【オディリアの影】
――トイフェルラント生活一二二〇日目。
この日、恭一郎はトイフェルラントを離れ、箱舟級大都市艦の弐番艦であるデージーに来ていた。
約一月前に起こった、急進派の拙速に端を発するオメガ残党軍との大規模戦闘。『花火戦役』と名付けられた軍事行動に参戦した恭一郎が、その戦功に対する表彰を受けるため、ミナとラナを伴って来訪していた。
花火戦役に付随して発生した、急進派による宇宙戦艦落下テロ未遂事件によって、ヒュッケバインの不正使用の嫌疑が掛けられた恭一郎に対する査問は、訴えた側の派閥が尻すぼみしたことで立ち消えとなっている。
対外的にこのテロ未遂事件は、不慮の事故による墜落、という発表が成されている。声高に急進派の非道を訴えることによって、チェリーで急進派の蜂起に巻き込まれた無関係な人物への風評被害が発生することを懸念しての処置だった。
これによって、リオの不興を買って一悶着が発生するような事態は、完全に回避されることになった。
なお、ここ最近は常に恭一郎と行動を共にしてきたリオは、消滅した旧王都トイフェリン以北の被害実態の調査のため、トイフェルラントに残留している。だがそれは表向きで、実際は極秘のF計画と、新たに発令された『G計画』の準備に忙殺されていた。
統合軍の輸送機に修理を終えたヒュッケバイン改を乗せ、マイン・トイフェル空港を飛び立った恭一郎は、デージーの軍用空港で盛大な歓迎を受けた。
軍用空港には七隻の大都市艦から多くの報道関係者が集まっていて、オディリアの恭一郎に対する関心の高さを如実に物語っていた。
輸送機から降りる瞬間の光景は、世界一の俳優と超大国の大統領が、二人同時に転んだのではないかというような、強烈なカメラのフラッシュの瞬きだけで、目を痛めそうなレベルだった。
表彰式の会場への移動は、空港以上の熱気の中にあった。要人専用の大型車に乗り込んだ恭一郎の移動ルートには、沿道を埋め尽くす人々で溢れ返っていた。警備の都合上、車両の窓にはスモークが張られていて、車内の様子は見ることができなくなっている。それでも英雄と謳われている恭一郎が乗り込んでいるというだけで、集まっていた人々は歓喜の声を上げ、沿道の建物からは色とりどりの紙吹雪が舞う、戦勝パレードの様相を呈していた。
共和国政府の庁舎へと到着した恭一郎は、広報課課長のティファニア少佐の出迎えを受けた。心なしか、前回会った一月ほど前よりも、表情が窶れているように見えた。
周囲の目がなくなった所で理由を聞くと、リオの即位式成功のために交わした密着取材の口約束が、いつの間にか外部に漏れて噂になっていたらしい。それを嗅ぎ付けた報道機関への対応のため、ストレスで胃の調子を悪くしてしまっていた。
体調を崩すまで働き詰めだったティファニアに、恭一郎は詫びを入れた。そもそもの原因が恭一郎の口約束であるため、その償いとしてシュムッツ高原の温泉へ、ティファニアを招待することにした。
その後、ティファニアから密着取材の説明を受け、密着取材を担当するスタッフの紹介を受けた。撮影や音声、演出や化粧等、広報課から選抜された一〇名の精鋭とのことだ。また、密着取材に当たる記者に、オディリアのトップアイドルと呼ばれている、マリー・ギャレット女史が起用されていた。
マリーは主に、政府のプロパガンダに携わる仕事を中心に活動する、身元の確かな人物だった。歳は恭一郎より二つ下で、好奇心が旺盛で活動的な女性だ。
トップアイドルと呼ばれるだけに、見目は非常に美しい。ただ、純粋な美しさでは、ハリエットの美貌を見慣れていた恭一郎には、あまり響くところはなかった。
むしろ、長期に渡るハリエットの不在が、恭一郎の心にシコリとなって残っていて、そこが疼いて仕方がない時があった。
◇◆◇◆
庁舎内の講堂で行われた表彰式には、大統領のシズマを始めとして、多くの閣僚と軍上層部のお歴々が一堂に会していた。
たった一人を表彰するためだけに、オディリアの政府と軍の中枢が一ヶ所に集まるということは、今までになかった珍事なのだという。
どうやら花火戦役後に行われた、恭一郎がドタキャンした式典に仕事で参加できなかった者達まで、この表彰式への参加を希望したことが原因らしい。
