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【萌えるお兄ちゃん】

 ――トイフェルラント生活一二三〇日目。




 ハリエットの極秘救出作戦に端を発する一連の騒動は、オディリア共和国全土を巻き込んだ大事件へと発展していた。

 アレス邸の事故現場から発見されたハリエットのインプラントは、施術者のアイリスによって本物であることが証明された。

 世間から疑惑の目を向けられたアレスは、恭一郎に対しても数々の無礼を働いた挙句、恭一郎によって返り討ちにあったことで、オディリア全体から白眼視されていた。

 恭一郎から厳重な抗議を受けていたシズマが、大統領権限でアレスの関連先を捜査した結果、恭一郎達の予想以上の埃が出て来ることになった。

 アレスは歳の離れたハリエットへ異常な執着を示していて、自らの欲望を満たすために、様々な不正手段を行使していた。端的に述べるなら、ハリエットに対するストーカー行為である。

 その中にはとても言葉に出せない内容が多く、その事実を知った恭一郎にすら、『あの場で殺しておくべきだった』と言わしめるほどだった。

 しかも、現在は解体された急進派に漏洩した情報の出所が、このアレスだったのである。これにはもう一つの側面があり、恭一郎を担ぎ出したい当時の急進派と、目障りな恭一郎を戦場に送り出したいアレスとの間に、利害の一致があったためだ。

 このような手法をアレスは多用した形跡があり、邪魔者を次々とハリエットの周囲から排除していた事例が複数あった。その中には、実際に危害を加えられ、犠牲者も出ているようだ。

 普段の素行についても、その醜悪さが判明する。イカサマ賭博でカモにした兵士を召使のように扱い、酒を飲めば見境なく暴力を振るい、違法薬物にまで手を染めて、独自の流通網を確立していた。芋づる式に逮捕された者の中には、かなりの身分を持つ人物が多数含まれていたのも、アレスの業の深さを証明している。

 トイフェルラントまでアレスの魔の手が及ばなかったのは、このような事態を想定して動いていた、恭一郎の先見の明の効果だろう。

 そして世論を最も震撼しんかんさせたのが、やはり生殖義務とその裏条項の負の側面が、アレスの行為によって白日の下に曝されたことだ。本来の目的を見失っていた同義務は、大統領命令によって即刻廃止となった。

 そうせざるを得なかったのは、恭一郎が再び密着取材のカメラの目の前で、アレスによる抵抗不能な状態のハリエットに対する不当な略取行為。大切な戦友をただの道具以下の扱いにしようとした非道。結果的に恭一郎達から永遠にハリエットを奪うことになった責任。これらを後見していたハリエットを喪って傷心であるシズマを意図的に追い詰めるようにして、恭一郎が執拗に抗議したことで仕向けたられた結果である。

 その抗議の途中で恭一郎から送られた信書を受け取り、その内容によってハリエットの生存を知ることができなければ、シズマは史上初の号泣大統領として、歴史に不名誉な名を刻んでいたことだろう。

 こうして、オディリアの暗部を掃除する結果となった大事件は、アレスの裁判が全て結審するまで、オディリア人の心中を深く抉り続けることになった。




 この一連の事件を振り返ると、恭一郎は親子揃って、国家規模の騒動の中心に立ってしまうことになっていた。それは偶然の一致ではあったのだが、主人公の行く先々で人が死んでしまう事件の発生するサスペンス作品のそれと、実は根っこが同じなのかもしれない。




     ◇◆◇◆




 そんなオディリア共和国の大混乱をよそに、トイフェルラントは至って平和であった。平和であるはずなのだが、それはごく一部の人物に限られているようだ。

 具体的には、恭一郎と遥歌の二人である。

 先日、晴れて義理ではあるが兄妹となったこの二人は、非常に仲良く暮らしている。仲の良いことは美しいことなのだが、それが当人以外の人物が思わず後ずさるレベルであれば、それは健全な状態とは言い表せないだろう。

 その光景を目の当たりにしたリオの言葉を借りるなら、『恭一郎さんが、シスコンに感染してしまった!』ということになる。




 今日も朝早くに目覚めた恭一郎は、静かにベッドから抜け出した。まだこのベッドには、抱き合うようにして眠り続けている、リオと遥歌の安らかな寝顔がある。

 日本から持ち込んでいる節操を未だに貫き通している恭一郎は、婚前のリオを性的に抱いたことはない。義妹の遥歌に手を出すことなど、もっての外だと認識しているので、この同衾は非常に健全でクリーンなものだ。

