住人も魔神教を信仰しており、手作りの祭壇を用意している者も少なくない。
そんなエアステンブルクには、新しい町ゆえに宗教施設が存在していない。それはつまり、結婚はできるのだが、神前での結婚式が行えないことを意味していた。これはトイフェルラント人の心情としては、かなりの大問題となる。
本来ならば魔神教の教皇に話を通すだけで事足りていたのだが、教皇庁の在ったトイフェリン北方の丘陵地帯は、隕石の落下で丸ごと吹き飛んでしまった。
その影響で、魔神教の上層部は壊滅状態だった。現場を任されていた末端の司祭達は、担当地区の仕事で手一杯となっている。上層部の仕事まで肩代わりすることになっている生き残りの神官達は、組織の再編という激務を命懸けで行っているという。
リオが魔王としての強権を発動して、各種援助の代わりとして相談に乗ってもらったところ、神官と祭司を一名ずつ、短期間だけエアステンブルクに派遣してもらえることになった。聖職者を育てるための修道院も消滅してしまったため、エアステンブルクの担当者が正式に決定するのは、早くても数年を要するという話だ。
しかも、派遣の許可は出すが、来てもらう人物は自分達で見付けなければならないらしい。さらに、エアステンブルクに魔神教の大聖堂を自前で用意せねばならず、それをたった三〇日で済まさなければならなくなった。
こうして恭一郎達は、エアステンブルクの住人達が安心して結婚式を挙げられるようにするべく、投入可能な戦力を振り分けることになった。
リオの持ち帰った魔神教側からの回答を会議に掛け、限られた時間の中で結婚式を実現させるために、役割分担が決められた。
恭一郎の担当は、大聖堂の建設と、結婚式に出す料理を作ること。リオはトイフェルラント各地の宗教施設を回り、喜捨をしながらエアステンブルク行きを承知してくれる人物を見付けてくること。ミナが新郎新婦達の衣装を用意すること。リナが新郎新婦達の結婚式の準備を手伝うことになった。
◇◆◇◆
恭一郎は大聖堂を建設するにあたって、作業用にエアストEXを持ち出した。酷使し続けていたオールド・レギオンタイプの中古モジュールで構成されていたトライリープのヒュッケバイン・エアストは、先端技術の試験用として運用するために大改修されていた。名前の後ろに付けられたEXは、実験機を示すexperimentalの略である。機体は視認性を高めるために、黄と黒の警告色で塗装されている。その派手な見た目から、遥歌より『ハチさん』の愛称を賜っていた。虎ではなかったらしい。
ヒュッケバイン改やデヴァステーターから得られた技術をパラーデクライト用に小型化するため、エアストEXの外見は継ぎ接ぎされたように統一感を欠いていた。それでも基本性能は格段に上がっていて、特に防御力と機動性能は以前のモノより一線を隔している。その最大の特徴は、機体モーションのパターンが、従来機の倍以上登録することが可能となったことだ。
モーションパターンが増えたということは、それだけ器用になったということでもある。恭一郎はミッテから引き継いでいた工作用データに追加のモーションデータを書き込み、より複雑で高度な加工技術を持たせることに成功していた。
新たに製造されたソニックブレードを装備して、ノイエ・トイフェリンでも何棟か建物を建設した実績がある。今回もソニックブレードを使用して、大聖堂の建設を行うのだ。
大聖堂建設に当たって、魔神教の神官から条件が出されていた。それは、建物の正面を南向きとすること。最低一〇〇名を収容できるメインホールを作ること。メインホール最奥の祭壇に、陽光が差し込むようにすること。神官や司祭達専用の生活空間を確保すること。敷地の境界をはっきりとさせておくこと。他にも細々としたことが指示されていたが、大聖堂の外観や装飾の指定は特に無かった。