この中で純粋に恭一郎の功績を讃える人物は、シズマのような親しい間柄の人物だけだろう。多くの者は、恭一郎への興味から集まっているようだ。大半は英雄ともて囃されている恭一郎を見に来ただけで、残りの一部が下心を隠していそうな、人畜無害な表情を顔に張り付かせている。
表彰式自体は、非常にシンプルなモノだった。一連の戦闘における恭一郎の行動が紹介され、初めての宇宙空間の戦闘における、単機での一〇万体近い撃墜スコアには、恭一郎を含めた全員が、一様に息を呑んだ。花火戦役に参戦していたオディリア軍の合計撃墜数の二倍以上であったのだから、むしろ驚かない方がおかしい状況なのだ。
そして、機体や装備の故障に悩まされながらも、ハリエットと力を合わせてボム・アーチンを撃破。戦闘終了後もアビスの攻撃によって墜落した、メセル乗員の救助と保護。それらの功績が讃えられ、二つ目となるオディリア英雄勲章と、人命救助勲章の最高峰に当たる、守護聖人勲章が恭一郎へ授与された。
勲章は恭一郎だけではなく、機体に同乗して共に戦ってくれたリオとセナの分も用意されていた。
この二人の協力がなければ、この戦役での敗北は必至であった。その時は、オディリアに大きな被害が出ていたはずだ。トイフェルラントもウルカバレーが津波に襲われて、甚大な被害が出ていたと予想される。
表彰式で受け取った褒賞金の目録には、三億円もの金額が記されていた。これには、先日のテロ未遂事件に対する迷惑料も含まれていそうだ。
とりあえずこの三億円は、トイフェルラントの外貨準備資金として、国庫に納めておくことにする。
勲章と褒賞を受け取り、短めのスピーチで小さな笑いを誘った恭一郎は、無事に表彰式を終えることが出来た。控室へと戻って小休止の後に、二棟隣の大統領府へと徒歩で移動する。
◇◆◇◆
恭一郎が大統領に表敬訪問すると、しばらく歓談した時点で、密着取材のスタッフも含めて、完全な人払いが行われた。ここからは、二国間のトップ会談――ではなく、私的なお茶会となる。
外交面は、同行している外務担当のミナに一任している。恭一郎にとっての公務は、表彰式と大統領への表敬訪問だけであり、普段からホットラインで密に情報交換を行っている間柄のため、特にする仕事がなかった。
この日のために、恭一郎がどら焼きと羊羹、シズマが高級茶葉を持ち寄っている。恭一郎が茶を淹れ、シズマが食器を並べる。見事な分業で手早く準備を済ませ、お茶会が始まった。
「なかなかに香り高い茶葉ですね。苦みがありますが、後味はくどくない。甘いモノとの相性が良さそうです」
「マロー産の茶の若葉を特別に熱処理させて作らせた、日本茶風の品だ。茶葉は発酵させることが当たり前だと考えられていたから、正に目から鱗の飲み方だよ」
シズマの言う通り、オディリアでは紅茶のように、茶葉を発酵させたモノが一般的なお茶として親しまれていた。見た目も味も紅茶だったので、他にも飲み方があると資料を事前に送っておいたのだ。
「茶葉を発酵させずに飲む、日本茶の代名詞である緑茶。茶葉を半発酵させた烏龍茶。茶葉を完全に発酵させた紅茶。他にも様々なお茶があります。今日は和菓子に最も合う緑茶が飲めて、とても満足しています」
「恭一郎君に合格点を貰えたということで、私も安心したよ。オディリアの食事は美味しくないから、せめて飲み物だけでも美味しいモノをと考えていたんだ」
シズマは満足そうにしているが、このお茶の出来は、まだ改善の余地有りの品質だった。恐らくは製造工程の酸化発酵の停止が不完全で、茶葉の一部が微発酵しているのだろう。そのため、緑茶では感じないような苦みがあった。
とはいえ、これはこれで美味しかったので、持ってきた菓子が美味しく食べられる。
「表彰式には、リオとセナも連れて来たかったのですが、二人共手が離せない状態でした」
「リオニー君は、北部地域の被害調査。セナ君は、アップデート作業。だったかな?」
