【オディリアの闇】
――トイフェルラント生活一二二一日目。
デージーでの公務を終え、予定通り広報課の密着取材を伴った食料生産プラントの見学を済ませた、翌日の早朝である。
恭一郎はデージー市街での買い物のため、観光用に取り寄せた店舗の地図を滞在先の部屋の中で広げていた。
軍事優先で社会が回っていたオディリアでは、観光のような娯楽に振り分けるリソースは、恭一郎の想像以上に限られていた。市街の店舗は基本的に、何らかの形で軍事方面の要素に染まっており、かなり方向性の統制された環境だった。
衣料品や生活雑貨などの店を地図上にチェックを入れていると、セナと同じデザインの、アーマーを取り外した勝負服で身を着飾ったミナが、扉をノックをしてから入室してきた。服の基本色はシルバーグレーで共通だが、差し色がパーソナルカラーの青色になっている。
「恭一郎さん。『幽霊』より、調査報告が届きました」
ミナの言う幽霊とは、例の誰にも言えない亡命者達のことを指している。彼等はオメガの呪いに縛られていたのだが、元凶であるオメガの消滅と、恭一郎達との戦闘において不完全ながら自由意志を取り戻していた。そこでリオに破邪聖浄の神気を使わせ、彼ら二人に掛けられていた呪縛を打ち消すことに成功していた。
実のところ、今回のオディリア行には、この亡命者達も極秘裏に同行しているのだ。
彼等の持ち込んだデヴァステーターという機体には、次元潜航という技術が搭載されていた。この次元潜航とは、読んで字の如く次元に機体を潜水艦のように潜航させ、小規模の亜空間に身を潜めることで完全に姿を消すことが可能となる能力だった。
この次元潜航こそが、レーダーにも発見されない、完全な不可視化の正体だった。この技術に対抗できるのは、現状でリオの魔法と恭一郎の直感しかない。その対抗手段として、デヴァステーターを解析したミズキが急ピッチで開発している、次元境界レーダーの完成が急がれている。
そんなデヴァステーターに乗ったマクシミリアンとジェラルドの幽霊二人組が、オディリアの警戒網の中へ潜入に成功している。彼等は恭一郎に対してオディリアの視線が集中している陰で、オディリア暗部の独自調査を任されていた。
「それで、何と言ってきた?」
「はい。紙片の情報は、裏が取れました。どうやら、最悪の事態になりつつあるようです」
シズマからマリー経由でもたらされた情報は、『ハリエット危篤。救援求む』というトイフェルラント語の一文だった。そこで恭一郎はミナを経由して幽霊に指示を出し、ハリエットの現状を調査させていたのだ。元オディリア統合軍のメサイア操者であったジェラルドが暗躍して、ハリエットの情報を収集した。その結果、情報は本物であったことが確認されたというのだ。
詳しく報告を聞くに従って、恭一郎の表情が嫌悪の表情に染まる。
どうやらハリエットは、先の戦いで恭一郎の機体と自身の機体を連結したしばらく後から、体調を崩し始めていたようだ。それは本人も十分に自覚していたようで、個人の通信端末から専属医のアイリスへ向けて、診察を求める通信を行っていた記録も入手できた。
往還シャトルでデージーへ帰還を果たしたハリエットは、迎えに来ていたアイリスに付き添われ、デージーの軍病院に入院していた。詳しい検査の結果、不調は脳細胞の一部が崩壊現象を起こしていることが原因だと判明した。
アイリスによって迅速な処置が施されたのだが、脳細胞の連鎖崩壊を食い止めるまでには至らず、緩慢な脳死へと向かっていた。
それだけならば、恭一郎は涙に暮れることになっていただろう。しかし問題は、ハリエットの死の先にあった。
ハリエットは数々の優秀なメサイア操者を輩出してきた、名門ラザフォード家最後の生き残りである。当人の操者としての適性は低かったのだが、その血筋には非常に高い潜在能力を秘めている。そのためハリエットには、とある暗黙のルールが適用されようとしていた。
生殖義務。その裏条項だ。
特定の技能や技術に秀でた者は、必ず次世代へとその血を残さなければならない。オメガとの果てなき闘争に勝利するため、源一郎の死後にオディリアの指導部が定めたのが、優性保護政策という制度だ。
本来は、オディリアの救世主たる源一郎の血筋を、予言された息子の恭一郎が現れるまで、決して絶やさないようにする目的の制度だった。
