八十七話 弓矢
「いやぁ、助かりましたよ……」
逆徒の襲撃を退けた後こそが大変だったと延老さんは述懐した。
激闘の末、どうにか逆徒を撃退したはいいものの、
その時の延老さんは満身創痍。まず自身の応急処置だけでも済ませようと
集落に向かったのだそうだ。俺達にとっても馴染みのある、
あの延老さんの馬車もその集落の中にあり、
その荷台には治療に使える薬なども載せてあったらしい。
だが……長閑だった筈の集落は混乱の極みにあった。
まず直前の逆徒との戦闘で操られていた三人の住人が泡を吹いて倒れていた。
延老さんも何故そうなっていたのかは分からないそうだ。
拘束魔術による副作用かもしれないとは思ったが、それを確かめる術もない。
「仕方がないですからなぁ……
こちらも人の心配が出来る状態ではなかったのですが、
かといってそのままにしておく訳にもいかんでしょう」
「じゃあその三人を手当てしてたのか? 自分も怪我だらけだっていうのに……」
「その時は手元に薬も無かったですからねぇ……
ひとまず容体を見て、若い二人は大丈夫そうでしたが、
ご老人が何やら危なげでしたので、こう、ご老人を担いで、
長刀の鞘を杖代わりにですね……」
その時の様子を再現するかのように振舞って見せてくれた。
おどけている様にも見えてしまったそれだが、痛々し過ぎて流石に笑えない。
傷だらけの上に右手を痛めておいて、更に人を担いでいたというから、
さぞや大変だったことだろう。
「それでどうにか集落に入ったのですよ。
そうすると今度はあちこちから悲鳴が止まぬ惨状でして……」
見ればそこかしこに人が倒れている。
そしてそれを見て慌てふためく住民達の叫びで満ち満ちていた。
延老さんは今担いでいる老人の介抱だけでも手伝って欲しかったらしいが、
一目見てそれも諦めたそうだ。
勿論、その集落の惨状も気になったが、それとて自身の応急手当ぐらいは
済ませてからでないとどうしようもない。
身体を引きずる思いでどうにか馬車の傍まで辿り着き、
老人の介抱をして、それから自らの応急手当を淡々と済ませたのだそうだ。
「昔を思い出しましたな。負け戦の時はあんな感じでしたよ。
仲間は恐慌に陥り当てに出来ず、辺りは負傷者で足の踏み場もなく、
かといって自らも満身創痍……いやぁ、懐かしい……」
そんな悲惨な記憶ですら愛おしいとでも言うかのように
延老さんは笑った。……やっぱり、この人達の心境は俺には分からない。
「それでまあ……どうにか周りを気にかける事が
出来るようにはなりましたが、あの時倒れていたのは全てこの集落に
常駐する役人達だったようでしてね、数は……五名程度でしたか」
聞けば、その五名は皆矢で射られて殺されていたという。
やったのは凪という逆徒の弟子だろうとの事だが、その男は確か人間の筈だ。
「その……弓矢って奴はそれ程強い武器なのか?
人間が魔族に簡単に勝てる程に!?」
それを聞いた時、集落の惨状とかよりもそっちの方が気になってしまった。
殺されたって役人達には申し訳ないが、気になるものはしょうがないのだ。
「達人が扱えば恐ろしい武器ですよ。
弓という武器はですね、達人程大きなものを使う傾向がありましたな。
勿論、大きいものほど威力があり、同時に扱いづらくもあるそうで……。
何よりも、殺気も感じ取れぬ程の距離から急所を射抜かれるのです。
あれをされるとどんな強者であろうと呆気なく殺されたものです……」
ちなみに、延老さんは矢が風を切る音も、
その矢を打ち払う術も知っているらしい。
そこまで経験を積めば対応は出来るそうだが、
そんな経験の持ち主は延老さんを含めても、もう数える程しか居ないのだそうだ。
「そう考えると……このご時世、
弓矢程恐ろしい武器は無いのかもしれないですなぁ……。
長門国の反乱に手を焼いているのも、その辺が問題なのかもしれませんな」
という事らしい。その弓矢という武器への興味は尽きなかったが、
今の本題はそっちじゃない。とにかく……。
「つまりこの集落はですね……逆徒達の襲撃を受け、
用心棒に村長のような役目も担っていた役人達を失って、
皆恐怖に怯えて正常な判断が下せぬ状態なのですよ。
だからでしょうか……逆徒が連れてきた人間の子供達まで
隙あらば殺そうとするので参っています……」
それでこの集落に入ってきた時の光景の理由が知れた。
この集落の民は、延老さんに役人達の代わりを務めて欲しいのだ。
であればこそ、むしろ延老さんがいる方が危ないと何度説得しようとも、
ああしてでも引き留めようとしたのだろう。
