九十八話 魔術師
楼京で『同族殺し』の戦いを一度だけ見た事がある。
といっても、そう長い間見れた訳じゃない。虎鎧を相手に行われた勝負、
それは終わってみればあっという間だった。
まずは虎鎧がその速さと技で押しに押していた。
当時は羽膳よりもずっと強かった虎鎧だ。
その素早い連撃や多彩な技の数々に、羽膳は思わず見入ってしまっていた。
だが……圧倒していると思った次の瞬間には、
あの金棒の一撃で虎鎧が叩き潰されていた。
技や速度では抗しようのない、絶対的な力。
そんなものを肌で感じた勝負だった。
一命は取り留めたものの、あの後虎鎧は歩けるようになるまで随分とかかり、
あの一撃を間近で見た花南などは、
『同族殺し』の名を聞くだけで震え上がるようになってしまった。
あの一瞬の勝負に、先程の金棒の投擲……分かっている事は一つ。
『同族殺し』の戦い方は至って単純、その圧倒的な力で捻じ伏せる。
それだけであり、それが全て。だがそれ故に厄介極まりなかった。
(ただの一撃だって当たっては駄目……
ならばそういう戦い方をするまでだ!)
そう決断した羽膳は限界まで加速する。
先の羽ばたきは空へと上がるためのものではなく、
ただ単に加速する為のものだ。
最高速に達しての跳び蹴り。
悠長に金棒を肩に担いだままの『同族殺し』はそれを防ぐ事も避ける事も出来ず、
脇腹を抉るように突き刺さる蹴りを受けてから金棒を振り下ろした。
勿論そんな鈍重な金棒に当たる筈もなく、既に羽膳は『同族殺し』の背後、
距離を離れて立っていた。
そしてまたすぐに加速、今度は背後からの跳び蹴りを狙う。
電光石火の一撃離脱戦法。『同族殺し』と戦うに際し羽膳の取った戦術がそれだ。
その速度を生かして足を止めずに蹴っては離れてを繰り返す。
出会い頭の一撃を避ける為に死角から襲うのも忘れない。
その背に強烈な飛び蹴りを受けた『同族殺し』は
振り向くと同時に金棒を振り回すが、
既に羽膳は『同族殺し』の死角にて三度目の跳び蹴りの為に加速を始めている。
四度、五度、六度と一方的に攻撃を加える。
逆に『同族殺し』の金棒は空を切るばかりで羽膳に掠りすらしていない。
更にあれだけ加速してからの全体重を乗せた跳び蹴りだ。
いかに『同族殺し』が頑丈だとして無傷で済む訳もなく、
蹴りを受けた場所などはその上着が裂かれて
剥き出しの肌が赤くあざになっている。
七度目はその顔を狙って高く跳んだ。
相変わらずの死角からの攻撃に『同族殺し』も打つ手が無いのか、
その側頭部で飛び蹴りをまともに受けた。
その痛みを頼りに『同族殺し』が左手を伸ばしたものの掴めたものは空気のみ。
羽膳は既に後方で距離を取って構えていた。
「……どうだ『同族殺し』!?
為す術もなく一方的に打ちのめされる気分は……!」
側頭部から流れる血を手で拭う『同族殺し』にそう告げる。
選んだ戦術は十全に機能し、界武から対戦相手を変えての連戦でありながら、
羽膳は無傷のまま、対戦相手に一方的に出血を強いていた。
「なる……ほど。速さではどうにも敵わぬようだ」
意外というか……『同族殺し』はあっさりと速さで劣る事を認めてしまった。
拍子抜けではあるが、だからといって攻撃の手を緩めるつもりはない。
「ならば分かるだろう……! お前は速度に劣る以上、
このまま俺に触れる事も叶わずに、一方的に打ちのめされるのだ!」
「そうか」
羽膳の脅しを他人事のように聞き流し、『同族殺し』は金棒を下ろした。
「……武器を捨てて、降伏か?」
そんな訳はないと思いつつも、挑発ついでに羽膳はその意図を問う。
「まさか。金棒を当てるのが無理そうなんでな、格闘術でいこうかと」
「……同じ、事だっ!」
格闘術だろうと、死角からの攻撃にどう対応出来るのか。
(やれるもんなら……やってみればいい!)