祭壇に飾られるご神体などは、相談に乗ってくれた神官が手配してくれたということなので、作業量の減った恭一郎は大助かりである。
トイフェルラント各地に建てられている大聖堂の傾向を見るため、ハナの知っている大聖堂の映像を確認したところ、木造や石造りだけではなく、天然の大洞窟を利用したものまであった。建物のデザインに共通点も少なく、魔神教側から求められている条件さえ整えば、それが正式な大聖堂として認められているようだ。
その結果、恭一郎は頑丈な素材であるアルトアイヒェで、大聖堂を建設することに決めた。方向性としては、恭一郎に馴染の深い神社や仏閣のような、荘厳な木造建築だ。とはいえ、恭一郎は宮大工でもないので、専門的な伝統技法など全く分からない。自宅の書物も調べてみたが、やはり伝統的な建築技法の書かれた本は見付からなかった。
仕方がないので、基本的な技術は温室と同じ工法を用いて、陽光の射すメインホールを作り上げることにした。神官達の生活するための寄宿舎は、未使用の建築モジュールを移設することで、作業を工兵隊に外注することが可能だろう。こうすることで、大聖堂の工事に注力できるようになる。
大聖堂の建設場所は、エアステンブルク北西の角地とした。恭一郎としては、広大な海を背にしたオーシャンビューのチャペルのようにしたかったのだが、方角指定を受けていたため断念した。
エアステンブルク北側ではないのは、そこには工兵隊から贈られた門があり、そこからノイエ・トイフェリンへと続く道が伸びていて、その道に並行するように建設すると、どうにも付け足しましたと言わんばかりの雰囲気になってしまうからだ。
◇◆◇◆
大聖堂を建設する区画を決定し、次は建築素材の調達となる。
大樹の森の際までやってきた恭一郎は、慣れ親しんだ伐採作業に取り掛かった。まずは、切り倒したい方向にソニックブレードで大きく切り込みを入れる。高さが二〇〇メートルもある巨木は、自重を支えられるだけの強度と柔軟性を持っている。幹の直径が二〇メートルもあるので、半端なことでは倒れたりはしない。
かなり深い楔型の切り込みを作ったら、周囲の安全を確認する。現在のウルカバレー周辺には、恭一郎達以外の住人も暮らしている。ノイエ・トイフェリンへと通じる街道からは外れている場所だが、道を間違えている者がいる可能性も無くはない。倒木による危険範囲も洒落にならないため、作業は安全第一を徹底しているのだ。
周囲を確認して、事故の危険のある存在は確認できなかった。
伐採の最終段階の準備に取り掛かる。ソニックブレードを楔の先端部分に突き立て、反対側の楔の先端部分まで幹を回り込んで切り裂く。幹の外周部分を切ることで、最後の一撃を加えるだけで巨木が倒れるようにしたのだ。
再度、周囲の安全を確認をする。そして、伐採作業を開始するための警報を鳴らす。外部スピーカーの実装は未だに行われていないため、警報ブザーを取り付けておいたのだ。
ブザーを鳴らし終えた恭一郎は、ソニックブレードを一閃させた。すかさずエアストEXを跳躍させ、三角飛びの要領で幹を蹴りあげた。すると、ゆっくりと木が倒れ始める。あとはそのまま距離を取って、倒れるに任せるのだ。
数秒後、アルトアイヒェの巨木は震動と轟音を伴って、見事狙い通りの場所に倒れた。
余談だが、後ほど乳飲み子の面倒を見ていたローザから、子供達が伐採の音に驚いて、一斉に泣き出したという苦情を受けた。恩人のためだから許せと言いたいところだが、赤子相手では一切の道理は通らないので、勘弁してほしいと謝罪した。
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アルトアイヒェの裁断と加工に取り掛かると、恭一郎の仕事は機体モーションの選択と決定が主となる。そのため、宗教についてあれこれと考えてしまう。