「敵なら斬り捨てれば済む話ですがね。
恐怖に怯えた民衆というのはもう、敵よりも厄介なものでしたね……」
戦士らしい言葉だと思う。そうして斬り捨てる事も出来ない民衆を相手に
孤立無援で奮闘していた所に俺達が来た訳で……なるほど、
あの歓迎ぶりの理由もこれで分かった。
「……何というかさ、俺達は逆徒の襲撃の方を心配して来たんだけどなぁ、
それとはまた別の所で延老さんは困っていた訳だ」
ようやく出てきた笑いは苦笑いだった。
逆徒に操られた延老さんと戦わねばならない……そんな最悪の展開までも
予想していただけに、そんな逆徒よりも大変な困難として
集落の民を挙げた延老さんの不敵さに思わず笑ってしまったのだ。
延老さんに押し寄せる集落の民を宥め追い返したのは春夜さんと遠鬼だった。
ちなみに俺は殺されそうだった人間の子供達を抱えて避難する役回りだった。
月陽にはその人間達の治療をお願いした。
あの集落の民にやられたのか、それとも逆徒と延老さんの戦いで傷ついたのか、
傷だらけのままだったからだ。
「ちなみに……なんて言って追い払ったんだ?」
「別に、何も言わなかったが……」
「ああ……分かった」
遠鬼みたいな厳つい大男が何も言わずに立っている。
あの時は戦いを警戒してか、金棒もその手に握っていた筈だから……。
(そんなのが目の前に出て来たら、
そりゃあ怖くて逃げてしまうかもなぁ……)
それでどうにか住民達の拘束を解かれた延老さんと、
役人達の住んでいた屋敷を借りて休んでいる。
今はもう主のいないその屋敷はその集落では一番大きく、
その土間には予備の武器や防具なども備えてあった。
屋敷の外はと言えば既に陽は落ちて真っ暗で、
この屋敷も灯があるとはいえ流石に昼間と比べれば薄暗い。
その屋敷だが、土間を抜けると大小の部屋が一つずつあった。
障子扉で分けられたその二部屋だが、今はその扉が開けっ放しになっている。
大きいものは食事や会議に使えるような広間になっており、
小さいものは隅に畳んだ蓆が置いてあることから察するに寝室だったんだろう。
今は広間の方を俺達が使っており、
寝室の方は三人の人間の子供達を転がしておいてある。
彼等は縛り付けられたままだけど、一言だって俺達と口を聞こうとしなかった。
……多分、あれが逆徒が操っている使い捨ての武器だという人間なんだろう。
見てみれば本当にただの人間の子供達で、
こんな子供の命を武器として使い捨てる逆徒への怒りが新たに沸いてくる。
「あれさ……子供達の拘束って解いちゃ駄目なのか?」
それ位はしてあげた方がいい気はする。
未だその両手足を縛られたままの子供達だ。危ないから視界の届く範囲に
居てもらわなきゃいけないのは分かるけれど、それでもあの姿はちょっと
視界に入れるのも辛い。
「それがですね……あの子達、私を殺すために
自殺しようとまでしたものですから……」
延老さんも子供達をあのように扱うのを良くは思ってないんだろう。
その思いが表情から読み取れるが、状況が状況だけにやむを得ない、
という感じだ。
「死ぬと……破裂するって奴か」
「……はい。目の前で一度見せつけられましたが、
あれはあらゆる意味で恐ろしい攻撃でしたな」
延老さんの身体に幾つも刻まれた傷は、
破裂した子供の骨片が突き刺さったものだと言う。
確かに……あらゆる意味で恐ろしい。
「えっとさぁ……説得したりとかは?」
「言葉が分からない訳ではない筈ですがね、
こちらの言葉は聞く耳持たず、です」
処置無しと首を振る延老さん。
それを見た遠鬼までもが、その救われなさ故か小さく首を振った。
俺の方にも何か手がある訳ではないから、どうにも心が沈んでしまう。
そんな役立たずな男達とは違って、一人頑張っているのが月陽だ。
さっきまでその子供達を治療していたと思えば、
今は延老さんの傍らに座りその右腕を治そうと頑張っている。
(だけど……延老さんが言うには、
あの右腕……痛め方が悪かったらしい。もう動かないだろうって……)
「……月陽君。それでもう十分ですよ。
この右腕は傷ついたのではないのです、寿命を迎えたのですよ」
それでも魔術を止めようとしない月陽を諭すように延老さんが言う。
「でも……」
悲しそうな表情の月陽。死や怪我にも動じなくなってきたとはいえ、
遠鬼に延老さんと、自分が良く知る人達までもがこうも傷つく今の状況に、
この優しい少女はまたしても心を痛めているのだろう。
「こう言っては少し違うかもしれませんがね、
界武君の右手と同じですよ。動かないのは不便かもしれませんが、