「ええ。旧王都のトイフェリン以北の地域は、オメガによって焦土と化していました。国内も安定し始めてきましたので、リオが自ら調査隊を率いて、現地の状況を調べています。セナの方は、改良したパーツとの適合が良好だったため、部品の追加交換を行っています。まだしばらくは、ソフトウェアのアップデート作業で動けそうにありませんね」
「リオニー君の人気が高いのは、私も想定していた。だが、セナ君の人気が想定外に高くてね。セナ君のファンが非常に落胆していたんだよ」
シズマがそう言うと、一枚の紙を恭一郎に手渡した。
「とあるアングラサイトで行われていた、人気投票の結果だ」
「『近衛隊員人気投票』? 『世界を救った英雄と、美しく雄々しい魔王を守護する、トイフェルラントの可憐な戦乙女達』?」
紙に書かれていた内容に、恭一郎は思わず眉根を寄せた。そこに集計されていたのは、恭一郎にとって家族も同然のアンドロイド姉妹達に関する、オディリアでの評価だった。
恭一郎から見ても、姉妹達は見目もよろしく、働き者で頼りになる存在だ。リオは別格であるが、姉妹達にも家族として平等に接している恭一郎にとって、家族を勝手に順位付けされているようで良い気分ではない。
◇◆◇◆
その姉妹達のランキングであるが、妥当な人物が第一位となっていた。次女のヒナである。
ヒナは基本的に、裏方の仕事に就いている。主に烏丸邸とその周辺で畑仕事を担当していて、来客時はヒナが客のもてなしを担当している。また、日常生活では恭一郎のセクレタリーのようなこともやっており、姉妹達の中で最も恭一郎の傍にいる一人だ。
必然的に恭一郎との窓口として、オディリアの人間と多く接していた。人当たりが柔らかく、気立てもいいことから、ヒナの評判が人伝に広がっていたようだ。
そのことを物語るように、恋人や母親のような印象を持っているという意見が、ヒナに対して多く載せられていた。
姉妹ランキングの第二位は、意外にも末っ子のセナだった。
体内の超小型パワーパックとM‐コンバーターの制御のため、個人としての性能は生身の恭一郎と大差がない。感情表現するだけの余裕もないので、基本的に無口で無表情だ。
アンドロイドとして戦闘も支援もできないセナだが、内に秘めたる意志はとても強く、同行している人物の手伝いを可能な限り買って出ている。
同じ機構を搭載している姉妹機のようなヒュッケバイン改に搭乗することで、その能力が最大限発揮されるようになる。だが、セナはメセル乗員の救助において、機体制御の負荷を一手に引き受けて、機能停止を起こしてしまった。
その自己犠牲も厭わないセナの挺身が、オディリアで美談として報道されていた。無口で健気な人物として、守ってあげたいという意見がたくさん載せられている。
姉妹ランキングの第三位と第四位は、僅差でハナとマナだった。
第三位となった長女のハナは、元々高い人気を誇っていた。特に陸酔いで難儀していた工兵達をたった一晩で、仲の良いお友達にしてしまった実績がある。猫人族女性の姿と明るく無邪気な性格が魅力で、トイフェルラントでは最強の傭兵という肩書を持っていることも高評価だ。
基本的にウルカバレー周辺の巡回をしているため、オディリアの人間と世間話をすることも多い。時には集落の子供達と一緒に、非番の兵士達とレクリエーションを行なうこともある。
公私を混同して職務を完遂する姿と、そのことでヒナにお小言を言われている姿から、こんな姉や妹が欲しかったという意見や、自分達の子供とも遊んでほしいという、まるで保母さんだという意見が多かった。
僅かの差で第四位となった三女のマナは、少々特殊な人物からの票が集中していた。
マナは基本的に空港業務を担当しており、オディリア側も航空機の利用率が高いため、オディリアの人間がトイフェルラントで最初に出会うのが、入国審査も受け持つマナということになる。他国へ入国するための窓口ということもあり、マナは厳格かつ公平公正に窓口業務を遂行している。
仕事に対するストイックな姿が、一部の嗜虐的な性癖の方々の琴線に触れているようで、淡々と罵ってほしいという感じの倒錯的な意見が多かった。
ハリエット麾下の兵士達の中にも、嗜虐思考の兵士が一定数混じっていたようなので、彼等の同輩がマナに票を集中させていたようだ。