トイフェルラントの国教とも言える魔神教は、地球で言うところの一神教のような扱いになるだろう。主神である魔神を崇め、マイン・トイフェルを聖人のように敬っている。ごく一部に、自らの先祖である亜神を信仰する者達もいるようだが、魔神崇拝が圧倒的大多数だ。一応、リオも以前は魔神を信仰する信徒の一人であったが、源一郎という創世神の存在を知ったことで、公式に明言はしていないが、こちらの神に宗旨変えしている。
一方のオディリア共和国は、宗教の存在を否定はしていないが、推奨もしていない。強大な敵であったオメガの前では、宗教は有効な攻撃手段を持ち合わせていないからだ。それでも道徳的な行動指針程度には機能を果たしており、政府も信仰の自由は保障している。
そして恭一郎はというと、烏丸家は仏教徒らしい。という程度の意識しか持ち合わせていない。八百万の神を信仰してきた日本は、キリスト教を始めとする宗教的祝祭も日常のイベントとしている稀有な国である。世界の人々の多くは宗教的価値観を強く持っているので、異教の祝祭を自ら祝うような日本には、とても違和感を覚えるようだ。
恭一郎の宗教に対してのスタンスは、存在は認めるが、信仰するかどうかは全く別のこと。だと考えている。
初詣に神社に行って、母の供養で寺に行って、クリスマスに敬虔な信徒の友人が主催するパーティーに行って、節操なく宗教の枠を飛び越えたイベントに参加している。だからといって、どの宗教も信心の不足を恭一郎に説いたりはしない。あっても法話や説話を聞くなどで、道徳的に想うところがある程度のモノだ。
信仰に付いては殆ど考えてはこなかったが、恭一郎が大学へ通うようになって始めた一人暮らしで、色々と考えさせられるようになった。都内で暮らしていた近所には、様々な神様を祭っている神社があり、町を歩けば終末思想で不安を煽る宣教の声が聞こえ、宗教色を隠した怪しげなセミナーが手ぐすねを引き、しつこく勧誘してくる新興宗教の信徒が何度も押し掛けてくる。
宗教の人間に対する効果は認めている恭一郎だが、宗教成分の過剰投与による副作用を非常に懸念していた。日本では凶悪な宗教団体に対しての拒絶反応こそあるが、彼等が自ら招いた結果によるものを除いては、一応に法律で定められた領域で活動を行っている。
翻って世界の国々はというと、実に宗教間の対立が原因の不和が多い。歴史的な出来事の積み重ねで拗れに拗れた中東情勢を筆頭に、弾圧や虐殺が未だに繰り返されているからだ。その犠牲となるのは法律的に罪も犯していない一般人で、そこで流された血が報復でさらなる血の雨を降らせるのだ。
小規模なモノでは、カルトに分類される狂信的な小集団が、己の価値観を優先して行動し、周囲に被害を与える事件を引き起こす。信者を人里離れた環境に隔離させ、世界の終末を解いて集団で自殺する。信心が足りない信者を私刑にしても、良心が何とも思わなくなる。異教徒の排斥を実力を持って強行する原理主義。中には信徒から財産を巻き上げ、それが信仰心だとするペテンまである。そんな宗教を信仰して救われていると言って憚らない者までいるのだから、警戒してしまうのは当然だ。
恭一郎の感覚では、宗教は二種類に大きく分類されている。それは、人の心を護る宗教と、人の心を踏み躙る宗教だ。それが全ての一元論や善悪の二元論のように感じるかもしれないが、これは恭一郎の経験による多元的思考による回答だ。
宗教信仰の自由が保障された環境で、多様な宗教に接してきた恭一郎は、宗教の多くが非暴力で博愛的な教義を守っていることを理解している。人の心に寄り添う宗教は、悲しみに押し潰されそうな数多くの人々を癒してきた。辛い悲しみを乗り越える手助けをすることが、宗教の在るべき姿の一つだ。
しかし、そんな宗教を歪める存在が、他ならぬ人間だ。その歴史を振り返ると、人間が宗教の力を利用してきたことは明らかだ。支配者は神の威を借りて己の統治の正当性を謳い、邪魔な異教徒を神の名の下に虐げてきた。例え同じ神を信仰していたとしても、宗派や信仰方法の違いで対立して、互いに夥しい死体の山を築いている。根も葉もない迷信によって、人の命を奪うことも珍しくない。