羽膳は羽ばたいて八度目の蹴りを打ち込まんと加速した。
勿論『同族殺し』が格闘術を使う事でこの速度に対応するという、
万が一とも言える可能性にも留意して、この一撃は多少細工を施した。
加速に任せて飛び蹴りを打ち込まんと距離を詰めた矢先に、
翼を左へ羽ばたかせ急に軌道を変える。
この一瞬の牽制で相手の攻め気を逸らし、更にこちらは死角から攻め込める。
「くらえっ!」
背後からの一撃、今度もまた『同族殺し』は隙だらけだ。
だから必ずこの攻撃も成功する。そう信じていたのだが……
羽膳は『同族殺し』に近づくその一瞬の間に、拭い難き違和感に襲われた。
(何だ……これは……!?)
その違和感の正体が分からぬままに、『同族殺し』の後頭部を狙って跳ぶ羽膳。
だがそこで急に意識が途切れた。
目を覚ます。どうしてかは分からないが眼前に広がるは一面の茜空。
時間経過が感じられない以上、恐らく気を失っていたのはたった一瞬だ。
そして仰向けに倒れる体を何とか起こしてみれば……
腹部に強烈な痛みが走った。
「があっ……!」
血を吐く。腹部の一撃で体の内側をやられたか。
そう気付いてみれば立ち上がるのも困難な程のその痛みにうめき声を上げる。
(何があった……!? 先の攻撃時、俺は何をされた……!?)
必死に思い返してみる……後頭部を狙って跳んだ自分の姿。
その蹴り足が『同族殺し』に届く直前だ。
相変わらずこちらを振り向いてもいない『同族殺し』の左足が、
羽膳の脇腹に突き刺さっていた。
「蹴られ……たのか!? 『同族殺し』……!
お前、あの一瞬にこちらを振り向きもせずに俺に蹴りを入れたのか!」
痛みに耐えて立ち上がれば、
ずっと変わらず金棒を下ろした場所で立ち尽くす『同族殺し』がいた。
「蹴りというか……足が当たっただけだ。
いいからさっさと攻めてこい。こっちはまだお前の速さに勝ててない」
倒れる羽膳に追撃もせずただ待ち構える『同族殺し』、
その態度が羽膳に告げていた。これは勝負などではなく、ただの鍛錬だと。
「ふざ……けるなぁ!」
痛みを押して再度加速を始める。今度は『同族殺し』の周りをグルグルと回り、
攻撃するのではなくただ只管に加速を続け攻撃の機会を窺う。
(『同族殺し』は回る俺を目で追う事もせずずっと立ち尽くしてる。
俺が背後に回っても振り向く事すらしてはくれない……)
思えばさっきもそうだった。
こちらを振り向きもせずその後ろ蹴りで正確に羽膳の腹を蹴り上げたのだ。
(……再度死角から襲う。
だが今度は……上、上空だ。蹴りも届かない高所から踵をぶつける!)
凄まじい速度で『同族殺し』の周りを回っていた羽膳が
『同族殺し』の背後に来たその一瞬、急に軌道を変えて飛び上がる。
次の狙いは『同族殺し』の頭頂部。
あの赤頭のてっぺんに踵を打ち下ろすのだ……!
背後からの踵落としの一撃が決まるかと思えたその瞬間に、
羽膳は先程の違和感の正体に気付く。
(『同族殺し』の周りの色が……くすんで見える!?)
正確には滅紫色の魔力が『同族殺し』を覆っている。
そのせいで、その周りの色がくすんで見えたのだ。
危険を感じた。この魔力の正体を突き止めもせず攻めても反撃されるだけだと。
やはりというか……ただその右手だけを上空に伸ばした『同族殺し』は
羽膳の蹴り足、その足首を正確に掴んだ。
そしてそのまま右手を振り下ろし羽膳の身体を地に叩きつけた。
「ぐはっ!」
そのあまりの勢いに、三度は地を跳ね回った羽膳の身体は
砦の周りに佇む塀の一つにそのまま突っ込んだ。
激しい破壊音。崩れ落ちる塀の下で瓦礫の山に埋もれる身体。
そのあまりの衝撃に再度気を失いかけた羽膳であったが、
何故か霞む意識の中で同じように塀に突っ込んでいながらも
すぐに立ち上がった界武の姿を思い出した。
「負けるかぁ!」
その叫びと共に立ち上がる。
自慢の白袴が血と土に汚れ見るも無残な状況だったが、
