九十七話 腰抜け
風の塊はそう簡単に散らせるようなものではない。
つまり、それをああも完璧に散らせたという事は、
『同族殺し』がかなりの強さで投げたのも勿論だが、
投げた物もそれなりに重たい物であるのだろう。
それが何かと視線を向ければ、あったのは細長い粗野な作りの鉄の棒だった。
つまり風の塊の邪魔をしたのは、
『同族殺し』がいつも背負っている金棒のようだった。
これまで見た限りではこの男が扱える唯一の武器である筈の金棒を、
よくもまああんな雑にぶん投げたものだ。
「遠鬼……邪魔すんな! あれぐらい……耐えられた!」
「そうか……それは済まん」
人間の子供達を庇うように両手を広げていた界武、
眼前の風の塊を『同族殺し』が撃ち散らした事を知ると、
安堵のため息を一つついてその手を下ろした。
だがすぐにその事を感謝するでもなく、何故か悪態をついた。
いや……間違いなく界武はもう打つ手が無かった筈だ。
『同族殺し』が金棒を投げなければ、
間違いなく風の塊に打ち据えられて気を失っていた。
だからそれは界武のただの強がり……
だというのにあの『同族殺し』が素直に謝った。
この二人の関係が羽膳には分かりかねた。
羽膳と衛蒼の関係……師弟とか、
上司部下のそれに近いものかとも思っていたのだが、
実際はそんな風にも見えなかった。
「だが界武、俺はてっきりお前と逆徒が戦ってるものと思って急いで来た。
それが……どうしてこの鳥人族と戦っている?」
「鳥人……ああ、羽膳だ、コイツの名前。
で戦ってる理由だがなぁ、コイツが突然やって来て、
青達を拷問するなんて言うもんでな。
それが許せねぇからぶん殴ってやってたのよ」
「恣意的に情報を切り取るな! その物言いだと俺が単に悪い奴で、
さっきまでお前に一方的に殴られてたみたいじゃないか……!」
事実は全くの逆だ。この界武こそが大罪人『偏愛逆徒』の手掛かりを
隠そうと躍起になって暴れ、結果一方的に叩きのめされたのだ。
「さっきまでぶん殴ってたのは事実だろうが……!」
「その倍は蹴り飛ばしてやったぞ……!」
始まった睨み合いを気にも留めず、『同族殺し』は先程放り投げた
金棒を拾いに視線の交錯する場を堂々と横切った。
そうして拾った金棒の土汚れを払いつつ、
未だ状況を理解しかねている『同族殺し』が問う。
「……つまり、何だ。お前達は両方とも逆徒そっちのけで戦っていた訳か」
そう言われてみれば、お互いに間抜けとしか思えない。
妙に気恥しくなって羽膳は界武から目を逸らした。
「いなかったんだから……しょうがねぇだろうが!」
照れ隠しのつもりか、界武は抗議の声を上げる。
ただこの辺りは羽膳も界武と意見を同じくしている。
逆徒がいなかったから界武と戦う羽目になったのだ。
逆に言うのなら逆徒さえここにいれば、
もしくはその居場所さえ分かってしまえば、もう界武になど用は無いのだ。
「さ……左衛門佐様、だからこそ俺は逆徒の居場所を知る為に
そこの人間の子供達が必要なのです! わ……分かってくれますよね!?」
いくらならず者も同然の『同族殺し』とはいえ、界武のような子供よりは
話が通じる筈である。というか仮にも朝廷の戦士なのだから、
そうであって欲しい。
「……居場所? そんなもの聞けばいいだろう」
「いやだから、聞けばハイハイあそこですよ……
なんて答えてくれる訳がないでしょう!
だから拷問でも何でもする他ないのです!」
こんな当たり前の事実を確認せねばならない事に頭が痛くなる。
だがそれを聞いても尚『同族殺し』は要領を得ないという顔をする。
「……それは単にお前が嫌われてるだけだろ」
「い……いや、そういう事ではないのです!
奴等は逆徒に服従する人間なのですよ……
ならば我々魔族の言う事など聞く筈がないでしょう!
好き嫌いの問題ではないのです!」
それを聞いた『同族殺し』は界武とその後ろにいる人間の子供達を眺め、
ようやく羽膳の言いたい事を理解したようだった。
「まあ……大体分かった。
じゃあ……界武、お前はどうする?」
『同族殺し』は自分の考えを述べる前に界武の確認を取った。
その主体性の無さ……この辺り、羽膳は先程から妙に思っていた。
(どうも……左衛門佐様は逆徒にあまり興味を持っていないというか、
まるで他人事のように考えておられる節がある。
事は世界を揺るがす一大事だというのに……)
それでも世界の秩序を守る朝廷の戦士かと怒りすら沸いてくる。
「……どうするも何も、青達を羽膳に引き渡すのは御免だ。
だから俺はここで羽膳を止める。
遠鬼は青達を連れて逃げてくれ」
「……俺が、この子供達を連れてか?」
「そうだ……何だ、嫌なのか?」
乗り気じゃないとその声色からも伝わる。
それはそうだろう……こんな無頼漢が人間の子供達を連れて
一体何処に逃げるというのか。
「嫌というか……面倒だ。そういうのは界武がやれ。
……しょうがないからこっちは俺がやっておく」
「やっておくって……お前が羽膳を足止めしてくれるってのか?」
「そうだ。界武……お前はお前でする事がある筈だ。
逆徒を説得するんだろう? なら今はそっちを優先しろ」
『同族殺し』の中の常識や社会性に一縷の望みをかけて
界武とのやり取りを傍観していたら、
思いもよらない方向に話が転がってしまった。
「ちょ……ちょっと待ってください! 本気ですか……!?
