八十六話 〇印
「やられたな……」
衛蒼が呟く。
何をやられたか、それはもちろん屠殺場での爆発である。
死傷者は十名を超え、現場一帯の洗浄にただでさえ不足気味の人手を
更に割かれる事となった。
新坂の外での騒乱はあれど、中は平穏そのものだったこれまでと違い、
今後は関の内側とて安穏とは過ごせない。
そんな不安が町中に広がっているのが肌で感じられる。
屠殺場が爆発で使い物にならなくなったその夜、
衛蒼、羽膳、鋼牙の三名はまたも守護屋敷の一室を借り会議を続けていた。
三名ともその日の多忙を物語るかのように疲れ果てた表情ではあるが、
それでも今すぐ床に入って眠れはしないだろう。
あの爆発……そして、それを阻止できなかった後悔が
眠りを妨げるに違いないのだ。
「それで……その逆徒の隠れ家になっていた牧場は……?」
先の呟きから続けて、衛蒼が報告を促す。
「もぬけの殻です。というよりも……
恐らく放棄されたのは十日は前でしょう。
その後は必要最低限の人数しかいなかったと見るべきです」
先程実際にその牧場に確認しに行った羽膳が報告する。
昨日三人の人間を出荷したらしいが、その三人しかいなかったんじゃないか、
と思ってしまうぐらいの寂れ具合だった。
家々の水場や竈の殆どに最近まで使われていた形跡が無かったのだ。
あれでは百人近い人間がいたとはとても思えない。
つまりは、今からあの牧場の近隣を探し回った所で
その痕跡が見つかる可能性は薄い。
「そちらも後手に回っているのか……」
衛蒼は眉間を押さえて唸っている。
今のように悪い事が立て続けに起こると、衛蒼はあのような仕草をする時がある。
楼京にいた頃は滅多に見る事のなかったその仕草だが、
ここにいるとその機会に不自由はしなさそうなのが辛い。
「……こちらの手が遅いとも思わない。
事実、羽膳と鋼牙は逆徒の隠れ家を探し当ててくれたし、
他の役人達とて課された任務を不足なく勤めている。だが……」
そこで衛蒼は一呼吸置く。
「……逆徒の手が早すぎる。
いや違うな、奴は今回の反乱に一年以上の時間を費やしている。
我々が一年遅れで事の解決に当たったとしても、追いつかぬのは道理だ」
「だとしてもよ、そう何度も後手に回る訳にはいかねぇぞ。
その分だけ人死にが出るからな」
鋼牙はその衛蒼の弱音とも言える言葉にそう言い返す。
どうも鋼牙は衛蒼をまだ小役人の延長のように考えている節があり、
その口調もどこか荒っぽい。
「……その通りだ」
その荒っぽい口調が効果的に働いたか、
そう返した衛蒼の表情もどこか引き締まっている。
「不必要に感傷的になる事もないな。
今はまずすべき事を十全に為す、それだけを考えよう。
……では、一連の身体検査で分かった事を伝えておこう」
「ああ……あの裸にひん剥いていたっていう奴か」
今日訪ねたどの屋敷でも話題になっていたのだ。
鋼牙も当然覚えている。
「衛蒼様、もしや服従印を刻まれた者が……」
「そうだ、見つかった。
運び屋は知っているな。商人から依頼を受けては荷を他の町へ運ぶ者達だ。
そこで働く者の中に服従印を刻まれた者がいた」
衛蒼が指揮する新坂の役人達の成果とも言うべき報告だが、
その報告は非常に淡々としていた。
……まあ、今の状況だとどのような成果が上がろうと誇る気にはなれないが。
「運び屋……ですか」
「そうだ。その店の主人に聞いてみれば、
その者はあまり勤務態度が良くはなかったが、
ある時期から急に熱心に働くようになったのだそうだ。
それ自体は悪い事ではないから好意的に見ていたらしいが……」
「その時期とは?」
「大体一年ほど前、だそうだ」
楼京での将軍拉致に失敗してから、逆徒がこの丹波国に活動の拠点を移したと
思われるのが丁度それ位の時期だ。つまりは、辻褄はあっている。
「しかしなぁ、服従印を刻むとよく働くようになるってのか?