 三人は仲良しの家族として、記憶を失っている遥歌のために、同じ部屋で寝起きしている。

 遥歌の記憶喪失の原因は、ハリエット時代にメサイアを動かすための適性を強化する手術を繰り返し受けたために起きた、脳細胞の連鎖崩壊現象による後遺症だ。リオの治癒魔法で脳細胞の再生は完了しているのだが、大部分の記憶が崩壊現象により回復していなかったため、幼児期まで精神年齢が後退してしまっている状態だった。

 それでも、ここ数日は記憶が回復する兆しが見えており、徐々にではあるが、精神年齢の成長が実感できていた。




 台所でヒナと一緒に朝食の支度を行っていると、軽やかな足音が廊下から響いてきた。体重の軽い人物が、スリッパをつっかけて小走りで移動している音だ。この家で体重の軽い人物は、一人しかいない。

「おはよう、きょうニィニ! ひなネェネ!」

 圧倒的なモデル体型の遥歌であった。女性としてのふくよかさは圧倒的に足りないが、それを帳消しにする細く長い手足と腰の括れ、恭一郎の知る中で最高の美しい顔を幸せいっぱいの笑顔全開にして、寝起きから元気はつらつである。免疫のない相手に対しては、即死レベルの可愛さだ。

 朝の挨拶を済ませると、恭一郎は遥歌に訊ねた。

「リオは、一緒じゃないのか?」

「りおネェネはね、きょうニィニの脱いだパジャマぎゅ~ってするのが大変へんたいだから、さきにおきがえしてきょうニィニのおてつだいしてきなさいって」

「そうかそうか、遥歌は偉い子だな。リオの言ったことがちゃんとできて、お兄ちゃんは嬉しいぞ」

 遥歌の情操教育に良くない影響を与えるかもしれないリオには、朝食後に少しお話をする必要がある。いたいけな子供の目の前で、倒錯的なフェティシズムを披露したリオに対し、恭一郎はどのようなお仕置きが効果的かを考えていた。




     ◇◆◇◆




 家族で朝食を済ませ、リオに対して短くお小言を垂れた恭一郎は、手早く家事を片付ける。その横には遥歌の姿があり、進んでその手伝いを行なっている。

「はい、きょうニィニの下着」

 恭一郎は自身のトランクスを、洗濯バサミに留めた。

「はい、りおネェネの下着」

 恭一郎はリオの大人な下着を、洗濯バサミに留めた。

「はい、はるかの下着」

 恭一郎は遥歌の可愛い下着を、洗濯バサミに留めた。

「りおネェネの下着、おっきいね」

「そうだね」

 洗濯物を受け取っては、迷いなく干していく。

「りおネェネの下着、スケスケだね」

「見えちゃうよね」

 澱みない連携で、次々と洗濯物が干されていく。

「はるかの下着、きょうニィニはどうおもう?」

「遥歌みたいに可愛くて、似合っていると思うぞ」

 恭一郎に他意はない。遥歌のような絶世の美少女には、可愛い清楚な下着が似合うと、常々感じているのが恭一郎だ。

「はるかのからだ、りおネェネみたいに、おっきくなるかな?」

「病気が治ったばかりだから、これからかもしれないね」

 恭一郎に他意はない。遥歌の身体には、相当量の人工物が代替物としてインプラントされていた。それが性徴に影響を与えていたのか、恭一郎には分からない。だが、本来の身体に戻ったことで、これから変化するかもしれない。もっとも、肉体年齢的に微妙なところがあるため、このままである可能性も否定できない。

「はるかもりおネェネみたいにおっきくなったら、きょうニィニのおよめさんになれるかな?」

「リオが何て言うかだろうね。そのあたりは、リオに直接相談すると教えてくれるよ」

 恭一郎に他意はない。幼い子供が親兄弟を好いていることは、よくあることだ。その知識と表現方法は限られているため、愛情表現が結婚することに直結してしまっているだけに過ぎない。




     ◇◆◇◆




 家事を終えた恭一郎は、護衛のハナを連れて、ホワイトインレット地中港へと向かった。その横には遥歌の姿があり、波長の合うハナと二人で楽しく歌いながら歩いている。その歌のチョイスが、往路であるにもかかわらず『復路』なタイトルなのは、どのような基準なのだろうか。ハナが同族に分類されるからだろうか。