人間が宗教と関係を持つ限り、その教義が本来の形で発現することは無い。人間の行動には多かれ少なかれ、行動する人間のバイアスが掛かる。聖人君子を完璧に体現できる人間がいない以上、永遠に宗教は不完全な状態のままなのだ。
だからと言って、その宗教に成り替わる共産主義や社会主義も危険である。神の前では皆が平等であるという部分を、共産主義や社会主義の前では皆が平等であるとするのだから、その運営を任される人物による独裁体制を保証する疑似宗教国家の制度でしかない。
この独裁者の下では全員が平等に扱われるが、個人の人権も平等に扱われる。当然のように、与えられる自由も平等だ。だがこの平等の水準は平均ではなく、独裁者との距離によって決まる。現実としては、神ではなく指導部に対する奴隷契約であり、生殺与奪は思いのままだ。とどのつまり、お題目だけが清廉潔白な、絵に描いた餅でしかない体制なのだ。
宗教を完璧な形で信仰するためには、人間以外の完璧な存在が、それを運営するしかない。つまり、信仰対象の神様にしかできないことなのだ。その点、人間の不完全性を考慮している宗教は、かなり温和で良心的だろう。
これらのことを考慮して、トイフェルラントの魔神教を理解してみる。
魔神教は、魔神を唯一の神として崇拝する一神教であり、国民のほぼ全員が信仰しているので差別や弾圧は確認されていない。異教への対応も温和で、互いを尊重することが教義として明記されている。
教義の内容は、魔神への感謝を伝えることに重きを置いている。再度の降臨を願い、救済を求める一文もあったが、これは世界崩壊後に付け足されたモノであった。基本的に、日々の暮らしの平和を感謝して、仕事の成功や農作物の収穫などを祭りとして、魔神へと奉納することばかりだ。祈りを捧げる回数や場所も自由で、厳しい縛りは見当たらない。
道徳的価値観として、異種族を忌避や差別の対象としないモノがある。例外的に人間のことは恨まれていたが、恭一郎達の行いが誤解を解く切っ掛けとなっている。
魔神に次ぐ聖人として、マイン・トイフェルのみが認められている。これは何度も説明したように、亜人達の救世主であったからだ。彼の存在を無くして、現在まで続くトイフェルラントは存続し得なかったからに他ならない。
どうやらその聖人の席に、恭一郎を据えようという動きがあるらしい。結果的にであったとはいえ、生前のウルカが望んでいた通りに、恭一郎は行動してしまっている。これは能動的であったマインと、受動的な恭一郎を同列に扱う行為だ。今でさえオディリア人に特別視され、リオの婚約者として生暖かく見守られている。これで聖人扱いまでされてしまっては、恭一郎は恥ずかし過ぎて人前に出られなくなってしまう。
もしも聖人に据えるのなら、是非ともリオにしてもらいたい。創世神の加護を受けた奇跡の代行者たるリオこそが、トイフェルラント救済の中心なのだ。とはいえ、この事実は最重要機密であるため、他人に説明することができないのだが。
本筋に戻ろう。
魔神教の宗教施設である大聖堂は、教義の布教の場であると同時に、地域の避難施設としての側面がある。境界を明確に分け隔てることで、平時は宗教施設としての神聖さを保ち、有事の際には人々を厄災から守る防壁となることを意図している。
社会福祉施設としての機能も有しており、その点は地球とあまり変わらないようだ。人道支援や寺子屋のような勉学の場にもなっている。それに加えて、拙いながらも神官や司祭には医療の心得を備えていて、診療所のような役割も与えられていた。
こうした複合的な能力を指導する修道院の存在が、トイフェルラントにおける教育機関であったようだ。それが失われていたのは、かなり致命的なことだ。一時的とはいえ、神官や司祭が来てくれる機会を利用して、学校建設計画を一気に進めて行きたいところだ。