しかしこの制度は、優性因子の保存という歪んだ解釈がなされ、優秀な者同士の婚姻統制を生み出す結果となった。それが世代を重ねることによって制度の解釈が歪みに歪み、単なる戦力確保の人口増加政策へと変遷していた。絶滅寸前まで追い詰められた人間が、たった二〇〇年ほどでこれほどの勢力を持つに至ったのは、これが原因だったようだ。
そして生殖義務の裏条項には、優秀な人物が死亡した際、その身体が医療機械に保存され、別の優秀な者との交配に使うことが許されていた。その結果、親の顔を知らない子供が多く誕生している。
脳死へと向かっているハリエットは、この裏条項のルールが適用され、どこの誰とも知れない人物との繁殖母体とされようとしていたのだ。
そのあまりにも人権を無視した悍ましい行為に、恭一郎は湧き上がる怒りに発狂するのを必死に抑えて耐えるしかなかった。
「道理で俺に、直接伝えられない訳だ」
事ここに至り、アイリス達外野がしきりに騒いでいたことに納得がいった。彼等は筋金入りの、ハリエットの味方であった。低いメサイアへの適性を高めるため、危険な処置を繰り返していたハリエット。自ら暗黙のルールへその身を捧げるように、ひたすらに力を求める姿を不憫に思った彼等は、オディリアの制度の埒外にいる恭一郎にハリエットを託すことで、今のような状況を回避しようと画策していたのだろう。
全ては、不器用な生き方しかできなかった、一人の純粋な少女のためを想っての行動だったのだ。例えそれが、リオという地上最強の生物の逆鱗に、知らぬこととはいえ自分達が触れていたとしても、その歩みを止められなかった理由だ。
「現在幽霊は、場所の特定作業を行っております。滞在中には何とかするそうなので、予定通りの指示を出しておきました」
ミナの報告を聞いて、恭一郎はしばらく動くことができなかった。間もなくハリエットは、脳死判定されるレッドラインを越えようとしている。そのため軍病院から運び出され、早くも別の施設へと搬出されていた。その行先は、専属医のアイリスにすら知らされていない。事態は深刻の度を増している。
薄々覚悟はしていたのだが、それでも押し寄せる情報量が半端ではなかった。恭一郎の脳内処理速度を軽く上回っている。
「察しろだなんて、相手への甘えだよな……」
そう呟いた恭一郎は、無性に遣る瀬無くなった。
ハリエットを悲惨な結末から救うため、恭一郎の助力が必要であったのならば、そのように真実を伝えれば良かったのだ。それがなまじいに統制された社会で生きてきたせいで、体制批判に繋がる言動が行えなかったのだろう。未だオディリアの一般常識に明るくない恭一郎では、そもそもハリエットの危機を察しろというのが、土台無理な話なのだ。
「ご気分が、優れませんか?」
難しい表情をしている恭一郎に対して、ミナが気遣ってくれている。仕事に忠実なミナは、同時に注意深い観察眼を持ち合わせている。リオを始め、残留組から恭一郎のことを託されているミナは、彼女達の分まで恭一郎のために行動していた。
「いや、大したことはない。ただ、無性に遣る瀬無くなってしまっただけだ。機械的にだったとはいえ、あの時繋がった感情の一部が今も心に残っていて、それで人恋しくなってしまった。これが、ハティーの心の叫びのように思えてしまったんだ」
これまでの恭一郎は、大切な存在を失うことを恐れるあまり、他人との距離を保って生きてきた。だが、リオを失った経験を得たことで、それまでの生き方が無意味であることを理解した。
一転して大切な者との距離を縮めた恭一郎は、魂のレベルにまで及ぶリオとの繋がりを得て、人生の階梯を大きく上ることが叶った。人間的に成長したと、恭一郎本人も自覚している。
そんな恭一郎だからこそ、感応したハリエットの奥底にあった孤独が、恭一郎の中の孤独と混同してしまっていた。ハリエットの求めていた愛情への渇きにも似た飢えが、恭一郎に人恋しさという形で発現している。
「リオさんの代わりは務まりませんが、私を慰めに使って構いません。お望みならば、当該記録の破棄も承ります」
ハリエットの身を案じている恭一郎の心中を慮り、ミナはリオの代わりに恭一郎の心に寄り添った。立場上、弱い所を見せられない恭一郎も、やはり人の子である。傷付くこともあれば、悲しむこともある。他人の目がない今の状況であれば、多少の弱音泣き言は許されるだろう。
ミズキや他の姉妹達との同期による記録の共有にまで手を回して、家族の対面を護ろうとするミナの想いは、沈み続けていた恭一郎の心を優しく包み込んでくれた。人間とアンドロイドという歪な家族関係だが、そこに生まれる愛情は本物の家族愛だ。