それは少しだって私達の強さを損ないはしないのです」
「え……? 弱く、ならないの?」
「……はい。まだ左手で刀を持てますからね
最初は少し手こずるやもですが、すぐに慣れてしまいますよ」
延老さんは微笑みながらそう言った。
それは、月陽を心配させまいとして言った言葉だと思う。
俺と違って剣士の延老さんが利き腕を失うのは大変な事だろう。
だけど、そんな俺の心配ですら不要だと思えるぐらいに
その笑顔は頼もしかった。
「……そっか」
それだけ言うと月陽は魔術を止めて畳の床に寝転んだ。
「……疲れちゃった……」
「お疲れ様……治療、ありがとうございます」
こちらからは見えないが、月陽はその言葉に表情だけで返事をしたらしい。
その後は這ったり転がったりしながら遠鬼の傍まで近づいて、
そのまま眠ってしまった。
「……そういや、春夜さんは?」
それからもずっと延老さんと情報交換を続けていたが、
そこでふと春夜さんがいない事に気が付いた。
「ああ、住民達を宥めに行ったままだったな……
この時間でも戻って来ないとなると、
是非にとせがまれ奴等の家に泊まる事にでもなったか」
そういえばそうだった。遠鬼を恐れて逃げて行った住民達だが、
その不安が解消された訳ではないのだ。
それで仕方がないと春夜さんが宥めに行ってそれきりだ。
「それは……申し訳ない事をしましたな……」
延老さんはそう言うが、自分が代わろうとは決して言わないだろう。
遠鬼は代わってもいいと言うかもしれないが、
住民達の方が願い下げに違いない。
そんな訳で、春夜さんが貧乏くじを引いたわけだ。
(そつ無く色んな事が出来るからだろうなぁ……
これからも春夜さんが貧乏くじを引き続ける気がする)
少なくとも、俺や遠鬼と一緒に旅を続けるのならそういう事になるだろう。
可哀想だと思いはするが、俺の方も力不足だ。代わってはあげられない。
「そんな事はどうでもいい。重要なのは逆徒の方だ」
春夜さんが貧乏くじを引いたその原因とも言える遠鬼が
それをどうでもいいと切り捨てた。
そして救いの無い事に、俺を含めたその場の男達全員がその言葉に
突っ込み一つ入れなかった。
つまりはまぁ……逆徒の方が重要なのは勿論だけど、
春夜さんの苦労はどうでもいいと皆少なからず思っているのだ。
「逆徒の戦い方は聞いたな、界武」
「ん!? あ、ああ……強化魔術も凄そうだけど、
それよりも拘束魔術だな……俺や月陽なら、多分何も出来ずにいいなりだ」
そう、延老さんからの貴重な情報として逆徒の戦い方を知った。
あの延老さんすらも動きを縛られたというその恐ろしい拘束魔術、
それがある限りは俺も逆徒と戦えもしない。
というかむしろ、月陽も含めて逆徒には近づいちゃいけない事になる。
その月陽に目を向ければ、畳にうつ伏せに転がったまま寝息を立てている。
あのまま放っておくと頬に畳の跡がついてしまうだろうから、
後で枕を敷いておこうと思う。
(……この子を絶対に逆徒の手に渡しちゃ駄目だな)
折角服従印が解けて……これから幸せになれるって時なんだ。
そんな月陽を操らせるのは勿論、破裂させられる……なんて絶対にさせないと、
そう強く決心する。
「……そうだ、お前と月陽はこのままだと逆徒の前に立つ事も出来ん。
つまりはだ……その対策を身に着けない限りは、旅を続けるのも無理だ」
「確かに……そうですな」
遠鬼の言葉に延老さんも同意を示す。俺だって異論は無い。
俺達は予想以上に無防備だった。このままでは危険に過ぎる。
「対策って言うと……その、魔力の霧って奴か?」
それはあのいけ好かない男、羽膳が齎した情報だ。
逆徒の拘束魔術は、魔力の霧という防衛魔術である程度は防ぐ事が出来るという。
「そうですね、逆徒の魔術の全てを防ぐという訳にはいきませんでしたが、
確かに効果はありました。最低限、あれは身に着けるべきでしょう」
もう一つの防衛手段、魔力斬りについてはとてもじゃないが教えられないという。
その技の話を聞いた時、冗談交じりに俺にも使えるようになるか聞いてみたら……。
「今からだと三十年はかかりますかなぁ……」
延老さんは真顔でそう言った。なるほど……
それがただの技であるのなら、鍛錬の結果辿り着く事は出来るのかもしれない。
でもかかる時間が問題だ。三十年はちょっとだけ長すぎると返すしかなかった。
「じゃあその、魔力の霧って奴を……」
「どういうものかは教える。後は自分で辿りつけ」
魔術は人に教えられない、その原則は変わらないらしい。
つまりは……明日からは特訓、という事だった。