俺の牧場だとそりゃあ逆らいはしなかったけどよ、
作業効率が良くなってる気はしなかったがな……
人間達はあれで狡猾でな、怠ける時は普通に怠けるのよ」
牧場の管理者としての実感のある鋼牙の言葉。
「つまりは、逆徒の刻む服従印は普通に牧場で使われているものとは
質が違うんだろう。意志を拘束というよりは、矯正していると言うべきか……。
その技術を良き方向に使ってくれたのなら、
今頃は牧場の作業効率も大きく向上していたのかもしれんがな」
逆徒の魔術を惜しむような事を言う衛蒼。
気持ちは分からないでもない。ここまでの騒乱を起こす事が出来る男だ、
その才覚も傑出していると見るべきだろう。
「話を戻すか。その運び屋の男だがな……一年前からそれはよく働いたそうだ。
元は内向的な男だった筈が急に人当たりが良くなって、
仕事で回る村々から商売に関する情報を色々と拾って来ていたらしい。
その過程で自分から仕事を持ってくる事もあったくらいでな、
主人はいっそ店を一軒任せてもいいかとすら思っていたそうだ」
「……諜報を担当していた、と見るべきでしょうか?」
「だろうな。男が自分から受けた仕事というのも恐らく逆徒絡みと思われる。
確かに、運び屋ならば情報収集を任せるのに打ってつけだろうな、
敵ながらよく考えたものだ」
(……敵?)
衛蒼が逆徒の事を敵と言ったのは何気に初めてではないだろうか?
何気の無い言葉だったのかもしれないが、衛蒼にとって逆徒が
警戒に値する難敵という認識になったのだと羽膳は感じた。
「……それならだ、その男が良く訪ねていた村とか何か無かったのか?
そういう所に逆徒って奴がいるかもしれねぇだろ」
「いい所に気が付くな、鋼牙。
勿論主人に頼んでその男のここ最近の仕事内容を、辿れる限り調べてもらった。
それがこれだ……」
衛蒼が広げた書類に地図。まず書類には日付に地名、
それに運んだものが一覧として記されていた。操られていた男の仕事の内容だろう。
地図の方は……丹波国のものか、街道に沿って線と日付が記されている。
こっちは恐らく、その男が辿った道を図示するものだ。
「東の方……ばかりですね」
地図の方が分かりやすい。その男は新坂の東にばかり荷を運んでいた。
東と言っても丹波国を出るほど東には行かずに、
国内のかなりの場所に足を運んでいる。
「特別よく立ち寄ってる村ってのも……無さそうだな」
鋼牙もなかなかに目ざとい。確かに、男が辿ったという線が
特定の村で太くなっている、という事はないように見える。
「確かに、これから分かるのは精々……
逆徒は新坂より東側に潜伏している可能性が高い事と、
特定の村に滞在している訳ではなさそうだ、という事ぐらいだ」
鋼牙と羽膳が一目見て気付く程度の事は、勿論衛蒼も分かっていたのだろう。
ならばと羽膳は更にその地図を凝視する。
(他に気付く事はないか……?
そう、例えば……村とか町みたいな、人の住む場所に限らなければ、
この線がかなり重なっている場所はある。ただ……)
運び屋も勿論自分の身が可愛かろう。だから安全な街道を選んで使っていたから
偶々その場所によく通っていたという事もあるだろう。
それを知ろうにも……残念ながら、
地図からでは各地域の治安状況などは見て取れない。
(だがまぁ、治安の良し悪し程度なら鋼牙が分かったりしないものだろうか。
そうだ、鋼牙は誰も知らないような廃村の類も知っていると言っていたな。
そういった廃村は野盗の根城になる事が多いと聞くから、
その廃村の有無である程度の治安状況が分からないものか……ん!?)