「ありがとうな、ミナ。もし別の世界でミナと初めて出会っていたら、ミナに惚れてしまっていた位に救われた気分だ」
「それは、とても残念なことをしました。恭一郎さんの弱っているところに付け込んで、あわよくば抱いてもらおうと思ったのですが」
「そんなところまで、リオのまねをしなくてよろしい」
元気を取り戻してきた恭一郎に、ミナはいつものリオのように額を軽く小突かれた。そのリアクションまでがリオにそっくりだったため、恭一郎は目尻に涙が浮かぶほど可笑しくなった。
オディリア製の人工素材が多く採用されているヒナ以降の姉妹達は、外見は完全に人間と同じである。それは一部の内部構造に対しても再現されていて、限りなく人間と同じことができるようになっている。
よって、今の発言から透けて見えてしまったミナの本音に対して、恭一郎は普段通りの行動を執ることで場の空気を流した。
恭一郎が望む普通の暮らしには、ハーレム要素はまったく必要がないのだから。
◇◆◇◆
ミナと色違いの黒の差し色の勝負服を纏ったラナに警護され、広報課の密着取材スタッフと共に市街地を訪れた恭一郎。
町並みは見事に規格が統一されていて、同じ作りの建物ばかりが立ち並んでいる。行き交う人々も同じようなデザインの服を着ていて、所属や勤め先が一目で判るように、特定の部分だけが違っているだけの服ばかりが目に映る。
「まるで、飛行甲板要員だな」
アメリカ軍の航空母艦において、飛行甲板で作業する乗員には、その役割によって明確な色分けが行われていた。武器など危険物を担当する『レッド』。燃料を取り扱う『パープル』。航空機の整備を担当する『ブラウン』。このように、一目で判るようになっている。
オディリアも色分けではないが、同じ発想で服装のデザインが変えられているようだ。軍関係からだと、花形となるCAパイロットが、ダブルのジャケット。航空機のパイロットが、シングルのジャケットを着ている。胸や肩に階級と所属を示すワッペンが付けられていて、細かくグレードが設定されていた。
整備要員は、作業用の繋ぎである。エポーレットのような肩飾りやエルボー・パッチのような肘当ての部分が、所属と階級ごとに違うデザインとなっている。
非戦闘要員もそれぞれ統一された服装をしていて、教練中の者は、将来の所属先の階級が無い服を着ている。教練課程に年齢が達していない子供達は、統一された子供用の繋ぎを着ていた。
制服によって統一感を高め、組織や社会への一体感を演出するには、有効な手段かもしれない。
非番の者の服装は、見慣れたデザインのモノが幾つかあった。以前にリオがアイリスから受け取った、オディリア製の服と同じモノがあったからだ。だが、そのバリエーションは乏しく、流通数それ自体が少ないのかもしれない。
オディリアには、着道楽は生息していないのかもしれない。ウルカのような斬新奇抜な装いとまでは言わないが、もっと個性を出した服装はないのだろうか。
事前にチェックしておいた、生活雑貨の大型店舗に入る。主夫としての欲求が、この店で満たされるかもしれないからだ。
トイフェルラントでの生活以降、日々の生活に必要な物資は自ら用立てるか、リオにトイフェルラントの品を購入してもらうことで賄ってきた。そのお蔭で多くの代替品を得ることができたが、それでも充足できなかったモノが存在する。高性能な家電製品や、専門知識の必要な化学薬品を使用した洗剤などだ。
特に調理器具の消耗が激しく、フードプロセッサーやオーブンなどは予備のモノと交換している。原因は食欲旺盛なリオのために、これらの設備に大きな負担を掛けていたことにある。自分達で修理を行うことも可能だが、元の性能を発揮できるかどうかは別問題だ。
果たしてこの店舗には、恭一郎の求めるモノが多く取り揃えてあった。
童心に帰ったように瞳を輝かせ、調理器具を物色する恭一郎。その姿は密着取材のカメラに一部始終が収められているのだが、恭一郎は一切お構いなしに店員を捕まえて、その性能や特徴を事細かに質問した。
結果的に恭一郎は、大型の調理器具からアイデア小物まで、心行くまで買い物を満喫した。
すると、ラナが大量の食器を持ってきた。話しを聞くと、残留組の姉妹全員から、家族用の食器を揃えてほしいと言われていたようだ。恭一郎とリオはともかく、食事を必要としないアンドロイド姉妹達も、家族としてお揃いの食器が欲しかったらしい。
さらに、リオ専用の大きな食器も入っていて、通常の三倍がデフォルトで入るようになっていた。