羽膳はそれでも戦意を燃え立たせたまま『同族殺し』を睨みつけた。
「その滅紫の魔力……それがこの反撃の正体だな!」
俺はそれに気付いたのだと羽膳は言った。
そうと気付いた以上はもう通用しないぞと威勢を張ったつもりの言葉だったが、
『同族殺し』は焦るでもなく淡々とネタ晴らしを始めた。
「滅紫色は孤独感の魔力……つまり、周囲知覚魔術だ。
周囲にある程度の広さでこの魔力を張り巡らせる事で、
視界に納めなくても近づく者を感じ取る事が出来る。
大勢に囲まれた時によく使う魔術だ」
「そ、それで……死角からの攻撃も……!」
「この魔術を使える者に死角など存在しない」
「そんな……魔術を扱えるのか……!」
『同族殺し』は強化魔術を主に扱い、
他には精々武装強化が扱える程度。それが羽膳の見立てだった。
だがその考えが甘すぎた事を知る。
そしてそれを知った今、羽膳は接近戦での勝機が無くなった事を悟る。
「な……ならば距離を取って戦うまでだ!」
その翼を『同族殺し』へ向けて振り下ろす。
飛行魔術を応用した飛び道具……風の塊だ。
鳥人族にとっては常識も同然なのだが、
飛行魔術とはそもそも、空を飛ぶための魔術ではない。
翼を使い風を操る魔術なのだ。
羽膳自身は空を飛ぶ原理など知る由もないが、
羽ばたいて思い切り加速した後に魔術で増幅した風を翼で捕らえれば
勝手に空へと飛んでいく……そういうものだという認識でいる。
そして空に上がってしまえば魔術で増幅した風を翼に纏わせて、
空中で静止するのもお手の物だった。
その風を操る魔術、極めてしまえば敵を吹き飛ばす事も容易いのだが、
吹き飛ばすだけの風では敵を倒すのは難しい。
そこで羽膳はその風を凝縮し一気に開放する事で
破壊力を生む魔術を編み出した。それこそがこの風の塊だ。
(これならば、遠距離から一方的に……)
だがそんな希望は儚いものと思い知らされた。
『同族殺し』が放った漆黒の魔力。
それが羽膳の放った風の塊を切り刻んで霧消させただけでなく、
そのまま羽膳の頬を切り裂いた。
「この前も、同じような事を言って
俺に遠距離戦を挑んだ馬鹿がいたが……」
独り言のように呟く『同族殺し』。その馬鹿とは巨人族の男、
岩童の事なのだが、この時の羽膳がそれを知る由もない。
「殺意の魔力……こちらは有名だろう、殺傷魔術だ。
俺は正直接近戦よりこっちの方が得意でな」
「殺傷……魔術……」
話には聞いた事がある。だがその魔術を使える者はごく僅かとも聞いている。
怒りや憎しみ、加虐への悦びからなどではなく、ただ殺す。
殺意のみを理由に殺す。そんな純粋で理不尽な殺人を繰り返した者だけが
扱う事が出来るという……人を殺すという一点においては何よりも優れた魔術。
それこそが殺傷魔術。
羽膳の風の塊とて十分優れた遠距離攻撃ではあるが……これは、魔術の格が違う。
「『同族殺し』、もしかしてお前は……!」
ここまでの多彩な魔術。接近戦主体の剣士や格闘家が到底扱えるものではない。
とすれば導かれる結論は一つだ。
『同族殺し』とは、あの恵まれた身体と金棒を使って戦う
格闘家などでは決してない。
「お前は……魔術師か!」
多彩な魔術を駆使し、遠距離戦を好む者をそう呼ぶ。
そして魔術師とは……魔力に優れるものの強靭な身体を持たぬ為に
接近戦に弱いとされる。
「そうだ」
『同族殺し』は肯定した。自分は魔術師であると認めたのだ。
それはつまり、遠距離戦でも羽膳に勝ち目はないという事だ。
「……お前のような魔術師がいるかぁ!」
そう叫びたくもなる。
(あれが……接近戦に弱い? 馬鹿を言うな!)
衛蒼は確かにずっと『同族殺し』を警戒していた。
侍所の面々、誰に聞いても衛蒼の方が遥かに強いだろうと
口を揃えたものだが、それでも衛蒼は『同族殺し』を警戒し続けた。
その理由がここに至ってようやく羽膳も理解出来た。
(強さの底が……全く見えない……!)