 そのような些細な疑問を覚えつつ、到着した地中港でラナと合流する。

「くらいよう! せまいよう! らなネェネだいすきだよう!」

 順調にリオに毒されつつある手遅れな感じのしてきた遥歌が、地中港に詰めているラナに愛情表現のハグをお見舞いする。

「今日も元気な、遥歌は可愛い! 恭一郎さんのお手伝い、頑張っていて偉いですね。わたしからも、大好きのギュ~をしてあげましょう」

 ラナが絶妙な力加減で、抱き着いてきた遥歌を抱き返す。しっかりとラナからの愛情が伝わってきて、遥歌は大満足だ。

「貨物船の到着に、変更はないか?」

 ひとしきりスキンシップを終えたラナに、恭一郎が問い掛けた。この後、オディリアから買い付けた荷物が、船便で届けられる予定なのだ。

「現在のところ、そのような連絡は受けておりません。例のゴタゴタで出港が遅れましたので、先方もこれ以上の遅延が発生しないように、慌てず急いで正確な運航を心掛けてくれています」

「土産も一緒に手配していたから、これでようやく皆に渡せるな」

 待ちに待った品々が、もうすぐ手元に届く。それだけで、恭一郎の胸は高鳴った。




     ◇◆◇◆




 ラナと別れた恭一郎は、マイン・トイフェル空港へと向かった。その隣には遥歌の姿があり、またハナと一緒に歌いながら歩いている。今度の歌は、『動画じゃない』だった。コミカルからシリアスへと路線変更した作品のコミカル部分の曲なので、今後はシリアスにならないように別の曲を勧める必要があるかもしれない。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、到着した空港でマナと合流する。

「まなネェネ、おしごとちゅう?」

 ラナと同じように抱き着こうとした遥歌だったが、折悪くマナはミヒャエルと書類の受け渡しをしていた。仕事の邪魔をしなかった分別を見せた遥歌の頭を撫でてやり、恭一郎が代わりに声を掛けることにした。

「お疲れ様です。もうそろそろ、連絡機が到着する頃ですか?」

「これは恭一郎様。わざわざご自身が、お迎えにいらっしゃったのですか?」

「私が指名して、呼び出しましたからね。ハティーの一件で、最も辛い立場に立っているバイサー先生を、少しでも励ましてあげたいんですよ」

 ミヒャエルに対して話し掛けている間に、そっと遥歌をマナの方へ誘導する。マナも恭一郎の考えを察して、遥歌を受け入れるように手を開いて態度で示してくれている。

 遥歌は恭一郎とミヒャエルの会話を邪魔しないように、マナに対して小声で愛情表現を口にした。

 予定ではもうまもなく連絡機に乗ってアイリスが、トイフェルラントに到着することになっている。現在オディリア人でハリエットの生存を知る人物は、大統領のシズマだけである。未だに真実を知らないアイリスは、教え子であり上官であった、専属医として担当していたハリエットを喪ったことで、ハリエットを見殺しにすることしかできなかった自分自身を激しく責めていた。

 ハリエット死亡の偽装工作のため、アイリスには自身が施術して移植した人工物の真贋を、裏から手を回して自ら確認させている。必要なことだったとはいえ、ハリエットシンパ筆頭のアイリスの気持ちを考えると、あまりにもこくな仕打ちであった。

 そこで、シズマを通じてアイリスへ、トイフェルラントに残されているハリエットの私物の引き取りを依頼したのだ。同時にしばらくの間、こちらで静養するように伝えてある。

「私も先生には何度か世話になっているので、放っておけないのです」

「恭一郎様ご自身も、大変なご苦労をなさっているというのに……。それが、恭一郎様の強さなのでしょうか……」

 恭一郎が視線を流した先で、遥歌とマナが楽しげに笑い合っている。その光景をミヒャエルも一緒に眺め、恭一郎と同じような慈しむ視線を送っている。

 ミヒャエルは、遥歌の正体に気付いていない。遥歌と初めて顔合わせをした時、恭一郎からの説明で、恭一郎が義理の妹として引き取った、記憶を失くして彷徨さまよっていたいたところを保護した女の子。と聞かされているからだ。

 しかもその原因が、恭一郎が開発中だった魔導具の暴発で、恭一郎のように別の世界から転移してしまったかもしれない。という嘘の仮説まで用意して、実際に偽装工作用の魔導具を一つ大爆発させている。

 ここまで手の込んだ嘘を用意していたため、どことなくハリエットに似て美しいけれど、生身の人間で見た目も日本人風の表情が豊かな全くの別人として、周囲の者にジワジワと認知され始めている。

