九話 水穂
それからも焚火を挟んで遠鬼と話を続けた。
この男の言う事を全て信じるつもりもないが、
それでも俺は外の世界についてあまりにも無知だ。
それなら遠鬼がここにいる内に、聞ける事は全て聞いておいた方がいい。
俺は遠鬼が投げて寄越した毛布に身を包み、
遠鬼に比べれば小さなこの体をさらに小さく丸めながら色々と聞いた。
遠鬼は聞かれた事には何でも答えてくれた。
ただ、何も知らないであろう俺を慮ってか、
聞かれた以上の事を答えるきらいがあり、
何度も質問する手間が省けて助かりもしたが、どうでもいい知識も増えた。
例えば……この辺の地域について聞いた時だ。
「この付近……? ここは丹波国だ。この森の名は確か黒樹林。
あまり人が入る場所じゃないな。そもそもこんな山麓に住む必要など
ないくらい、街にも土地が余ってる。何か事情でもないとこんな所に
人は住まん」
「いや、俺もここに住む気はないからそういうのはいいよ……」
「そうか」
「でだ、俺は国っていうのも分からない。この世界と国っていうのは
何か違うのか?」
「世界は一人で全てを管理するには広すぎる。だから幾つかに切り分けて
それぞれを偉い奴が管理するようになっている。その区切られた一つが国だ。
確か……この世界には十六ぐらいの国があった筈で、この丹波はそれなりに
栄えている方だ。俺の生まれ育った国ではこんな方々に村があるなど
信じられん話だ。三日歩いても旅人にすら碌に会うことも無い」
「いや……遠鬼の故郷も行かないからどうでもいいよ」
「そうか」
「えっと……それじゃあ、国については分かったよ。
じゃあちょっと範囲を広くしてだ、この世界については何か知ってるか?」
「世界か。名前は水穂。稲穂から取った名らしいが、詳しくは知らん。
稲穂は分かるか? この辺ではあまり作ってないが、西の方だとむしろ
麦よりも稲の方が良く作られていてな……」
こんな感じだ。詳しく説明してくれるのはいいが、
詳しすぎると話がずれていってしまう。結果かかる時間の割に
あまりいい情報が得られない。
だけどまあ、話が続くと自然とコツを掴めてきた。
要はこっちで話の流れを制御すればいいんだ。
「分かった。世界の名前は分かったよ。でもな、俺の知りたいのは
稲の事じゃなくてさ、例えば……この丹波国の外はどうなってるかとか、
そういう事なんだよ」
「そうか。さっき言ったがこの世界は十六の国があって、
ここ丹波は世界の東端に近い。ここより東は山城国しか残ってないからな。
その山城国に王都があって、そこに朝廷がある。魔王が住む大きな城だ。
一度見た事があるが有名なだけあってかなりの大きさだった」
「あ……城については今の話で分かった。大きな家なんだな。
で、その家の名前が朝廷だと」
「それもそうだが、もっと言うと朝廷というのは
この世界を支配する組織の事も指す。その組織の頂点が魔王という訳だ」
「へえ……じゃあ、ここの西はどうなってんだ?」
「ここから西に行けば新坂に出る。大きな町だ。そこにはこの国の守護がいる。
ああ……守護っていうのはさっき言った国を管理する偉い奴の事だ。
そのさらに西には播磨国。楼京という町がある。
多分この世界で一番大きい町で、この世界を統治する幕府という組織がある」
「へえ……ってあれ、ちょっと待ってくれ、遠鬼」
「なんだ?」
「さっき王都に魔王がいるって言ってたよな」
「言った」
「で、何故楼京にある幕府がこの世界を統治してるんだ?
魔王が統治してるんじゃないのか?」
「魔王はあまり統治に関わらない。統治を代行してるのが幕府だ。
その辺がややこしいのは人間のせいだ」
「勝手に人間のせいにしないで欲しいけど……理由は聞いていいか?」
聞いてしまった事を後悔するぐらいにこの後の話は長かった。
まあざっとまとめると……遠鬼が言うには、昔は人間がこの世界を支配していた。
朝廷と幕府の関係とかもその時のままらしい。
魔王が世界の覇権を握ったはいいものの、魔族は統治に関して全くの素人だった。
人間の知識や技術を吸収するのに抵抗が無かった魔王は、
一から新しい統治機構を作るよりはと、
人間のものをそのまま流用したからこうなったんだそうだ。
何というか、いい加減にもほどがあると思う。ただ今の話から分かるのは、
この世界の仕組みを知りたければ、魔王について聞くのが一番早いという事だ。
「今言った魔王って……王都にいる奴か?」
「もう死んでる。何年前だと思ってる。今の魔王は五代目だ。」
「いや、何年前とか言われても、俺、その辺の事全然知らねぇよ」
「お前が言う物知りな姉さんは教えてくれなかったのか?」
急に出てきた姉さんの話に俺はまたも記憶を探る。
「う~ん……あの人、文字とか、算数とか、物理とか……
変な事は教えてくれたけど、そういやこの世界の事は
何にも教えてくれなかったなぁ」
「だろうな。お前を見てれば分かる。
しかし……文字は分かるのに歴史を知らんというのも変な話だ」
そこから簡単な歴史の授業が始まった。
