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高瀬川物語  作者: towa
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京都

田植えが終わったばかりの田んぼのあぜ道の桜並木。

開いたばかりの薄紅色の小さな花をつけた、その木々達が西から東へと飛ぶように流れていました。

新横浜を出て映画がそろそろクライマックスを迎えるほどの時間が経過していた頃の、この車窓の風景は、まるで、あの時と同じでした。

丁度、二十年前、私は夢を追いかけて、東へと向かう新幹線に乗って、この風景を期待と不安の中、この時の様に、ただ、ぼんやりと眺めていました。

その期待と不安の比率は、その時も二十年前も、まるで変わってはいませんでした。それは、この二十年間、自分が何一つ成長していないことを実証しているかのように思えて、「こんなに苦労して来たのに何んで?」と思うと何か心の奥底が切なく感じていました。


春は人が何かを始める季節。それまでの生活から卒業して旅立つ季節。そして、最初の一歩を踏み出す季節。特に、この日本では、暖かくほのぼのとしたこの季節は緊張と不安に包まれる季節です。なので、気弱な私は、この春と言った季節はあまり好きではありませんでした。

私は、春の暖かさよりもむしろ秋の涼しさの方が好きな人間です。でも、二十年前、そんな気弱だった私を動かしたものそれは、映画でした。映画は、人の人生をも変えてしまうような不思議な力を持ってると言いいますが、正しくその通りでした。


「まもなく京都です。東海道線、山陰線、湖西線、奈良線と近鉄線はお乗り換えです。今日も新幹線をご利用下さいまして有難う御座いました。京都を出ますと次は新大阪に止まります。」


目の前の小さなテーブルに広げた一枚の紙きれとその横に置いた藍色の印鑑ケース。私は、名古屋を過ぎてから、この紙切れと藍色の印鑑ケースと向き合ったままでした。ここ数カ月の間、この紙切れのおかげででどれだけ悩んだことだでしょうか。この紙切れのおかげで、死のうとさえも思いました。この車内放送を聞いた時、不思議と、自らその地獄の様な日々を終わらす決心がつきました。

私は、深く深呼吸をして藍色の印鑑ケースから突き抜ける秋の青空を思い出す様な空色の印鑑を取り出して、その空を自由に飛び回る赤トンボの様な赤い朱肉を付け、また、深く深呼吸して、その忌まわしい紙切れに力強く印鑑を抑えつけました。そして、また、深くため息をついて、ぼんやりと桜の木が飛ぶ車窓を眺めていました。

嫌いだったはずのこの季節を、何か清々しく感じ始めていた、私は、無意識にあの曲をハミングしていました。

テネシーワルツ。

きっと、この曲は、今時の若者は知らないでしょうね。アメリカの古い歌です。昔、私の母親が良く口ずさんいたんです。聞いている内に覚えてしまっていて、今でも思いにふけった時なんかに、気が付いたら自然と口ずさんでいます。

束の間の白昼夢が終わった頃、私を乗せた新幹線は映画と同じように人生を変えてしまう魔力を持った不思議な街の駅のホームへと滑り込んみました。

しかし、その時、私は、この映画がこんな終わり方をするなどと言う事は想像もしていませんでした。


「これ速達ですと、横浜には何時着きますか?」

「そうですね。明日中には着くと思います。」

駅前の郵便局を出て、上司に失敗に終わった営業の報告をする様な気持ちで、思い切って、彼に電話をかけました。

「あ、もしもし、美砂子です。お待ちかねの物、今、送りました。明日には届くと思います。それか

 ら・・・」

しかし、その手に汗を握ったスリルとサスペンスの電話は留守電にメッセージを残すだけの取り越し苦労で終わりました。でも、彼の声を聞かずに済んで、ほんのちょっぴり、ほっとしていました。平日の正午前、電話に出れなくても仕方がない時間帯。私は、そんな意味がない理由を見つけて自分を納得させながら、既に足は、東へと歩を進めていました。

目の前にはローソクを模した白いタワーが聳え立って、その下を緑色の路線バスと大勢の人達が行き交っていました。

それは、二十年ぶりに見た懐かしい風景。それは、私と同じように何も変わっていませんでした。そう思うと、少し気が楽になった様な気がしました。

グーグルマップを頼り歩いていると、やがて七条大橋を東へと渡っていました。眼下には、底が見えるほど浅い鴨川が流れ、遠くには北山の稜線が広がっていました。

「京都だ!」

空を見上げたら、私を解放してくれた、あの印鑑の様な抜けるような青い空。

私は、両手を広げて深呼吸しました。

博物館、三十三間堂、そんな懐かしい風景に気を取られている内に、気が付いたら私は木造の古い町家とアパートが立ち並ぶ路地を歩いていました。

スマートフォンに目を落とすと、目的地はもうすぐそこでした。

と、前を見ると二階建てのアパートが見えて来ました。外に二階へと続く階段がある木造の古めかしいアパートでした。と、その前に一人の赤いワンピースを着た女の子がしゃがんでいるのが見えて来ました。近づいて良く見ると、その女の子は、アパートの前にある、お地蔵様の祠の前で、白い猫に煮干しをあげていました。年の頃なら三つか四つでしょうか。

スマートフォンに目を落とすと目的地はここでした。

「ふーん、こんなとこなんだ。でも 昔と変わってるんだろうな。」

私は辺りを見回してその女の子の横にしゃがみ込んみました。

「この猫、可愛いね」

女の子は、私の声が聞こえなかったのか、黙ったまま真っ白な猫に少しづつ小魚の煮干しをやっていました。

髪は、今時、珍しいおかっぱ頭。

猫の餌は、煮干し。

「何かレトロ。まあ、京都だもんね。」

私は、そう自問自答して、ぼんやりとその女の子と夢中で煮干しを食べている、その真っ白な猫を見つめていました。

と、突然、女の子は立ち上がってアパートの階段を駆け上がっていきました。

そして2階の踊り場から誰かに手招きしました。

「誰を呼んでるんだろ?」

周りを見渡しても、誰もいません。

「えっ!? 私?」

あっけに取られた私は、立ち上がって、その女の子の手招きに引き寄せられるかの様に、そのアパートに吸い込まれていきました。

不思議なんですが、それから先の記憶が飛んでいるんです。

次に気が付いたら、私は 伏見のお稲荷さんの幾千もの朱色の鳥居の中にいたんです。

「何だったんだろう・・・」

と、前方に、ここ伏見稲荷さんの観光スポットのおもかる石が見えて来ました。

「せっかくだし。占ってみようっと!」

バレーボールより少し小さいこの石を、願いを込めて持ちあげた時に予想よりも軽かったら願いごとが叶って、予想よりも重かったら叶わないと言われています。

「願いごとだよね?えーと、何だっけかな?思いつかん!」

多分、ここに並んいるで人の中で一番、願い事はあるはずだったんですが、その時、一つも思い付きませんでした。

「ごめんなさい」

私は、後ろの人に気を使って、願い事が無いままに、思わず持ち上げてしまいました。

「重!」

と、その瞬間、また、記憶が飛びました。

次に、気が付いたら、そこは、満開の桜が咲いた高瀬川の畔でした。

















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