購入した品の配送手続を済ませ、別の店舗へとハシゴする恭一郎。向かった先は、服飾関連の資材を取り扱う専門的な店だ。
トイフェルラントへ転移して以降、恭一郎の服は手持のモノを中心に、必要なモノは物置にある生地から製作していた。しばらくはそれで事足りていたのだが、縫製用のミシンが故障したり、縫い針が折れてしまったり、縫い糸が足りなくなっていたりしている。
野良仕事などで服がダメになるサイクルも早かったので、本格的な服装環境の改善が求められていた。
ここでも恭一郎はカメラの存在を忘れて、買い物に没頭した。機能性を持たせた生地を反物で購入し、ミシンなどの縫製道具を新調する。針仕事用の品々を漁っていると、ラナも生地や型紙などの品々を見つけ出してきた。
ヒナとミナから、服飾関係の資材調達も依頼されていたらしい。その多くが集落の亜人達用のモノで、特に遊び盛りで育ち盛りの子供達用に、大量の衣服が必要であるらしい。トイフェルラントの素材では加工や仕上がりに難があるため、オディリアの高品質な生地などを欲していたようだ。
ただし、その資材に紛れて、妙に向こう側が透けている生地や、レースやリボンなどが入っていた。どうやら、リオからも調達依頼が出ているようだ。これは遠回しな、恭一郎へのお誘いなのかもしれない。
その程度では動じない恭一郎だが、全く無駄ではない効果が期待できるだろう。
恭一郎の買い物行脚は続く。次に足を伸ばしたのは、普通の書店だった。店頭に並ぶ書籍から、オディリアの文化様式が多く学べる。
最も目に付くジャンルは、やはり軍事関係のモノだった。子供向けから難解な専門書まで、その種類は目を見張るモノがあった。
特に目立つのは、兵器の詳細なデータを専門に扱うカタログ雑誌だろう。CA関連の一冊には、初期の正式採用機から現行の正式採用機までの公開データが、かなり詳しく解説されていた。本当に重要な機密の部分こそ外したりぼかしてあるが、その内容はミズキが欲しがりそうな情報の垂れ流しの大瀑布だ。これは土産に、迷わず購入となった。
他にも、メサイアの運用論や戦術論を纏めた、人が殺せそうな厚さと重さの装丁本。航空機の開発史。オディリア共和国以前の人間社会の風俗と歴史。などの本を購入した。
残念ながら、エンターテインメント関係は、ここでも非常に少なかった。マリーのようなアイドルは結構いるようなのだが、専ら軍の慰問などの仕事をしているため、日本で想像するようなアイドルのイメージとは違うものだった。
その代り、男女別のグラビア本はかなりの種類が売られていた。マッスルな青年やセクシーな美女を写真で眺めている兵士達の姿を想像して、日本のアダルト文化が異様に進化していたのではないかと、少し後ろめたい気持ちになった。
購入する書籍の清算の際、ここでもラナが数冊の本を持ってきた。例の如く、残留組からの頼まれ物である。その多くが児童向けのモノで、ハナとヒナとリナから、集落の子供達用にとお願いされていたらしい。他にも一般教養の参考に出来そうな本が依頼されていた。
さすがに今回は、リオからの依頼は無いらしい。書店の奥の人目の付かない場所に、『性技の魔法』なるリオの食指が反応しそうなタイトルの本があったことは、誰にも秘密だ。
◇◆◇◆
自由気ままな買い物が無事に終了し、滞在先の部屋へと戻った恭一郎。
明日の午後にはデージーを発ってトイフェルラントへ戻るため、この部屋を使うのは今夜限りだ。
部屋に戻った恭一郎に、先に仕事から戻っていたミナから報告が上げられてきた。
「幽霊より、場所を特定したとの報告がありました。例の人物の所有する屋敷の地下に、機材と共に運び込まれているとのことです」
「やはり、奴の所だったか。以前から関係を匂わされていたから、もしかしてとは思っていた。バイサー先生からも、よろしくないという話は漏れ伝わっていたが、ここまでするとは思っていなかった」
「同感です。これより、定時連絡で基地との通信を行います。これからは、わたし達のターンです」
「ああ。俺達の家族を脅かすとどうなるか、骨髄に入るまできっちりと刻み付けてやる……!」
いつぞやと似たようなセリフを口にして、恭一郎が黒い笑みを浮かべた。
やがて、ミナが基地へと定時連絡を入れると、恭一郎の目の前にリオが空間跳躍して現れた。オディリア側への事前通告もない、完全な不法入国だ。
「いよいよ、私の出番ですね、恭一郎さん」
準備が万端に整った恭一郎は、今回の作戦の切り札となるリオに向けて言い放つ。
「ハティーは、アレスの所にいる」