姉妹ランキングの第五位は、四女のミナだった。
ミナは外務を担当しており、トイフェルラントのスポークスマンとして、オディリアのメディアへの露出も多い。マスメディアの取材に対して、最も多く対応しているのがミナだ。
オディリアとの交渉事を引き受けているため、外交だけではなく貿易も担っている。今回のオディリア来訪の最大の目的は、オディリアの食材を中心とした輸入と、オディリアの市場調査で需要のありそうなトイフェルラントの輸出品の選定だった。貿易は恭一郎の肝煎事業であるため、現在のミナの職責は非常に重い。
普段から丹念な仕事をしているミナには、一定規模以上の部下を持つ役職の者からの票が多く、是非部下に来てほしいとの意見が集まっていた。
姉妹ランキングの第六位は、五女のラナだった。
ラナは地中港の業務を担当しており、オディリアの人間との接触もあった。しかし、船舶の利用は頻度が低く、入港する船も物資を乗せた貨物船ばかりだったため、トイフェルラント駐在の兵士達との関わりが主だった。
あまりオディリアの人間の目に触れなかった影響か、近衛隊突撃隊長の肩書に関連するような票が集まっていた。特にCA乗りから、手合せを申し込まれているような意見が散見される。
ラナはどこぞのプロレスラーのように、誰からの挑戦でも受けて立つという心構えのため、実際に対戦を望まれたら嬉々として尋常な勝負を行いそうだ。
姉妹ランキングの最下位は、六女のリナだった。
リナは内務を担当しており、トイフェルラント国内の様々な業務の窓口となっている。必然的にオディリアとの接点が少なく、トイフェルラント駐在の兵士の中には、リナと話した事のない者も多い。マスメディアへの露出もなく、先の即位式で撮影された写真が唯一という、オディリア側にとって謎の多い存在だった。よってこの結果は、なるべくしてなったものだろう。
オディリアにはほとんど知られていないリナは、姉妹の中で最も心優しく、非暴力で平和主義的な性格から、集落の亜人達からの信頼が厚い。また、戦闘が性格的に苦手なため、能力を医療の方向へ特化させている。その実力は確かなもので、ハリエットの専属医であるアイリス・カッツェンバイサー少佐からのお墨付きが出ている。
◇◆◇◆
一通りの情報に目を通した恭一郎は、紙をシズマに返却した。オディリアの人間にどう思われようとも、姉妹達は恭一郎にとって愛すべき仲間であり家族だ。その結論に揺らぎはなく、ランキングへの興味は完全に失われた。
「もっと国内状況が安定したら、皆と一緒に観光に来たいですね。それよりも、軌道上で何を造り出したんですか? 夜目の利く爺さんから、オディリアの宇宙船がここ最近増えた。と報告が上がってますよ」
報告の主は、鴟人のオブライエンだ。ミミズク亜人の爺さんであるオブライエンは、夜目もそうだが視力も非常に高い。恭一郎には星と変わらない光点にしか見えなくとも、オブライエンには宇宙船と星の区別が付いていた。
「話の序でみたいに、重要機密を話題にしないでほしいな。何をやっているのか、大体想像が付いているのではないかい?」
「ええ、まあ。ナディアから見えないオディリアの陰に、相当量の物資を運んでいますよね? 宇宙基地でも建造中ですか?」
恭一郎の推測を聞いたシズマが、頭が痛そうに眉間の皺を指で摘まみ解している。
「ほぼ正解だよ。常にナディアから見えないオディリアの陰の軌道上に、宇宙艦隊の基地を建設している。宇宙空間での長期任務にも対応できるように、基地の居住区画の一部は人口重力が働いている構造になる予定だ。まさかこんな早くに、恭一郎君達に悟られてしまうとは、サプライズ失敗だ」
悪戯好きのシズマが、心底悔しそうにどら焼きを口に運んでいる。大方、完成した宇宙基地に恭一郎達を招待して、大いに施設を自慢しようと考えていたのだろう。
「やはり、宇宙での拠点は必要ですね。オメガの残党がナディアで静かにしているうちに、迎撃態勢だけでも整えておかないと……」
アビスによるメセル墜落の一件以降、敵に目立った動きはない。