さっき遠鬼が言ったように、昔は人間が世界の支配者だった。
とにかく人間は数が多く、集まって協力する事に長けていた。
それに対し魔族は力こそ強かったものの、
種族数が多い割にそれぞれの数は少なく、更に皆協調性が無かった。
結果魔族間で同士討ちを繰り返したり、人間の町で暴れたりしては、
数の暴力で討伐されていたそうだ。
その世界に一人の魔族が生まれた。その男は人間など滅多に訪れない
山奥の少数種族に現れた突然変異で、外の世界に興味を持ち、
山を離れ人間の町に現れた。
それから男は人間に迫害されつつもその長所や戦い方を学び取り、
討伐されるしかなかった魔族の強者達を味方につけ、
人間のそれを真似た魔族の軍勢を作り上げて反乱を起こした。
当初、人間の幕府は魔族の反乱を重要視せず、
内輪揉めばかりを繰り返していたらしい。
だが魔族がいくつかの国々を占領するに至り、
ついに幕府は内輪揉めを止め、朝廷が音頭を取って討伐軍を組織した。
その討伐軍と魔族の軍勢の総力戦こそが百二十余年も前の人魔大戦。
お互いに半数以上の兵を失う凄惨な戦の果てに、討伐軍が敗北。
それから天下の主導権が魔族へと移ることになる。
大戦を指揮した男は魔王となり、
今日まで続く魔族の統治の基礎を作り上げた……と。大体こんな感じらしい。
「まあその後も色々あった。残った人間の反乱、
魔王に従わん魔族の反乱……結局魔王が代替わりして二代目の時代になっても、
戦が止む事はなかったそうだ」
遠鬼はこういった歴史に妙に詳しかった。ちょっと細かいかな、
と思えるような過去の出来事のあれこれについていくつか質問したが、
全て淀みなく答えた。その内容については、質問していた俺が言うのもあれだが、
ちょっと細かすぎるので割愛する。
「……じゃあさ、もうこの世界に人間が普通に住める場所は無いんだな」
百年以上前のご先祖様の不甲斐なさを咎める気にはなれないが、
もうちょっと救いのある環境を残してほしかった。
そう思いながら俺は質問を続けた。
「あるにはある。ここ王都付近では牧場以外に人間はほぼいないが、
ずっと西の長門国には服従印の無い人間が住む隠れ里があるそうだ。
で、最近そこに恐ろしく強い人間が現れた。
そいつが暴れて今の長門国は酷い有様らしい」
「長門国……?」
「そこまで行けば普通に住めるかもしれん。鎮圧されるまでは」
「最後の一言余計じゃないか? 手心って知ってる……?」
「事実だ」
(でも……その反乱が鎮圧されるにしろ、
西に行けばまだ魔王に逆らう人間がいるかもしれないんだな……?)
「その長門国にはどうやったら行けるんだ?」
「行きたいのか? ここが東端として、長門国はこの世界の西の果てだ。
順調に旅が出来たとしても三ヶ月、普通に考えれば半年は
ただ西へ向かって旅をする必要がある」
(は、半年……)
牧場から逃げ出してたったの二、三日でここまで怪我させられたんだ。
半年旅をするとなると体がいくつあっても足りない気がしてくる。
「どこに行きたいにしろ、界武、お前はまず休め。
服従印が破れているのもある。どんな後遺症があるか分からん」
(服従印……ああ、牧場の人間の意志を縛り付けてる奴か)
俺を含む人間全体に関わる重要な何かが服従印だった。
だからこそ、それについては少しでも多くの情報が欲しい。
「遠鬼……俺は、服従印が破れたとか言われても何の事かさっぱりだ。
そもそも服従印って一体なんだ?」
「拘束魔術で刻まれた刻印の事をそう呼ぶ。普及してるのは魔族に従え、
程度の簡単な命令だけが刻まれている。お前のも恐らくそれだ」
拘束魔術、というのもよく分からないが、
そこを突っ込むと話が別の方向に逸れそうだ。まず聞くべきは……。
「その服従印は、牧場にいる人間全員に刻まれてるのか?」
「牧場に限らず、魔族は管理している人間全てに服従印を刻む義務がある。
それを怠ったり服従印を解除したりすれば死に等しい罰を
科されると聞いている」
「解除? ……俺のみたいに破る、というのと違うのか?」
「解除印というものがある。それを使えばいい。
力ずくで印を壊すことも出来るには出来る。それを破ると言うが……
服従印を破られた者は大抵死ぬ。
たとえ死を免れても重篤な障害が残ると聞いている」
「……俺、右の手首から先が動かないし、実は記憶も結構怪しいんだけど」
「印を破られた後遺症かもしれん。治るかどうか分からん」
「……そっか。でもまあ、死ぬよりはマシかぁ」
そう、酷い状態かもしれないが、それでも俺はまだ生きている。
この奇跡の代償だというのなら、何にだって目を瞑る。
「その後遺症を除いてもだ、俺の見立てだと五日は動かずじっとして、
体を癒した方がいい」
「五日……? 馬鹿言うな。こんな場所で五日も動かずにいたら餓死するわ」
「いいから寝ていろ」
「お……おう」
(……いやまさか、この天然鬼はその五日間ずっと俺を世話する、
なんて馬鹿な事を考えてるって……流石に無いよな?)
そのまさかだった。