◇◆◇◆
宗教施設としては、あまりモチベーションが上がらない恭一郎だったが、幸せを手に入れた亜人達のため、そして恭一郎の構想する学校建設のため、エアストEXの振るうソニックブレードの切れ味は冴えた。もとから切れ味は冴えているが、それは言わない約束だ。
メインホールの建設資材として骨組みを完成させた恭一郎は、今日の分の作業を終了させた。
――トイフェルラント生活一二八〇日目。
一通りの建材をに細かな加工を終え、それをコンテナに詰めて建設現場へと持ち込む。ここから一気に組み上げて行くことになる。
大聖堂のメインホールは、床から天井部分までの構造と、採光設備を持つ屋根の部分に分かれている。それを三組連結させることで、縦長の建物となる。
エアストEXで、柱や梁をパズルのように組み合わせて行く。柱や梁には木を組むための穴や出っ張りがあり、それを組み合わせることで十分な強度を持つ構造となる。その多くには仕口や継手として名前が付けられているのだが、それっぽい形を試行錯誤して完成させたため、名前に関しては管理番号という形で仮呼称している。
建設作業において、エアストEXの補助アームが良い働きをしてくれる。CAが人型を基本にしている以上、主腕は一対で二本しかない。二本の建材を腕で保持していては、継ぎ目や差し込み口の固定作業が行なえない。そこで、補助アームに建材保持用のワイヤーを持たせ、作業を行うための主腕を自由に動かせるようにしていた。
こうして一ヶ所ずつ組み合わせて行く作業を繰り返し、直立状態の骨組みを完成させる。それを地面と木材が直接触れないように置いた、礎石の上に乗せる。この礎石はミズキに頼んで精密な加工が成されているため、建物の水平に狂いはない。
壁材を組み込み、床材を隙間なく敷いて、組み上げた屋根部分を差し込み、動かないように固定する。窓の部分は後ほど、こちらもミズキに発注しているガラスが取り付けられる。
この作業を繰り返し、縦方向にもう二組を連結させることで、大聖堂のメインホールはほぼ完成した。南向きの正面玄関は左右に開く引き戸となっていて、大聖堂の内部は四方を壁に囲まれた空間となっている。天井部分の上には外からの光を取り入れる大きな窓があり、窓の開閉をするためのキャットウォークとバルコニーも完備した。屋根は神社のような軒の傾斜の付いたモノで、雪のが積もっても滑り落ちる構造となっている。
寄宿舎は大聖堂の西側に移設され、渡り廊下で繋げられた。
――トイフェルラント生活一二八三日目。
大聖堂の周囲の装飾に取り掛かる。宗教施設と言えば、美しい環境の中にあった方が、訪れる者も身が引き締まるというモノだ。草原の中に建つ大聖堂というのも乙だが、残念ながら町の中なのだ。木の一本もないというのは、少々殺風景だ。
とはいえ、今すぐに植樹できる木など、谷の中の道沿いに立つリンゴの木しかない。ここまで順調に育っているリンゴの木を移植して、万が一にでも枯らせてしまっては堪らない。今回は植樹を諦めて、庭園風の空間を作り上げることにした。こうしておけば、結婚式の一幕に花を添えられる。
とはいえ、草木にそれ程明るくない恭一郎である。散々悩んだ挙句、花壇にも畑にもできる場所を作り、エアステンブルクの子供達にバトンを渡して丸投げした。どのような植物が植えられるかは、子供達の感性に任せるしかない。
代わりとして恭一郎は、正門から大聖堂までの道の左右に、小さな池のある山水庭園を造った。築山を盛り上げ、そこへ水を引いて小さな滝を作る。滝を流れ落ちた水は飛び石や石橋を配された池へと流れ込み、目立たないように設置された排水管から排出されるようになっている。
異世界においてかなり和風な空間となったが、恭一郎に任されたのだから文句を言われる筋合いはないはずだ。