「無論、そちらも抜かりはない。ドルヒ級を再設計した、ドッペル級の建造に入っている。次世代型量産機も先行試作機が、間もなく完成するはずだ。『これ等が量産の暁には、オメガの残党など一捻りだ!』と、開発局の連中は言っているが、大言壮語だろうな」
「新型艦に次世代量産機ですか。こちらはドルヒ級の残骸を資材にして、オールド・レギオンタイプを再設計した新型機を開発しています。あくまでも国内での運用が目的ですから、武装は既存のモノを使用する予定です」
「恭一郎君の専用機のように、化け物じみた火力ではないんだね?」
「あのバ火力を国内で使ったら、オディリアから陸地が完全に消えますよ。新型機には、通常火器を再設計したモノを装備させます。総火力と継戦能力を高めた程度の、堅実な強化ですよ。騙し騙し使ってきたエアストも限界でしたから、基地の戦力を刷新することになったんです」
「超合金のフィギアになっていた、トライリープの機体だね? 見た目はともかく、そんな厳しい状態だったのかい?」
「まともな整備ができないまま、三年間も使い続けてきたんです。四か月前の連戦のダメージが、想定していたよりも深刻なレベルだったんです。完璧に修理をすると、機体パーツの九割が新品と交換になるそうです。それなら、新型機のテストベッドにしてしまえ。という結論になりました」
「トイフェルラント製の小型機か。民生用に性能を抑えて売り出したら、かなりの数が流通しそうだ」
「勘弁してくださいよ。魔導車工場が完成して、食品工場の建設に取り掛かったばかりなんです。これ以上の仕事は物理的に不可能ですよ。第一、CAは存在そのものが凶器です。いくら民生用にデチューンしても、改造して良からぬことに使う輩が出てきます。そうなれば、CA犯罪を取り締まるための警察用CAが必要になります。これって、完全にマッチポンプですよ」
恭一郎が手持ちの鞄から金属の塊を取り出して、シズマに差し出した。
「破壊のための道具を作るよりも、人を活かすモノを作りたいですよね?」
「こ、これは、まさか!?」
恭一郎から渡されたモノを手にしたシズマが、その衝撃に打ち震える。まるで餌を強請る池の鯉のように、口をパクつかせて言葉にならない言葉を発していた。
「去年の秋に作った、白身魚と大根のピリ辛煮です。他にも、焼き鳥、牛の時雨煮、アンズのシロップ漬け、栗の渋皮煮、コーンポタージュ、パンプキンポタージュ、コンソメスープを持ってきています。それぞれ二缶ずつありますから、冬になるまでに食べてください」
恭一郎の望む世界には、争いよりも平和と共存こそが相応しい。ここで取り出した缶詰は、恭一郎の考え方を体現する品なのだ。
恭一郎から貰った缶詰を金庫に仕舞ってきたシズマに、恭一郎はハリエットの容体を訪ねた。もう一月以上も、音沙汰がないためだ。
恭一郎の問いに対するシズマの発言は、奥歯に物が挟まったようなぎこちないモノだった。ハリエットの後見人としては、どうにも不自然な態度である。
専属医のアイリスの近況も訊ねる。アイリスもハリエットと連絡が取れなくなってから、恭一郎達と一切の接触がない。さんざん外野から、ハリエットを恭一郎に宛がおうとした連中が、ここ最近は異様なほどに沈黙を貫いている。
そして、秘密裏に亡命してきているジェラルドからも、ハリエットに尋常ならざる事態が発生している可能性が指摘されていた。
どのような形であれ、恭一郎にとっては、世界を超えて知り合えた親戚である。広義の解釈では、ハリエットは恭一郎に家族として認識されている。それはつまり、ミズキやハナ達アンドロイド姉妹と同格に近い存在であり、恭一郎の愛情が向けられる対象に含まれている。
それに加え、トイフェルラントでの恭一郎の日常に、ハリエットの存在が不可欠となっていた。そんなハリエットに一大事が起こっているのなら、恭一郎は行動を起こさずにはいられない。
しかし、恭一郎の追及に対して、シズマは終ぞ口を割ることはなかった。
とはいえ、完全に情報が得られなかった訳ではない。
恭一郎が表敬訪問を終えて大統領府から出る間際、合流したマリーが恭一郎へさり気なく紙片を手渡してきた。そこにはたどたどしいトイフェルラント語で、シズマからの悲痛なメッセージが書き記されていた。