 ミヒャエルの言う恭一郎の大変な苦労とは、ハリエットを喪って傷付いているはずの恭一郎が、記憶を失くして大変な少女に救いの手を差し伸べて、不安にさせないように明るく振舞っていることを指している。

 それに加えて、今度はアイリスの面倒まで買って出ている恭一郎の慈善的行為に、大きく心打たれているためだ。

 真実を知らないミヒャエルには申し訳ないことをしているが、このまま嘘を吐き通して行くことになる。それが結果として、双方の幸せとなるからと確信しているからだ。




 あまり時間を置かず、定刻にアイリスを乗せた連絡機が到着した。

 かなり憔悴していたアイリスは、出迎えに来ていた恭一郎達の姿を見て、思わず絶句した。ハリエットそっくりの人物が出迎えに混じっていれば、記憶の中にある昔の表情豊かだった頃のハリエットと二重写しに見えて当然である。

 思わず声を上げてしまいたくなったアイリスへ、恭一郎から唇に人差し指を当てて黙っているようにお願いされた遥歌のジェスチャーが飛び込んでくる。その後ろで恭一郎も同じことをしているのも見えて、自身がトイフェルラントへ招かれた意味を理解したようだ。

 諸々の手続きを終えたアイリスを、しばらくの逗留先としてハリエットの使っていた駐在武官事務所の部屋へ案内した後、事情を話すために自宅へ招くことになった。




     ◇◆◇◆




 恭一郎と遥歌、アイリスだけで昼食の席を囲みながら、可能な範囲での経緯を話す。幽霊と神気には一切触れず、全てがリオと留守番していたはずの姉妹達の誰かが実行したことにしている。ほぼ死んでいたハリエットが助かったのも、リオの魔法だということで納得させた。恭一郎が命を取り留めた事例を知っていたこともあり、不審がられることもなかった。

「という訳で、未だに記憶の方は戻っていません」

 他人の目が無いことを確認して、恭一郎が遥歌に身に着けさせている鳥の翼を象ったアクセサリー型の魔道具を外して見せる。日本人風の色に替わっていた遥歌の姿が、一瞬でハリエットに戻った。ハリエット本人には記憶の混乱を避けるため、遥歌として変身している姿しか、鏡で見せたことはない。

「そういうことだったのね。恭一郎様には、何とお礼を述べてよいのやら」

 憑き物の落ちたアイリスは、デザートのプリンを食べて幸せそうに悶えている遥歌に変身したハリエットの姿に、必死に笑いを堪えている。そして、恭一郎に託すことに賭けたことが正解であったことを、心で噛み締めていた。

 場の空気が落ち着いてきたことを見極めた恭一郎は、アイリスに対して話を切り出した。

「実はこうしてバイサー先生をお呼びしたのは、このことをお伝えすることだけではありません。今後のトイフェルラントに必要な人材として、貴女を勧誘するためにお越しいただきました」

「あらやだ、私が欲しいの? それならそうと、まわりくどいやり方ではなく、もっとストレートな口説き方でお願いしてほしいわ」

「バイサー先生がそうであったとしても、その周囲がそうであるとは限りません。今回の一件で、身に染みてご存じのはずですよね?」

「そうだったわね。私もハティーにとっては、そうではない立場の自覚はあるの。それが例え正しい行動であったとしても、他人にとってはそうとは限らないものね。それで、私に何をしてほしいの? 助産師の手配にしては、かなり気が早いのではなくて?」

 物怖じしない態度のアイリスが戻ったことで、恭一郎も話しやすくなる。

「バイサー先生には、医療関連の指導教官として、トイフェルラントに赴任してきてほしいのです。メサイア関連は除外するという条件で、大統領からは内々の許可は得ています」

ハリエット(あの子)を救えるほどの魔法があるこの国で、私達の医療技術が必要だとは思えないのだけれど?」

「残念ながら、魔法は万能ではないのです。リオが使える治癒魔法は、誰でも使えるようなモノではありません。ましてや、蘇生させるに等しい絶大な効果を出せるのは、リオ以外に出会ったことがない」

「それじゃあ、トイフェルラント全体の医療水準は、かなり低いのかしら?」

「おっしゃる通り、かなり低いようです。幸いにして亜人達の身体は、我々人間よりも頑健です。免疫による抵抗力も高いようですから、あまり病気には掛からないと聞いています。ですが、彼等の死亡率は低くない。平時は怪我による外傷性のモノが死因の上位を占めていますが、一度流行病(はやりやまい)が発生してしまうと、それは凄惨なことになっていたという記録が多数残っています」