純粋な強さではそれでも衛蒼が勝るだろう。それ程に衛蒼は強い。
だが……不気味さではこの『同族殺し』に並び立つ者もいないだろう。
その不気味さ故に……誰と戦おうと負ける姿が想像出来ない。
「鳥人族、そういう事だから……お前に残された勝機はたった一つだ」
教えを諭すように淡々と『同族殺し』は言う。
その言葉に慈悲すらも感じさせるのは羽膳が弱気になっているからか。
「……勝機?」
そんなものがどこに残っているのかと、
羽膳は絶望に打ちひしがれながらも問い返す。
「そうだ、お前はまだ速度で俺に勝っている。
だから……今のお前が出せる最高速度の一撃を打ち込む。
それが俺を倒せる唯一の可能性だ」
言われてみれば確かにそれならまだ可能性はある。
だが何故、敵である筈の『同族殺し』がそれを教えるのか。
(……いや、そんな事はどうでもいい。
この戦いに勝機が残っているのなら、俺はそれに賭けるしかない……!)
少なくとも、誇り高き戦士とはそのように戦うものだ、
羽膳はそう信じていた。
「……分かった、その可能性に賭けよう。
だが『同族殺し』……その一撃の前に言っておく事がある」
「何だ?」
「前にも言ったが……俺の名前は羽膳だ。
誇り高き鳥人族の戦士だ。この最後の勝機に賭けてお前を打ち倒す者の名だ!
次は絶対に……忘れるな!」
そう宣言して羽膳は飛び上がる。
高く、高く……出来る限り高く。
雲を飛び越えるまでに高く飛んだ後、瞬き始めた星々を見渡して思う。
(いつもながら……綺麗だ。
この空の美しさに比べ、地上のなんと薄汚い事か……)
この荘厳なる自然の中、存在するは羽膳ただ一人。
この星々の美しさを知るのは自分一人だという感覚に捕らわれる。
(だが……この空を支配したという錯覚。
それこそが我等鳥人族を驕らせ……そして貶めた。
だから俺は……この空を降りる!)
「行くぞぉ!」
急降下を始める。この高度から斜めに降りながら一気に加速し、
その速度を維持したまま地表すれすれを掠めるように水平に……
そしてそのまま『同族殺し』を蹴り抜ける。
これが羽膳の打てる最高速度の一撃だ。
蹴られた『同族殺し』も死を免れまいが、羽膳とて只では済まない。
死なぬとしても、二度と空を飛べなくなる程の傷を負うだろう。
だがそれでも、勝負から逃げる訳にはいかず、
勝機から目を背ける事も出来なかった。
地表が見えてくる。気負い過ぎて角度が付きすぎている。
翼を使って修正し、地表すれすれで水平になるようにと調整する。
森が……そして廃砦が見えてくる。
粒のようだった『同族殺し』の姿もその視界に収めた。
角度調整も済み、思い通りの蹴りを打ち込める軌道に乗った。
「勝負だぁぁぁぁぁ!」
立ち塞がる『同族殺し』に向かってそう叫ぶ。
文字通りの全身全霊を込めたその一撃、打ち込む先の『同族殺し』は
鮮血の如き紅の魔力を纏って構えていた。
それはよく見る炎のような強化魔術ではない。
『同族殺し』の全身を走るは極彩色の赤い稲妻。
(瞬発力強化……!)
その魔力を見て『同族殺し』の意図が知れる。
この一撃を力で打ち返すでもなく、耐えきるのでもなく……。
(速さで……勝ろうというのか……!)
羽膳の両足の蹴りが『同族殺し』の胴を撃ち抜こうとしたその刹那、
『同族殺し』の左腕が凄まじい速さで動きその蹴り足をいなし、
同じく羽膳を凌駕する速度で動いた右腕がその身体を押し上げた。
……結果、自滅覚悟の速度で降り立った羽膳の身体は
地に衝突する事はなく、軽く浮き上がったまま砦の側、
枝生い茂る森の中に突っ込んだ。
何十、何百という枝々を薙ぎ倒し、
傷だらけになりながらも羽膳は生き延びた。
その身体を強化していたのは勿論だが、
木の枝が衝突の衝撃を吸収してくれたのだろう。
「畜生……」
羽膳は木にぶら下がったまま、意識が沈む感覚に身を委ねる。
『同族殺し』は羽膳を地に叩きつけ殺す事も出来ただろうに、
生かそうとしてその身体を押し上げたのだ。
それが分かっているからこそ、これ以上はもう戦えなかった。
……これ以上無い程の完敗である。
ここまでの敗北となると、羽膳は他に一つしか思い至らなかった。
(衛蒼……様……)
危険だ。『同族殺し』はひょっとすると、
『偏愛逆徒』よりも更に危険な敵となる。
そう思いながらも、それを衛蒼に伝える術の無い羽膳は
ただ静かに目を閉じた。