お、俺は衛蒼様の命令で……幕府の役人としてこの世界を守る為に
逆徒を追っているんです!
何故それを朝廷の戦士たる貴方が妨害するのですか!?」
「あの馬鹿の命令……?
それなら余計に俺が従う義理が無い。
帰ったらあの野郎に言っておけ。俺を従えたかったらまず力を示せと」
「何を……言っているんですか!?」
「言ったままだ。他に意味など含んじゃいない。
……界武、さっさと行け。この鳥人族を倒したらまた追いかける」
『同族殺し』はそう言うと金棒を担いで羽膳と界武の間に立った。
その身体をよくよく見れば、つい最近も誰かと戦ったのか、
小さな傷痕があちこちに残っていた。
そしてそれが尚更にその迫力を増幅させている。
「えっと……確かにお前が逆徒と会ったとしても、
説得なんて出来やしねぇだろうからなぁ……。
分かった、そう言う事ならしょうがねぇな。俺達は行くぞ」
『同族殺し』の後ろから界武の声がする。
このままでは本当に逃がしてしまうと羽膳は慌てて叫んだ。
「まっ……待て! 界武、逃げるのか!?」
「逃げねぇよ! 逆徒を説得したらもう一度戦う!
それまで勝負、預けておくからな……!」
そう言い残すと界武は、羽膳の返事も聞かずに子供達を連れて
森の中へと入っていった。
正直、羽膳はどうしてこうなったのかまだよく分かっていない。
楼京にて事件が発覚してからずっと、
自分の仕事に瑕疵など無かった筈だと羽膳は今も信じている。
同じように、衛蒼の指示にも何ら問題など無かった筈だとも。
発覚が遅れたせいで逆徒に後れを取ってはいるが、
それでもこのまま正しい道を歩んでいけば悪を退治し平和を取り戻せると、
そう固く信じていられた。
……だというのに、逆徒を追い詰めた筈のこの廃砦で、
逆徒はおろか人間達までもを取り逃し、
その上幕府と朝廷との諍いの契機を作りかねない状況に陥っていた。
(……どうして、こうなった!)
問題の責任を他人に押し付けるのは羽膳の好むところではないが、
それでも思い浮かぶのは界武の顔。
思えば『閃刃』から界武の話を聞いてから、
ずっとあの小柄な鬼人族に頭を悩まされてきた。
そしてその羽膳の憤慨もどこ吹く風と、
目の前の『同族殺し』は柔軟のためか首を左右に曲げたりしている。
……羽膳を足止めすると言ってこの場に残った筈だが、
別段すぐに殴りかかって来るという事もなく、落ち着いたものだ。
というか……何故か『同族殺し』から全く戦意を感じない。
本当に戦う気が無いのか、それとも単に羽膳を軽く見ているのか……
その表情からは分からない。
(一度、楼京で戦ってる姿を見た事がある。
確かに強かったが……それでも届かないと思わせるほどでもなかった。
今なら……勝てるかもしれないが……)
仁王立ちの『同族殺し』を睨みながら羽膳は思う。
だがもし勝てたとしても、それで朝廷との確執を生むのは不味い。
それに……戦いから逃げる事はその誇りが許さないとしてもだ、
ここで子供の我儘に付き合うような形で『同族殺し』と戦ったとして、
それが誇りある勝負になるかどうかは甚だ疑問だ。
「……止めましょう」
「止める、とは何だ?」
「お互い戦う理由も碌に無いでしょう……
だから勝負など止めませんか、と言ったのです」
羽膳は戦わないという選択をした。逃げるのではなく、戦わない。
首を横に振ってからため息を一つ、そして羽膳は言葉を続ける。
「私は逆徒を追ってここまで来たのです。貴方と戦う為ではない。
ですから……私は空から界武を追いますので、
貴方もどうかお好きなように。では……」
軽く助走をつけてから羽ばたいて空へと向かう。
飛んでしまえば『同族殺し』とて手も足も出せないだろうと、
仁王立ちの偉丈夫を一瞥もせず空に上がる。
「……腰抜け、か」
だがその羽膳の耳に、『同族殺し』のその呟きが届いてしまった。
「……今、何と言った!?」
折角上がった空ではあるが、あの言葉だけは聞き流せない。
羽膳は急降下で地に降りたって『同族殺し』を睨みつけた。
「腰抜け……そう言った。
鳥人族は魔王に負けるのが怖いからと
空を逃げ回った腰抜けの一族だと聞いていた。
なるほど、確かにそうだな。お前等も掟を知らぬ魔族の面汚しだ」
「……ふざけるなぁ!
この俺が、勝負から逃げる腰抜けだなどと思うのか!?」
許せない。腰抜けという言葉……そして、
鳥人族の不名誉な噂だけは羽膳が何よりも憎むものであったからだ。
「今逃げようとしただろうに。
もういい、少しは骨のある奴かとも思ったが……俺は弱者を相手には出来ん。
何処へなりへと飛んでいけ……腰抜け」
吐き捨てるような口調で、『同族殺し』はまたも言ってはならない言葉を吐いた。
「また……言ったなぁ!
『同族殺し』! 今の言葉を後悔させてやる!」
衛蒼からは戦うなと指示された。虎鎧は空に飛んで逃げちまえと言っていた。
だがそんな事はどうでもいい。今はとにかく……。
(俺を腰抜けと言ったこの男……!
その顎を蹴り砕き二度と口を利けぬようにしてやる!)
羽膳は怒りと共に羽ばたいた。
それは空を飛ぶ為ではなく……『同族殺し』に近づくための加速であった。