 恭一郎の狙いは、トイフェルラントの医療水準を向上させることにあった。リオの治癒魔法に頼ることは不可能ではないが、万単位の人々を一個人が支えるのは、あまりにも非現実的だ。そこでオディリアの医学を導入して、可及的速やかに亜人用の医学体系を確立しておきたいのだ。

 リオが衰弱してしまった折に、恭一郎は医療環境の脆弱さを嫌というほど思い知らされた。それが今後も繰り返されることがないように、指導医として実績のあるアイリスに、白羽の矢を立てていたのだ。

 アイリスの専門は外科で、特にメサイアに関連する強化処置に明るい。そのため、恭一郎の求める総合的な医療環境の充実には、専門外と言っていいだろう。だが、人間ではなく亜人のための医学となれば、他の医学経験者でもスタート地点はほぼ一緒である。

 それならば、最も信頼できる人物に全てを委ねるというのが、恭一郎の出した答えだった。

「バイサー先生には、トイフェルラントの発展に力を貸して頂きたいのです。これは烏丸恭一郎個人から、バイサー先生への『お願』いです。バイサー先生は、このお願いに『応える』ことのできる人物であると、確信しています」

 脈略から察せるように、これは恭一郎からアイリスに対する、事実上の命令となる。どのような形であれ、アイリス達の願いは叶った。その願いを叶えた恭一郎に対して、対価となるモノを差し出さねばならない。

 恭一郎の本質は、手の届く範囲を幸せにしたいだけの利己主義者だ。慈善家や篤志家のような利他主義的行動は、あくまでも己のために行動した結果の副産物に過ぎない。もしも恭一郎が他人の痛みが理解できない人物であったなら、とうの昔に一人寂しく生を終えていたことだろう。

 アイリスに拒否権の無い命令ではあったが、人を助ける職に携わる者として、恭一郎からの要求は決して気分の悪いモノではない。むしろ、ハリエットを救えなかったために呪いさえした医師としての力で、より多くの命を救える機会が与えられたことに、密かな高揚を禁じ得ないでいる様子だ。

「そこまで期待されてしまうと、私としても張り切らざるを得ないわ。手探りになるだろうから、支援は欠かさないで頂戴ね」

 こうしてアイリスは、トイフェルラントに医療支援の指導医として、赴任することが決まった。




 オディリアの情勢が落ち着くまで、静養のために長期滞在したアイリスは、遥歌として生まれ変わったハリエットとしばらくの間、仲良く一緒に過ごした。

 遥歌の精神年齢がまた少し回復した頃。赴任するための準備としてオディリアに帰国して、再度トイフェルラントの地に降り立つことになったのは、ハリエット生存を知ってからおよそ半年後のことだった。




     ◇◆◇◆




 その日の午後は、エアステンブルクと名付けられたウルカバレーの西にある集落を訪れ、そこに詰めていたリナに、アイリスの赴任が正式に決定したことを伝えた。

 そこから新王都ノイエ・トイフェリンへ、ヒュッケバイン改に乗って足を延ばす。大樹の森の中に築かれたトイフェルラントで最も新しい都市は、行政施設が次々と正式に稼働して賑わいが生まれていた。

 ここで仕事をしていたリオを手伝い、夕方になって一緒の家路に就く。

 その全てにおいて、恭一郎の隣には遥歌の姿があった。つまり、ほとんどの時間を恭一郎と遥歌の二人は、共に過ごしていることになる。本来であれば、独占欲の強いリオがすこぶる不機嫌になっているはずなのだが、嫉妬しようにも嫉妬し辛い雰囲気となっている。

 それは、遥歌と暮らし始めたばかりの頃、そのあまりにも無防備な可愛さによってシスターコンプレックスに目覚めてしまった恭一郎が、リオを捕まえて深刻な表情でこう言っていたからだ。

『俺の妹がこんなにも可愛いのなら、リオとの間に出来た子供だと、俺はどうなってしまうんだ!?』

 こんな親馬鹿宣言とも取れることを言われてしまっては、リオも恭一郎の行動を注意できない。ここで下手に恭一郎の心情倫理を矯正きょうせいして、今後の家庭環境に悪影響を及ぼしてしまうことを危惧していたからだ。

 そこで、恭一郎があくまでも兄妹としての家族愛で行動している範疇にいる限り、リオは恭一郎を温かく見守ることに決めたのである。そのおこぼれで、遥歌を交えた恭一郎との同衾を認めさせたリオは、結婚生活の予行練習を行っているつもりでいた。


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