そう、廃村だ。なぜすぐにこの考えに思い至らなかったのか。
「鋼牙、お前、人の知らないような廃村を幾つも知ってるって言ってたよな?」
急にかけられた声に怪訝な視線を向ける鋼牙。
「言ったよ、それが理由でこんな事の手伝いをやらされてるんだけどな……」
「その廃村、分かる範囲でいいからこの地図に書いてみてくれないか?」
「……廃村を?」
羽膳の言葉に、衛蒼がすぐその意図に気付く。
「なるほど。もしかすればその内の一つが、
この運び屋の男のよく通う場所と重なるかもしれないという事か?」
「はい。であればその廃村こそ逆徒のもう一つの隠れ家、
という可能性があります!」
「よし分かった、ちょっと待ってな……!」
そう言うと鋼牙は筆を借り受け、記憶を辿るように時折目を閉じたりしながらも、
少しずつその地図に〇印を書き加えていった。
「……大体こんな感じだ」
廃村の位置の記入が終わったか、鋼牙がそう言った。
地図に書かれた〇印は一目見ただけでも十を超えているのが分かる。
意外とこの鋼牙という男、記憶力もいいらしい。
「……これとかどうでしょうか!」
羽膳は地図のとある〇印を指差す。
その黒い翼が他の者の視界を大きく塞いでしまう為、
羽膳は努めてそのような所作を避けていたのだが、
今回ばかりは興奮していたからかそのようにしてしまう。
だが衛蒼も鋼牙もその事を全く気にしなかった。
両名ずっとこの地図を睨み続けていたのだ。
今更翼で隠されようが、その下まで透けて見えるのだろう。
とにかく、羽膳の指し示した〇印の側には、
運び屋の男が何度も通った事を示唆する太い線が記されていた。
「……鋼牙、この廃村について何か覚えている事はないか?
大きさや建物の数、何でもいい……!」
「そこは……昔の人間の砦みたいな所でな。
崩れた塀が幾つも並んでいて、夜風を凌げて助かった記憶がある。
建屋は中央に大きなものが一つ、他に小さいのが二、三軒。
どれも屋根は壊れていたと思うが……それさえ直れば
結構な人数が泊まれるとは思った……筈だ」
廃砦。何となくだが、反乱を企む者が根城にするには
これ以上ない場所のように聞こえた。
「……この場所ならば半日とかかりません。俺が行きます!」
今にもこの部屋を飛び出さん勢いで羽膳が訴える。
「羽膳……今日は休め」
「ですが……!」
これ以上の被害は看過出来ない。
それは衛蒼とて分かっている筈だが……。
「私も人の事は言えんが、顔色が悪いぞ。
今日は休め。そして明日向かえばいい」
言われて気付く。確かに心は逸っているが、身体はそれとは裏腹に怠い。
本調子ではないのは明らかで、今の状態で逆徒と戦うという事になれば……
そう考えるとその心を抑える他なかった。
「……分かりました」
「それなら……少し遅れるだろうが俺もその砦に行くかぁ……
いいな、衛蒼?」
鋼牙は相変わらず衛蒼をそう呼び捨てにする。
羽膳はそれを良く思わないものの、当の衛蒼本人が何とも思っていない為、
咎めるまではしなかった。
「……行ってくれるか?」
「おう。で……人間を見つけたら報告はしてやるよ。
その代わり……分かってるよな?」
「『同族殺し』の件か?
分かっている。その罪状が明らかとなれば私自ら対応しよう」
「それで十分だ。じゃあ俺はこれで寝るぜ……流石に疲れたわ」
それから欠伸を一つして、鋼牙は部屋を出ていこうとした。
「……待て、鋼牙」
それを羽膳は呼び止める。
今日は色々あり過ぎて、言いそびれた事があったからだ。
「……何だよ?」
「……こんな男呼ばわりして、悪かった。
明日からも……頼む」
自身に落ち度があったからと頭を下げる。
少々気恥ずかしくはあるが、謝罪自体には抵抗が無かった。
鋼牙の知識が役立ったのは、間違いなく事実なのだから。
「……別にいいって事よ。
じゃあ俺からも頼んだぜ……羽膳」
笑っていたのだろうか……その口調は何処か楽しげだった。




